12 飯塚春菜の事情+α③
12 飯塚春菜の事情+α③
飯塚春菜
中学生の頃と高校生の頃。それは繋がっていて、そして、年齢だってそんなにたいして変わらないものなのだけれど、結構違かったなと今になって思うのです。
丸くて小さな金魚鉢に入れられていたのを、四角くて大きな水槽に入れ替えられたみたい。
みんな多かれ少なかれそういうものだったのだろうと思うのだけれど、わたしやわたしたちの場合は、それは、勝一と離れたからだったと思う。相変わらず同じ町内にいるのだけれど、高校が別々になると、ほとんど会わなくなった。
そして、子供の頃からずっと続いていた呪いのような小さな世界から完全にではないのだけれど随分自由になったように思ったものです。
どうして、自分は、あんなに?
小さな、ことを、まるで世界の大事件のように?
しかし、すべてのものが変わったわけではなく、芽衣のわたし崇拝はまだ続いてました。これじゃ、あながち勝一の言ったことも100%出鱈目だというわけにもいかないようだ。芽衣はわたしに合わせて高校を選びましたから。そして、合格した。他にも何人かの仲間がいて、そして、勝一とは離れました。
わたしはスポーツ推薦を受けて入学していて、やはりバレー部に所属した。芽衣はまたマネージャーになろうとしたが、部活の顧問に要らないと言われた。そこで、所属はしていないが毎日のように練習を見ている人になった。練習試合にも、公式試合にもついてくる。勝手にいろいろやるので、顧問は認めていなくても、部活のメンバーにとっては芽衣はマネージャーだった。
そして、そんな日々の中で芽衣に事件が起こった。ただ、事件と言ってもそれは、悪い事件ではなかったんです。
***
とある日、部活を終えてみんなとちょっと寄り道した後に帰宅した。居間に客人と光がいた。
「お、久しぶり」
「お帰り。部活帰り?」
「そりゃ、この格好で分かるでしょ」
ジャージ姿でした。カバンをどさっと畳の上に投げて、自分も座卓に座る。
「姉ちゃん、行儀悪い」
「何を今更」
座卓の上に母親が出したのだろうお茶と漬物が出てた。
「なんかお菓子とか出せばいいのに」
文句を言ってから、爪楊枝で刺して食べる。
「じゃ、食べるなよ」
「お腹減ってるし」
客人に笑われた。その穏やかな笑顔を久々に眺めた。
「どうしたの?とし。こんな時間に」
「ああ、届け物」
「届け物?」
「この前、父ちゃんが何やかんやで迷惑かけたからって」
「ああ……」
としの父親は少し前に急性の胆石になって入院した。その間、問題が出ないように周りのみんなで交代でとしの家の海苔の世話をしてたんです。
「ちゃんと大人しくしてる?しばらくは食事も普通に取れないでしょ?」
「酒飲みたいって文句言ってるよ。文句言って母ちゃんに叱られてる」
はははと笑った。奥さんに叱られて、デレデレしているおっちゃんの様子が目に浮かぶ。
「ま、でも、病気なんて誰でもなる時はなるんだからさ。あまり気を使わないでいいよ」
「うん」
「っておばちゃんに言っといて」
「うん、ありがとう」
「姉ちゃん、偉そうだな」
「うるさい。光」
ちょこんと座ってたとしが立ち上がった。見慣れた我が家の居間で子供の頃からよく知ってるとしを下から見上げる。
「なんか、あんた、また、おっきくなった?」
「気のせいでしょ」
「いや、なった」
としは笑って、答えない。
「もうそろそろお暇するね」
「ああ、うん」
すると、台所にいた母が片手におかずの入った鉢を持って入ってくる。
「あら、とし君、帰るの?」
「ああ、はい。お邪魔しました」
「夕飯できたのよ。食べてって」
そう言いながらキリキリと動き、鉢を座卓に置くと、もう片方の手で卓上を布巾で拭き始める。苦笑した。
「お母さん、高校生は何かと忙しいんだって」
「あんたに聞いてないでしょ」
「としは気を使って断れないから、代わりに言ってやってんの」
「もう」
きっと本当は届け物だけして帰るというのを引き止めて漬物出してたんだよ、うちの母親。それで2度目の帰るを肉じゃがで止めるわけだ。今日は肉じゃがか。
