16.ふたり、水入らず
その日はレミュエルの家に泊まらせてもらって、旅の疲れをゆっくりと癒した。……今までの人生で一番、ふかふかのベッドだった。
レミュエルたち一家と一緒にとびきりおいしい朝食を食べながら、小声でぼやく。
「何から何まであなたにお世話になりっぱなしで、ちょっと心苦しいのだけれど……何か、私にできることはない?」
「気にするな。見てのとおり、ガイアスの家は裕福だ。君がずっと滞在していても、少しも困りはしない」
レミュエルはくつろいだ様子で、明るく笑っている。
「それは、まあ……そうできるのなら、とてもありがたいけれど……」
すると横合いから、ファリアが口をはさんだ。
「僕からも頼むよ。どうかしばらく、ここにいてくれないかな? そうすれば兄さんも、ここに残ってくれるからさ」
「そうね。レミュエルったら、最近はずっと家を空けっぱなしで。さすがにちょっと寂しいのよね」
「好きにしていいとは言ったが、さすがにこうも戻ってこないとは思わなかったんだ」
しかもそこに、ガイアス夫妻までもが加わってきた。全員が、私とレミュエルを交互に見ている。
「……旅に出っぱなしで、やっぱりご家族、心配してるんじゃない……」
「そのようだな。自覚していなかったが」
レミュエルが決まり悪そうに頭をかくと、ファリアが大げさに身をよじってみせた。
「兄さんって、薄情だね……僕たち、兄さんのことをいつも気にかけてるのに」
「ファリア、さすがに演技が過ぎるぞ」
「えー、本音だよ。せっかくだから、兄さんもゆっくりしていってね。あ、そういえば香水の在庫が少なくなってるんだ。それに、薬草のお茶も。ついでに、作りだめよろしく」
「まったく、お前は相変わらず、ちゃっかりしているな……」
あきれつつも、レミュエルは楽しそうだった。二人を見ているガイアス夫妻も、とても楽しそうだ。
村に残してきた弟妹たち、どうしているかな。私がいなくなって、寂しくて泣いていないかな。ふと、胸が苦しくなる。けれど頑張って、静かな笑みを保っていた。
食後、私はレミュエルの作業を手伝うことになった。何もせずお世話になるのはさすがに心苦しいので、手伝えることがあるのはありがたい。
レミュエルに連れられて足を踏み入れた部屋で、思わず立ちすくむ。この家に来てから、驚かされるのはこれで何度目だろう。
「……またしても、すごい部屋ね……」
「俺専用の倉庫だ。旅に出ている間は、ファリアが定期的に窓を開けて風を通してくれている」
正面には窓がひとつ、部屋の真ん中には質素な木の机と椅子がひとつずつ。机の上には、なんだかよく分からない道具がごちゃごちゃと並べられていた。
そこまでは、まあいい。問題は、部屋の左右の壁だった。
天井にぴったりとくっつくほどに大きな木の棚が、両側の壁に置かれている。というより、はめ込まれている。
そして棚には、ガラス瓶やら布袋やら木箱やらが、みっしりと詰め込まれていた。よく見ると、それぞれに小さな札がついている。
辺りに漂う猛烈な薬草くささといい、こちらを圧倒するような棚といい、どうにも異様な場所だった。ただ、ここがレミュエルの場所なんだなということは、説明されるより前に理解できた。匂いで。
「まずは、旅の間に集めた薬草をしまっておきたい。ずっと荷物の中に入れたままでは、傷んでしまうからな」
レミュエルは机の上に荷物を置くと、てきぱきと中身を机の上に広げていった。……旅の間彼が背負っていたカバン、そこまで大きなものでもなかったけれど……次々、薬草の束が出てくる出てくる……どうやって収納していたのだろう。
「俺が薬草の名前を読み上げていくから、同じ名前の名札がついた瓶や箱を取ってきてくれ」
「ええ、任せて」
といっても、とにかく瓶も箱も数が多い。最初のうちは、ただひたすらにきょろきょろとするはめになっていた。レミュエルが微笑みながら、助け舟を出してくれてはいたけれど。
けれどしばらくばたばたしているうちに、気がついた。一見無秩序な棚の中身は、よくよく見ると一定の法則のもとにきっちりと並べられていたのだ。レミュエルって結構几帳面だとは思っていたけれど、ここまでとは。
その発見のおかげで、どんどん作業の速度が上がっていく。気がつけば、私は室内をぱたぱたとせわしなく走り回っていた。
やがて、机の上の荷物はすっかり片付いていた。レミュエルが満足そうに笑う。
「これで、全てしまい終えたな。思ったよりずっと早く終わった。君のおかげだ、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
「では、次は調合に取りかかる。同じように薬草の名前を読み上げていくから、対応するものを持ってきてくれ」
休憩もなく次の作業なの、と不満を漏らしそうになって、すんでのところで踏みとどまった。だって、レミュエルは早く次の作業に取りかかりたくてたまらないのだと、そう言わんばかりの表情で目を輝かせていたから。
これ、おやつの骨が欲しくてお座りしているときの犬たちと同じ表情だわ。彼は黒いオオカミの姿も持っているのだし、あながち間違ってはいないのかもしれない。
ともかく、また彼の指示に従い、部屋の中を駆けずり回った。
彼は彼で、机の上に図鑑のようなものを広げ、小声でぶつぶつつぶやきながら、謎の器の中にぽいぽいといろんなものを放り込んでいる。
様々な薬草、干したキノコ、何かの実……だいたい、そういったものだ。
ひととおり放り込んでから、彼は熱心に、車輪のついた棒のようなものでそれらをすりつぶし始めた。なんともいえない、奇妙な臭いがする。何かの薬?
