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短編集22〜26年  作者: 汪海妹
飯塚春菜の事情+α
PR
33/61

12 飯塚春菜の事情+α⑧












   12 飯塚春菜の事情+α⑧













それから、場所を変えて東京

とあるマンションの一室













「ただいまぁ」


秀さんがドアを開けると、やはり娘がパタパタとかけてくる。


「おかえりー」


数日留守にしたので父親が恋しかったのか、両手を伸ばして抱きつこうとするが荷物がいっぱいでどうにもならない。


「ほら、お土産」

「なに?」

「明太子と海苔だ。お母さんに持っていって」

「はーい」


素直に紙袋抱えて駆けてった。キッチンにいた母親に渡す。


「ママ、お土産」

「あら、なあに?」

「明太子と海苔だって」

「へぇー」


曙海苔の紙袋を珍しそうに眺めている麗子さん。秀さんがリビングに入ってくる。


「それ、何を隠そうづかちゃんちの海苔なんだぞ」

「えっ」


驚いてこっちを見た麗子さんの顔を見た時に、ふと、秀さん、思い出した。


「あ、ごめん、今の秘密だった」

「秘密?」

「なんか、づかちゃん、自分が海苔屋だって秘密にしたいみたいだから、麗子も言っちゃダメだ」

「そうなの?」

「何の話?」


和華ちゃんが下から親を見上げている。


「有明海苔って全国的に有名な海苔の産地なんだぞ」


両手が空いた秀さん、和華ちゃんを抱き上げた。


「秘密って言ってなかった?」

「……」


子供は記憶力もいいが、耳もいい。


「和華、お風呂入ったか?」

「まだ」

「たまには一緒にはいるか」

「ええ、まだ早いよ」


壁の時計を見て口を尖らせる和華ちゃん。和華ちゃんがお風呂に入るのはいつもはご飯の後です。そこに助け舟を出す、奥さん。


「いいじゃない。ほら、ご飯ができる前にお風呂入っちゃいなさい」

「ええー」


このまま連れて行こうと決めた秀さん。抱っこしたまま風呂場へ向かう。


「ね、パパ、秘密ってなに?」

「何の話だったかな?」

「さっき言ってたよね?」

「和華は、今日は髪を洗う日か?」

「ううんと……」


昨日、髪を洗ったかどうかを思い出そうとする和華ちゃん。やれやれ。


風呂上がりに今日は飛行機でも飲みましたけど、家でも晩酌をする秀さん。

缶ビールをあける。食卓には早速、明太子と海苔が出してあった。


「あら、おいしい」


ご飯を巻いて食べて、喜びの声をあげる奥さん。


「ほんとだ。美味しい」


和華ちゃんも目を丸くする。どれどれと秀さんも口に入れた。


「崇が言ってた通りだな」

「中川さんが?」

「すごかったって言ってたわ」

「あなたが買ったんじゃなくて、中川さんが買ったの?」

「ああ、そうそう。これ、崇から」


肝心なことを言い忘れてた。自分で買ったわけじゃなかったわ。


麗子さん、もう一枚と味付けのりを袋から取り出し、ご飯を巻く前にじっとその黒い長方形を眺めながら思う。春菜ちゃんのおうちの海苔を中川さんが買うのか。ふうんと。


「これ、買いたかったら、東京からでも注文できるのかしら?」

「どうだろう?でも、できるんじゃない。崇に聞いてみるよ」

「……お願いね」


春菜ちゃんに聞くのではなくて、中川さんに聞くのね。

ふうん。


一方、箸を止め、お茶碗を片手で抱えながらふと父親を見る和華ちゃん。


「ね、ところで、秘密ってなに?」

「……」


子供の記憶力を侮ってはなりません。













そして、時をほぼ同じくして、都内のとあるファミレスで、見つめあってる男女がおりました。


   飯塚春菜













わたしにとって中川さんが人生で初めての男の人だったというわけではありませんが、こんなに好きになった人は間違いなくこの人が初めてでした。


うまくいった時は、今までに経験したこともないように幸せで……

それは不安な時もあるのだけれど、だけど、信じられないくらい幸せで……

その状態は、あれに似ていた。古い映画のタイトルで、雲の上で散歩*3、というタイトルがあったと思うんです。実を言うとタイトルを知っているだけで、見たことのない映画なのだけれど。その映画のタイトルみたいな気分でした。


雲の上を散歩しているみたいにすごくウキウキとしていて有頂天で。

だけど、うっすらと落ちてしまうかもしれないという怖さがあるんです。見ないように、感じないようにしていたその怖さ。


すごく好きな人を手に入れて、少しずつ時間がたって、このまま、このふわふわした雲の上にいるのが、ゆっくりと硬い土の上に立って、それでも一緒にいられる。普通ならそうなんでしょう。


もちろん自分だって、それを望んでました。

だけど、自分は逃げてたんだと思います。


そうだな、逃げていたというよりは時間を引き延ばしていたのかな?

