12 飯塚春菜の事情+α⑤
12 飯塚春菜の事情+α⑤
時間を一気に前へ進め、秀さんが津島くんと再会してお酒を過ごし二日酔いになった日の夜に戻る
神谷家のマンションのダイニングテーブルにお腹の大きい麗子さんと和華ちゃんが向かい合って座り食事をしている
食卓は色とりどりのおかずと美しい器が並べられている。
「和華ちゃん、ちゃんとお野菜も食べなきゃダメよ」
「ピーマンは反則」
「なんで?」
「苦いから」
「でも、体にいいのよ」
「誰が決めたの?」
「ん?」
誰が決めたのだろう?
「科学で立証されてるのよ」
「誰が立証したの?」
「ん?」
誰が立証したのだろう?そもそもピーマンは本当に体にいいのだろうか?わたしはどうしてピーマンは体にいいと思うようになったのだっけ?
押しに弱い麗子さん、しかし、自分は母親なのだからこんなことではいけないとはたと思う。
「とにかく食べなさい」
「えー」
箸をパシッと置いて、椅子で少しのけぞる和華ちゃん。レジスタンスの姿勢である。そこで麗子さん作戦を変更した。正攻法をまるっと捨てた。
「お兄ちゃんはきっとピーマンを食べる女の子が好きよ」
「ん?」
「電話して聞いてみようか?」
「え?」
レジスタンスの姿勢を崩して、やや前のめりになる和華ちゃん。ちなみにお兄ちゃんとは崇くんのことです。和華ちゃんの初恋は実は崇くんなのでね。社長夫人の権限で、本当にピーマンを食べさせるために中川専務にお電話をしようかとスマホを取り出した麗子さん。
「ただいまー」
「あら?」
玄関の方で声がする。大人より子供の方が反応が早い。ぴゅっと椅子を降りるとストトトトっと駆けてった。和華ちゃん玄関に辿り着き、靴を脱いでいる父親の方に両手をあげて抱っこをせがむ。
「パパー」
「お、和華、ただいま」
片手で仕事用のカバンを、もう片方の手で和華ちゃんを抱っこしながらリビングのドアを開けて入ってくる秀さん。
「あら、今日は早かったのね」
「うん」
「ご飯食べました?」
「まだ」
その言葉を聞いて席を立とうとする奥さんを制する秀さん。
「ああ、いい、いい。自分でやるから」
それで、娘を床に下ろすと鞄をダイニングチェアの一つに置いて、スーツの上着を脱いでその背もたれにかける。
「ね、パパ、ピーマンを食べられる女についてどう思う?」
「は?」
「どう思う?」
子供の質問というのはどうしてこう明後日の方向から降ってくるのか。そして、食卓を見る。ピーマンの肉詰めが載ってました。この場での模範解答を導き出した秀さん。大人には大人の思惑がありますからね。
「そりゃ、イケてるだろ」
「それは一般的な男性の意見なのかな?」
「……」
父親がどう思うかだけではこの娘は動かないらしい。
「一般的な日本人男性はやはりピーマンが食べられる女性をイケてると思うらしい」
「そうか……」
そういうと、娘は、ピーマンの肉詰めを小皿に取り、解体した。ひき肉とピーマンに。
「そこまでいって食わんのか?」
それでも、食わんのか?小学生。
「いや……」
そして、和華は箸で器用にピーマンをミリの精度で千切る。そしてやっと口にした。
「うえ」
そして、グラスオブウォーターで流し込んでいる。親二人その様子を見ながら、遠い目をした。今、このわずかなピーマンの切れ端を食べさせるために、二人の人間が何工程かけました?育児って本当に恐るべし工程数で成り立ってるのな!お疲れ様です。全国津々浦々の保護者の皆様。
やれやれと思った後に、キッチンに行ってシンクで簡単に手を洗うと箸と取り皿を取り、席につく。
「ご飯、食べないの?」
「夜はいいわ」
「飲まないの?」
「今日はいい」
「珍しいわね」
そして結局麗子さんは席を立って、お酒を飲まないご主人のためによっこらしょっとお腹を持ち上げながら、お水を入れて持ってくる。スパッと和華ちゃんが父親を指差す。人を指さすための人差し指で。
「パパ、好き嫌いしちゃダメだよ。お米を食べなさい」
「お米、大好きだよ」
「じゃ、なんで食べないの?」
「大人はなぁ、色々あるんだよ」
和華ちゃんは父親の顔を怪訝な顔で見上げる。小学生がこんな回答で許すわけがない。
「色々ってなに?」
なぜなに攻撃。仕事で疲れている時などには、なかなかくる攻撃です。
「血糖値、とか?」
また、ややこしい単語を出しちゃったな秀さんと思いつつ、しばらく自分に攻撃が向かないうちにご飯を食べてしまおうとする麗子さん。
