12 飯塚春菜の事情+α②
12 飯塚春菜の事情+α②
飯塚春菜
物心ついた頃から曙屋の春菜と呼ばれて毎日暮らしていて、ずっとそれが普通でした。初めて疑問のようなものを持ったのはいつの頃だったんだろう?時々、このことについて考えることがある。
いつから始まったのかはよく覚えていない。だけど、その疑問がはっきりとした形を持つようになったのは、芽衣と出会ったからだったように思う。中学に入ってから転校してきた中村芽衣。東京から転校して来た子だった。黒板の前に立って自己紹介をするときのか細い声。完璧な標準語。なんでだろう?いい匂いがしそうな子だなと思った。ぎゅっと抱きしめたらいい匂いがしそうだと。でも、あんまり力を込めてぎゅっと抱きしめたら、折れちゃわないかしら?
そのか弱い感じは、その時、座席に座ってこちら側から芽衣を眺めていたわたしたちは持ち合わせていないものだった。
わたしだけではなかったと思う。わたしの周りのみんなも。わたしたちはこの街と海しか知らなかった。ここで起きていることが当然のようにどこまで行っても、道をどこまで行っても、知らない人たちがわたしたちと同じように生活している光景が繰り返すような気になっていた。
そうではなかったのかと思い知った。突然東京なんてわたしたちからしたら宇宙のように遠いところからポンと女の子が来た。その子から見たらわたしたちってどっちかっていうとガサツだなと。特にわたしが。テレビの中の世界が外に出てきたような気がした。そうか、あの東京というのは本当に、この九州と繋がっている場所だったんだな。
教室の窓際の席に座ってお弁当を食べて、食べ終わった後に購買で買ったジュースを飲みながら窓に背を向けて教室のほうを眺めていた。あの頃わたしの周りにはいつも誰かしら人がいた。わたしはいつも人に囲まれていた。そして、転校したての芽衣は、一人で座席で、まるで授業を受けてでもいるようにきちんと前を向いてお弁当を食べていた。
「あの子ってどう思う?」
近くにいた女子がボソボソと別の女子に話しかけている。
「ああ、どうだろ?」
一触即発とでもいうのだろうか、わたしたちとはちょっと毛色の違う芽衣を煙たがる雰囲気はすでにできあがっていた。もうひと押し何かがあれば、間違いなく芽衣は除外されていたと思う。わたしはストローの刺さった紙パックのジュースを片手で持ったまま、立ち上がって芽衣に近づいた。彼女の前の席の机に座る。誰の机だったっけ?そして、指差した。
「それ、好きなの?」
「え……」
怯えた顔で上を向いた。綺麗に広げられたお弁当を包むハンカチ。長い髪。うさぎさんのりんご。タコさんのウインナー。先っぽにハートのついた赤いプラスチックの、楊枝と言ってはいけないのだろうか。言い方を知らない。東京の子はお弁当もおしゃれだなと思ったのを覚えてる。
「これ?」
芽衣は恐る恐るとその赤いハートの爪楊枝の刺さったタコさんウインナーを持ち上げた。
ぶっと思わず笑ってしまった。
「違うよ」
わたしはお弁当箱の蓋を指差した。
「マイメロ」*2
「あ……」
彼女はひっくり返されて裏側が透けて見えるお弁当箱の、透明なプラスチックの蓋を見た。その隙にぽろりとタコさんが落ちた。
「落ちたよ」
「あ……」
また、今度はタコさんを見た。
「やだ」
「……」
芽衣は、動揺して挙動不審なだけでした。ただ、その様子を見ていると、別に警戒して除外すべき人だなんて思えなかった。わたしの目にそのとき映ったのは別の光景です。あったことはない芽衣のお母さんが台所でエプロンをかけて、張り切ってお弁当を作っている様子だったんです。控えめな娘が学校で頑張れるようにと、一生懸命お弁当を作っている様子。
ぶっと笑った。しばらくお腹を抱えての大爆笑だった。笑い声というのは不思議なものである。もしもわたしが芽衣を馬鹿にして笑っていたのだとしたら、その声の調子と表情から彼女はそれと察しただろう。でも、そうではないというのを、嘲っているのではないというのを察したらしい。そして、その声の調子にわたしの背中の方で様子を伺っていた女子たちも、どうやら春菜は芽衣を認めたようだと察する。