見なければならない現実を直視する日を先延ばしにしてました。


まだいいかって。


「春菜、これ、福岡のお土産」


どうしてだろう?現実をほっておいたら、現実の方からわたしを探し出して追ってくるなんて、こんなことある?


福岡に出張して帰ってきた彼が、疲れているはずなのに会いたいという。のこのこと出かけて行ったら、彼が目の前にお土産だと言って紙袋を置いた。見慣れた屋号。曙海苔。


「な、な、な……」

「大丈夫か?」

「なぜ、な、な、な……」


パニックに陥ったわたしを中川さんがじっと見上げてる。ファミレスの明るい店内と爽やかな座席が不意に異世界のもののように目に映り始めた。


「中川さんがそれを持ってるの?」

「とりあえず座ったら?」


言われて下を見た。自分はまだ立っていた。座席に腰を下ろした。

背もたれにもたれかかっていた体を起こして中川さんが頬杖をつく。


「それを説明するためにわざわざ来たの」


そう言ってちょっと笑った。


「いや、びっくりしたよ。それに、全然なにも知らなかったからついていけなくて」


いつもと変わらない口調を耳にしながら、こちらは、まだ上手くついていけない。両手で口元を覆って、目を閉じた。ため息が出た。


「なにが起きたの?」

「フォンテーヌの社長が来てるって聞きつけて、福岡の市内までお母さんと弟さんが会いに来たんだよ」

「そこまでする?」


呆れてしまって声が尖った。人に相談もしないで、ずかずかと入り込んできて、それで、わたしじゃなくて周りの人を巻き込むなんて。一気に頭に血が上った。


「うちの親ってほんと……」

「春菜」


すると、中川さんが低い声でわたしを呼んだ。それから彼は手を伸ばしてテーブルの上のわたしの片手を取りました。わたしより大きくて、少し硬くて、そんな手に捕まえられた。


「一人で、怒らないで」

「……」

「一人で怒って、家族と喧嘩するのはもうやめて」


そう言って取ったわたしの手を握る力を少しだけきゅっと強めた。


「もう春菜だけの問題じゃないから」


ただテーブルの上で手を繋いで、その手に少し彼が力を込めただけ。この日までにわたしたちは何度も手を繋いでいたし、それに体も重ねていたわけで、それはなんということもない動作だったのかもしれない。


ただ、わたしにとってはそれは非常に意味のある行為だった。


誰かと一緒に歩いてゆくということ。それはただ付き合うということとは次元の違う行いなのだと思うんです。崇さんがはっきりとそれを態度に示して、わたしの手を取ったのはこの日が初めて。軽く繋がれた手を通して、気持ちがつたわった。


