第23話 デート五回目(初めての彼女の部屋)
腕時計を見ると、八時少し前。
土曜日の朝、この時間に訪ねるのは非常識ではないだろうか。
園田を、今より早く迎えに行くことはあったけれど、それは試合や練習があったからだ。
……一人暮らしの女の人の家には、何時に行けば、おかしくないんだ。
昨日、宇佐美さんに聞いておけばよかった。
『うさぎ書房』のある商店街からすぐの駐車場、その裏にある、二階建ての赤い屋根のアパート。
宇佐美さんのお父さんが持ち主だったもので、二階の一番奥の部屋が空いていたので、彼女を住まわせている。
『だってねえ、この辺りホテルどころか民宿もないし、一番近い大きな町から結構かかるし、三ヶ月ぶんのお家賃くれるって言うしねえ』
そう、理由を教えてくれた。
二ヶ月ほど前、彼女が二度目におじさんの喫茶店に現れ、話してくれた。
朝まで盛り上がったと言っていたバーのひとは、宇佐美さんで良かったなと思う。
『ここに来た理由が理由でしょ、知ってるって嘘吐かれて、どこかに連れ込まれちゃう危なっかしさがあってほおっておけなかったのよね』
そう思うのは、俺だけじゃなかったのだ。
『美人て得に思われるかもしれないけど、ストーカーとかで色々苦労する生き物で、あたしも苦労してきたからシンパシー感じたのかもね』
そんな明るい声を思い出し、今、俺はストーカーかもしれないと思う。
『だからね、健太郎君みたいにちゃんと接してくれる子に看病して欲しいのよ、あ、本人に連絡は絶対しちゃダメよ、遠慮しちゃうから』
本当に、俺でいいのかと聞くと、自分はデートがあるから無理だと言われた。
それを思い出し、アパートの駐輪場に自転車を停め、階段を上がり部屋の前に着く。
大きく息を吸ってから呼び鈴を鳴らす。
そのあとすぐ、寝ていたらと気づき、どうするか考える前に鍵が開く音がした。
「……っ! ごっ、ごめん! 大丈夫?」
内から開いた扉を、受け止めた顔面をのぞかせる。
「……びっくりした、……夢かと、思ったよ」
着ているチェックのパジャマに負けないぐらい、顔が赤い。
俺が口を開く前に、ふらついた身体を片手に受ける。
「……ごめん、……うつるよ」
「上がってもいいですか」と聞くと、彼女は小さくうなずく。
靴をなるべく早く脱ぎ、玄関に座らせている熱い身体を支えて、台所を過ぎて部屋のなかに入る。
「寝かせますね」と言って、布団が半分めくれているベッドへ。
「……ごめんね、……せっかく、来てくれたのに」
首を横に振り、自販機で買ったスポーツ飲料のふたを空けて渡す。
「ありがとう」と受け取った彼女は、喉を動かし、
「すいません、……すぐ、帰りますね」
俺の言葉に、「え」と返し、ボトルを床に落とした。
「わあ」と小さく言った彼女に、タオルの場所を聞き、すぐに教えてくれた洗面所に向かう。
扉を開き、声が出そうになった。
なるべく、干してあった下着を見ないよう、洗濯機の隣の棚からタオルを取り戻る。
「……ごめんね、……私、いつも以上に、ボケてて」
「寝ててください」と、俺は、濡れた床をふく。
「……飲むもの、他にありますか、なかったら買いに行ってきます」
「大丈夫」と、あの、俺に気を使ってるだろう笑みを返され。
俺はぬれたタオルを手に、台所に向かい、小さな冷蔵庫を開ける。
予想どおり、飲むものだけでなく、何も入っていなかった。
「買い物いってきます、何か、食べたいものありますか」
返ってこず、振り返ると、小さな寝息が聞こえてきた。
俺は洗濯機にタオルを入れ、部屋を出て階段を下りると、名前を呼ばれた。
「看病よろしくとは言ったけど、早すぎない?」
彼女と同じアパートの一階に住んでいると言ってた。
宇佐美さんに、「おはようございます、すみません」と頭を下げる。
「顔を上げて、これ、桃子ちゃんに食べさせてあげてね」
両腕にビニル袋、両手に鍋を握らされ、俺は正面の見たことのない姿に気づく。
「やだあ、格好いいからって、ほれたら大やけどしちゃうからね」
ベストを合わせた黒いスーツ姿は、外国の映画に出てくるSPみたいだ。
サングラスはかけてない宇佐美さんが、笑みを浮かべて言った。
