12 飯塚春菜の事情+α⑨
12 飯塚春菜の事情+α⑨
翌日の午前中
とあるマンションの一室で女性がテーブルの上に小さなパンフレットを広げ、それをみながら電話をかけている。明るい光がベランダ越しに差し込んで、爽やかな室内を照らしている。
「はい、お電話ありがとうございます。曙海苔です」
電話に出たのは若い男の人だった。
「あ、あの、お電話で注文ってできるんですか?」
「はい、承っております」
「代金ってどうやってお支払いしたらいいのかしら?」
「クレジットカードによるお支払いか、宅配が届いた際に代金と引き換えになります」
「あ、そうなんですね」
便利な世の中だなと思いながらスマホを握りしめる麗子さん。
「ご注文のお品はお決まりですか?」
「ああ、あの、味付けのりが美味しかったから……」
お土産で買ってもらった海苔と同じものを注文する。
「それと、自宅用に焼き海苔と、それから、贈答用にも買いたいんですけど」
贈答用にはどれが売れているのか、聞けば丁寧に教えてくれた。
「あの差し支えなければ、弊社の商品はどちらでお知りになりましたか?」
「ああ、主人が福岡に出張してまして、お土産で」
「そうですか。ありがとうございます」
それから、配送先の住所と名前を言っているときに電話の向こうの男の人がふと黙った。
「神谷……」
「はい」
「あの、間違っていたら大変申し訳ないんですが」
「はぁ」
「もしかして、フォンテーヌの神谷社長の……」
「あら?」
麗子さん、ポカンとした。
「ええ、そうです。主人はフォンテーヌの神谷です」
「あの、姉がいつもお世話になっております」
「あね……」
「飯塚……」
「あ、春菜ちゃん?」
麗子さん、驚いた。そうだった。秀さんがこの海苔屋さんは春菜ちゃんのご実家だって。すると……
「あ、たたたた」
「どうしました?」
「あ、いや、こっちの話です」
あまりに驚いたのがお腹の赤ちゃんに伝わったのか、トトトトトとお腹を蹴られた。お腹を片手で押さえながら、スマホを片手で握りしめる。
「春菜ちゃんの弟さん?」
「ああ、はい、弟の光です」
「あら、やだ!まさか、弟さんと話しているだなんて」
麗子さん電話のこっち側で頬が娘っ子のように上気しております。
「姉がいつもお世話になっております」
「いや、春菜ちゃんのご実家が海苔屋さんだなんて知りませんでした。それが、食べたらすごい美味しくて……」
初めて話した相手でしたけど、なんだか海苔の話とか、春菜ちゃんの話でキャピキャピと盛り上がってしまった。ふと、相手が仕事中なのを思い出した麗子さん。
「あら、すみません。お時間とらせてしまって」
「いえいえ。お話できてよかったです。中川さんにもわざわざ来ていただいてありがとうございましたとお伝えください」
「……ああ、はい」
ここで、基本天使、というか、聖母?な麗子さんも人の子、好奇心が……。突然声を低くしてヒソヒソと話す。誰も聞いてませんけどね。光君以外。空気の入れ替えをと思って開けていたベランダから風が入り込んできて、レースのカーテンを軽く揺らす。
「あの……」
「はい」
「その、ここだけの話」
「はぁ」
「うちの中川って、その、仕事でお邪魔したわけじゃないですよね?」
「ああ、姉のことで挨拶に」
……挨拶?姉のことで挨拶……
「えっ!」
「えって、え?」
東京と九州の距離で、え、と言い合う。すると……
「アタタタタ」
「え、あの、大丈夫ですか?」
「いえ、あの、大丈夫です。お腹の赤ちゃんが興奮しただけなので」
「え、うそ、え?」
ここで、生まれる!となるか。
しかし、そうなってもいいんだけど、とりあえず収めときましょうか。ややこしいんで。先ほどよりは激しく動き回った赤ちゃんも徐々に大人しくなりました。
「あ、もう大丈夫です。びっくりしたぁ」
お嬢様な麗子さんも、流石に庶民のようになってしまったな。心臓がまだドキドキしている。
「もしかして、その、中川さんと姉のことって秘密だったんですか?」
「いや、わたしは知りませんでした。ただ、主人は知ってたんじゃないかしら」
そう言われてみると、秀さんが二人のことを知っていて、それとなく隠していたような場面を思い出した。
「いや、でも、二人ともそんな、全然そんなの見せたことないのに……」
騙されていたわぁ。ま、でも、めでたい話かしら。そうよ。もういい年齢なのにずっと1人だった崇くんにお相手が。
「俺、なんかまずいこと言っちゃいましたかね?」
「いや、大丈夫ですよ」
「姉にしばき倒される気がするんですが……」
「え……」
お会いしたことのない春菜ちゃんの弟、電話の印象からは人懐こい可愛い感じの男の子です。顔の知らない若い男の子が春菜ちゃんにしばき倒されている図を想像する麗子さん。
「大丈夫ですよ。今まで通り知らないふりしますから」
「すみません」
一通り挨拶した上で、電話を切った。
電話を切った後も麗子さん、興奮がおさまらない。あら、やだ。
頬が娘っ子のように赤くなっている。両手で頬をおさえる。
崇君とは秀さんが会社を立ち上げた頃からの付き合い。出会ったばっかりの頃は若い男の子だった崇くんもいつの間にかいい年齢で、それなのに浮いた噂をなかなか聞かない。誰か紹介できる女の子いなかったかしらと微妙に気を揉んでたんです。
それが、まさか、春菜ちゃんと付き合ってたなんて。きゃー!
