第31話 デート七回目(さよならも言えずに)
車の外に出ると、海の匂いが強く香った。
冷たい風に包まれ、目が覚めるのでちょうどいいと思う。
「健太郎君、寒くない? 風邪、ぶり返しちゃうから、やっぱり私のコート着てよ」
身長が150cmと答えた彼女の上着を、180cmの俺が着れませんと断る。
「恥ずかしいかもだけど、これを肩に巻いておくだけでも」
小さなひざかけを渡され、言うとおりにする。
ほっとした顔に、良かったと思う。
ひとり車のなか、ほとんど眠れなかった俺を起こした彼女。
とても緊張した顔をしていた。
「じゃあ、探そうか、永遠に八時に止まった時計台」
小さな港に泊まる、数個の漁船たち。
まだ日が昇らない、早朝の薄暗いなかで探す。
「ありました」と伝えると、隣に立った彼女が見上げる。
ひとつだけ、先端に竿をつけた船。
竿には旗がつけられていて、白い生地に黒だけで描かれている。
「この船を持つひとのお父さんが、海でいなくなって、みつかったとき壊れてた腕時計が八時で止まってたから、この旗の模様にしたんだって」
そう、彼女の説明がなければ分からなかっただろう。
短い線と長い線だけで、八時を描いた旗の意味が。
「海で居なくならない為、戒めの為にその旗にしたんだって、宇佐美さんが教えてくれた」
「……こういう旗って、いつも付けてませんよね」
「普通は大漁だったときにつけて帰るものだからね、この船の持ち主さんは、お父さんの命日と、あとはお客さんを乗せるときの目印に。大漁旗だと目立ちすぎるから、ちょうどいいんだって」
「……ここから、ひとを、フェリー乗り場まで送るのって」
「家族とか親類までなら黙認されてるんだって、でも、お金を払って頼んでは公には出来ないことだろうね」
「そうでしょう」と、彼女は振り返る。
「神社の村長さんに頼んで、この二ヶ月、近くの島に隠れてたんでしょ」
俺は、なぜかうしろ向けず、彼女の初めての声を聞く。
「飛行機だと空港で見つかるかもしれない、だから、船で海外に行こうとしてたんだよね」
ざっざっと、こちらに近づく足音にも、俺は後ろを向かない。
「会社の粉飾決算の証拠、私が持ってたの、あなたにまとめて渡したのは偽物」
ぱんっと、乾いた音がして、俺はやっと振り返り。
同時に、眩しい光に照らされる。
「ごめんなさい、私への、信頼を裏切って」
彼女の小さな声のあと、たくさんの足音が聞こえ。
「健太郎、見ちゃダメだ」
閉じてしまっていた両目を開くと、おじさんが目の前に立っていた。
「どうして」ともらすと、肩をもたれて、歩かされる。
「うしろを向いてはいけない、一条さん、見られたくないと思うから」
おじさんの言うとおりにし、騒ぎから離れ、駐車場に着いた。
「安心しなさい、健太郎は、これから戻って学校に行けばいいだけだから」
おじさんの車に乗ると言われ、俺は、ちらりと見てしまったことを聞く。
「……警察、だったよね」
「とりあえず、行こうか」と、おじさんは車を発車させる。
「健太郎は、一条さんに、ここまでの道案内を頼まれた、それを俺は知っていた。健太郎は、一条さんから、彼女がここに来た理由を何も聞いてない。お父さんたちには、僕が不在のときに僕の家に一条さんが頼みに来て、健太郎は親切心でついて行ったってことにしておこう」
おじさんの言葉を頭でくり返してから、言った。
「……桃子さん、もしかして、俺のせいで……」
「未成年の誘拐は、被害者が告訴する親告罪だから、お父さんたちが訴えなければ大丈夫」
言葉に、頭がぐらぐらする。
「……待って、俺、誘拐なんか……」
「大丈夫、僕の監督不行き届きが原因だから、土下座してでも告訴しない様頼むよ」
「……おじさんが、そんなこと……」
「する必要あるんだよ、もしかしたら、健太郎は危ない目にあっていたかもしれない」
「……それは、俺が……」
「元婚約者さんが、逆上するかもしれない、健太郎に危害を与えるかもしれないって。そこまで考えられ
ずに、お前をここまで連れてきた彼女は、大人として失格だと思う」
口を閉じ、耳に重く響く、おじさんの静かに怒っている声を聞く。
「身体は大きくても、健太郎はまだ未成年の子供なんだ。一条さんは、それを忘れて、頼りすぎていたと思う。それを、こうなるまで離せなかったのは僕の責任だから、お父さんたちに謝るのは当たり前なんだよ」
俺にとっては、嬉しかったことで、おじさんにものすごく迷惑をかけることになった。
その現実に口を開けず、本当に、情けない。
「リンちゃんに押されて付き合うか、県外の大学に行ってからと思ってたけど、この時期に一条さんみたいなひととは予想出来なかったな」
「……おじさん、彼女を……」
「ごめん、悪く言ったんじゃなくて、難しい恋をすることになってしまったなって」
「……うん、難しかった」
ふふっと隣から聞こえ、顔を上げる。
すると、先ほどの人工的なものでない、光に照らされた。
いつの間にか夜は明けていて、フロントガラスからは雲ひとつない空が見える。
「がんばったな」と肩を軽く叩かれ、「うん」と、まぶしさから目を閉じる。
「健太郎、ベタな慰めかただけど、初恋は実らないもんなんだって」
両目を開くと、ぼやぼやとぼやけていて。
手の甲でぬぐうと、びっしょりと濡れていた。
「そんなの、クソ食らえって思うなら、大人になって迎えに行け」
珍しい乱暴な言葉に、喉がつまって、俺は頷くことしか出来なかった。