「じゃ、本当にもうそろそろ」
「あら、そう?」
母がエプロン姿で片手を頬に当てると残念そうな顔をする。
「じゃ、今度またゆっくり遊びにきてね。えりちゃんも一緒に。春菜が喜ぶから」
「喜ぶのはお母さんでしょ?」
バシッと叩かれた。
「じゃあ、また」
「またね」
お辞儀をしながら去っていく。座卓にのった肉じゃがの糸蒟蒻をつまみ食いしていると、母に言われた。
「春菜、お見送りしてあげなさい」
「ほいほい」
汚れた指先をジャージで拭いて立ち上がる。
「姉ちゃん、汚い」
「うるさい。光」
玄関で腰を下ろして靴を履いているかつての同級生の横で、サンダルをつっかける。
「見送りなんていいのに」
「うちは母ちゃんがうるさいからさ」
古い家の玄関の引き戸をカラカラと横に引いた。空はさっき帰ってきた時よりも更に夕闇に沈んでいる。
「やっぱおっきくなったな」
並んで背を比べる。としは中学では男子の中でどちらかというと、小柄な方でした。それが後から追い上げているようだ。
「男子っていうのは、女子より長く伸びるからいいなぁ」
「そうなの?」
「わたしはもうあまり伸びそうにないよ」
わたしの成長はその頃すでに緩やかになってきていました。
「じゃあねぇ」
門のところで手を振って家に戻ろうとする。春先、夜半はまだひんやりしました。
「あ、春菜」
「ん?」
踵を返したところで呼び止められた。
「なに?」
「あ、あのさ……」
としの様子がおかしかった。なんだかもじもじしているのである。それを見て、眉間に皺がよる。子供の頃からお互いの家を行ったり来たりしながら育った仲である、気兼ねするような関係じゃない。
「その……」
「うん」
「あ、やっぱなんでもない」
そして、すごく辛そうな顔をした後に、断念して帰ろうとする。
「いやいや、ちょっと待って」
慌てて追いかけて、今となっては自分よりも上の位置にあるとしの肩に手をかけた。
「気になるから、言って。なに?」
「うん、いや、大したことじゃないんだよ」
「じゃ、いいなよ」
「その……、みんな、元気?」
「みんな?」
「うちの中学から春菜の高校行った子達」
「はぁ……」
なんでそんなどうでもいいこと聞くのに躊躇ったのだろう?
「元気です」
「そっか……」
そして、帰ろうとする。
「え、なに?それだけ?」
「うん」
何か煮え切らない。
「誰のことが気になってるの?」
「……」
「みんななんて言ってさ」
「あ、いや……」
「たけし?かほ?」
そこで、うちの高校に進んだ中学の奴らの名前を片っ端からあげながら、としの顔を見る。
「あ、じゃあ、俺、帰るから」
みなまで言う前に慌てて帰ってった。指を折りながら名前をあげていたわたしは自宅の門のところに取り残された。最後の小指を曲げながら、その言いそびれた名前を頭の中で思い浮かべる。
芽衣?
夜道を駆けるように遠ざかってくとしの背中を見ながら、小首をかしげる。
まさか、ね……。
家の中に戻ると母が座卓に取り皿を置きながらため息をついていた。
「ああ、とし君みたいな子が春菜のお婿さんになってくれたらいいのに」
そんなことを言ってる母親の顔を光が非常に微妙な顔で眺めてる。後ろのテレビでクイズ番組が流れている。
「母ちゃん、頼むから絶対に本人の前でそれ、言わないでね」
「なんで?」
「大丈夫だよ。光。としはそんなのあっちでもこっちでも言われてるから、冗談だと思うって」
「ま、冗談じゃないわよ」
姉弟の二人で、無視をする。光の見ているテレビに目を移す。
「ほんと、礼儀正しくって、それに、何より美津子さんに似て美形だものねぇ。あそこの兄妹は」
「また、始まった」
「そんなに美形が好きなら、なんでお父さんと結婚したの?」
「ばか、光、言い過ぎだ」
うっとりとした顔をしていた母親の顔がふと冷めた。
「なんでうちの子はこんなんなのかしら」
「うわ、そんなひどくもないよ?捨てたものじゃないよ、ね、光」
「とし兄と比べられてもな」
そこでまた失礼なことに母は座卓に両手をついてため息をついた。
「ほら、春菜、そんなとこでどでっとしてないで、運ぶの手伝いなさい」