「寝かせてあげて、起きたら食べさせて薬飲ませて、門限までそばに居てあげなさい」
肩に、大きな手が乗って、力が入れられる。
「桃子ちゃんが弱ってるからって、変なことしたら、お父さんに言いつけちゃうからね」
「しません」と返すと、両目を大きくして俺から離れる。
「その歳で、言い切るのもどうかと思うわよ、じゃああとよろしくねえ」
「いってらっしゃい」と頭を下げると、吹き出された。
「なんか、久しぶりで嬉しいもんね、いってきます」
「はい」と返すと、「お土産あるからね」と宇佐美さんはアパートから去っていった。
俺は、両腕、両手の荷物を、彼女の部屋に置かせてもらおうと戻る。
小さくノックをしてから、そういえば、鍵をかけて出なかった部屋に入った。
鍋をコンロに置き、小さな食卓にビニル袋を置く。
ふたつの袋のなかには、スポーツドリンクと水とオレンジジュースの2ℓボトル、ゼリーの健康補助食品、りんごに柿と梨、風邪薬。
鍋のふたを取ると、ふわりとした湯気を上げる卵かゆ。
買い物に行く前に確認して良かったと思う。
看病するのに完璧なものたちに、さすが宇佐美さんと思っていると、部屋のほうから聞こえた。
「……あれ、なんで、……健太郎君?」
明らかに、寝ぼけた様子の彼女が立ち、こちらをぼんやり見ている。
「早くからすみません、宇佐美さんに頼まれて……」
言葉が終わる前に、横開きの磨りガラスの扉を閉められてしまう。
俺は、固まり、しばらく突っ立っていると聞こえた。
「……ごめんね、……ちょっと、待ってて」
「はい」と返し、言われたとおりにすると、ゆっくり扉が開いた。
「……さっき、……来てくれてたよね」
髪の毛をうしろでひとつに結び、カーディガンを羽織り。
赤縁の眼鏡をかけた彼女は、下を見て言う。
その、初めて見る姿が、かわいすぎて言葉を取り出せない。
「……ごめんね、……熱があって、夢と現実の区別が」
「……こっちこそ、です。あ、さっき、宇佐美さんに色々もらいました」
「えっ」と顔を上げ、こちらに来て、色々と確認してから彼女は大きく息を吐いた。
「……情けないな、……迷惑かけっぱなしで」
俺にではなく、自分に言い聞かせた言葉に気づき、こちらに笑みを向ける。
「健太郎君、あとは、大丈夫だから」
見るからに、大丈夫じゃない彼女を、俺は椅子に座らせた。
「なにか食べて、風邪薬飲んで、寝て下さい」
「分かった、ちゃんとするから」
「宇佐美さんに、そばに居るように頼まれたんです」
少し、いらつくのを感じる俺は、彼女に背中を向けコンロの前に立つ。
「……大丈夫だよ、……今日は、予定ダメにして……」
「皿どこにありますか、おかゆ食べれますか」
言葉をさえぎり、勝手にコンロの火を点ける。
「迷惑なら、そう言って下さい」
コンロの横の流しの上、棚に並ぶお椀を取り、続ける。
「迷惑じゃなかったら、居させてくれませんか」
「どうして」と聞こえ、ぐつぐつと音を立て始めた鍋の火を消す。
「あなたが、心配だからです」
声は返ってこないまま、お椀におかゆを注いで振り向く。
彼女は、俺が持ってきたビニル袋の中身を持っていた。
「……そんなの、より、これ食べて下さい」
「これは、健太郎君が持ってきてくれたんでしょ?」
頷くと、ビニールをめくり、「いただきます」と食べてくれる。
「うん、おいしい、飲み物くれるかな」
俺は、グラスの場所を聞き、オレンジジュースを注いで目の前に置く。
「ふふっ、初めて、会ったときみたいだね」
サンドウィッチをテーブルに置き、ジュースを一口飲んでから、彼女が言った。
「健太郎君のおじさんのお店で、アイスコーヒー、運んで来てくれた」
ああと思った俺に、彼女は向いに座る様言う。
「大きい子だなって、制服を着てなかったら、坊主頭じゃなかったら高校生には見えなかったな」
ふふっと笑われ、もう、だいぶ伸びた頭に手をやる。
「落ち着いて見えたから、これから起こることを見せても、大丈夫かなって思った」
「健太郎君」と真面目な顔で、彼女は続けた。
「れんげとお箸、流しの横の調理台の下の引き出しに入ってるから、取ってくれる?」