もう、春菜だけの問題じゃない……


その声が心の奥にまでまっすぐに響いて、そして、かっとしたわたしの心を鎮めていきました。その後、少し遠慮がちに彼が言葉を続ける。


「なんで、なにも言ってくれなかったのか、聞きたいんだけど……」

「……」

「正直、すごい不安になった」

「ごめんなさい」

「いつかは、話そうと思っててくれたんだよね?ただ、その前に別の形で知ることになっちゃっただけで」


片手を握られたままで、少し首を傾げた。


「春菜?」

「うまく説明できないんだけど……」


なんと言えばいいのだろう?この気持ちを。


「時間稼ぎをしたかったのかな?」

「時間稼ぎ?」

「わたしね……」


彼の手をそっと離して、そっと両手で顔を覆いました。もう一度軽く目を瞑った。その時、ふっと頭の中に、ジャージ姿で化粧っ気のない昔の自分の様子が蘇った。


「あんま言いたくないんだけど」

「俺は聞きたいんだけど」

「誰にも言ったことないんだけど」

「じゃ、俺にだけ言って」

「……」


頬杖をついて窓の外を眺めました。窓に自分の今の顔が映ってた。


「福岡にいる頃の自分を中川さんに見せたくなかったのかな」

「どういうこと?」


きょとんとした顔をした。


「男みたいだったんだよ」

「春菜が?」

「うん」


もう一度外を眺める。


「外見がどうとかそういうことではなくって、周りの人に男の人みたいに扱われてたの」

「なんで?」

「跡取り娘だからかな?小さな頃から期待されて、みんなに頼られて……」

「うん」

「でも、そんな強い人、女の子じゃないじゃない。男の人みたいに頼られてたんだよ」

「……」

「それで、よくわかんなくなっちゃったの。ほんとの自分ってどんなんなのか」

「ほんとの自分……」

「うん」


中川さんがわたしの言った言葉を考えている。不安になりました。消し去ろうと思ってたかつての自分を見せたら、彼の目にもまた、わたしが男のように映らないかと。


「なんか、見方変わった?」

「え?」

「今の話を聞いて、わたしに対する見方、変わった?」


うーんと言いながら、ちょっと斜め上を見上げ、中川さんはなんて言おうか考えてる。


「よくわかんないけど」


少し首を傾げた。


「俺にとっては春菜は春菜だし」

「うん」

「うーん、そうだなぁ。知らされてなくて、知った途端に裏切られたと思うような事実ではないような気がするんだけど。びっくりはしたけどさ」

「……」


中川さんは指を折り折り話をする。


「実は結婚してましたとか、子供がいましたとか、前科がありましたとか……、多額の借金?」

「なんの話?」

「ああ、あと、実は男でしたなんて言われたらさすがに付き合い続けるのが難しいかもしれないけど……」


そう言って中川さんはもう一度わたしの手を取って、その手を自分のほおに重ねた。嬉しそうな顔をしながら。


「春菜は女の子だものな。それは俺がちゃんと知ってるし」


彼のその言葉にじんとした。


自分が、なにが欲しくてたくさんの人を置き去りにして東京に逃げてきたのか、きっと今はもうわかってる気がします。少しだけ涙ぐんでしまった。


「春菜、昔、甘えるのが下手くそだったんだな」

「そういうことになるの?」

「俺が聞いてる感じでは、そうなるな」

「よくわかんない」

「俺にはいっぱい甘えていいよ」

「……」


ふ、と唇から息が漏れて、泣いてしまった。このわたしが、人前で、泣いてしまった。


「辛かったんだな」

「誰にも言えなかったの」

「しっかり者だから?」

「わかんない」

「うん」

「わたし、本当はしっかり者なんかじゃないもの」

「知ってる」

「でも、誰にも見せれなかった。福岡では」

「うん」


本当の自分というのはどこにあるんでしょう?よくわかんないんです。ただ……

この人といると安心する。本当の自分というのは、一緒にいて安心する人の隣にいる自分なのではないでしょうか。無理をしていないそのままの自分。


「春菜は」

「うん」

「いつかは福岡に帰りたいの?」


わたしの手を一つ頬にあてたまま、不安そうな目でわたしを見てる。わたしは首を振った。


「ほんとに?無理してない?」

「みんなが嫌いなわけじゃないし、福岡が嫌なわけじゃない。ただ、あの自分には戻りたくないの」

「うん」

「中川さんのそばにいたい」

「本当に?」


真面目な顔をして、確かめてくる。


「うん、ただ」

「ただ?」

「親にうまく説明できる自信がない」


親はわたしが福岡に帰るのは当然だと思ってる。そんな親をどうやって納得させたらいいのかわからない。


「お母さんは……」

「お母さん?」

「ちゃんと話したら聞いてくれそうな雰囲気はあったけど」

「……」


母の顔を思い出した。母親と父親の顔を思い出した。二人は難しい顔をしていた。少しぼうっとしていると、中川さんが言った。


「春菜の心の準備ができたら、今度は一緒に行こう」

「一緒に?」

「うん。次は二人で来なさいってお母さんにも言われたし……」

「お父さんには会った?」

「あ、いや、お父さんにはあってない」

「……」


わたしがはっきり帰らないと言ったら、父になんと言われるか。まず、がっかりさせることだけは間違いない。ずっと怖くてできなかった。でも、もう、あの春菜に戻ることだけはできない。例え、親をがっかりさせ、否定的なことを言われるとしても。


