12 飯塚春菜の事情+α④
12 飯塚春菜の事情+α④
飯塚春菜
それからしばらく経った頃、とある放課後、部活の休みの日にわたしは芽衣を呼び出した。放課後ちょっと付き合ってと。何も知らない芽衣はもちろん素直についてきた。
「どこまで行くの?買い物したいんじゃなかったの?」
「うん、ちょっと」
ショッピングモールではない方向へ向かい出したわたしに疑問の声をあげつつも、もちろん芽衣は大人しくついてきた。駅の繁華街とは反対の裏側に出る。表ほどには賑わっていない。ちょっと行って線路沿いの2階のお店。
「あそこ」
「……」
芽衣はわたしと一緒にそのお店を見上げた。木製の趣のある看板がぶら下がっている。高校生が行きつけにするようなお店ではなくて、ちゃんとしたコーヒーを出す大人の人が行くようなカフェ。
「一回も入ったことない」
「ちょっと高いんだよ」
「そうなの?今日はなんで?」
「ちょっと特別な日だからさ」
「ふうん」
「奢ったげるから、というか、奢ってもらいなさい」
「へ?」
お店に上る外階段の前で、二人で並んで話していた。わたしの言葉にぽかんとした芽衣の両肩をそっと優しく捕まえた。……逃げないように。
「いいか、芽衣、よく聞け」
「うん」
「中学の時一緒だったトシのことはわかるよね?」
「松尾君?」
「そうだ」
「松尾君がどうしたの?」
「今、この2階のお店で待ってる」
「春菜ちゃんを?」
「いや、芽衣のことを」
両肩をわたしに掴まれた状態で、芽衣は首を傾げた。
「なんで?」
ここで、わたしは咳払いをした。
「学校が別々になって会えなくなったから、芽衣に会いたいんだって」
「え……」
「卒業式で言うのは勇気がなかったんだって」
「……」
ここで、完全に芽衣は凍りついた。かなりボケた人だけど、だからといって現実社会に所属していないわけではない。
「つまりそういうことだ」
「松尾君が?」
「そう、松尾君が」
「わたしの知ってるあの松尾君?春菜ちゃんと仲のいい」
「そう」
眉間に皺がよった。間近で芽衣の眉間に寄った皺を眺めた。
「それは何かの間違いだよ」
こういう展開になることは読んでいた。だから、芽衣の発言には足を取られずに結論を叩き込んだ。
「いいか、芽衣、トシはわたしの子供の頃からの大切な友達だ。いいやつだ」
「はい」
「どうしても、どーしてももう無理だって思うギリギリのところまでは、トシにつきあえ」
「へ……」
芽衣の顔が少し青ざめた。
「あいつは絶対に芽衣が嫌がるようなことはしないから」
「……」
「だから、簡単に無理とか言ってトシのこと、傷つけないで」
現実の状況が明らかに芽衣のキャパシティをオーバーして、わたしに肩を掴まれた状態で目を回し始めた。
「そんなこと突然言われても……」
それはそうなんだけど、突然言ったのには訳がある。事前に言ったら、考える時間を与えてしまい、きっちり貝のように口を閉じて、いくらわたしの頼みだからといってもこればかりは100%逃げ出すだろうと踏んでたからだ。
「絶対に間違いだから……」
「それは本人しかわからない。よく話してもいないうちに間違いだって決めつけたらかわいそうだよ、ね?」
「……」
そして、もう一度念押しをした。
「いいか、芽衣」
「はい」
「トシはわたしの子どもの頃からの大事な友達だから、傷つけるな」
「……」
「ぎりっぎりまで頑張って、逃げ出すな。トシにチャンスをあげて。絶対に芽衣が嫌がるようなことはしないから」
「嫌がるようなことはしない」
「そう、危険はない」
「危険……」
目を伏せて、一人でぶつぶつと言い出した。まだ、大いに混乱中。混乱しているうちに2階にあげてしまったほうがいいと思う。そっと肩から手を離す。
「じゃあね、頼んだよ」
立ち去ろうとすると、青い顔した芽衣がはっと顔をあげてわたしを見る。
「春菜ちゃんっ!」
悲鳴に近い声でした……。
「無理っ!」
チーン
芽衣はそれから立ち去ろうとしていたわたしの腕に全身で縋ってきた。
「無理ー」
「いや、全然知らない人じゃないし、会って話すだけでしょ?」
「でも、緊張する、怖い」
「いや、トシだよ?松尾君、話したことだってあるでしょ?」
「春菜ちゃんもついてきて」
「はい?」
路上で、制服姿の女子高生が押し問答をする。
「いや、そんな間抜けなことってないでしょ。芽衣。よく考えて」
「でも、無理」
小柄な体のどこにこんな力を隠してたんだってくらい、すごい力で縋り付いてくる。
「そんなんでどうする、芽衣。人生は長いんだぞ。今日だけじゃなくて、これからも一人で立ち向かわなきゃいけないことなんて、いくらでもあるぞ」
「でも、無理。お願い、春菜ちゃん、ついてきて」
