12 飯塚春菜の事情+α⑦
12 飯塚春菜の事情+α⑦
時間と場所がまた飛びます。中川崇が春菜母と光君に出会い、その翌日に曙海苔を訪ねて、お寿司をいただき、その後に海苔を大量に買って去った後
曙海苔の販売店フロア
「銀行さんじゃないって言ってたわよねぇ」
「でも、ここらで見かけた顔じゃないわよね」
「ちょっとシュッとしたいい男だったじゃない」
「あら、あんた、ああいうのがいいの?」
この販売店は常にお客さんが来店するわけでもないですから、お客がいない時は後ろの作業場で包装や発送業務をしなければならない。そんなおばちゃんが二人、販売店でサボっている。するとそこに犬を連れたお客さんが……。犬はマルチーズだ。食品の販売店に犬連れて入ってくるのかよ。しかし、我が者顔で入ってきた。
「ね、ここにさっき、東京の男が来ただろ」
派手な服装の婆さんだ。真っ白な髪の一部が綺麗な薄紫に染まり、金縁眼鏡をかけている。
「え、嘘、あの人、東京の人なの?」
二人で騒いでいたおばちゃん、俄然盛り上がる。婆さん、ドヤ顔になる。
「名前まで知ってるよ」
それで、さっきもらった名刺を取り出した。
「なんだ?ナカガワ……」
眼鏡をあげて名刺を近づけたり遠ざけたりしていると、おばちゃんの片割れが名刺を奪った。
「貸しなさいよ」
「あっ」
そして三人で小さな名刺を覗き込む。
「ナカガワタカシ……」
「ちょっと、専務って書いてあるわよ」
「専務って偉いの?」
「よくわかんないけど、偉いんじゃないの?」
「部長と比べてどっちが偉い?」
「同じぐらいよ。きっと」
曙海苔と自分の家でやってる海苔の養殖業しか知らないおばちゃんたちなのである。専務について知らない。
「で、なんで、そんな東京の、こんな横文字の名前の会社の男がうちの会社に来たのよ」
「お昼、橘の寿司取ったのよ。てっきりうちの海苔を大量に買いたいって百貨店かどっかの人かと思ったのに」
「そうそう。帰りがけに海苔大量に買ってたし」
「わざわざ若が受付してたしねぇ」
するとまた、婆さん、ドヤ顔をする。
「なによ。ばあちゃん、まだなんか知ってるの?」
「あれは春菜の会社の人だよ」
「ええっ」
一層どよめく。
「なんで、ばあちゃん、そんなことまで知ってるのよ」
「話したからだよ。家のまえにいたから、今の時間なら工場行けってさ、教えてやったの」
「うそ」
「じゃなきゃ、名刺なんて持ってないだろ」
「自分で春菜の会社の人間だって言ったの?」
「上司だって言ってたよ」
「なにしに上司が来たのよ。それは知らないの?」
婆さん、片手でマルを抱き、片手でくいと眼鏡を持ち上げた。
「それは聞いても答えなかった」
「なんだ」
「でも、きっと、あれだ。春菜が何かしでかしたんだよ。東京で」
「ええ?」
「そうじゃなきゃ、わざわざこんなところまで上司がこないだろ」
「何かってなに?」
「たとえばだな」
犬を抱いたまま販売店のレジカウンターに身を乗り出し、図らずも大事な愛犬を圧してしまった婆ちゃん。
「おんっ」
「ああ、悪い悪い、マルや」
年寄りのくせに真っ赤に塗った爪とじゃらじゃらブレスレットや指輪をつけた手でマルチーズを撫でるばあちゃん。便宜上、本当に犬の名前をマルにしたぜ。
そして、あろうことか、食品の販売店で小型犬を床に下ろす。婆さん。店側のおばちゃん二人も気にしない。なんということでしょう。
「春菜のことだ。カッとなって仕事関係の相手をボコボコにしちまったんだよ」
「いや、春菜は曲がったことをする子じゃないよ」
「だからだよ」
ばあちゃん、占い師のように言い切る。おばちゃん二人、ゴクリと生唾を飲む。
「正義の念に駆られて、暴力沙汰を起こしてしまったんだよ。多分、悪いのは相手だ」
「ええ?女だてらに?」
「そりゃ、そうだよ。春菜はいざとなったらやる女だよ」
「確かに」
「だけど、東京みたいなとこはややこしいからさ。悪くもない春菜がやっぱり責められてて、そこを穏便に済ませようと示談に持ち込んだわけだ」
