第30話 デート七回目(温泉旅館)
家族以外との遠出は、合宿と修学旅行しかない。
誰かとふたりきりで旅館に泊るのは初めて、しかも相手は彼女。
小学生のとき、初めて県大会に出たときよりも緊張する。
「……どうして、俺の名字、桃子さんのを書いたんですか」
「健太郎君が私服ならね、制服だったから姉妹っていう設定」
「……どうして、そんな設定に……」
「血の繋がりがない大人が、未成年の子供を連れ回してるの」
俺はぐっと口を閉じ、彼女は、俺の前に湯呑みを置いてくれる。
隣の県の海が近い旅館に着き、部屋に通され。
俺と彼女は、低い机を挟み、ふたりだけで居る。
「お夕飯、九時にしてもらったから、先にお風呂入りに行こうか」
ふたりで部屋を出て、それぞれの大浴場の暖簾をくぐる。
掛け時計を見て、彼女の部屋から、まだ二時間ほどしか経ってないのかと思う。
とても、遠くまで来たように思うのは、知らないところに来たからか。
そんなこと思い、身体と髪の毛を洗って、貸し切り状態で大きな湯船に浸かる。
身体を伸ばして、気持ちいいなと思う。
湯船の上、ふわふわと漂う湯気を見つめ。
こんなに軽い気持ちでいるのはいつぶりだろうかと思う。
……まだ、というのは分かっているけれど、話をしてくれたことがとても嬉しい。
彼女が、俺が住む町に来て、どんな気持ちで過ごしていたか。
それを思えば、嬉しいと思ってはいけないだろう。
分かっているけれど、いつも、俺は不安だったのだ。
……彼女が、何を考えているか、分からなかったから。
全部、教えてくれたとか、理解出来たとは思っていない。
でも、俺が知りたかっただろうと思うことを、分かりやすく話してくれたと思う。
それは、俺のことを、少しは想ってくれたからだと。
……俺に、嫌われたくないと、言ってくれたのは本当だと分かった。
もしかして、少しでもと思い、俺は自分に言い聞かせる。
……明日の、朝までだ、彼女のそばに入れるのは。
ばしゃばしゃと顔を洗ってから、湯船を出て、旅館の浴衣を来て部屋に戻る。
「あっ、すごいよ、お夕飯!」
弾んだ声を上げる、彼女の姿に心臓が鳴った。
「奮発して良かったあ、この辺りはお魚がおいしいって、テレビで見たことがあるんだよね」
ふふっと嬉しそうに笑う顔は、風邪のときと同じで化粧がない。
今は、とても健康そうに、頬がピンクに染まって額がつやつやしている。
髪の毛はうしろでまとめられ、俺と同じ、浴衣姿だ。
「あ、眼鏡にしちゃったんだけど、いいかな」
しかも、赤縁眼鏡の彼女に見とれてしまった。
豪華な料理が並んだ机を挟み、向いに座ってから返す。
「……いつもは、コンタクトレンズですか」
「そう、社会人になってからね、換え忘れちゃったから明日も眼鏡だけどいいかな」
「どうして、そんな風に聞くんですか」
「だって、あんまり見た目がよくないおばさんと、一緒に居たくないでしょ」
「いい加減怒りますよ、俺はそんなこと思いません」
「本当、優しいね」
「優しいんじゃなくて、本当に、桃子さんは綺麗です」
固まった彼女に、俺は言葉を止められない。
「初めて会ったときから、ずっと、綺麗です」
じっと見つめると、口を開かない彼女の顔がみるみる真っ赤になった。
「だから、もう二度と、そんな風に言わないでください」
顔を下に向け、桃子さんは言った。
「健太郎君、も、あんまりそういうこと言わないでください」
「どうしてですか」と返すと、とても、小さな声が聞こえる。
「言われたことがないから、……恥ずかしい、よ」
心臓が止まる。
発言がかわいすぎて、どうしようかと思った。
「りょ、お料理、冷めるから食べよう!」
ぐんっと上がった顔は、まだ赤くて、本当にかわいくて。
伝えたかったけれど、これ以上かわいいのは困るので、「はい」と返し箸を持った。
相変わらず、彼女は俺と同じくらい食べ、豪華な料理は全てなくなった。
片付けをしてくれているあいだ、彼女の提案で卓球をすることになった。
意外にも、互角な戦いが出来て、楽しかった。
「こう見えて、中高と卓球部のレギュラーだったからね」
ふふんと得意げな彼女と部屋に戻り、俺は固まった。
「明日早いから、歯磨きしてもう寝よう」
並んで歯を磨いたあと、俺は、おじさんに電話をすると嘘を吐いて部屋を出た。
ガラケーを握ったまま、ソファが並び自販機がある場所でぼんやりする。
畳に敷かれたふたつの布団は、ぴったりとくっついていた。
俺は、健全な高校生男子なので、そういうことを知っているし興味はもちろんある。
我慢が出来るのだろうか。
……初めて、好きになった彼女と、そういうことをしたい気持ちを。
頭を抱えて、俺は気づく。
……俺は、好きだけれど、彼女は。
すうっと落ち着いた俺は、部屋に向かう。
灯は、離された、布団と布団の間の和紙のランプだけ。
薄暗い中、奥の布団の上、掛け布団にすっぽり隠れて見えない姿。
ほっと息を吐き、なるべく静かに扉を閉めて、近くの布団に入る。
明日、何時に起きるか聞けてないと思ったが、そもそも寝られる気がしなかった。