芽衣はそれはもう、出会った頃からわたしに従順で、だからいけると踏んでいた。しかし、予想以上にこういったことに対する芽衣の拒絶反応は高く、これは、もう、いくらわたしに従順な芽衣でも瀬戸際だなと。敵前逃亡するなと。いや、敵じゃないんだけどな……。
「わかった、わかった。落ち着け。非常に微妙だが、ついて行ってあげるから」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
そして、ちょっとありえないことですが、全くのおじゃまなのにわたしは2階へ向けて階段を上る。予定していなかったプランBの始動である。
カラン
カフェのドアを押すと、ドアにつけられたドアベルというのだっけ?落ち着いた音を立てた。店の中を見渡すと、トシが制服姿で座っているのが見えた。そちらの方へ進む。ちょっと制服姿だと浮くような店だったけど、この時間はまだ早いせいか他のお客さんはほとんどいなかった。
「トシ、ごめん……」
わたしが声をかけるまで、トシは座席から少し離れた窓の外を眺めていてわたしたちに気づかなかった。声をかけるとこっちを見て、わたしの顔を見て不安そうな寂しそうな、悲しそうな顔になった。その顔を見て気がついた。
「ちょっと芽衣」
「……」
まるで忍者のようにわたしの背中にひっついて芽衣が隠れてたのである。トシから姿が見えないように。わたしが自分の身体をずらしてわたしの陰から芽衣の姿が現れた時、その時の、トシの顔を覚えてる。あの嬉しそうな笑顔。優しい嬉しそうな笑顔。
トシにとってそれは数ヶ月ぶりの再会だった。会えなくなって会いたくて、やっと会えた時の登場の仕方が、あまりにも芽衣らしかったと後から言っていた。
「久しぶり、中村さん」
「……」
芽衣は床の方を見て固まっている。
「ほら、芽衣、座りな」
固まっている人を、トシの前の席の椅子を引いて座らせる。ロボットのように硬かった。しかし、座った。
「じゃ、芽衣、そういうことで」
わたしがそう言って、片手を切ると、ロボットは突然動き出した。
「えっ、春菜ちゃん?」
「いい。約束忘れないでね」
青い顔している芽衣をそのまま置いてきた。下手したらもう一度縋り付かれるかと思ったが、わたしの方が速かった。タイミングを逃して、椅子から動けないまま呆然とわたしの方を見ていた芽衣が、しぶしぶとトシに向き合うのをお店を出る間際に振り返ってこっそり眺めた。
カランとまた、音を立ててその空間を後にした。角のとれた丸い音を聴きながら。そして、先ほど芽衣と上った階段をトントンと下りる。
特にすることもなく一人でダラダラと家に帰る。その時に電車に立って揺られながら、そっと瞼を閉じる。さっきのあの芽衣が現れた時のトシの笑顔を思い出してました。
まるで包み込むような笑顔だったなと。
人というのは誰かを好きになると、ああいう笑顔をするようになるものなのだろうか。結構衝撃でした。
わたしは当事者ではないのに、そばで眺めているうちに二人のその脈動のようなものに触れてしまって、自分自身の心も跳ねていた。それは慣れない跳動でした。なんのことはない。芽衣に偉そうに言いながらその実、自分自身もこういうことに対して非常に奥手だった。わたしのが目立ってないだけで、芽衣と同じぐらいわたしはこういうことに免疫がなかった。
これが、誰も知らないわたしの初恋の顛末です。
自覚した時に失恋していた。でもそれは立ち上がることができなくて、再び歩き出すことも叶わないようなそんな本格的な失恋ではなかった。心を鈍く痛める。心のずっと奥の方を針で刺されるような痛み。
その痛みには聴いたことのないような旋律がついている。耳を傾けると泣いてしまいそうな切ない旋律。それが、男女なんて言われて、ガサツに育った自分の一番内側に眠っていた女を本格的に目覚めさせたのだと思った。
わたし、このままで、いたくない。
母が馬鹿みたいに騒ぐのがよくわかる。トシは確かに素敵な男の人です。自分もまた憧れていたのだとわかった。わたしはお父さんのような寡黙な男の人よりも、乱暴で荒々しい男の人よりも、自分にないものに憧れるからなのかもしれないけれど、穏やかで優しい人に憧れていたのだと。
でも、どこをどうとっても、トシの横にいる女の人としての自分が思い浮かばない。絶対に叶わない。一体、どこの誰が、わたしを女の人として好きになってくれる?
10代のとある日に、絶望した。
わたしは周りのみんなに嫌われているわけじゃない。好かれていて慕われている。でも、その好きは、トシが芽衣に持つようなああいう好きじゃない。
男の人に愛される女の人なんて、芽衣のようなああいうほっとけない女の子。わたしみたいなほっておいても大丈夫で、むしろみんなに頼られているような人、誰が女として見てくれるんだろう?