一人で、盛り上がる。正確に言うと一人ではない。
麗子さんはですね。資産家のご令嬢で、立派な箱に入れられて育ったようなところがあって、いわゆる普通の女の子が普通に経験するような恋愛を経験しないまま、秀さんと結婚してるんです。結婚して、子供ができて落ち着いてきた最近、今更ながらそう言う自分が経験できなかった少女漫画的恋愛に憧れがあって、人様の恋愛で盛り上がる。
いつからなのかな?どっちからだったのかな?何がきっかけだったのかな?
あー気になる。
誰かに聞いちゃダメかな?中川さん?春菜ちゃん?うーん。
とりあえず、秀さん?
そして、思いっきり盛り上がってた麗子さん、はたと思い出した。
あ……
ああー
トーンダウンしました。
それは、娘の和華ちゃん。
子供と犬とご老人にモテる崇くん。和華ちゃんの初恋の相手は崇君でした。
ま、でも、あれはいずれ破れるはずだったもの。相手が春菜ちゃんではなかったとしても。
あ、でも、待てよ。中川さん、ほんっと最近まで女っけなかったからな。何かがちょっと違ったら、ずっと一人だったかも。
そしたら、和華と?
え、いや、何歳差よ。こんな年の差カップル、いたっけ?
なんか、いたな。昔の有名な政治家の奥さんが、確か、父親の友達と結婚してしまった有名な人が……。ええっと、誰だったけ?*4
眉間に皺を寄せながら目を瞑り、記憶を弄る麗子さん。しかし、名前は思い出せなかった。
どうしよう、そんなことになったら!
違う違う違う、だから、そんなことにならなかったんだったわ。
やれやれとほっと胸を撫で下ろす。
いや、麗子さん、でも、その前に、和華ちゃんが大人になる段階で、もっと現実的な相手の方向へチェンジしたと思うけどね。聞いてませんね。
ギリギリまで和華ちゃんには黙っておかないとなぁ。
そう遠くはない未来に、泣くことになりそうな娘のことを思って、ちょっとしんみりした麗子さん。ま、でも、どこぞのイケすかないお姉ちゃんに持っていかれるより、春菜ちゃんでよかったではないですか。きっとわかってくれるって、和華ちゃんも。
場所がまた変わる。都内のとあるオフィスビル
麗子さんが電話で海苔の注文をしている頃、
秀さんは重役出勤をしていた。
「おはよー」
定時出勤の時刻はとうに過ぎているが、普通の顔で入ってきた秀さん。
「おはようございます」
野田くん、三原ちゃん、小松さんが席に座ったままで秀さんの方を向いて挨拶をする。そこに立ち上がり熱烈に社長を迎える人がいる。
「社長、お土産は」
「挨拶もなく、出張お疲れ様でしたもなく、いきなりそこか?」
「何も持ってませんね」
首を動かしながらジロジロと秀さんを眺める。おはようも言わず、お疲れ様でしたもなく、いきなりお土産に触れるのは、もちろんこの人、飯塚春菜。
「いろいろ買いたくなってとても持てるような量ではなくなったから送った。今日届く」
「あ、そうですか」
それを聞いて、安心して、自分の席に戻る。
なんというか、なんというかだな、づかちゃん……。
しばらくその様子を黙って眺めていた秀さん、ふと気づいた。
「あれ、崇は?」
「ああ……」
野田くんがちょっと困ったような顔を秀さんに向けた。サオリは一度出社してから外出しているのだろう。しかし、崇くんがいない。
「珍しいですね。中川さん」
野田くんと秀さんで壁の時計を眺める。
「あ、まぁ、でも、今日は大目に見てやって」
「はぁ」
そりゃ、もう、いろいろ大変だったからな。
やれやれと社長室へ向かおうとして、ふと思い立つ。
まさか、昨日、玉砕して落ち込んでいるとか?皆に背を向けてたのをつと振り返る。
