16
ダリルはディアナの所に週3回行けるようになった。ディアナの所なら大丈夫だろうと、父さんが快諾した。ジェダさん連れだけど。
楽しくて仕方ないのがよく分かった。父親や軍から学んだ戦闘術と違って、警巡隊で取り入れている武術は殺すのが目的じゃないから、素直に勝負が楽しめるそうだ。
しかもディアナとは戦記小説の貸し借りもして、話が合うらしい。そりゃそうだ、ダリルの愛読書『戦場のなんとか』のモデルは、ディアナのお祖父さんだし。国民的英雄だし。よかったですね。でもさ。
「悪いけどこれディアナに渡しといてくれ。次行くの来週だから、それまで待てないだろうし」
ダリルから手渡される『戦場のなんとか』シリーズ。
「ありがとリンデ! 読んでみたかったのこれ! 代わりにこれ渡しといてくれる?」
学校でディアナに本を渡すと、彼女からは国民的英雄の著書。
毎度毎度、本の運搬係にするな。運び賃徴収するぞ。
はっきりいってこの状況、ちーっとも面白くない。あーやだやだ、この魅了の残骸みたいなもやもや!
それはともかくとして。
とある日、学校が終わってから、噴水庭園でクルト君と落ち合うことになった。
『R・サミィ』の店に行くために。
でも……。もし本当に王子がいたらどうしよう。私の中で、王子=恐怖の図式が完成されている。乙女小説を読んでも「この王子様、何を企んで平民の主人公を狙うんだろう……」としか考えられなくなってしまった。
だからニコニコしているクルト君に私は言った。
「クルト君、身ぐるみはがしていい?」
数分後。クルト君はシクシク泣いている。
「そんなに泣かないでよ。よく似合ってるんだし……」
「慰めるんだったらちゃんと慰めてください!」
私はクルト君にこう言った。「危ないかもしれないから変装した方がいいと思うの」と。
そして今こうなった。クルト君は私の女学校の制服。白いハイネックに丈の長いフレアワンピース。少しぴちぴちだけど似合う。そして私はクルト君の訓練生の制服。思った通り、ちょっとだけ大きいけどほぼサイズがピッタリ。
帽子に長い髪の毛を何とか入れて、クルト君にはダリルに買ってやったおさげヒゲをヘアバンドで固定して襟首から垂らした。これでどこから見てもメガネの可愛い女学生。
ホントかわいー。泣いてるとなんかムラッときちゃうー。
「おい! お前ら!」
後ろから怒鳴り声がして振り向くと、うわ。あの縛られ男だ。その顔は真っ赤であり、怒り顔のようで別のものもあった。
「……なんですか、レミュエル。僕をつけてたんですか……」
「うるさい。なんだお前ら、そんな趣味だったのか。お似合いだな、随分」
「リンデさんにフラれたからって、みっともないですよ」
フラれた……あの“あの日から君のことが気になって”の事……だよね。縛られ男はさらに顔を赤くしているが、怒り成分が増したようにしか見えない。
……いや、ホントはちょっと私も、「私なんかがそんな」とか思いながらどこかでちょっとうぬぼれたかったんだけどね。うぬぼれができなかった。なんでしょう、人は気づいちゃいけないものもあるって本能が叫んでいるのよ。
「好きな子をいじめたいなんて小学生ですか。まったく。僕とダリル君に嫉妬して……」
「クルト君、この人そっとしとこう。そうした方がいい」
「こんな所を見て黙っていられるか! リンデ・エンライトン。頼みがある。これをつけろ」
そう言って差し出されたのは、雄々しいヒゲだった。
「君によく似合いそうなのを選んだんだ。俺は……女くさすぎるのはダメだ。かといって男がいいわけじゃない。中間がいい。どっちつかず。少女の顔にヒゲ……男装……。これだ」
あああああ、やっぱり変な人だったー。こんなことだろうと思ったー。
クルト君は半目になって「かかわりたくない」と顔に書いてるけど、当事者の私だってかかわりたくないー。こうなったら。
「……ヒゲつけるけど、私の条件も聞いてほしいな」
「なんだ?」
「この前見た時から私も気になってたの。縛っていい?」
縛られ男はさすがに顔色をなくした。クルト君は私にまで異様なものを見る目を向けた。つらい。つらいけど、これで引くだろう。と思いきや。
「よしいいだろう。存分に縛ってくれ!」
