第19話「山をふたつ」
朝から、紙が多かった。
机の上だけでは足りず、脇の棚にも、床に置いた箱の上にも積まれている。報告書の下書き、聞き取りの控え、村の見取り図、回収した道具の一覧、行方不明者の照合表。名前は違っても、やっていることはだいたい同じだった。消えたものを、消えていないふりの言葉に置き換える作業だ。
アキツキは一枚めくって、止まった。
村人七百名。確認できた人数、回収できたもの、所在不明、原状回復に至らず。
原状回復に至らず、という言い方が嫌だった。戻らなかったのだと書けば早いのに、書類の上ではそうは書かないらしい。文字を追ううちに、あの村の水に混ざった顔が浮いた。老人。女。子ども。視線を戻すまでに少し時間がかかる。
「ちなみに」
口に出してから、誰もいないことに気づく。
「終わった事件の書類ほど、終わっていないものは少ない気がします」
机は感想を言わないので、その点だけは助かる。
脇で紙がかさりと鳴った。白黒が報告書の束の上に飛び乗り、いちばん困る場所を選んで座っている。提出前の束だった。その下ではキジトラが札をまとめた紐にじゃれている。ひと撫でごとに結び目が怪しくなる。
「そこはだめです」
二匹とも少しも反省しない。飼い主がいない間も変わらないところだけは立派だった。
一週間たった。
あの村のあと、ブルナイはまた姿を消した。最初の数日はいつものことですんだが、今回は近場を探しても見つからない。山の裾、川沿い、空き家、社の跡。いそうな場所を当たっても空振りが続いた。アキツキ自身は、探しに出る余裕がほとんどなかった。机の上を見ると、その事情だけはよく分かる。
白黒をどかそうと手を伸ばしたところで、扉が開いた。
シラセだった。
入ってきた軍曹は、まず眉間へ指を当てた。それから部屋を見回し、机を見て、床を見て、最後にアキツキの顔を見る。
「増えましたね」
「減らしている途中です」
「その返答で説得されたことがありません」
反論を考えたが、机の上があまりにも反論向きでなかったのでやめた。
ちょうどそのとき、キジトラが紐をほどききった。札の束がばさりと広がる。シラセは無言でそれを見たあと、しゃがんで拾い始める。
「手伝いましょうか」
「お願いします」
「嫌です」
「そこを何とか」
「何とかしたくないんですよ、私は」
言いながら手は動く。だいぶ損な性格だなとアキツキは思ったが、口には出さない。
札を机に置いてから、シラセは小さく息をついた。
「見つかりました」
その一言で、アキツキの手が止まる。
「本当ですか」
「断定はできません。例の場所から山を二つ越えた先の村です。若い娘がいるそうです。外から来たらしい。無口で、村外れにいる。力が強い。あとは話す人によって、薪を片手で割ったとか、猪を追い返したとか、崖から落ちても平気だったとか、だいぶ雑になります」
「だいぶ雑ですね」
「ええ。いつもの雑さです」
その言い方で、部屋の空気が少しだけやわらいだ。
「それで」とアキツキは聞く。「行きますか」
「行きます」
答えは早かった。早かったが、シラセはそこでまた眉間へ指を当てる。
「安心すると腹が立ちますね」
珍しく、そのまま本音が出た。アキツキは少しだけ笑いそうになって、やめた。気楽ではない。けれど、見つかるあてがあるだけで息が少し楽になる。
シラセは机の上の書類へ目を落とした。
「問題はこれです」
「はい」
「全部終わらせる気ですか」
「できれば」
「できれば、で人は倒れます」
「ちなみに、もう少しで見取り図が」
「そのちなみには今しまってください」
即座に切られた。
シラセは書類の束をざっと見て、出発前に片づけるものと後回しにするものを分け始めた。判断が早い。ためらいもない。
「今日中に上へ回す分だけ整えます。あとは戻ってからです」
「でも――」
「戻ってからです」
「終わらないものを抱えたまま行きます。いつも通りです」
静かな声だったが、反論の余地はなかった。
白黒が机の上で丸くなる。キジトラは荷造り用の袋のそばへ移動して、紐の先を前足で押さえていた。最初から出かける前提でいる顔だった。
「お前たちは分かっていた顔をしないでください」
白黒は目を細めただけで、キジトラは紐を離さない。
アキツキは散らばった紙を重ね直し、ようやく立ち上がった。
書類は残る。戻らなかったものも、そのままだ。それはたぶん、悪いことではない。それでも足は動く。山を二つ越えた先へ向かうために。




