20.真夜中の攻防
結局あれから、ルーチェットの町を端から端まで歩き回ることになった。レミュエルが調査した、珍しい植物が生えている個所を順に回ったのだ。
そういった個所の中には、もう誰も住んでいない廃屋の庭もあったし、貧しい人たちが暮らす区画の裏手の森なんて場所もあった。でももめごとひとつ起きることなく、私たちは町歩きを楽しむことができた。
栄えている町の割に、いろいろ面白いものが生えていた。というより、それらをひとつひとつ目を輝かせて解説しているレミュエルの姿が面白かった。
たっぷり歩いて、またガイアス商店に戻ってくる。私たちがどこで何をしてきたのか知ったファリアはちょっぴりあきれつつ、「これはこれで、似た者同士って言えなくもないのかな……?」などとつぶやいていた。
いつものように夕食をとって、客室に戻る。たっぷり歩いたからか、あっという間に眠りに落ちた。
そして真夜中ごろ、ハンナの叫び声で目を覚ました。
「えっ、何!?」
寝間着姿のまま廊下に飛び出したら、様子を見に来たらしいレミュエルと行き合った。薄着だったからか彼は一瞬目を丸くしていたけれど、すぐに目をそむけて言った。
「君は、部屋で待機していろ。外で騒ぎがあったようだから、じきに衛兵が駆けつけてくる。そのうち、何が起こったか分かるだろう」
「でも、ハンナがあんなに警戒してるのよ。早く、そばにいってあげないと」
そんなことを話している間も、外からはぶもーぶもーというハンナの声がし続けている。
「駄目だ。危険だ」
そう言って彼は、私の腕をしっかりとつかんでしまった。振りほどこうにも、力が強すぎてびくともしない。
「ちょっと、放して!」
「駄目なものは駄目だ。絶対に、外に出るな」
押し問答をしていたら、廊下の曲がり角からファリアがひょっこりと姿を現した。
「外の騒ぎの原因、分かったよ。……わあ、色っぽいね」
「ファリア!」
レミュエルと取っ組み合いをしている間にちょっとだけ着崩れた私を見て、ファリアが茶化してくる。レミュエルはろうそくのほのかな明かりでも分かるくらいに真っ赤になって、声を張り上げた。
「ごめんごめん。それで、騒ぎの原因なんだけど」
「もったいをつけるな」
「見世物小屋の白い獅子が脱走したんだって。ベリンダさんは裏庭にいるハンナちゃんのことを心配しているようだけど、門を閉めたからあそこまで獅子は入れないよ」
「それなら……いいのだけれど」
私が抵抗しなくなったからか、レミュエルがようやっと手を放してくれた。
「逃げた、獅子……」
話し込んでいるふたりを見ながら、昼間のことを思い出す。
あの獅子は、人に捕らわれていることにうんざりしていた。自由を求めている顔だった。それが逃げ出したとなると、今までの意趣返しとばかりに暴れてしまうかも……。
「待つんだ、ベリンダ!」
考えるより先に、足が動いていた。レミュエルの悲鳴のような声を背中で聞きながら、全力で走り出していた。
ガイアス商店を飛び出して、町中を走りながら笛を吹く。獅子が逃げ出したとの知らせが出ているからか、通りに人の気配はなかった。
集まってきたコウモリたちに、偵察をお願いした。白い獅子に会いたいから、居場所を教えて、と。
そうかからずに、コウモリたちが道案内を始めてくれた。いつでも吹けるよう笛を手にして、どんどん走る。
小さな広場に、それはいた。すっかり気が立ってしまっているらしい獅子は、毛を逆立てて私を見すえている。
ぐるるるるる……。
「あなたが怒るのは当然よ。でもここで暴れたら、あなたは退治されてしまう」
優しく呼びかけたら、獅子がぴたりと動きを止めた。
「でもあの見世物小屋には、戻りたくないのよね。だったら、私と一緒にこない?」
正直、この獅子を引き取ってどうするかについてはまったく考えていなかった。ただ、この子を見世物小屋に返したくはなかったし、退治されるのはもっと嫌だった。だったら、私がなんとかしてやるほかない。
「ベリンダ!」
そうしていたら、背後からレミュエルの声がした。まるで悲鳴のようなその声に続いて、彼の大きな体が私と獅子との間に割り込んでくる。
「レミュエル、大丈夫だから。あと少しで、説得できそうだから」
「説得!? 暴れる獅子をか!? いくらなんでも、無理だ!!」
こうなったら、笛を使うしかないだろう。覚悟を決めて、笛を口にくわえる。
ふっと息を吹き込んだのと同時に、獅子がこちらに歩き出していた。そうして、私の手に頭をすりよせてきた。
「ほら、大丈夫だったでしょう」
「……寿命が……縮んだかと、思った……」