サバサバとした調子になってぐいと立ち上がる。テレビの前で二の足を前に投げ出して、両手を後ろに突いていたわたしは唇を尖らした。
「ええー、部活で疲れてるのに?」
「そんなこと言うなら、お母さんだって仕事で疲れてます。ほら、はやく」
「なんで光には言わないの?」
「光はジャガイモの皮剥きを手伝ったの」
「ええ?」
昔っから隠れて点を稼ぐのがうまいやつだ。しょうがないのでしぶしぶと立ち上がり、立ち去りざまに弟の髪をくしゃくしゃとしてやった。
「もうやめて」
嫌がる声を聞いて満足を覚える。
***
としの父親の松ちゃんは、もともと親の代からうちと一緒に海苔を作っている家で、子供の頃からうちの父親の弟分のようなところがあったらしい。一緒に育ち、学校を卒業して働き始めた頃に松ちゃんは一世一代の恋をした。ここらの仲間内では有名な話だ。クライマックスでは、海苔を放り出して県外まで彼女を追ってしばらく帰ってこなかったらしい。そんなこんなで大騒ぎした挙句に手に入れたのがトシとエリの母親の美津子さんである。もう結構な歳なのだけど、それでもすれ違い様にほうとため息が出そうな楚々とした人である。
夫の松ちゃんはお世辞にもイケメンとは言い難く、しかし、幸いなことに子供二人は母親に似た。父親に似なくてよかったなとみんなにことあるごとに言われるのだが、本人は悪口を言われているのにも関わらず怒るどころかデレデレとする。何年経っても奥さんに首っ丈なのである。
母親に似て綺麗な顔立ちのトシは、しかし、顔が綺麗すぎるのと体つきもほっそりとしていたので、女みたいだと揶揄われることのある男の子だった。性格もどちらかといえばおとなしい方で、クラスの片隅でできるだけ目立たないようにしていた気がする。
中学の時に目立ったり人気がある子というのは、いわば早咲きの花なのである。トシはそういうタイプではなかった。皮肉なことに顔が綺麗なことで反対になよなよしているというか女性的な印象が強くて……。ここまで言っていいのかどうかわからないけれど、わたしが男女なら、トシはその反対の女男のようなところが確かにあったのである。
それがゆっくりと時間をかけて美しい少年から大人の男の人になろうとしていく。この時、トシだけではなくて、いわば遅咲きの男の子たちは日々変化していた。顔の輪郭や肩幅や体つき。中学の時はなんだか素敵に思えたけれど、高校に入った途端に成長が早かった分、突然変わり映えしなくなった子というのも中にはいる。不思議とそういう子達、いわば早咲きの子達に魅力を感じなくなる傍で、今までは眼中になかったような地味な男の子たちの背が伸びる。
時間をかけてゆっくりと大きくなる遅咲きの花の方が、実は長く咲き、しかも長く楽しめるのかもしれない。
***
それから数日、なんだか妙な調子だったトシの様子が気になったわたしは、休みの日の夕方にトシの家まで足を伸ばした。庭の花壇にチューリップが咲くような、我が家とは趣の異なるお宅だ。チャイムを押すとエリがドアを開けた。
「あれ、どうしたの?こんな時間に」
「トシ、いる?」
「今、買い物に行ってる」
「買い物?」
玄関先での声を聞いて奥から美津子さんが顔を出した。
「あら、春奈ちゃん」
「こんばんは、おばさん」
「トシね、今、ちょっとお醤油切らしちゃって」
「お醤油?」
「代わりに買いに行ってくれたのよ」
「優しいなー」
ま、でも、うちの母親相手だったらそんな気にならないけど、美津子さん相手だったらわたしだって醤油を買いにくらい行くかもしれない。ちょうど夕飯の支度をしているのだろう。食べ物の香りが漂ってくる。
「すぐ帰ってくるから上がって」
「お邪魔しまーす」
遠慮なく上がった。勝手知ったる他人の家。並んでいるスリッパに足を通して居間へと入る。ソファーで松ちゃんがテレビを見ていた。
「おっちゃん、元気、なった?」
「なんだ珍しいな。春菜か」
「ちゃんとおばちゃんのいうこと聞いてる?」
「聞いてくれよ」
松ちゃんがしかめ面でこっちを見る。
