【20話】別れ
俺は死ぬ……。
もう、運命を受け入れるしかなかった。
大多和を倒せた。それだけで十分だ。
そう自分に言い聞かせ、静かに目を閉じようとした、そのときだった。
足音が聞こえた。
ゆっくりと近づいてくるその人物は、俺のすぐそばで立ち止まった。
「だから……使いたくなかったのよ……」
中西だった。
その表情には、いつもの冷静さがなかった。
俺は彼女を責めるつもりなんてない。実際、あの奥義がなければ、大多和を倒すことはできなかっただろう。俺たちが生き残るためには、あれしかなかったのだ。
「……別に、お前を責めるつもりはないさ」
声を出すのもつらかったが、どうにかそう伝えた。
しかし、中西は首を横に振った。
「違うのよ……そういうことじゃないの」
そして、少し間を置いてから口を開いた。
「この技を使えば……どちらかが死ぬ」
「……は?」
思わず聞き返してしまった。
どちらかが死ぬ?
どういう意味だ?
攻撃を受けたのは俺だ。中西ではない。それなのに、なぜ中西まで死ぬ可能性があるんだ?
疲れ切った頭を必死に動かし、俺は考えた。
まさか、絶剣の奥義には、俺の知らない恐ろしい仕組みがあるのか?
だが、いくら考えても答えは出ない。
そんな俺を見て、中西はふっと笑った。
それは、これまで戦いの中で見せてきた余裕の笑みとは違っていた。どこか懐かしむような、そして悲しそうな笑みだった。
「私ね……あなたに感謝しているのよ」
「……何の話だ?」
「ずっと前から、感謝していたの」
中西は空を見上げた。まるで、遠い過去を思い出しているかのようだった。
「私にはね、世界で一番大切なものがあるの」
「……大切なもの?」
「ええ。中西由紀。私の妹よ」
「…………妹?」
なぜ今、そんな話をするんだ?
大多和を倒したばかりだというのに。それに、俺と中西の妹に何の関係がある?
疑問ばかりが頭を巡る。
だが、中西は俺の困惑などお構いなしに話を続けた。
「二年前のあの日……私は妹と喧嘩したの」
その声は、少しずつ小さくなっていった。
「本当に些細なことだったわ。今思えば、どうしてあんなことで喧嘩したのかもわからない。でも、当時の私は意地を張ってしまった」
中西は拳をぎゅっと握りしめた。
「そして、由紀は家を飛び出していったの……」
……妹。
二年前。
家を飛び出した少女。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、ある光景が浮かび上がった。
「……まさか」
心臓が大きく跳ねる。
もう体は動かないはずなのに、胸の奥だけが妙にざわついていた。
中西は俺の顔を見て、静かに頷いた。
「やっと思い出した?」
そして、彼女は告げた。
「そう。あのあと、由紀は信号に気づかず、交差点に飛び出したのよ……」
「……っ!」
俺はハッと息を呑んだ。
思い出した。
あれは、今から約二年前のことだ。
ゲームセンターからの帰り道、俺は交差点で信号が変わるのを待っていた。
そのときだった。
赤信号にもかかわらず、俺の横から一人の少女が飛び出していった。その先には、大型トラックが迫っていた。
運転手が気づいているのかどうかもわからない。少女も、迫りくるトラックに気づいていないようだった。
考えるより先に、体が動いていた。
「危ない!!」
俺は少女を突き飛ばし、その場から遠ざけた。
次の瞬間、トラックが目の前を通り過ぎる。
幸い、トラックは間一髪で停止した。少女も無事だった。
……正直に言えば、俺はそのとき、こんなことを考えていた。
もしかして、俺が飛び出す必要なんてなかったんじゃないか、と。
トラックは止まったのだから、俺が余計なことをしただけだったのかもしれない。
そんなふうに思っていた。
けれど、まさか……。
「あの少女……中西の妹だったのか」
ようやく、すべてがつながった。
あの日、俺が助けた少女。それが、中西由紀だったのだ。
中西は静かに頷いた。
「あなたがいなかったら、由紀はどうなっていたかわからない。あの日からずっと、いつかあなたにお礼を言いたいと思っていたの」
「……そうだったのか」
俺は小さく息を吐いた。
まさか、こんなところであの日の出来事につながるとは思いもしなかった。
だが、だからこそ疑問が深まる。
なぜ、今になってその話をするんだ?
俺はもう助からない。それなら、最後に恩人へ感謝を伝えたかったということなのだろうか。
「……俺が死ぬ前に、感謝でも伝えたかったのか?」
皮肉を込めて言うと、中西は即座に首を横に振った。
「違うわ」
彼女はまっすぐに俺を見つめた。そして、はっきりと言い切った。
「死ぬのは……私よ。恩人を殺すわけないじゃない」
なぜ……。
なぜ、中西が死ぬことになるんだ。
俺を助けるため?
そんな理由で、こいつが死ななければならないのか?
「……実はね、この奥義は……」
中西は気まずそうに目を伏せた。そして、ゆっくりと口を開く。
「私が死ねば、なかったことになるの。奥義そのものが解除されて、与えたダメージも発動しなくなる」
「なっ……!」
俺は絶句した。
つまり、中西が死ねば、俺に仕掛けられた時差ダメージも消える。
俺は助かる。
だが、その代わりに……中西が死ぬ。
「おい、ふざけるなよ……!」
声を張り上げようとしたが、体は動かない。【畜撃】を使い切った俺には、指一本動かす力すら残っていなかった。
「他に方法があるだろ……? なあ、そうだろ!?」
中西は答えなかった。
ただ、俺の顔を見つめていた。その瞳には、もう迷いがなかった。
「……時間はもうないの」
そう言うと、中西は静かに目を閉じた。
次の瞬間、彼女の体を淡い光が包み始める。
「待て……待ってくれ!」
俺は必死に声を絞り出した。
「まだ何か方法があるはずだ! 俺が死ねばいいだけだろ! お前が犠牲になる必要なんてない!」
「……ごめんね」
中西は小さく呟いた。
「でも、私はあなたに生きていてほしいの」
「やめろ……! 頼む、待ってくれ……!」
どれだけ叫んでも、体は動かない。手を伸ばすことすらできない。
俺はただ、中西の姿を見ていることしかできなかった。
「そうだ……」
中西は、ふと思い出したように顔を上げた。
「もし、私の親友の中村さんに会ったら、伝えてほしいことがあるの」
「……そんな話は後でいい! 自分で伝えろよ!」
「私は委員長としての役割を果たしたよ、って」
中西は少しだけ笑った。
「きっと、あの子ならわかってくれるから」
「中西……!」
頼むから、やめてくれ。
もう、誰かが死ぬところなんて見たくない。
せっかく大多和を倒したんだ。俺たちは、ようやく生き残るための一歩を踏み出せたはずだろ。
なのに、どうして。
どうしてお前が犠牲にならなきゃいけないんだよ……!
「やめろ! 頼む、待ってくれ……!」
俺の声が、森の中に響き渡る。
それでも、中西は止まらなかった。
彼女を包む光は、少しずつ強くなっていく。
そして、最後に俺を見つめた。
「正弘」
「……っ」
「あなたは絶対に、生き延びて」
中西は笑った。
これまで見た中で、一番優しい笑顔だった。
「ありがとう」