でも、本当はわたしだって……
きっと、誰も気づかない。このままここで生きていったら、本当はわたしだって普通に女の子として生きていきたいと思ってるなんて、誰も気づかない。一人も。
それで、年頃になったらどっか適当なところから、曙屋の春菜にってお婿さんが来るんじゃないだろうか。でも、それは、恋とか愛とか、そういうのとはちょっと違う気がする。
ずっと、女の人としては咲くことのないまま、曙屋の春菜という仮面を被って自分は生きていくんだろうか。
それでいいの?
家に帰ると弟がいて、両親はいなかった。
「早いね」
「部活がないんだよ、今日は」
「寄り道しないで帰ってきたの?」
「うん」
「珍しいね」
「そう?」
「うん」
いい子の弟は、居間で勉強をしていた。弟のそばに座って頬杖をついた。
「ねえ、光」
「なに?」
「姉ちゃんは、大学は東京へ行くから、海苔屋はお前がつげ」
「また、その話?」
ちょっと困った顔をして弟は顔をあげた。
「本気の本気だから」
「大学は東京へ行ってもいいけど、卒業したら帰ってきてよ」
「やだ」
「僕、みんなから姉ちゃんに比べて頼りないって言われてるのに……」
問題集を解きながらぶつぶつ言っている。
「中学生が頼りないのは当然でしょ。大人になったら大丈夫だよ」
「でも、曙屋は春菜と光の二人でセットだって言われてるのに」
「とにかく今からそう思っておいて。そしたら後からついてくるからさ」
「なにが?」
シャーペンを動かすのをやめて弟はわたしをじっと見た。
「なにかがだよ」
「説得力ないよ」
「とにかくそういうことだから」
「ええー」
「お前、頭いいんだから、とにかくまず勉強頑張れ」
「それはいいけどさ」
「そうすると何かがついてくる」
「なにが?」
「だから、なにかがだよ」
ぷっと笑った。可愛い笑顔だった。その笑顔をまた、今日見たトシの笑顔と比べた。
「ね、光、あんた、好きな子とかっていないの?」
「なんで突然そんな話になるの?」
「いいからいいなよ、いないの?」
「もし仮にいたとしても、姉ちゃんに教えるばかな弟はいないと思うよ」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
頬杖をつきながら、トシと比べるとまだまだ幼い弟の顔をしばらく眺めた。眺めながら考える。トシの好きになった相手が、他の女の子じゃなくて芽衣でよかったなと。芽衣が相手じゃしょうがないなと。二人にはうまくいってほしい。うちの居間の古い振り子時計の振り子が右へ左へ揺れるのを見ながら光に言った。
「光が将来、本気で好きになった子がいたら、姉ちゃん、応援したげるね」
「そういうの、面倒だからやめて」
「断るのか」
「良かれと思って応援したとしても、結果的には悲劇になることが多いよ、そのシチュエーションは」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
「ほぅ」
口だけは昔から達者なんだから、面白くない男だな。弟よ。折角姉ちゃんがこういう優しい気持ちになってやってるのにさ。
すると、携帯がなった。なんだと思ってみると、トシからだった。携帯を持ったまま立ち上がる。相変わらず問題集を解いていた弟がチラリとわたしの方を見た。部屋を出て、2階の自分の部屋に向かう。トントンと階段を上りながら電話に出る。
「春菜」
「あ、どうだった?うまくいった?」
「ああ……」
電話の向こうでいつもみたいに穏やかに苦笑いしているトシの笑顔を見た気がした。
「なんか」
「なに?」
「どっから話せばいいのかな?」
言いながら、でも、その声は明るかったので、まぁ、うまくいったのかなと思いながらその先の言葉を待っていた。
「松尾君のその気持ちは勘違いだと思いますってはっきり言われて」
「ええっ?」
芽衣が椅子に硬く座り、テーブルをじっと見ながら頑なにそう言い切る様子が目に浮かんだ。トシが電話の向こうで笑ってる。
「ただね」
「うん」
「春菜ちゃんにきつく言われましたから、松尾君が自分で自分の気持ちが勘違いだったって気づく時まで」
「うん」
「付き合いますって」
「嘘?ほんと?」
「うん。すっごい嫌そうな顔してたけど」
「やったじゃん」
「いや、やったと言えるような状況じゃないんだけど……」
「でも、普通なら、速攻、無理って言われるところを」
「ま、そうなんだけど……」
手放しで喜んじゃいけないと自分を抑えているようでした。でも、トシの声には喜びが滲み出ていた。
「春菜、ありがとう」
「いや、まだどうなるかわからないじゃない」
「ま、そうなんだけどさ。でも、ありがとう」
正直、この時、やっぱりここまで想われている芽衣が羨ましくなかったといえば嘘になる。
「じゃ、頑張って」
「ああ、うん」
電話が切れた。
不思議なんですけど、なんとなく二人はうまくいくような気がこの時からしてました。芽衣はかなり難しい子だったけど。