「誰が?」
「それが、この、ナカガワ……」
ばあちゃんまた、眼鏡を外して名刺を近づけたり遠ざけたりする。おばちゃんの一人が助け舟を出した。
「ナカガワタカシが?」
「そう。この、ナカガワタカシが」
「大変じゃない。春菜ちゃん。どうしよう」
すっかり、この三人の頭の中では、春菜が留置場に留置されている。スーツ姿で。スカートはタイトスカートにしておこう。
「大変なのは、東京だけじゃないよ」
「え?」
「今は、ネット社会だからね。春菜の起こした問題が、実は、この北九州の曙海苔にも関係があると分かってな」
「関係ないよ」
「そこはあれだ。春菜にぶちのめされた相手が執念深い野郎でな。わざわざ春菜が曙海苔のとこの長女だって調べるわけよ」
「ええっ!」
「今は空前のネット社会だからな!」
おんっ。マルも足元から飼い主の説を支持する。
「そこを穏便済ませようとこのナカガワタカシが」
「そうか、そんなことだったのか」
「だから、わざわざ橘の寿司取ったのね」
「松竹梅のどれだった?」
「松だったのよ」
「えー」
「そりゃ、もう、うちの娘が申し訳ありませんでしたって女将さんがさぁ」
女将さんが社長室で、曙海苔の制服姿で、さめざめと寿司桶の前で謝る姿を想像してみた。いつもは屈強な女将さんのその様子にちょっとほろりとした。それから勇気が胸に湧いてくる。この、おばさんたちの胸に。
「わたしたちになんかできることないのかね?春菜のために」
「署名活動でもする?」
「なにが起きたかわからないのに?」
「とりあえず署名を先に集めといて、後から集めた理由を追加すればいいんじゃないの?」
「そうか」
いや、そうではないだろう。しかし、この人たち、理由を知らせずに本当に署名を集めてしまいそうな勢いがあるな。盛り上がる女たちをマルのつぶらな瞳が見つめている。おんっ!
女性の妄想は時にとどまることを知らない。
そして、一階で発覚した事実は午後のある時点では、二階で取得された事実と組み合わされ、新たな推論が展開されることになるのである。
「ね、知ってた?今日のお昼に来たあの銀行さん」
「銀行さんじゃなかったんだよね?」
「東京の人なんだってよ」
「ええっ!」
上の人が忙しくしていないのをいいことに、事務員の人たちが4人でヒソヒソと顔を寄せ合う。とある地方の海苔製造業のパートの女性4人である。
「なんで東京の人がうちの工場に来るの?」
「だから、だから……」
興奮した一人が手を思い切りブンブンと振る。
「春菜ちゃんの会社の人だったんだって」
「ええーーー!」
ここで大騒ぎになった。
「なんで、なんで、なんで春菜の会社の人がわざわざ九州に来るのよ」
「いや、なんか東京で問題起こして困ったことになってるんじゃないかって……」
「ええ、嘘」
しかし、ここで、興奮している人をよそに腑に落ちないような顔をしている女性が一人。おとなしそうな中年のおばさんだ。
「いや、それ、違うんじゃないかなぁ」
「なんで?」
「ほら、わたし、お寿司が届いた時に社長室に持ってったじゃない」
「うん」
「その時に、そんな暗い雰囲気じゃなかったわよ」
「え?」
「どんな雰囲気だったのよ。もっと詳しく言いなさいよ」
「うーんと」
ちょっと目を瞑ってその時の様子を思い浮かべる。
「女将がなんかむすっとしてた」
「女将さんが?」
「で、お客さんは、こう……」
首を傾げる。
「こう、なによ」
「いや、なんか変だなって思ったのよ。だって、普通はお客さんが堂々としてて」
「うん」
「女将さんはむすっとしちゃダメじゃない。お客さん来てるのに。なのに、まるで女将さんのほうがお客さんみたいだったんだもの」
「若はどんな感じだったの?」
「いっつもと同じよ」
「いっつもとって?」
「ほら、業者の人とかが商談に来て女将さんが機嫌悪くなると、若は恐縮する業者さんと女将さんの間で場を持たせるじゃない。あんな感じ」
「でも、なんで?春菜の会社の人が相手なら、普通は気を使わないと」