どうにも気になって、尋ねてみた。
「それ、何になるの?」
「今作っているのは、特殊な香だ。その煙を吸った者に、様々な影響を与える。薬や毒を盛るのと似ているが、こちらのほうがより簡単なんだ」
ふと、ぴんときた。声をひそめて、さらに尋ねかける。
「もしかして、いつぞやの領主を眠らせたのも、そういったお香?」
「ああ。ガイアスの名を出して領主に近づいたとはいえ、さすがに飲食物に一服盛るのは難しかったからな。それに効果が弱い分、早く目覚めるからちょうどいい」
ちょっぴりおかしそうに笑って、レミュエルがひそひそとささやきかける。
「頼むから、これらの香の存在は内緒にしておいてくれ。さすがにこういった香は、売りには出せないからな」
「そうね。身を守るために持っておくのはありかもしれないけれど、広く出回ったりしたらと思うと……かなり、怖いわね」
「だから、持ち歩くのも使うのも俺だけだ。家族にも、これは触らせない。要するに、趣味の品とも言うが」
趣味の品にしては、どうにも物騒だ。でもある意味、変わり者の彼らしくもある。
「植物やらキノコやらについて考えているときのあなた、とても楽しそうだし、趣味の品っていうのも分かる気がするわ」
そうこうしている間にも、彼は器の中にたまった粉末に、さらに別の粉末を加えている。
「ねえねえ、今加えたのは何?」
我ながら子どものようだなと思いつつ、気になってしまってさらに尋ねかける。彼は楽しげに笑いながら、すぐに答えてくれた。
「木の皮の粉末だ。水で練ると粘り気が出るから、まとめて形を作って乾かせば完成だ。やってみるか?」
彼がさらりと言った内容に、ちょっと身構えてしまう。
「いいの? この粉、危ないものなのでしょう?」
「触ったあと、よく手を洗えば大丈夫だ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
わくわくしながら、器の中身に手を伸ばす。その辺に転がっていた木箱に腰を下ろして、作業に取りかかった。
器の中の粉末は、今ではパン生地のようなもっちりした塊になっていた。それを小さくちぎって、こねていく。小指よりもうひと回り小さな角のような形にして、彼が用意した木の板の上に並べていった。
「……これ、案外楽しいわね。できあがるものが何なのか、考えなければだけど」
「確かにな」
自然と無口になりながら、ふたりでせっせと香を練り上げていく。しばらくして、レミュエルがぽつりとつぶやいた。
「前から思っていたのだが、君は優秀だな。こんなに作業がはかどったのは、初めてだ」
「そ、そう? 読み書きは習ってるし、雨の日はのんびり読書をするのが好きだし、こう見えて裁縫は得意だけど……特に、優秀だって思ったことはないわ」
突然褒められたことにとまどってしまって、あわてて首を横に振る。ちょっと頬が熱い。
「いや、確かに君は優秀だ。素質を磨けば、さらに伸びると思う」
しかし彼は、さらに熱心に賞賛の言葉をぶつけてきた。やだもう、恥ずかしい。
「どうせなら、もっと高度な事柄について学んでみないか? 時間はあるし、俺が教えてやれる」
さらに、そんなことまで言い出した。ずいぶんと、高く買ってもらったものだ。
「あ、おせっかいだったなら、すまない」
ひとしきり褒め倒したあと、レミュエルはふと我に返ったように口ごもった。
「いいえ、こんなに褒めてもらったのって子どものとき以来で、ちょっと面食らったけど……あなたが教えてくれるのなら、勉強もいいかも」
「そうか! だったら、この香を作り終えたら、俺の部屋に行こう」
「そうね。楽しみにしているわ」
未婚の、年頃の男性が、同じく未婚の女性を自室に誘ってふたりっきりになる。私の故郷の村では、求婚とほぼ同じくらいの意味があるのだけど……たぶん、この辺では違うのだろうな。レミュエルはいたって自然体だし。
ちょっぴりそわそわするのを隠しながら、あくまでも礼儀正しく微笑んでいた。