あの時、クラスの中にわたしに従わない女子はいなかった。皆、無条件に芽衣を受け入れた。そして、芽衣はわたしに懐いた。何度思い出してみても、懐いたという表現以外に適当な表現が見つからない。
当時、自分は中学で女子バレー部に所属していた。次のキャプテンはまだ決まっていなかったけど、まず100%わたしがやることになるだろうという雰囲気でバレー部に所属しており、クラスの女子も何人かわたしと一緒に所属していた。
とある日、非常に思い詰めた表情で、自分もバレー部に入ると芽衣が言い出した。その時、わたしと同じクラスでバレー部に所属している女子達は一瞬言葉を失い、芽衣の見るからに非力そうな両腕を見た。
「うちのバレー部、結構しごくけど……」
「……」
嘘ではない。県の中で結構な強豪校だったのだ。
「芽衣、大丈夫か?バレー、やったことあるの?」
この体でやっていたらびっくりだなと思いつつ聞く。しかし、芽衣は当然のように首を振った。すると隣から別の女子が聞く。
「東京では何やってたんだよ」
「……」
しばらく言い淀んだ。
「運動部だったの?」
「文化部です」
わたしたちは困って顔を見合わせた。
「でも、やる」
「……おう」
運動など苦手なくせに部活についてくるほど、芽衣はわたしに懐いていた。無下にすることもできず、結局仮入部することになった。仮入部する際に、簡単な入部テストを行った。ボールを使ってトスを上げさせたり、サーブ、レシーブ、アタックとやらせてみる予定だった。しかし、最後のアタックまで辿り着かなかった。レシーブを受けさせていたときに、派手に顔面にボールをぶつけ、鼻血を出してしまったのである。わたしが部活を抜けて保健室に連れてった。
体育服の姿で、鼻にティッシュを詰めている芽衣の姿をまだ覚えている。わたしは、芽衣の顔色をじっと伺いながら、恐る恐る言葉を紡いだ。
「芽衣」
「うん」
「わたしたちと一緒にいたいって気持ちはもらった」
「うん」
「でもね、ちょっと……」
芽衣はじとっとした顔でわたしを眺めていた。
「いっぱい練習するから」
「そうなんだけど……」
その日は決着がつかず、でも、芽衣は結局バレーがしたいというより、わたしたちと一緒に何かしたい、一緒にいたいという気持ちがメインだったので、顧問と相談した。そして、異例なことだがマネージャーとしての在籍が認められた。
「芽衣、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫」
最初のきっかけはわたしが作った。あと少しでターゲットにされてもおかしくないような状態から芽衣を救ったのはわたしだったと思う。しかし、その後でみんなの間に自分の居場所を作ったのは芽衣、本人だった。ドジっ子の芽衣。みんなの一番下の妹みたいな芽衣。何かしでかしそうで目が離せない。皆、気がつくといつも、芽衣に大丈夫かと尋ねている。
ただ、芽衣は確かにドジなところはあったけど、一生懸命わたし達の世話をしてくれる人だった。その様子を見ているとみんな癒された。芽衣はわたしたちの一員で、そして、必要な人だった。欠けてはならない人になった。
あれは、いつのことだったろう?芽衣が転校してきて、部活に入ってまもない頃だったと思う。隣町の中学と練習試合があった。終わって帰るバスの中で、やはり練習試合に出た帰りの男子バスケ部と鉢合わせた。
「男女、お前のせいで負けたんだってな!」
混んでいる車内の中をわざわざ人にぶつかりながらも横に来て、勝一はそう言った。小学校の頃から比べて背が伸びて、声も大人の声になって、体だけ大きくなった。しかし、行いは相変わらず。
わたしも、わたしの周りの女子も、勝一のそんな発言には慣れっこになっていて、ああ、また、勝一がなんかいってるな、くらいにしか思ってなかった。吹き抜けていくそよ風のようにその文句を右から左へと聞き流していた。
ところが、芽衣が、まさかの芽衣が食い下がった。
「春菜ちゃんは女の子だよっ!ひ、ひどいこと、言わないで!」
芽衣はわたしに懐いていて。体は小さくて弱いけど、忠実な飼い犬のような状態だったんです。地元に生まれ育ったここら辺の子だったら阿吽の呼吸で勝一の扱いなんて心得てる。しかし、まさかの芽衣が噛み付いてしまった。噛みつく必要のない人に。