にゃああ。なんで喜びの顔してるのよお。ゾワリと背中が粟立ってるよぅ。
そう、それならやってやるわよ。今日のために一応持ってきたものを鞄から出す。以前の経験を生かしたブツ、捕縛紐だ。
それをグルグルと巻きつけられる縛られ男は気のせいか嬉し気。ひっ。
隣で見ていたクルト君に「手伝ってくれる?」と両手首を出してもらう。その手首に一回り巻きつける。
「へー使い方うまいんですねリンデさん」
「うん。昔父さんから縄術教えてもらったの」
「いいキツさだ……」
「へーそうなんですか。で、これをどうするんですか?」
「うん、これをこうやってこうで、ごらんの通りなの。ごめんねクルト君」
「いいキツさだ……」
「えっ、リンデさん? リンデさん? リンデさ―――ん!?」
街燈の柱にクルト君と縛られ男を捕縛紐で繋いで私はそこから駆けだした。
ごめん、クルト君。あなたを巻き込むわけにはいかない。
待ち合わせたのは、クルト君の制服が目当てだったの。一応変装して行った方がいいかなと思って。女装させたのは、見てみたかっただけなの。ごめん、クルト君。ごめん……。
そのまま『R・サミィ』に向かっていると。
ガッシリ。
右腕を捕まえられた。え? 右を見上げれば、兵士さん。
えーと階級章は一等兵……。そういえば。私にも護衛をつけるとかなんとか父さん言ってたな……。
「リンデ嬢。どちらへ? 報告させていただきますよ」
「え、あの、ちょっと?」
あわあわしているうちに兵士さんに連れられて、父さんの元へ直行。話を聞いた父さんは盛大な溜息をついた。何のことやらわからないうちに、父さんと共に連れられて行った部屋にいたのは……。
「大佐のご子息には多大なご迷惑をおかけしました」
父さんが頭を下げたのは、王子様の所へ向かう時、馬車で一緒だった父さんの上官。
若造にしかみえないオルダス大佐だった。
そして隣にいるのは……縛られ男だった。相変わらず怒っているようで違う気がする顔。
……ご子息? 親子!? はい!?
オルダス大佐はさっきの父さんより大きな溜息を吐いた。
「……もういい。このことは他言しないのであればすべて不問とする」
わ、私、父さんの上官の息子を縛ってたんだ……。父さんの立場悪くしちゃったのか……。
あわてて父さんの隣で頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
「もういいと言ったはずだ。エンライトン、娘を自宅へ連れて帰れ」
「は」
そのまま私は父さんとともに馬車でわが家へ向かった。馬車の中で父さんは無言である。自宅に入ると、父さんに改めて謝った。
「ごめんなさい、父さん。息子だなんて知らなくて……」
「あの親子のことはどうでもいい。むしろよくやったと言ってやる。問題は、お前がどこへ行って何をしようとしてたかだ。もう一人の訓練生から話は聞いた」
「あ……」
……ごまかせるわけがない。
すべて洗いざらい話した。ハガキの事、王子の事。父さんは聞き終えて、怒鳴った。
「昔から父さんは言ってるだろ。変な事に首を突っ込むなと!」
「ごめんなさい……」
「無鉄砲に暴走すればどれだけ周囲に迷惑がかかるか分かって行こうとしたのは何だ! ダリルか!? ダリルの為に動き回るのはやめるんだ!」
黙って反省しようと思ったけど、その部分には反論したくなった。
「ダリルの為じゃない、このままじゃ父さんがまた怪我するかもって思ったのよ! いっつもそうじゃない! 父さんが怪我をしたのはダリルのお父さんを助けるためだったし!」
「お前」
「父さんってバカだよね。自分のせいでダリルからお母さんを奪ったから罪悪感でダリルをなんとかしようと思ってるんじゃないの。また怪我するまで、ううん死んでもダリルを守る気よ。脳筋だから手とか足とか無くなっても気付かないで守ってるのよ。この前みたいに倒れるまで仕事して。また絶対倒れるに決まってる。だからそうならないうちにダリルが普通になれば、父さんは無事でいられるでしょ。父さんがこの先無茶するんなら、私だってまた暴走してやるから!」
反省なしな態度なので、第二弾の怒鳴りが来るかと思ったら、父さんは途端に力を無くした顔になった。何。脳筋がそんなに効いた?