「もう手術してから結構経ったんだよ。ちょっとくらいいいんじゃないかって思うんだけど」
言いながら片手でグラスを傾ける仕草をして見せる。
「まだダメだってあいつが」
「念には念を入れてよ」
リビングはダイニングキッチンと繋がっていて、カウンター越しに美津子さんが声をかけてくる。
「もう若くないんだから」
「これだよ」
と言いながら、奥さんに心配されてデレデレしている。やはり思った通りだった。
「お母さんの言う通りだよ。普段から飲み過ぎなの、だめ」
「娘までこれだ。こんな毎日じゃ干からびちゃうよ」
今度は娘にデレデレしている。幸せな人だ。
「ただいま」
玄関の方で声がしてしばらくするとガチャリとリビングのドアを開けてトシが入ってくる。家を見回してキョトンとした。
「春菜?」
「お邪魔してます」
「いらっしゃい」
それから、コンビニのビニール袋を持って母親の方へゆく。わたしはおっちゃんの横から立ち上がり、トシの方へと近づく。
「どうしたの?なんか用?」
「どうしても気になっちゃって」
「なにが?」
「この前トシが様子を聞きたかったのって」
「え……」
「芽衣?」
途端に普段は淡々としているトシの顔がみるみると赤くなった。
ごんっ
「やだ、俊之、何してるの?ガラスじゃなくてよかったわ」
美津子さんがかがんでビニール袋ごと落ちた醤油を拾う。
「ペットボトルでよかったね」
美津子さんが取り出すと、醤油は落ちた拍子に泡立っていた。
「春菜、ちょっと……」
美津子さんと並んで醤油を眺めていたところをぐいと腕を引かれた。母親から顔を背けながらトシがいう。
「すぐ戻るから」
「ああ……」
「おばちゃん、またね」
腕を取られて引きずられながら、もう片方の手でバイバイをした。
「なんだ、春菜、来たばっかでもう帰るのか」
「うん、またね」
ソファーに座ったおっちゃんとエリちゃんにも手を振りながらリビングを出て、玄関でスニーカーを履き外に出た。捕まえてた腕を離すと、トシはわたしからも顔を背けて前をゆく。
「どこ行くの?」
「公園」
「ああ、はい」
怒っている声ではなかった。しかし、こっちを見ないで黙々と前をゆく後ろ姿を眺める。昔よりは男の人らしく広くなった背中を。近くの公園にはもう遊んでいるような子供もいない。何年かぶりでブランコというものに座った。
「はぁ〜」
トシは盛大にため息をつくと、両手で頭を抱えた。隣のブランコに腰掛けて、若干骨のない軟体動物のようになっている幼馴染を眺める。
「ねぇ、なんでそんな芽衣のことが気になってんの?」
「……」
わざわざ聞くまでもないことだけど、意地悪な性格なので聞いてみた。
「ま、今更か。でも、なんか意外だな」
「意外?」
「どこがいいの?」
「一番仲がいいくせにそんなこと言うの?」
「え、いや、でも、ほら、女同士のそういうのと違うじゃん。やっぱり」
折角ブランコに乗ったので、漕いでみた。キイキイと軋む音と、ブランコを吊るしている鎖の錆びた匂い。茜色の空、周りの家から漂ってくる様々な料理の香りと音。
「なんか見てるとホッとする……」
「へー、ほー」
それは確かに理解できる。あの子は見ているとホッとする時がある。
「誰にも言ったことないのに」
トシはそういうと、両手で顔を隠した。
「で?」
「でってなに?」
「いや、芽衣は相変わらず元気にしてるけど、それをただ聞いて満足なわけ?」
「……」
トシは顔を隠していた手を離すと、前屈みになって両腕をその両足の上にのせた。横から見るとまるで突然伸びた手足を持て余しているように見える。見るたびに気づくとサイズが変わってる。この年齢の男の子って。
「会いたい」
「ああ……」
「別に様子を見ていられたらそれで良かったんだけど、学校かわっちゃったから……」
「そうねぇ」
ブランコに座って遠くを眺めている綺麗な横顔をしばし黙って眺める。遠い空に浮かぶ雲がピンク色に染められている。
「卒業式の時に勇気を出してとも思ったんだけど」
「ああ、そういう子たちいたね。学校がバラバラなるからってさ」
「うん」
「何人かうまくいって、今、付き合ってるじゃない」