背中を向け、枕にしっかり片耳を埋め、同じ様に布団をかぶる。
こういうときは、羊を数えるんだったかと思ったとき、聞こえた。
「今から言うこと、ねごと、だから」
どくんと、治まっていたはずの心臓が大きく跳ねる。
「もう知ってると思うけど、私は、暗くてつまんないの」
否定したいけれど、ねごとだからダメなんだろう。
「お客商売をしてる両親と正反対で、小さい頃からずっとで、勉強と友達に誘われてはじめた卓球だけの学生生活だった」
「……俺も、家族から言われます、それに野球だけです」
我慢出来なくなって、返したあと、少しして隣から動く音がした。
「ねごとに返したら、ねごとを言ったひとの寿命が縮んじゃうんだよ」
「……じゃあ、俺のぶんをあげます」
「いらないよ、健太郎君は、本当に変な子だなあ」
ふふっと笑い声が聞こえ、俺の掛け布団の端がめくられた。
「そっち、向いててね、恥ずかしい話をするから」
背中からすぐ、俺の横に寝た彼女。
今、ひとつの布団に一緒に寝ている。
現実に驚きすぎて、これは夢ではと思う。
「暗くてつまんない、私の性格まんまの学生生活を送ったんだけど、高校のときに事件が起きたの」
どこから、俺の都合のいい夢だろう。
もしかして、出会ったときから。
「うちの高校は、健太郎君のとこほどじゃないけど野球部がそこそこで、同じクラスにレギュラーの子がいたの」
それなら、『あいつら』のことがなくらないとおかしい。
なくなっているなら、おじさんのところでバイトはしてない。
俺は彼女と出会うこともなかった。
「その子とね、ほとんど話をしたことなかったのに、試合を見に来て欲しいって言われたの」
「……いいですね、俺も、見に来て欲しい」
「どうしてって、聞いたの」
「……好きだから、ですよ」
そうか、リンは俺のことが本当に好きだったのだ。
自分が、すごく最悪なことをしたと気づく。
戻ったら、どう謝ればいいんだろう、その前に会ってくれるんだろうか。
「健太郎君は、どうして、そんなことがぽんぽん言えるの」
「ぽんぽん」とつぶやくと、小さな声が返ってくる。
「……普通の男子高生は、女子に、……そういう、恥ずかしいことは言えないでしょ」
今、うしろにある顔は、真っ赤なんだろうか。
とてもかわいい顔を見たいけれど、我慢して、言葉を返す。
「おじさん、プロポーズしようとした日に、恋人が事故でいなくなったんです」
「続けていいですか」と聞くと、「大丈夫」と返ってきた。
「好きになった女の子には、好きとかかわいいを惜しまず言えって。自分が、すごく後悔したから、俺にはそんな思いして欲しくないって」
「なるほど」と言ったあと、少しして彼女が言う。
「言っておけば良かった、しておけば良かったって、どんどん出てくるもの」
「桃子さん、抱きしめてもいいですか」
「……それも、おじさんの教え?」
「必ず、相手の同意を取ってから、ダメと言われた絶対我慢しろって」
いつもより、すらすら言葉が出てくるのは、緊張が超えてしまったからだろう。
最初はガチガチだが、回を重ねるほどに練習以上の力を出せる。
大事な試合なほどそうだと、園田にコツを聞かれたことがある。
コツなんてない、身体が、今は口が勝手に動くだけだ。
……後悔をしたくないと、強く思うだけだ。
もう、明日には、こんな風にとても近くに居られることはないと分かる。
「桃子さん、ダメですか」
少しして、小さく、小さい「いいよ」が聞こえ。
俺は、「失礼します」と、彼女に向いて両腕で包んだ。
どんなものを浮かべているか、確かめる前に、彼女は顔を俺の胸にうずめた。
見られなかったけれど、多分、恥ずかしがっている行為は。
「かわいくて、びっくりします」
「……あの、……だから、そういうの止めてって」
心の声がもれた俺は、「すみません」と返し、両腕に力を入れる。
「大丈夫ですか、苦しいですか」
「……本当に、……今まで、女の子と付き合ってないの」
「はい」と返すと、「嘘」と言われる。
「……こんな、……私より、全然慣れてる」
「慣れてるって、どうして思うんですか」
「……もう、……いいよ」
そう言って、彼女は、俺に両腕を回してくれる。
「……大きいなあ、……うらやましい」
「そいつより、俺は大きいですか」
「そいつ」とつぶやき、「ああ、高校のときの」と言った彼女に「はい」と返す。
「健太郎君のが大きいよ、同じ歳の子で自分より大きい子いないでしょ」
「同じ歳ではないですが、宇佐美さんがいます」
「来年には、超えてるかもしれないよ」
そう言って、彼女は、笑みを浮かべている顔を見せてくれる。
「来年、見に来てくれますか」
俺の言葉に、両方の瞳が揺れて。
それが嬉しいと思ってしまうのは、いけないことなんだろうか。
「俺は部に戻ります、試合を見に来てくれませんか」
じっとこちらを見てくれる顔を、俺は、絶対に忘れないように見つめる。
「すいません、困らせてしまって」
気が済んだ俺は、彼女から離れて布団を出る。
「俺、車で寝ますから、鍵をくれますか」




