第十話:寄り道の約束
赤砂の谷を後にして三日、ふたりは南へと足を向けていた。目指すのは、リィナの母が眠る小さな村だという。険しい岩肌に囲まれていた谷とは異なり、この道中は草木が多く、道端には小さな花々が咲いていた。
「……この辺りの風景、懐かしいな。昔よく、母と一緒に摘んだ花があるんだ。白い小さな花でさ」
リィナが足元の草をかき分けながら、やわらかく笑った。その横顔に、どこか安心したような気配が漂っている。
「お母さんって、どんな人だったの?」
セイの問いに、彼女は少しだけ歩みを緩めた。
「強くて、静かで、優しかった。村で一番と言っていいくらいの美人で、でも飾らなくてね。父さんが怪盗だったってことも全部知ってたよ。……それでも、恥じてなかった」
「君に似てる」
「え?」
「強くて、正直で、誇り高いところ」
リィナの顔が少し赤くなったように見えた。
「……ありがとう。でも、まだまだだよ。私は、ただ強がってただけだったから」
沈黙が流れ、やがて小川のせせらぎが聞こえてきた。ふたりは水辺に座り、冷たい水で手と顔を洗った。
「母さんの墓、村の外れにあるんだ。小さな丘の上で、風通しのいい場所」
リィナは立ち上がり、草原を見渡した。その表情は、どこか決意を含んでいるように見えた。
その日の夕刻、ふたりは目的の村にたどり着いた。村人たちはよそ者に驚く様子もなく、穏やかな空気が漂っている。
リィナは道沿いの家の前で足を止めた。
「ここ……母が最期まで暮らしていた家」
彼女は扉の前で深く一礼すると、丘へと向かった。セイも黙って後を追う。
丘の上には、石でできた質素な墓標があった。草は刈られ、墓の周囲はきちんと整えられていた。
「誰かが手入れしてくれてるんだね」
リィナは微笑み、膝をついて墓前に花を供えた。小さな白い花、かつて母と摘んだというその花を。
「母さん、来たよ。ちゃんと伝えたくて……父さんの記憶に触れたこと。今、私が旅をしてること。そして……守りたいものができたこと」
セイは少し離れた場所で、そっとその背中を見守った。ふたりの距離は近くて、どこか遠い。けれど、今はただ見守ることが正しいと思えた。
「……ありがとう、セイ。付き合ってくれて」
「こっちこそ。大切な時間に立ち会わせてくれて、ありがとう」
風が吹いた。丘の上で揺れる草花が、ふたりの姿を静かに見送っている。
その夜、村に一泊したふたりは、焚き火を囲んで話をした。
「この旅が終わったら、またここに戻ってきたい。今度は、自分の意志で」
「そのときは、俺も一緒に来ていい?」
「うん。もちろん」
火がぱちりと音を立てた。
ふたりの旅路はまだ続く。その道の先に、いくつの記憶が待っているのかは分からない。
けれど今、ふたりは確かに“寄り道”という名の、大切な一歩を踏み出したのだった。




