12 飯塚春菜の事情+α①
12 飯塚春菜の事情+α①
作者による純粋に作者のための言い訳 再び
本作に出てくる曙海苔という会社は、実在する会社ではございません。作者が有明海の海苔養殖に興味を持ち、ネットで海苔の養殖についていろいろ調べた上で想像上の会社を作品上で登場させております。あくまでフィクションであり作中での会社の成り立ちや由来は実際にある会社の成り立ちや由来とは異なるものです。予めお含みおきいただきたくよろしくお願いいたします。
家族的な共同体の中での個人というものを書きたいために、舞台設定にやや強めにそういった要素を取り込みました。ですが、本当に福岡に行ったら、福岡の皆さんがこのように生活しているかどうかというのは別なのです。舞台としてお借りしております。
いつか、時間が自由になる時に、九州を訪れたいです。
汪海妹
我らがマドンナ飯塚春菜嬢のお話に入る前に、まずみなさまには、有明海の海苔の養殖の歴史について学んでいただきたい。
えー、BGMは、波の音でお願いします。
ザッパーン、ザッパーン……
えー、こほん。とある某有名海苔メーカーのホームページによると、日本人は縄文時代から海苔を食べていた。この時はまだ現代のような乾いた海苔ではなく生のままで食べていたらしい。これが現在のような形になったのは江戸時代。海苔養殖が始まり幕府の保護を受け、海苔は江戸の特産品となった。その海苔が北九州で養殖されるようになったのは昭和に入ったばかりの頃、本格化したのは戦後の昭和30年代頃だったようだ。そんなに古い話ではない。*1
もともとは飯塚家も海で海苔を養殖するみんなと同じ生産者だった。有明海での海苔の養殖が順調に発展推移し、そのうちに必要に迫られて生産者が共同出資し、加工業者を立ち上げようということになった。その時、当時仲間内で人望のあった春菜の曽祖父が皆に頼まれその代表となった。そうして立ち上がった会社が曙海苔である。
その後、有明海の海苔の生産量は飛躍的に増大した。量だけでなく品質の向上もあり瞬く間に全国で最大の海苔の産地の座にありついた。現在では、佐賀、福岡、熊本の三県に渡って様々な業者が立ち並びその技を競い合っている。
新規参入者も増え、現在では全国規模の名声を得た有明海苔だが、その中でも初期の頃より3代に渡り助け合いながら共に海苔を作ってきた生産者の家の人たちと、中心に位置する飯塚家とのつながりは深い。
そんな家に飯塚春菜は長女として生まれた。
物心ついた頃にはもう、曙屋の春菜という通り名ができていた。
どこを歩いていても、自分が曙屋の春菜だということは知られていて、いろんな人に挨拶される。大人たちは時々春菜をこう呼んだ。
「4代目」
近所に住む人たちも、海に出て海苔を作っている人が多い。皆、春菜の父を自分達の長として頼りにしており、その子供たちに対しても自然にそういう態度が滲み出る。
幼稚園に入ると、周りにはやはり親が春菜の父と一緒に海苔を作っている家の子供たちがいる。不思議なもので子供は親のやることなすことをよく見ていて、そして、幼稚園で親の真似をする。つまりは春菜を中心にして集まるようになる。春菜の父が人々の中心になって何かと手を尽くしている傍で、自然と春菜にもそういう役割を求める空気ができるのだから妙なものだ。
「それでは、この問題ができる人、飯塚さん、どうですか?」
幼稚園を出て小学校に上がる。小学校の教師までもが、何を期待しているのか、ここぞという時に春菜に矛先を向ける。
春菜の通っていた小学校の学区内にはもう一つ、春菜の家のように複数の生産者を抱え、そこから海苔を仕入れ加工している家があった。海宝という名の海苔屋で、実はこの海宝、もともとは曙海苔に所属している生産者たちが分裂してできた一団だった。産学の連携もあり、地形の優位さもあった上で飛躍的に発展してゆく海苔養殖業に乗じて、生産者も増えた。大所帯となった時に飯塚家とソリの合わない連中が離反し、新しい海苔屋を立ち上げたのである。春菜の祖父の頃の話であった。
離反したのはもう大昔の話なのだが、それが今でもこの二つの集団の仲は悪い。狭い町内でちょくちょく顔を合わしては、小競り合いを繰り返している。その小競り合いは大人の世界にとどまることを知らず、子供の世界でも背後に大人まで絡めながら起こるのだからたまったものではない。