「なんだ?こいつ」
吊り革に片手で捕まって立ちながら、座席に座ってわたしたちの荷物も持ってる芽衣の方に手を伸ばし、髪を引っ張ろうとした。
「勝一、やめて」
伸ばそうとした腕に手をかけた。
「この子、よくわかってないだけだから」
「ああ?」
わたしの手を振り払って、もう一度手を伸ばそうとする。揉め事は起こすなと言われてる。それに、いくらわたしでも流石に男子の力には勝てない。しかもこんなバスの中で……。
「おい、古賀」
見かねた上級生が声をかけた。その声で、勝一は伸ばそうとしていた手を止め、自分を呼んだ上級生の方をじろりと睨んだ。声をかけた上級生もその勢いに少し圧倒されているのが見てとれた。
「ふん」
しばらくそのまま上級生を睨んでいたが、最後にはそういうと勝一はまた周りの乗客を突き飛ばしながら、向こうへ行った。同乗していた男子バスケ部もバレー部も、それに周りの他の乗客もほっとした。声をかけてくれた上級生に目礼した。上級生の男子は苦笑いしていた。一つ上の学年のバスケ部の主将だった。
予定していたバス停でゾロゾロと降りると、いつもつるんでいる数人で芽衣を囲んだ。
「もう、めいー」
わたしが口を開く前に言いたいこと、言わなければならないことを他の子が立て続けにいう。芽衣はこの子にしては珍しく、頑なな顔をしてみんなの話を聞いていた。
「でも、春菜ちゃんにひどいこと言った」
全然懲りてないなこの子。周りからため息が出て、すでに言い終えたセリフをもう一度最初から繰り返そうとするのを肩をそっと押さえて制した。
「芽衣、ありがとう」
私がそう言うと芽衣の顔がぱあっと明るくなった。
「春菜」
傍の子が咎めるようにわたしを呼ぶ。そちらを向いて唇の端だけ少しあげて笑った。
「大丈夫」
ぽんぽんと肩を叩く。
芽衣のわたしにとっての価値。それに気づいたのはいつの頃だったろう?出会ってすぐに分かったのではなくて、徐々にゆっくりと意味のあるものになっていったのだと思うんです。
ずっとわたし自身にとっても周りの人にとっても当然で、見えなくなっていたこと。年齢を重ねるごとになんか違うと違和感を覚えるようになっていたけど、周りの子たちには親も含めて全く見えてなかった。
それをはっきりと自覚した。それは芽衣がいたから。そう、わたしは女の子なんですよ。誰も、そんな当たり前のことに気づかなくなってた。
男女なんて呼ばれて嬉しいわけがない。だけど、言っている勝一はもちろんそんなことは気にしない。それはいいんだけど。わたしの側にいる人たち、わたしの味方、つまりは一緒にバレー部にいる子やそれ以外の友達、先生、親や周りの大人、誰一人として、わたしがそんな些細なことを気にするだなんてこれっぽっちも思ってない。
春菜がそんなことぐらいで傷つくなんて思ってもない。
正確に言えばわたしは確かに傷ついてなんていませんでした。ただ、大事なのはそこではなくて、わたしは望んでそんなに強くなったわけじゃない。それが、違和感でした。男女なんて面と向かって言われるような、そんな人でいたいなんて本当は思ってない。
芽衣だけがあの頃わたしを、曙屋の春菜ではなく、春菜としてみて、そして、庇ってくれた。ひどいことを言わないでと言ってくれた。
わたしにとっての芽衣の価値はそこにあったのです。特別な人でした。
***
「やい、お前ら、女同士で付き合ってんじゃねえの?さすが男女だな!」
しばらくして勝一が、わたしと芽衣を見かけてそんなことを言った時、本当にぽかんとしました。その幼稚さに。
「中村は女が好きだってさ。男女の春菜が好きだって。お似合いだ」
芽衣は暗い顔をしていて、わたしはポカンとしていた。しばらくすると考える思考能力が戻ってきて、まぁ、でも、大したことにならなくて良かったのかなと思ったんです。勝一は、年々少しずつ捻くれた性格になってきて、もともと親の立場をかさに妙に威張るところもあったし……。そして、体も大きくなり、力も強くなってきていた。