「だけど、そもそも何で春菜ちゃんの会社の人がわざわざ九州に来るのよ」
たしかに……。皆で首を傾げる。
「それに、業者相手に寿司は取らないでしょ?」
「ううん……」
そこで、その中で一番若い子が自分の爪のマニキュアが禿げてしまったところを眺めつつ、口を挟む。
「仕事じゃないんじゃないですかぁ」
「え?」
皆が若い子を見た。自分の手を近づけたり離したりしながら懲りずに爪を眺めてる。眺めつつ言った。
「だって、まだ若い男の人だったでしょ?春菜ちゃんだって年頃じゃないですか」
「……」
「あの人、指輪してなかったし。独身ですよ」
「あんた、そんなとこまで見てたの?」
「ああ、つい癖で。すみません」
ほほほと笑う。この女性は最近結婚したばかり。婚活時代の癖がまだ抜けてなかった。
「え、あの春菜が?」
「あの春菜に男が?」
「なに言ってるんですか。春菜ちゃんだって女の子でしょ」
「でも、あの……」
ここにいるメンバーは赤ちゃんの頃から春菜ちゃんを知ってるんです。みんなの中ではまだまだ春菜ちゃんはオムツをしていた頃の印象が強い。
それからみんなぼんやりと頭の中で状況を整理しました。
東京から来た男の人は、春菜ちゃんと同じ会社の人です。
若は大事なお客さんが来た時しか頼まない橘のお寿司、しかも松を三人前とりました。めでたいことが起こったのなら理解できます。それに、女将さんは機嫌が悪そうで、男の人は恐縮していて、若はその二人の間を取り合おうとしていた。そう、お姉ちゃん思いの優しい子です。そんな状況なら必ずそういうことをするでしょう。
何より、何か東京で悪いことが起こってあの男の人が来たのなら、もっと暗い雰囲気になったはず。でも、帰りがけに海苔を買っている様子では、そんな暗い感じはありませんでした。
「え、そうなの?」
「多分、そうなんじゃないですかー。それならすっきりするでしょ」
「でも、なんで一人できたの?春菜は?」
「そこは分かりませんけどぉ」
そして、また、今日の昼に来た男の人のことを皆、思い浮かべる。
「結構、いい男だったんじゃない?ちょっと細いけど」
「春菜ってああいうのが好みなの?社長とちょっと違うじゃない」
皆、笑った。春菜ちゃんのお父さんは、なんというか、ガテン系っていうんですかね?とにかく細くはないです。
「いや、社長、絶対気に入らないわ。ああいう感じの子」
「吹っ飛ばされるわね」
「いや、でも、社長は誰が来ても気に入らないでしょ」
「ああ、そうだねぇ」
みんな子供の頃からの様子を知っている。
「かわいい娘だからねぇ」
みんなの頭の中では、社長が初めて自分の子供を持った頃のことがまだ鮮明に思い出される。あまり表情を表に出す人ではないし、立場が立場なので若い頃から厳しい顔をしていることが多い人だったが、子供が生まれた時だけは別だった。目尻が下がっていた。
「そうか。いつの間にか春菜もそんな年になってたんだねぇ」
「わたしたちもシワシワになるはずだ」
そうすると、春菜は東京で結婚してこちらには戻ってこないのだろうか。その考えについても当然頭に浮かんだが、そのことについてだけは皆、口にしなかった。それはきっと社長たち寂しいだろうなと。特に社長が。そう思いながらしみじみとする。
人の家に流れている時間を見つめて、そしてまた自分たちの時も流れたものだと思いはせた。
「皆さん、なにやってるんですか?」
いつの間にかフロアに上がってきていた若者の声で皆、夢から覚めた。
「何か会議ですか?」
「いえ、なんでも」
「口を動かさないで手を動かしてくださいね。というか、2階が暇なら1階手伝ってください」
「いえ、忙しいでーす」
皆が、ちろりと舌を出したり、苦笑しながら寄せていた椅子を自分のデスクへとコロコロ転がして散会する。
まったくと言いながら、光くんはまたセカセカとどこかへ行ってしまった。有明海苔は今が一年のうちで一番の旬なのである。猫の手も借りたい時なのに、この人たちはもう。