「血糖値ってなに?」
「血の中に含まれる糖度のことだ」
「糖度ってなに?」
「砂糖だ」
「血の中にはお砂糖が入ってるの?」
「そうだ」
育児あるある。時々疲れていて適当なことを子供に教えている。血の中にはお砂糖が入っているのかと思いながら、自分の血が流れている手をとくと眺める。今、和華ちゃんの頭の中では大きな釜の中に真っ赤な血液が入って煮込まれており、そこに真っ白なお砂糖が加えられていく。真っ白な調理用の服と帽子を身につけてマスクをした作業員が大きな木べらで血液に砂糖を溶かし込んでいく。
血糖値について考え込んでいる娘の横で、レンコンのきんぴらに箸を伸ばす秀さん。
「そういえば、麗子、今日、会社に来た?」
「え、なんで?」
「ドリンク剤、届けてくれただろ」
「中川さんが言ったの?言わないでって言ったのに」
「崇は言ってないけど、気づくだろ。渡されたら」
「なんだ、ばれちゃったか」
また、友達曰く重いことしちゃったなと思いながら、ご飯を噛み締める麗子さん。
「なんで秘密にしようとしたの?」
ふと食事の手を止めて、奥さんの顔を見る秀さん。
「ん?」
「秘密にしなきゃいけない理由でもあったの?」
「ああ……」
なんて答えようと考える麗子さん。しかし、そこで、子供が発言権をかっさらう。
「ね、パパ、血って甘いの?」
「どっちかというとしょっぱいな」
「お砂糖が入っているのに?」
「……」
子供のなぜなに攻撃を甘く見てはならない。記憶力は大人よりよく、矛盾があればついてくるぞ。
「塩も入ってるんだよ」
「なんで?」
「とにかく入ってるんだよ」
「なんでそんな無駄なことするの?しょっぱくしたいなら塩だけ入れればいいのに」
「きっと何か理由があるんだな」
ちなみに血液は誰かの意図で味が決まっているわけではありませんが。
「無駄だね!」
「無駄だな」
さらにいうと、子供は記憶力がよく微細な部分までを正確に記憶し、学校などで担任の先生にうちの親がこう言っていたと言ってさまざまなことを密告することがある。後々先生からやんわりとお子様に間違えた知識を植え付けないようにとお叱りを受けることもあるから注意が必要だぞ。おい、秀さん、聞いてるか?
時間と場所がまた飛びます。とある日、社長と専務が揃って泊まりがけで出張に出ており、留守を預かる野田くん
電車に揺られていると、こんな朝からスマホが振動している。取り出してみた。社長からでした。緊急だと思って電車の中ではありますが失礼して出る。
「はい」
「あ、野田くん」
「社長、どうしたんですか?なんかありました?」
「ああ、うん、そんなたいしたことじゃないんだけど……」
その言葉がぴくりと野田大輔のアンテナに引っかかる。たいしたことじゃないならもっとのんびり電話をかけてくるだろうと。今、通勤電車の中ですが。
「あの、今日ね、ちょっと郊外まで足を伸ばすことになってさ、福岡の」
「はい」
「それで、ふと、もしかして、だな」
「もしかして」
「づかちゃんちの近くなんじゃないのってことになって、崇とさ」
「どこへいくんですか?」
「郊外だ」
「……」
やっぱりなんだか挙動不審だ。しかし、ここでもう一つ、別のシグナルがなり出す。これ、多分、中川さんとづかちゃん絡みの案件だなと。
「その、試しにさ、づかちゃんの実家の住所を送ってくれないかな」
「実家……」
「社員の緊急連絡先のファイルがあるはずだからさ」
「ああ、えっと、どこに?」
「三原ちゃんが管理してる」
「三原ちゃんに出してもらっていいですか?」
「ああ、あの……」
社長がスマホの向こうで頭を回転させている。
「出張中に社員の実家に挨拶するなんて、ちょっと特別扱いじゃない?微妙だから、野田くんが直接ファイルを出してもらって、調べて教えてもらえると嬉しいかな?」
「わかりました。急ぎですか?」
「その、今日の予定に入れるなら、できるだけ早く場所が知りたいかな」
「ああ、はい、わかりました」
電話が切れた。いくらアットホームな会社だと言っても、仕事で行ってるのにわざわざ社員の自宅になど顔を出さないだろう。時間の限られた出張なんだから。
なんか、あったな……。なにがあったんだろう?
カタンカタンと揺れる通勤電車、眠そうな大人の皆さん。変わらないいつもの光景。その中でふと、一番もっともな疑問に思い当たった。
なんで本人に聞かないんだ?