「ちょっと考える」

「本当に?」

「親から逃げ回るのはやめる」

「うん」


その後、二人でいつもみたいに食事をした。お店を出る頃になると、中川さんはうちに来ると言い出した。手を繋ぎながら歩き出し、隣の彼に言った。


「明日も仕事なのに家に帰らないでいいの?出張で疲れてるでしょ?」

「明日の朝に帰って、ちょっと遅れて出るわ」

「ええ?中川さんがそれをやっちゃっていいの?」


いつもそれをやる社長に注意をしているのは中川さんなのに、それを自分がやるのか。


「今回だけは特別じゃない?何せ、月まで行ったくらい疲れたから」

「また言ってる」

「ほんっと大変だっただよ?」

「ああ、ごめん。ごめんなさい」


わたしの声ははしゃいでた。自分の声を聞いてて自分でもわかった。

帰らないでいいの?と言いながら、でも、今夜は離れたくなかった。付き合い始めてから一番、彼を身近に感じたこの夜に、一人に戻りたくなかった。


一人という言葉を思い出してふと思う。


わたしは福岡ではいつも人に囲まれていて、一人ではありませんでした。


ただ、今晩感じたこの、わたしは一人ではないという思いと、わたしが福岡にいた時に一人ではなかったこと。これは同じではないなと。誰かがわたしのそばにいて、そして、裸以上の剥き出しの自分を理解してくれる。


それ以前に、誰にも話せなかったことを話せる相手がいる。それはとても特別なことだった。


***


「先にお風呂に入っちゃっていいよ」


家に着くと奥の部屋にまっすぐ入ってクローゼットをガラガラと開ける。置きっぱなしになっている彼のパジャマがわりのTシャツとスエットを出そうとしていた。


「春菜ちゃん」


すると、後ろから抱きしめられた。中川さんの香水の香りと嗅ぎ慣れた彼自身の香りに包まれる。


「お風呂入んないの?」

「なんでわざわざ疲れてるのに家まで来たと思ってる?」

「ええ?」

「春菜」

「ん?」

「すっごい不安だった」

「……」


彼の腕の中に入り込んで、彼の声のその音を耳元で聞き、声を出す彼の体の振動を感じていました。後ろを向いてすぐそばにある目を眺めながら、今晩何度目かになるその言葉をもう一度言う。


「ごめんなさい」

「怒ってないけど」


そのまま唇を寄せられてキスをする。キスをしながら人の服を脱がそうとするので慌てた。


「お風呂入らないの?」

「いっつも同じだとつまらないでしょ?」

「ええ?」


それでも止まらないので、壁伝いに手を伸ばしてスイッチを押して部屋の電気を消してて、ふと気づいた。


「あそこカーテン開いてる」

「ん?」

「締めないと」

「あのくらい平気だよ」

「でも」

「あんな隙間から覗くやつなんてストーカー以外いないって」

「なんか気になるから」

「だめ」


体を離してカーテンを閉めようとして捕まえられた。


「なんで?」

「嫌がられると興奮する」

「な……」


で、結局、そのまま流された。彼曰く、いつも同じだと飽きるそうですので、お互いの仕事の服を全部脱がずにスカートが捲り上げられて、なんだかそれはそれでやらしいなと思いながら、お風呂に入らずに彼に抱かれると、いつもより中川さんの匂いがした。香水と混じった彼自身の匂い。


その時、彼に抱かれながら頭の片隅で、昔のことを思い出してた。一緒に仕事をしているから、ふと横に立つ時とかにこの香水の香りは嗅いでたよなと。だけど、その香水の奥にある彼自身の匂いを嗅いだことはなかった。触れられてそしてその腕の中で眠るようになるまでは、知らなかった匂い。その匂いをいつの間にか覚えて、そして、嗅ぐと安心するようになってたんだな


終わった後に、彼の香りに包まれながら、ベッドの上に寝っ転がりながらついぼーっとしていた。昔、まだ、この人が自分のものではなかった時の頃のことと、今を比べてたのかもしれない。


すると、すぐ横に寝そべってわたしをみていた彼に笑われた。


「春菜、その格好、すっげーやらしい」

「……」


それで起き上がってもそもそと乱れていた服を直し、仕事のシャツとスカートは脱いで、下着姿になった。そもそもお互いの裸を見せ合ってる仲なのだけど、下手すると服を着ていないより中途半端に服を着ている方がいやらしいのはなんでなんだろう。