海宝屋には勝一と勇二という兄弟がおり、曙屋の春菜と光とそう歳が変わらない。当時の小学校では、海宝屋と曙屋とで子供たちは二つに分かれて徒党を組んでおり、それぞれの長の子供を中心にして何かと張り合っていた。
海宝屋の長男の勝一と曙屋の長女の春菜、学校の成績がどうだとか、背の高さがどうだとか、声の大きさから、着ている服がどうだまで、ありとあらゆるものを比べられた。それも、自分の親にではなく地域の大人たちにである。春菜ちゃん、これには本当に辟易した。
とある授業参観の日、小学校の廊下に父親と仕事仲間の松ちゃんというおじさんが並ぶ。
「どう考えても勝一なんかより春菜ちゃんの方がよっぽど立派だぁ」
「……」
廊下に貼られた習字の字を勝一と比べられる。しかも、そう口にする松ちゃんは少し離れたところに海宝屋のおっちゃんがいるのを知っててわざと声を張り上げるのである。
近づく春
それがその時みんなで書いた字だった。お世辞にもよく書けていたとは言えない。
「50歩100歩だろ……」
「ああ?」
父親がボソボソとそういうのだが、意味が通じてなかった。万事がその調子なのである。親よりも周りの大人がややもするとヒートアップしてしまう。
実際、父親が言う通りで、残念ながら海宝屋の勝一も曙屋の春菜も勉強の面ではそこまでパッとしない。どんぐりの背比べだったのだ。ただ、弟の光の出来が悪くなかった。それと、春菜は勉強はイマイチだったが運動ができた。サバサバとした性格で、また親の影響もあって人望があり、自然とクラスや学年でリーダー的存在とされることが多い。それで、曙屋の体面は保たれた。すると勝一たちはつまらない。何かって言うと春菜たちにつっかかってくる。
勝一が何かつまらないことを言ったり、したりし始めると、春菜側の取り巻きが春菜のクラスに来てそれを言う。それから向こうの挑発にのって何かしようとする。話を聞いてそれを止めるのは春菜の役目だった。
何もしなかったら何もしなかったで、意気地なしとでも言いたいのか皆の前で大声で絡んでくる。春菜は取り合わなかった。ツンとした顔で無視することに決めていた。それは、父親に学校で揉め事を起こすなときつく言われていたからである。すると、相手にされなかったのがよほど面白くなかったのか、矛先はもっと弱い方へ向かった。
***
とある放課後、帰ろうと思って自分の教室でランドセルにノートや教科書を入れていると、廊下をパタパタとかけてくる下級生がいる。後ろの扉から頭二つ分くらい小さい子たちが飛び込んできた。光の友達だった。
「春菜、光が」
「なに?」
「一緒に来て」
息せき切って駆け込んでくると二人で春菜の手を取って引っ張る。慌ててランドセルを背負うと、引っ張られるままに教室を出て廊下をゆく、学校を出て道を駆ける。
「早く早く」
小学校へと通う道沿いには川があって橋がかかっている。そこまで駆けた。
「こっち、こっち」
道を逸れて川沿いの土手を下る。目の下の河原で弟が靴を脱いで裸足になって川に入っている。弟のランドセルとその中身が散らばって川に落ちているのが見えた。
「みつる?」
呼ばれて振り返った。
「どーしたの?」
「おねーちゃん」
弟はさっき下りてきた橋を見上げて指差した。
「あそっからポーンと投げられちゃって」
「ランドセルを?」
「うん」
「だれに?」
「……」
「勝一か?」
弟は弱々しく笑った。
「何枚かプリントが流されちゃった。どうしよう……」
川下の方を指差した。
春菜と光を比べれば、光の方が勉強が好きで、そして弟はいつも教科書を春菜よりもっと丁寧に扱っていた。一つのシワもない綺麗な教科書だった。その弟が大切に扱っていた教科書やノートがぐちゃぐちゃになって水に落ちているのを見た時に、春菜の中で何かがプチっと切れた。
「お姉ちゃん?」
「春菜?」
弟や弟の友達が甲高い声で呼びかけるのも聞かずくるりとみんなに背を向けると、土手を駆け上がり、ランドセルをカタカタと鳴らしながらかけてゆく。学校から海宝屋へと続く道。勝一たちはまだそこをダラダラと歩いていた。ふざけて遊びながらゆく男子の中に何も考えずに突っ込んでいった。
こちらが一人であちらが複数。まともにやれば勝ち目はないが、逆上した上の突然の奇襲であり、勝一の取り巻きの一人は春菜に思い切り突き飛ばされ路上に転んで泣いた。
「この、しょういちぃ」
いつもはツンとして視線を合わせもしない春菜の逆上ぶりに、声も出ない。ひっつかもうと手を伸ばしたところで、通りかかった大人に捕まった。
「ちょっ、春菜ちゃん、なにやってる?」