わたしから見たら、人を傷つけることのできる本物の銃を持った子供のようでした。子供ではなくてそして大人にもなりきっていない、危うい年頃にあの頃わたし達はあった。みな、くだらないなと思っても真正面からぶつかりたくない相手だった。
芽衣がバスで逆らったせいで、本来なら入るはずのなかった芽衣が勝一の視界に入ってしまった。嫌な形で根に持たれて個人を攻撃されたら嫌だなと思ってた。それが、わたしと一緒にからかわれる、この程度ならまだ笑える範疇です。
「芽衣、ちょっといい?」
その日、休み時間に芽衣を引っ張って屋上に続く階段をのぼった。普通は誰もいない場所。誰がおいたのだろう?古くなって壊れた体操用のマットが置いてある。埃臭くて汗臭いマット。そのマットの端っこに並んで座った。屋上に続く扉はえんじ色で、四角く切り取られた窓ガラスには針金が縦横に張り巡らされている。光が斜めに入り込むと、空中を舞う埃がキラキラとする。
「あいつは、勝一は昔っからわたしのことが嫌いで、ああいうやつだから」
「うん」
「いろいろ変なこと言うけど、周りの人たちは一人も全然耳を貸してはいないから」
「……」
「だから、芽衣も、もう、あいつのことはほっといて」
「本当にやじゃないの?」
「わたしはね。芽衣は嫌だと思うけど……。でも、嫌がれば喜んでもっとやるようなやつだからさぁ……」
しばらくつまらなさそうな顔をしていた後で、ふっとため息をついた。
「なんであんなことするの?」
「なんでなんだろうねぇ」
「どうしたらやめるの?」
「それについても昔は結構考えたかな?」
「……」
「なにもしなかったわけじゃないけど、結果、みんなの結論は聞き流すことに落ち着いたんだよ」
今度は芽衣ははぁとため息をついた。わたしはちょっと笑って、で、隣にいる芽衣の手をぎゅっと握った。芽衣の手はわたしの手よりも少しだけひんやりとしていた。
「わたしは慣れてるからいいんだけどさ。芽衣がなんかやな目にあわないかって、みんな心配してる」
「みんな?」
「うん、みんな」
「……」
彼女はちょっと俯いた。俯いた拍子にきれいな真っ直ぐな髪がサラサラと肩からこぼれた。
「みんなね、なにも悪くない子がみんなの目の前でやな目に遭うのなんか、見たくないんだよ。だからと言って、勝一はみんなが嫌がったり止めようとするとますますやるからなぁ」
「……」
「だから、芽衣も、わたしやみんなの真似をして、勝一のことはほっとくって約束して」
まるで、小学生の子のように芽衣の前に小指を出した。えんじ色に切り取られた窓から真っ直ぐに光が差し込んでいて、埃はキラキラと舞っていた。芽衣は俯いていた顔をあげて、まず、わたしの小指を眺めて、それからわたしの顔を見上げた。まるで子犬のように。
もしも、勝一がこの時のわたしたちの様子を見ていたら、これをネタにわたし達はやっぱり同性愛者だとでも騒ぎ立てたでしょうか?立てたでしょうね。ただね、もちろん勝一本人もそんなことはないことは知ってるわけで、なんでも良かったんだと思います。
勝一はただ、右を見ても左を見ても、そこに、自分を否定する存在や出来事を見てしまう。自己の存在とはそれを否定するものを屈服させて獲得するものである。それが、彼の理念で、そのために自分は強くあろうとする人間なので、屈服させるために手段は選ばない。
それこそが彼の思うところのリーダーシップなのです。
そして、それはわたしの父に言わせると、王道ではなく、覇道なのではないかと思う。
王道や覇道だなんて、難しい言葉や概念を知らない人だって、なんか違うと言うのはそれこそ昔から敏感に感じ取っていて、面従腹背というのでしょうか?面と向かっている時には、彼に従い、心の底からは従わない。年月を重ねるごとにそういう微妙な言葉や形とされない空気というものを勝一本人も感じ取っていて、ますます皮肉なことに覇道の勢いを増していくのです。そして、ますます嫌われる。
でも、それは勝一の問題であって、わたしやわたし達の問題ではない。
幼稚な指切りをして、そして、わたし達は約束を交わした。
*2 マイメロ 日本のサンリオによるキャラクター。1975年にキャラクター開発。主人公のメロディはウサギをモチーフに赤ずきん風に擬人化。通称は「マイメロ」
Wikipedia参照