「なんか会社で悪いことしたみたいな気分になったな」

「はぁ、そうですか」


ま、ただ、ここだけの話、そんなに悪くはなかったな。ここだけの話。着替えてるわたしをベッドに寝っ転がって眺めながら中川さんがいう。


「今度、会社でしてみる?」

「は?」


凍りついた。今、なんて言った?この人。


「冗談だって」

「……」

「本気だと思ったの?」

「いいえ、まさか」

「あそこ、監視カメラあるし」

「あ、そうなんだ」


もう、この人をほっておいて、先にお風呂入っちゃおうかなと思って化粧落としを探していた。


「あ、でも、社長室はないよ」

「……」


もう一度、凍りついた。


「他の人ならとにかく、中川さんがそんなこと言っちゃダメでしょ?」

「なんで?」

「立場もあるし、それにキャラが……」


そんなことするキャラじゃないですよね?あなた。会社で仕事をしている様子やら、出会った頃から今までの彼の様子が走馬灯のように流れる。あの、中川崇が裏でそんなことするんかい?


「だから、冗談だって」

「……」


それからつまらなさそうな顔で続ける。


「会社でどうのこうのとか、フィクションじゃなくて現実で本当にやる人、いるの?」

「さぁ」

「だって、見つかったらやばいよね」

「そうね」


そうそう。そんなことするのは、エロビデオとかの中だけでしょ?やれやれ。しかし、中川さん、ふと真顔になった。


「そういうスリルで盛り上がるのかな?」

「……」


この会話はこれ以上続けてはいけないと思い、先ほど出そうと思ってた彼氏の寝巻きがわりの服を取り出して、差し出した。


「ほら、お風呂入りなよ」


しかし彼は寝巻きを受け取らずに布団に仰向けに転がった。


「急に眠くなってきた」

「そんな格好で寝られないよ?」

「安心したら眠くなってきた」

「もう」


おっきな赤ちゃんだな。服を着替えさせる。最後にもう一度捕まった。寝っ転がったまま後ろから抱きつかれた。


「わたしはお風呂入るんだって、もう」

「こうやってると安心する」


ぎゅっと抱きしめながらそんなこと言った。


「失っちゃうかと思った」

「……」


お風呂に入るために抗うのを少し休憩して、彼に言った。


「ね、中川さん」

「なに?」

「これからずっと」

「うん」

「わたし以外の女の子を好きにならないって約束してくれる?」


こんなことさらりという女の人もいるのでしょうが、わたしとしてはちょっと勇気のある発言だった。わたしを抱きしめたまま中川さんがちょっと笑った。笑ったときに漏れた吐息がわたしの首筋にかかった。


「いいよ。約束する」

「ほんと?」

「うん」


それで、心も体も温まった。気が済みました。


「じゃあ、お風呂入るから離して」

「約束するから俺が眠るまでこうしてて」

「ええ?」

「このまま寝たい」

「そんなんわたしも寝ちゃうよ」

「じゃあ、寝よう」

「ダメだよ。お風呂入んないと」

「お風呂なんか1日ぐらい入らないだけで人間死なないって」


結局、彼がそのまま寝入るまで、自分もちょっとうとうとした。それから、起き上がりお風呂に入りました。中川さんはよほど疲れてたのか、そのまま朝まで寝て、朝、シャワーを浴びてから帰っていった。


*3 雲の上で散歩 正しくは 雲の中で散歩 1995年 アメリカ

(作中では、雲の上でないとニュアンスが変わるため誤用のままで使用)

‘42年のイタリア映画「雲の中の散歩」をK・リーヴス主演でリメイクしたラブ・ストーリー。監督は「赤い薔薇ソースの伝説」のA・アラウ。第二次世界大戦が終わり、故郷に帰還してきたポールを待ち受けていたのは、妻の裏切りだった。傷ついた彼は偶然立ち寄った葡萄園に伝統的な価値観を見つけ、そこで生活する娘に次第に恋してゆく。

Yahoo映画参照


雲の上で散歩という言葉から私はウキウキとした有頂天な状態を連想していました。しかし、実際は雲の中で散歩 A WALK IN THE CLOUDS この、上 と 中 によって受ける印象の違いに驚いてしまいました。実際は雲の中に取り込まれる不安な状態を表していたのですね。記憶違いで申し訳ありません。28年ぶりの勘違いの修正でございました。汪海妹


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