騒ぎを聞きつけた他の大人も何事だと通りに出てきて、すぐに父親が呼ばれて駆けつけた。とりあえずと家に連れ戻される。父親は春菜に何も聞かず、家に着くと有無を言わさず春菜を部屋に放り込むとバタンとドアを閉めて閉じ込めた。春菜はむしゃくしゃした気持ちのままベッドに転がった。
どのぐらいたった時だろう?電気をつけないままベッドに転がって、窓から見える空を眺めていた。燃えるような夕焼けが過ぎ、どんどん薄暗くなってきた。お腹が空いてきた。いつもなら母の作った夕飯を食べている頃だ。
ガチャリと音がして、部屋のドアが開く。父がのそっと覗いていた。父の大きな体とドアのすき間から廊下の電気が部屋へと差し込んできた。
「春菜、起きろ」
「寝てないよ」
「行くぞ」
「行くってどこへ?」
それは春菜が突き飛ばして転ばした子の家だった。
「やだよ。なんで?」
すると、父はずかずか部屋へと入ってくると、間髪おかずにピシャリと頬を張った。
「いった、何すんのよっ」
悲鳴のような声が上がった。
「いいから、来いっ」
「痛い、もう、やめて」
無理に腕をひっぱり立たせようとする。全身でもって抵抗したが、大人の男に敵う腕力など持ち合わせているわけがない。
「痛いって」
すると不意に父はパッと手を離した。突然腕を離されて、すとんとその場に座り込んだ。半べそかいた顔で父を見上げた。すると父は不意にしゃがみ込み春菜と目線を合わせた上で、落ち着いた顔と声で語りかけてきた。
「春菜、痛いか?」
「痛い」
「お前に突き飛ばされた子もびっくりしたし、痛かったよなぁ」
「……」
しかめ面になった。
「でも、あれはあっちが先に……」
「そういうこと言ってるときりがないんだ」
「……」
「さ、いくぞ。今日じゃないとだめなんだ」
父は怒ってはいなかった。でも、有無を言わさぬ口調だった。春菜は渋々立ち上がった。
***
訪問先の家に着くと、玄関先には母親が出てきた。女の小さな体で険しい顔をして、大柄な父の前に仁王立ちになる。いつもなら女に迫力で父が負けることなど決してないが、この時ばかりは無力であるはずの女の人の体が大きく見えた。狭い玄関で上に上がれとも言われないところを、父は土間に立ったままで深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
ああ、父に頭を下げさせてしまった。
その姿を見て、夕刻にパッと燃え上がり、そのまま燻っていた春菜の心の中に、ぽつりと雨が降るような悔やむ気持ちが滲んだ。
「間違って頭でも打ってたらどうするおつもりですか?」
「おっしゃる通りです。申し訳ありません」
女の人のキンキンとした声にまた一つ、我にかえる。一つ間違えれば大変なことになっていたのかもしれない。少し青ざめた。不意にぬっと視界に父親の大きな手が現れる。
「ほら、春菜」
頭の後ろに回された手の温かさに救われた。申し訳ないとかごめんなさいとか、言葉は口からついて出ず、ただ、父の手の大きさと温かさに助けられながら頭を下げた。頭の上にかけられる声が少しだけ丸みを帯びた。
「まぁ、今回は大したことなくすみましたし……」
「何かあればご遠慮なく言ってください」
ああ、曙屋の当主の頭を下げさせてしまった。これは曙屋に海苔を納めているみんなの頭を下げさせたのと同じようなことだ。心がずんと重くなった。
謝罪を済ませて他人の宅を後にする。月の明るい夜だった。父と並びながら黙々と歩いていると、父が口を開いた。
「なにか不服なのか?春菜」
「なんで?」
「黙っているから」
少しため息が出た。
「そりゃ、突き飛ばしたのは悪かったけど」
「うん」
「あっちだって光にしたこと謝ってないのに」
「そうだな」
「なんでこっちばっかり謝らないといけないの?」
「春菜」
「うん」
「お前が二階にいる間に海宝屋の女将さんが来て」
「え?」
「畳に手をついてきっちり謝ってくれたんだよ」
「そうなの?」
すると父は吐き捨てる様な口調で続けた。
「海宝屋はありゃ、亭主はダメだ。亭主がダメだから、息子が真似して馬鹿なことをする。でも、女将でもってる」
そう言われて、勝一のお母さんを思い浮かべた。普段はあまり表に出ない人だ。
「なぁ、春菜」
「うん」
「母親にとって子供っていうのは、そりゃ、自分の命より大切なもんなんだ」
「うん」