「リンデ……お前な……」
「何よ」
「…………すまんかった……倒れたのはな……倒れたのはな……」
「倒れたのは何?」
「……食い倒れだ……」
「……………………………もっかい言って」
「そろそろ引退の後の事考えてだな。喫茶店かバーでも開こうかと思ってしかしダイナーも捨てがたく、様々な店を研究目的で歩き回ってだな。あの日は本当は休みでな。ちょっと食いすぎてな。見事にあたってな。父さんは外は百戦錬磨だが中はファンシーでな。峠は越したんだが気持ち悪いのが嫌で、本当はよくないんだが麻酔を軽くちょっと」
「さいっっっってい!!! バカ父さん!!!」
あったま来た! 一生懸命仕事してると思って心配したのに! もうホント知らない!
玄関に向かったところで、戸口にダリルとジェダさんが突っ立っているのに、初めて気づいた。どこから聞いてたんだ。あとジェダさんよくも嘘八百を。
「どいて。出かけるの」
「はい」
気迫勝ちなのか二人は素直に道を開けた。
頭にきたままずんずん歩いて、無意識にレイシーの墓に来ていた。
レイシーみたいにいなくなったらどうしようとか心配して損した。
母さんがいなくなって、レイシーがいなくなって、次に父さんがいなくなったら、って考えたら怖くなるなんて、子供すぎる。だけど怖いものは怖い。だから本当は父さんが何でもなかったから、ホッとしたんだろう。 意味分からない涙が出て来た。よかったよかったの涙かな。子供みたいに泣いて、泣きつかれて、レイシーの墓に寄りかかって寝てしまった……らしい。
気が付くと、ダリルの背中にいた。
「ッ!!」
「起きたか。すげー神経だな。夕暮れに墓場で居眠りって」
そういえばクルト君の制服のままだったので、スカートじゃない私はダリルに背負われていた。多分はなれたところにジェダさんもいるんだろう。
「……なんでダリルが」
「義父さんは魂抜けてるし。これでも一応心配して探しにきたんだけどな」
「……それはどうもありがとう」
「義父さんも色々あるんじゃないのか? 許してやれば?」
「父さんのことなんかもう知らない。好きにすればいいんだわ。てか色々って何? ダリルは色々知ってるの?」
「まあ。たまに手伝いもするし」
「……父さんはダリルがいれば事足りてるみたいね。私の心配は必要ないようだし」
「…………あー。もしかして、俺は嫉妬されてる?」
「気持ち悪いこと言わないでよっ。何その私が『大好きなパパ取らないで』みたいなの!」
「え、だってどう聞いてもなぁ……」
「そういうんじゃないの! って何笑ってるのよ!?」
肩揺れてるんだけど! こっちが怒れば怒る程笑ってない!? なんかしゃくにさわるなあ!
「あれだよ。微笑ましいなーって。それにこういう三角関係初めてで感動というか」
「三角関係とか言わないでよ、気持ち悪いってば。大体なんで感動するの!?」
「矢印が俺に向いてなくて感動。嫉妬を受けて感動」
ズレてる。相変わらずズレまくってる。何だか色々気が抜けた。……その言い方、家族ぐるみで狙われたりしたことがあったんだろうか。ひえ……。
「でも、義父さんは俺をレイシーの身代わりにしてるだけだし。だから嫉妬しなくても」
「なんか一歩引いてるよね、ダリル。父さんあんなにかわいがってるのにかわいそ」
「そうか? 身代わりじゃなく本当の息子になったら、レイシーに悪い気がするからさ。場所盗ったみたいで」
……そんな気遣いをレイシーにしてるんだ。びっくりした。
「レイシーはあの流行病で亡くなったんだろ。俺も罹ったのに、もう助からないと思ったら生き延びた。薬も飲んでないのに」
「……うそ。男の人は一度罹ったら特効薬ない限り助からなかったのに」
「この体、不思議だらけってお前言ったけど、本当にそうだよ。病まで治した。……自分で言うのもなんだけど、神様に色々ヒイキされてると思う。だから助かった俺が、苦しんで死んだレイシーの場所にいるのが悪い気がしてさ」
自然とダリルにしがみついてる腕に力が入った。なんていうか。嬉しいのかな。レイシーを想ってくれてるのが。ダリルがそういう人間だって分かったことが。
「……あのね。2年前ね。あの時私も病に罹ったんだけど、特効薬がなかなか手に入らなかったじゃない。新しい病だから、うちの国には特効薬がなかったし」
「マレヴィルにもなかったもんな」