「ね、づかちゃん、昨日、崇……」
元気だった?と聞こうとして、止まった。づかちゃんを始め、オフィスにいる人たちがじっと秀さんを見る。
「あ、いや、なんでもない」
「はぁ」
「というか、本日は、お元気ですか?」
「誰が?」
「づかちゃんが」
社長の顔を見ながら、小首をかしげる。自分で自分の額に手をやる。それから、両手でほっぺを触り、それから、ペタペタ自分で自分の体を上から下へ触る。
「特に熱もないですし、痛いところもありませんが」
「ああ、そう。よかった」
それで、自室へと向かう。彼氏と別れるか別れないかの大喧嘩した女性が翌朝、出張を終えて出社した代表取締役に対して開口一番お土産について尋ねたりはしないだろう。どっからどう見ても、通常運転中のづかちゃんだ。
それから半刻ほど経って
「おはようございまーす」
いつものようにきちんとした身だしなみで崇くんが出社してくる。野田くんが立ち上がって出迎えた。
「おはようございます」
「ごめんなさい。遅くなってしまって」
「ああ、いえ、出張お疲れ様です」
「留守中ありがとう。何かありませんでしたか?」
「ああ……」
ちょっと言い淀む野田くん。少しくすりと笑う崇くん。
「一件、耳に入りましたけどね」
「え?」
自分は何も言ってない野田くん、そっとづかちゃんを見る。づかちゃんは何も聞こえないふりしてPCの画面を見ている。野田くんをそのままに自分のデスクにつく崇くん。
「おはようございます」
「おはようございます」
小松さんや三原ちゃんは目を合わせてちゃんと挨拶するのに、画面を見たままそっけなく挨拶する春菜ちゃん。崇くんも春菜ちゃんの方を見ない。本当はもう、朝、会ってるんですけどね。おはようも言い合ってる。
スケジューラー立ち上げて、予定を確認しながら仕事の順番を考える崇くん。
しばらくして、みんなにメールが一件入ってくる。
件名:入店ポリシーの見直しと連絡の徹底について
各店舗支配人
お疲れ様です。
先日とある店舗で盲導犬を連れて入店されたお客様の入店を新人アルバイトが拒否するという事が起こりました。別の社員によって訂正され、最終的にはご入店いただきましたが、予約の際に確認して問題ないと言われたのにと苦情を頂いております。
入店ポリシーを含めたルールについて、誰が知っていて誰が知らないのか、新人が入るたびに繰り返し教育する必要があるのはいうまでもないですが、それ以前に、ディナー開始時のオープニングミーティングで、必ずその日の予約内容について入念な連絡をするようにお願いします。
会社のルールは新人教育の際に教育したとしてもその全てを即時に把握することは困難です。
しかし、毎日の予約内容を確認し、起こりうるトラブルを想定した上でのルールの再確認でこのような事態は避けられたはずです。
今後、似たようなことが起こらないよう支配人には連絡を徹底していただきたい。
以上
中川崇
宛先は各店舗の支配人、CCは社長、篠崎さん、そして、セントラルのサオリ、野田くん、づかちゃん。
そのメールを見て、秀さん、思う。あ、崇、来たなと。公開処刑をしているな。どこの店舗だったんだろう?
そして、こちらの事務所では、メールが発信された後しばらくして、野田くんのスマホが鳴る。
「あ、はい、ええっと、いや、僕じゃないですよ」
こそこそと話しながら事務所を出てゆく野田くん。それを眺めていた崇くん。ああ、また、問題のあった店舗の支配人に黙っといてと頼まれてたんだな、野田くん。春菜は誰から聞いたんだろう?