「……」
そう言うと、トシは暗い顔でこっちを見た。
「ね、春菜、どう思う?」
「どうって?」
「俺が、なんかそういうことを中村に言ったりしたりしたらどうなるかな?」
「あー」
蚊の鳴くような声が出た。わざわざ説明を加えなくても、トシはわたしの言いたいことを汲み取った。ちょっと慌てて言葉を付け足す。
「いや、他の女子なら、まず、トシを断る女子はいないと思うんだけど」
「そうなの?」
「いない、いない」
手を振りながら否定する。この人、自分の美しさに無自覚なんだよな。そして、本人が控えめな性格なのもあって、女の子のほうからどうこうというのもこの時までは起こってなかった。ブレイク直前のような状態でした。
「ただ、芽衣は……」
「……」
まず、間違いなくそんなことが起こったら、その場で腰を抜かすに違いない。
「そんな本人が嫌がるようなこと、望んでるわけじゃないんだけど。ただ、たまに会って話せたらそれで満足なんだけど」
「うん、わかる、わかるよ。わかるんだけど……」
「うん」
「ただ、トシがいいとか悪いとかじゃなくて、芽衣の場合、相手が誰であっても、速攻で無理と言いそう」
「それは、もう少し時間が経てば変わるのかな?」
「普通はそうなんだけどなぁ……」
普通は少しずつ大人になって、そういうことにも興味が出るし、機会があればとなっていくものなのだろうけど、芽衣だけは周りの子が全員彼氏持ちになったとしても、ニコニコしながら今のままで変わらない気がする。
「芽衣はほっとくと今のままおばあさんになってそうだ」
「え……」
「綺麗な子どもの心のままで独身のままおばあさんになっていそうだ」
しかも、そんな自分に疑問を持たずに、それでも本人は幸せに生きているかもしれない。ふっと横で声が漏れて、トシが笑ってる。
「なんかそれ、わかる。中村ってそういうところがある」
「ものすごくぼうっとしてるんだよね」
「うん、してる」
しばらく二人で笑った。その優しい笑顔を見ながら思う。トシ、本当に芽衣のことが好きなんだなと。
「どのぐらい前からなの?」
「え?うーん、よくわかんないけど……」
つい最近の話とかではないんだろうな。全く知らなかったし、気づかなかったな。
「トシが芽衣の相手なら、わたしたちはみんな安心なんだけどな」
そういうと少し恥ずかしそうに笑っていた。空が少しずつ暗くなってくる。忍び寄る夜は今日に限ってとても親密な雰囲気を帯びている。
「今、周りに中村のこといいなと思ってそうな男子、いない?」
「ううん、その気になって探してみたことないからなんとも言えないけど」
「うん」
「もし仮にそういう男子がいたとしても、告った途端に無理と言われて終わる。相手がどんな人でも」
「ははははは」
それを聞いて、トシは苦笑いした。その顔を見ながらちょっと考える。少し迷った。そう話すまでに少しだけ迷いました。それは、でも、とても短い時間だった。
「わたしが言えば」
「ん?」
「わたしが言えば大丈夫かも」
「どういうこと?」
「芽衣はわたしの言うことならなんでも聞くから」
「……」
「もちろん、最初だけね。速攻で無理って言わずに、ちゃんと機会をあげろと言ったら、わたしが言ったら芽衣は聞く」
わたしが右を見ろと言ったら右を向く。左を見て片足上げて立てと言ったら何も考えずにすぐ言う通りにするだろう。芽衣はそのくらいわたしに従順だったんです。信頼されていた。
「他のやつの話なら聞かないけど、トシの頼みなら聞いてあげてもいいよ」
その後、トシがわたしになんと言ってお礼を言ったのか、何を言ったのか、どんな表情をしていたのか、不思議と覚えていない。ただ、そういっていた時の自分の心臓の鼓動のようなものを克明に覚えてる。そこまでが克明すぎて反対にその次の記憶がすとんと抜けてしまったみたい。
夜はいつもなら、温かな夕日を打ち消して冷たい闇を携えてやってくるものなのだけれど、でも、この日の夜だけは、濡れてはいるのだけど温かい、とても濃厚で親密な雰囲気を持っていた。忘れられない記憶になった。