「でしょ。父さん、どうにか特効薬を手に入れたんだけど、一つだけだったの。父さんはレイシーと私のどちらかを選ばなきゃならなかった。その時は私の方が苦しがってた」
「……」
「結果、私は助かって、レイシーは助からなかった。その後だったな。男の方に致死率が集中してる病気だって公表されたの。女の人は殆ど助かってた。つまり父さんと私二人で特効薬を無駄にしたの。で、自分たちのせいでレイシーが助からなかったのを免除してもらってる気分になりたくて、代わりに誰か助けなきゃって思い込んで、喜んでダリルを引き取ったの。だからそんな事気にしないでいいよ。悪い気しなきゃならないのは私たちの方。レイシーが怒るの、私と父さんにだから。大体レイシーは何にもしないよ。墓から這い出て玄関のドア叩いて『入れて』っていう事もないし」
「……お前、意外と辛辣だな」
「だってずっとそうなるの望んでるのに、レイシーは来てくれないし。そのうちダリルに腹を立てるとか私と父さんを恨んで悪霊になっててもいいから帰って来てほしいのにさ。子供みたいでバカだろうけど、今だって本気でそう思ってる」
死人は夜起きるっていうから夜中にこっそり墓場に来たこともあった。玄関の扉を開けておいて父さんに叱られたりもした。でもレイシーの墓は動きもしない。腐っても骨でもいいから、どんな形でもいいから帰ってこないだろうか。なんでもいい、殺してくれてもいいから。2年以上経ったのに、まだそんな事を思っている。
「……大体、ダリルは身代わりになれないのよ。ダリルがいたって、やっぱり、レイシーに、会いたいんだし」
「そんなに会いたいのか」
「会いたい、よ」
あ、鼻声だ。ヤバい。また泣きそうだ。鼻がツンとしてる。するとダリルが「明日衣替えだなそういえば」と言う。そんなこと言われると、ほらやっぱり、涙鼻水が滝のように、ダリルの肩に。
「そんな、気遣いなんがずるがら、止まんだいじゃだいのよ~」
「はいはい。ほら泣け泣け。レイシーは会えなくても義父さんいるだろ」
「……うん」
「一応俺もいることだし」
「……うん。誰もレイシーみたいにいなくならないよね」
「大丈夫だって」
「うん」
なんかあやされてる赤ちゃん状態だなこれ。なさけない。でも背負われてる振動のおかげなのか、ダリルの背中だからなのか、すごく甘えたくなる。
しばらくするとダリルはつぶやく。
「あのさ。前言撤回。身代わりじゃない方がいい」
「……?」
「身代わりにはそんな風に泣いてくれなそうだから」
「? よく分からない」
「どう言えばいいんだろうな。あ、『あいつじゃなく俺の為に泣いてほしい』?」
それ私の小説にあった台詞だ。思わず吹き出してしまった。ダリルの甘い声で聞くとかえってくさいよ。でも慰めとしては効果あったよ。
「笑う台詞だったのかこれ。意外と奥が深いな、乙女小説も」
「こういう時はお姫様だっこすればいいと思うよ」
どさくさに紛れて乙女の憧れを実現すべく言ってみたが、「ダメ」と即返答。
「女の人は横抱きより背負う方がいいってリオ先輩が言ってた」
「? そうなの? なんで?」
「背負ってみればわかるって言ってたけど何のことだか。なんか体によさそうか?」
「別に何も…………!!!」
リオさんの言った意味が分かって私は瞬時に、背中にしがみついていた体を起こして背筋をピンと伸ばした。あいつー! 無害を気取ったエロ太郎ー!! 女の為になるんじゃなくて男の為になる話じゃないのよ!
「? おい、ちゃんとしがみついてないと落ちるだろ」
出来るかっ。ていうかダリルは何でピンとこないワケ? あ、こないってことは感覚が無か……いやもう! 泣く!
「も、もう大丈夫だからおろして。おろして下さいお願いします!」
「?? 変な奴だな」
背中から急いで降りて、もうすぐそこは家という時、花火が上がった。あ、そういえば建国祝祭、明日だったっけ。
パレードの音がかすかに聞こえる。
見に行けないんだもんね、ダリルは。管区から出られないし。でも音の方向をじっと見ているのは、見に行きたいんだろうな。
「帰るよ、ダリル。……屋根裏から花火いっぱい見れるよ。綺麗なんだから」
そう言って手を引っぱると、仮面の義弟はこちらに顔を向けて、「義父さんも誘ってやれよ」と笑い声で言い、一緒に玄関へ入った。