すっかり大きな猫のようになってしまった獅子を見ながら、レミュエルが呆然とつぶやいた。しかしすぐに我に返ると、私の手を引いて走り出す。
「ひとまず、ガイアス商店に戻るぞ! 獅子を保護したというのなら、それなりの体裁を整えないと!」
衛兵に見つからないように、来た道を戻る。獅子はおとなしく、私たちのあとをついてきていた。
レミュエルはそのまま、獅子を裏庭に連れていくと、奥まった一角に向かっていく。野の獣などを捕らえておくための檻が、そこにあるのだ。もっとも、めったなことでは使われないけれど。
ぐるるる……。
「ごめんなさいね、ちょっとだけここでおとなしくしていてもらえるかしら?」
獅子をなだめて檻に入ってもらったところで、衛兵たちがばたばたと駆けつけてきた。
「こちらのほうに獅子が駆け込んだと、そういう知らせが……」
「それならもう、こちらで捕らえてある。心配は無用だ」
きっぱりと言い放つレミュエルの後ろで、檻に手を突っ込んで獅子をなでてやる。衛兵たちの表情が、驚きから恐怖へと変わっていった。
「その、でしたら、元の持ち主に引き渡してもらえると……」
彼らの言葉に答えたのは、当の獅子だった。鼻にたっぷりとしわを刻んで、ぐるるるると獰猛なうなり声をあげている。
「……戻りたくないようだな」
「そ、そのようですね」
「見世物小屋の主に、連絡してくれないか。この獅子を、ガイアス商店で買い取ると」
「分かりました!」
すっかりおびえてしまった衛兵たちは、逃げるような勢いで駆け去っていく。
「……ええと、買い取りって……また迷惑をかけてしまった気がするのだけれど……」
その背中を見送りながらつぶやくと、レミュエルはおかしそうに答えた。
「俺としても、不遇の目にあっている獣を救えたことは嬉しい。気にするな」
次の日、あっさりと獅子の譲渡は成立した。いくらで売り買いされたのかについては、レミュエルもファリアも教えてはくれなかった。
ちなみに、あの獅子は見世物小屋で大暴れしたらしく、他の獣たちも散り散りに逃げてしまっていたらしい。みんな無事に、住むところを見つけられるといいのだけれど。
そんなこんなでものすごい損害を被っていたということもあって、見世物小屋の主は素直に獅子の売買に応じた……のだとか。とにかく緊急でお金が欲しいといった状況だったらしい。
ともかく、獅子は自由を手に入れた。そして結局、ガイアス商店の裏庭で過ごしている。なぜかハンナと意気投合したらしく、二頭一緒になってくつろいでいた。牛と獅子……聞いたことのない組み合わせだわ……。
誰かが近づく気配がしたら、獅子は自主的に檻に戻っていく。そして人がいなくなると、また檻から出てくるのだ。賢い。ただ、私やレミュエルたちだけのときは、檻の外でのんびりしている。
いろいろあったけれど、めでたしめでたしだ。満足していたら、レミュエルが言い出しにくそうに声をかけてきた。
「ベリンダ、その、君の笛なんだが……」
獅子を手なずけるときに、笛を使うところを見られている。おそらく彼は、ずっとそれが気になっていたのだろう。
さすがに、もう隠しておくのも限界だろう。それに彼になら、話してもいい。
「そうね、説明するから、どこかふたりきりになれる場所に移動しない?」
「だったら、俺の部屋でいいだろうか」
ふたりで彼の部屋に移動し、入り口の扉にしっかりと鍵をかける。それから彼に向き直って、一気に言った。
「あの笛、ガートルード母さんの形見なの。吹くと、獣を呼んだり手なずけたりできるの。人に見せてはいけないって、母さんは言い残してたけど、あのときは緊急事態だったから。できれば、気にしないでもらえると嬉しいわ」
明るい調子でそう話したものの、レミュエルの表情はやけに深刻だった。
「ちらりと見えたんだが、あの笛には紋様のようなものが彫られていなかったか?」
「あの暗い中、よく見えたわね。そうね。あなたになら、きちんと見せてもいいかな」
胸元から笛を引っ張り出し、手に載せて彼の目の前に差し出す。
「これ、は……」
レミュエルは大きく目を見張り、じっと笛を見つめている。食い入るような視線が、どうにも落ち着かない。
「ねえ、この笛がどうかしたの?」
しかし彼はその問いに答えることなく、視線をそらして話し始めた。
「ガイアス商店は、表の店で売っているような手ごろな商品だけではなく、もっと高級な品も取り扱っている。貴族相手の取引だ」
なんのことやらと思いつつ、ひとまずふんふんとうなずいておく。
「そんなこともあって、俺たちは貴族の紋章にも詳しいんだ」
「へえ、そうなのね」
「そして……この笛に刻まれているのは、王家の紋章だ」