気をつけないと、店舗で起こっている問題が正確に把握できなくなるな。
軽くため息が出た。店舗が増えてくると、目が行き届かない。目を閉じて、両手を組むとトントンと指で額を押す。
でも、レストランは客商売。悪評は怖い。高い値段を取っているだけに、完璧でなければならない。そのために、直接報告されることだけではなく、ネット上に書かれるような評価についても目を通している。
維持し続けるということは難しい。難しいな。
でも、篠崎さんに教えてもらったことを自分は自分でみんなに教えていかなくては。
画面の前で難しい顔して考え込んでる崇くんをつい眺めていた春菜ちゃん、崇くんがふと目を上げた瞬間に目がぱっちり合った。
「なに?」
「ああ、いや、また難しい顔してるなって」
「すみませんね」
「いえいえ」
仕事に集中していた気持ちが瞬間途切れた。昨日のことを思い出して、ちょっと笑ってしまった崇くん。春菜ちゃんも笑いそうになって、それで、目を逸らしました。仕事しないと仕事。
それからしばらく経って、午後
東京のとあるビルの非常階段に若い女の子が一人いる。スマホを前に、深呼吸をしております。深呼吸。スーハー。
それから発信した。かけ慣れた相手、よく知ってる人に。
「お、久しぶり、姉ちゃん」
「光」
「昨日のうちにそっこーかかってくると思ってたのに、昨日は何をしてたの?」
「……」
いろいろ、忙しかったんです。いろいろ。
こほん。
「一体、何がどうなって、福岡滞在中のうちの社長に会いに行こうなんてなったの?」
「ああ」
「誰が言い出したの?」
「そんなん、母ちゃんのわけないじゃん」
「お前か」
「そうそう」
軽い。光くん、ノリが軽いです。
「普通、面識もない人に、約束もせず、一応、代表取締役だし、会いに行かないよね?」
春菜ちゃん、いつもの癖で無意識に、一応という副詞をつけてしまいました。
「すごい親切だったよ」
「そういう人なんだよ。でも、光、非常識だ」
「しょうがなかったんだよ」
「なんで」
「姉ちゃんが電話出なくなって、母ちゃんがどんだけ落ち込んでたと思う?」
「……」
「見てられなかったの。たまたま知り合いづてに神谷社長が来てるみたいって聞いたときは、もう連絡して約束してなんて時間なかったんだよ。大体、連絡先知らないし」
「ごめん」
「あ、謝った」
電話の向こうで、光くん、絶句した。
「姉ちゃんが、俺に謝った。絶対に殺すと言われると思ってたのに」
「……」
二人の力関係と歴史が偲ばれる発言だ。
「でも、神谷社長には会いに行ったけどさ、まさか、姉ちゃんの彼氏に会うことになるとは思ってなかったよ」
春菜ちゃん、ため息が出た。
「というか、写真見せられて彼氏できたって言われても、なんかどっかで信じてなかったっていうか」
「信じてなかったの?」
「いや、頭では理解しようとしてるんだけど、体が……」
わかるようなわからないような説明をする光くん。
「本人と話して、やっと、あ、本当に姉ちゃんに彼氏できたんだって理解できた」
「彼氏ぐらい、今までもいたって」
自慢するほどの人数ではないですが。
「変な人じゃなくてよかったよ」
「……」
無言でちょっと照れる春菜。
「母ちゃんがさぁ」
「なに?」
「すっげえ、怖かったの」
「え、怖かった?」
「初対面なのに、いきなり姉ちゃんと結婚する気あるのかって聞いちゃって」
「ええ?」
「聞いてないの?」
「いや、大変だったとは言ってたけど」
詳しい話は聞いてなかった。
「どうしようって横でヒヤヒヤしてたんだけど、いや、これ、こんな怖い親のついてくる女はいらないって逃げ出しちゃわないかって」
「しかも、うちが商売してるとか、全然知らなかったし、中川さん」
もう一度ため息が出た。
予定してなかったのに、いきなり月まで行かされたってこういうことだったのか。
「でも、一生懸命、答えてたよ」
「……」
「すっげえ、姉ちゃんのこと好きなんじゃないの?」
無言でかなり照れる春菜。
「照れてるの?」
「いや、別に……」
「よかったね。いい人、捕まえて」
「いや、捕まえては……」
捕まえた、のかなぁ?非常階段から空を見る。東京の空も青かった。
「その、光……」
「なに?」
「母ちゃんに謝っといて」
「え?」
「ごめんって言ってたって」
「自分で言えば」
「それはやだ」
電話の向こうで弟が笑ってる。
「すごいな」
「なにが」
「自分が悪いってわかってても、最後の最後まで謝らない人が」
「誰のことよ、謝るわよ」
「いや、姉ちゃんは、家族には謝らない」
「そうか?」
「それが、謝るなんて、すごいな」
「なにがすごいのよ」
「中川さんのいうことなら聞くんだ」
「……」
黙った姉の向こうで、軽いノリの弟くんが、調子に乗って色々言う。しばらく黙って聞いていた春菜ちゃん。おもむろに弟を呼んだ。
「光」
「なに?」
「殺す」
「あ、やっぱ、それは言うのか」
「あんた、次、直に会った時に覚えておきな」
「次は二人で来るの?」
「いや、それはよくわからんけど、一人で行こうが、二人で行こうが関係ない。殺す」
「姉ちゃん、その言葉はあまり使わない方がいいと思うよ。いくら姉弟の関係でもさ」
「関係ない、覚えておけ」
「はいはい」
崇くんの忠告に従い、心を入れ替え、自分を反省もしましたが、いざ弟と向かってみると、今まで積み重ねてきたものに抗うのは難しいようで……。ま、でも、突然完全に別人のようにいい人になってしまってもつまらないですしね。
それでは、いずれまた、どこかそんなに遠くはない未来で、この続きを。
To be continued
2023年4月8日
汪海妹
*4 年の差カップル
宋家三姉妹の宋慶齢26歳年上の孫文と結婚した。