ため息が出た。怪しすぎる。どう考えても本人に聞けばすぐにその場でわかることだろ。づかちゃんの実家なんだから。づかちゃんには内緒で、おそらく中川さんが実家に訪ねようとしている。一体なにがあったんだ?
電車の隅っこで、朝の東京の様子が車窓を流れていくのを眺めながら首を捻る。
ま、でも、社長と中川さんが個人情報を悪用するようなことはないだろうし、大体うちの社長が言ってるんだから調べて教えるべきだろう。これは、三原ちゃんにはできるだけ気づかれないようにやったほうがいいかもな。女の子は好奇心旺盛だから。
電車を降りた後、早足で会社へ向かう。事務所には、経理の小松さんがいた。
「あれ、野田くん、早いねぇ」
「ああ、おはようございます」
デスクで、仕事前のひと時にパソコンでネットニュースを見ながら、マイカップでマイ緑茶を飲んでいる。日中は皆に合わせてコーヒーを飲むのだが、胃弱なので朝イチは緑茶と決めている御仁である。ちなみに髪もほんのりと少ない。
野田くんは背中のカバンを下ろさずにキャビネットの前に立つ。いつも野田くんが見るようなエリアの棚ではなく、三原ちゃんエリアの前に立ったので、緑茶のおじさんきらりとこちらを見た。もと銀行、のほほんとしているようでデータの扱いには敏感なのである。
「どうしたの?野田くん、何か探し物?」
「えっと、社長に頼まれて。社員の緊急連絡先を」
「誰の?」
「えっと……」
どうしよう?小松さんは変な詮索をしないだろうけど。小松さんの口から他の女の子たちに流れないかな。
「づかちゃんの」
「づかちゃんの?」
づかちゃんの名前が出てくるとは思わなかったみたいで、ちょっときょとんとした。
「福岡に今いるじゃないですか。社長と中川さん。余裕があったら、寄りたいみたいで」
「なんで本人に聞かないの?」
「あ……」
ちょっと胃が痛いような顔になる、野田くん。
「すんません、よくわかんないけど、ちょっと訳ありみたいで。でも、嘘じゃないです」
「いや、野田くんが嘘ついてるなんて思わないよ」
いつもよりはキリッとした顔の小松さん、スタスタと野田くんの横に並ぶとキャビネットの前に立つ。棚から一つのファイルを取り出した。
「これだよ」
「ありがとうございます」
クリアファイルを胸に頭を下げた後、上目遣いに小松さんを見る野田くん。
「あの、小松さん」
「なに?」
「社長と中川さんがづかちゃんの住所調べてたって、内密にしてもらえません?」
「え?」
「あの、ちょっと、訳ありそうなんで」
小松さんが心配そうな顔をする。
「その、そんな、悪いことって訳じゃ」
「はぁ」
「プライベート絡みっていうか」
「……」
そこで、小松さん、小さな目を見開く。しばらくして、事情と事情が彼の頭の中で繋がっていく。そして、顔があっという顔になった。
「え、それって……」
「内密に、お願いしますね」
片手で小松さんを拝むと自分の席につく。ペラペラと枚を捲る。ファイルはアルファベット順に綺麗に整理されていた。さすが三原ちゃん。あった。飯塚春菜。社長に連絡先を送った。そこでタイムアウトとなった。
「おはようございまーす」
明るい声で三原ちゃんが事務所に入ってくる。今日は花柄のフレアスカートが似合ってます。
「あれ?野田くん、いつもより早いんじゃない?」
野田くんと壁の時計を交互に見ながら三原ちゃんがいう。
「珍しいねぇ」
「ああ、うん」
三原ちゃんは自分の席にカバンを置くと、ミーティングブースの方へと足を向ける。そう、彼女は朝、いつも会社の中に飾られているお花の水を替えるんです。彼女が花瓶を抱えて、ミニキッチンのシンクで水音を流しながらこちらに背中を向けているうちに、野田君立ち上がる。使用したファイルをそっと戸棚にしまった。
「あれ、なんか調べ物?」
戸棚の前に立っているのを花瓶を抱えて戻ってきた三原ちゃんに見られた。
「あ、いや、別に」
「ふうん」
三原ちゃんはそれきり野田くんから興味を失い、テーブルの上に置いた花瓶の中の花の角度や向きを調整し始めた。ほっとしていると、ふと自分を見ていた小松さんと目が合う。小松さんは少しだけ微笑んで、それから、視線を野田くんから外し、PCの画面に向ける。
何かあるんだなと思わせてしまっただろうけど、でも、小松さんは三原ちゃんやサオリほどには詮索したり大騒ぎしたりしないでしょう。やれやれ。