「お父さんは普段はみんなに持ち上げられててさ、お父さんに偉そうな口をきく人なんてここらではいないけどな。でも、子供に何かあったとなりゃ別だぞ。普通のお母さんだって子供を守るためにいくらでも楯突いてくる。そんなふうにしてあっちやこっちで恨みを買っていちゃ、やってられないんだよ」
「……」
「春菜、お前、海宝屋が潰れたらいいのにって思ったことあるか?」
その父の声にちょっとびっくりしてパッと顔をあげた。
「そんなこと一回も思ったことないよ」
「そうだろ?」
いつもは大股でのしのし歩く父は、この日は娘に歩調を合わせてゆっくり歩いていた。
「海宝屋が儲かったせいで、俺らが儲からなくなったなんてことはないよな。俺らが怖いのは不作であって、お互いじゃないよな」
春菜は語る父親の顔を下から眺めていた。街灯がところどころを照らす道をゆく。家まではあともう少しだ。
「冷静になって考えたら、お互い協力しあうべきで争いあったって何もいいことないってわかるはずなのに、そういう簡単なことが意外とみんなわからない。曙側も海宝側もさ」
不意に父はその大きな手を春菜の頭に乗せて、わしわしと撫でた。小さな頃によくされたその動作を久しぶりに黙って受けた。
「いつもはなぁ、何があってもカッとなんかしない父ちゃんも、流石に光がびしょ濡れで帰ってきた時には頭に血が上ったぞ」
「父ちゃんも?」
「あたりまえだ。たいていのことは我慢できても、子供になんかあったらカッとなる。海宝屋に怒鳴り込むところだった」
「……」
「海宝屋の女将は、それを見越して事情がわかった途端に通りをかけてうちに頭を下げに来てくれたんだよ。このままだといつもは穏便な曙屋さんもうちに怒鳴り込みにくるだろう。そうしたら、それをみている周りの人たちがまた争うだろうって思ってさ。丸くおさめるために慌てて駆けてきてくれたんだよ」
「でも、勝一はこなかったんでしょ?」
自分は父と一緒に頭を下げた。でも、勝一はおばちゃんと一緒にうちにはきてないと思う。
「そんなことしたら、あそこの親父は奥さんを殴るからなぁ」
「……」
「お前、どうだ。父ちゃんがお前の前で母ちゃんを殴ったらどうする?勝一にそんな思いをさせたいか?」
春菜は首を振った。
「父ちゃんだってさせたくないさ。だから、これでいいってことにしようや」
しばらく二人で黙って並んで歩く。家々には灯りが灯り、皆、夕飯を食べているか夕飯後に家族で集う声が溢れてくる。テレビの音がして、食事の香りが漏れてくる気がした。安心したらお腹がとてつもなく空いてきた。
「なぁ、春菜」
「なに?」
それでも父はまだ言葉を継いだ。今日の父は普段に比べて随分能弁だなと思う。
「上に立つものは、海宝屋の女将さんのようじゃなきゃいかん」
「うん」
「冷静に広い視野で考えて、いざという時には下げられる頭を持ってなきゃいかん」
その言葉にまた、今日、自分が父の頭を下げさせてしまったことを思い出し、胸がちくりとした。しかし、父は清々しい声でこういった。
「大きくなったら、女将さんのようになれよ」
そこはうちのお母さんではないのかとちょっと思いながら、でも素直に頷いた。
「うん」
すると父はまたぽんぽんと春菜の頭を撫でた。
***
家に帰るとパジャマ姿の光がドライヤー片手に教科書を一枚、一枚、丁寧に乾かしていた。
「しわしわなっちゃったね」
「うん」
弟はイライラとすることなく、淡々とその作業を繰り返していた。
「あんた、怒ってないの?」
「ん?」
すると、顔を上げて姉を見た。
「怒らなきゃ、だめ?」
「……」
弟らしいと思った。弟の手元から目を離し、部屋の隅に置かれたランドセルを見て絶句した。
「これ、傷ついちゃったの?」
「あんな高いところから投げられたらねぇ」
ランドセルに目立つ引っ掻き傷がついていた。その傷を見て胸が痛んだ。
「新しいの、買ってもらいな」
「なんで?」
ガーと温風を教科書に当てながら、きょとんとこちらを見る。
「だって、曙屋の後継がこんなん持ってたら、なんかだめじゃん」
「だめ?」
「だめだよ」
「でも、まだ使えるのに交換するのは可哀想」
その顔に言うべき言葉を思いつかなかった。こういうところも本当に光らしい。
「春菜、ご飯食べちゃいなさい」
母が台所から声をかけてきて、春菜は、弟のそばを離れた。光は結局、その傷ついたランドセルを六年生まで大事に使った。
*1 海苔の歴史 参照 https://www.yamamoto-noriten.co.jp/knowledge/history.php
山本海苔店のホームページを参照させていただきました。




