98 遠く離れた空の下で(ルミナリス視点)
王都スーリアを出て早五日。
ルミナリスは立ち寄った村で、星の輝き出した空を見て大きく伸びをした。
今日はこの村に泊るらしい。
実体のない体は長時間の馬車移動もどうということはないが、閉ざされた空間から外に出るというのは気分がいいものだ。
エクスを見ると、いつかの凛と同じようにお尻をさすりながら同じように伸びをしていた。
やはり長時間の移動は尻が痛くなるようだと、エクスに凛の姿を重ねてこっそり笑う。
だからといって、エクスに膝を貸すつもりは毛頭ないが。
宿屋で部屋を取った後、ルミナリスは部屋の真上にある屋根にごろりと寝転がった。
憑りつく相手が変ったものの、十メートルほどしか離れられないのは変わらない。屋根の上はエクスから離れて一人になれるギリギリの距離だった。
二つの月が浮かぶ夜空を眺めながら物思いにふける。
凛と別れて五日、いつも真っ先に思い出すのは彼女のことだった。
別れ際に見た顔が頭から離れない。
目元が赤くなっていた。きっと追いかけてくる直前まで泣いていたんだろう。
あれ以上話していたら決意が揺らいでしまいそうで、逃げるように馬車の扉を閉めてしまった。
すまないことをしてしまったという思いと、これでよかったんだという思いが入り混じる。
『リン……』
綺麗な響きの名前をそっと呟く。
凛といた時間はそう長くはなかったはずなのに、ずいぶんと濃い旅だった。少なくとも長い時間一緒にいると錯覚させるほどには。
鮮烈な出会いから始まって、ベルナ山を下りるまでに何度もヒヤヒヤさせられ、山から下りた後もドラゴンに襲われたり、幽霊を成仏させたり、悪霊化した魔獣と戦ったり、いろいろなことがあった。
何度も泣いているところを見た。
心が折れてしまうのではないかと心配になることもあった。
けれど、どんなに泣いても最後は凛と前を向いていた。
そんな強いところに強く心惹かれた。
(今頃何をしているだろうか)
自分から離れたというのに、未練がましく彼女のことを考えてしまう。
『リン……』
もう一度だけ名前を呼んだら、夜風が吹き抜けた。
『あー、やだやだ。未練がましいねぇ』
茶化すような声と共に見知った精霊が姿を現した。
ルミナリスはのっそりと上半身を起こして、突然現れた来訪者をうっとおしげに見やる。
『…………』
『やぁ、ルミナリス。いい夜だねっ』
あっけらかんとした様子でひらひらと手を振る風の精霊ラティスは、ひらりと羽を羽ばたかせてルミナリスの前であいさつ代わりに宙返りをした。
『…………なにしに来た?』
『そんな邪険にしないでほしいな――――まぁ……しいていうなら、てきじょーしさつ?』
『敵情視察?』
不穏な単語にルミナリスが眉を顰める。
対するラティスは口元に笑顔をたたえたまま飄々とした様子だ。
『どういうことだ?』
『リンはまだ諦めてないってことっ!』
『…………危険が伴うと言ったはずだが、リンの家族は止めなかったのか?』
『家族みんなで行くってさ――リンもお人好しだとは思ったけど、あの子の家族も相当だね。異世界人ってみんなそうなのかな?』
普通、我が子が危険にさらされるかもしれないとわかったら閉じ込めてでも行かせないと思うのだが、なぜ家族そろって来ることになっているのか。
むしろ状況が悪くなっているような気がして、ルミナリスは眉間を押さえて深いため息をついた。
『…………なんでお前は止めなかったんだ』
『えー、なんでボクがこんな面白そうなこと止めなきゃいけないのさ?』
質問に質問で返されてしまって、ルミナリスががくりと肩を落とす。
風の精霊が自由奔放な性質をしているのは本当らしい。
『キミがリンを置いてったのは評価してるけどね、当のリンがそれを望んでないんだもん。止めるわけないでしょ?』
『…………』
『ボクはキミたちが旅してるところをずっと見てきたわけだけど、リンは強い子だよ?』
『そんなの、俺が一番知っている……』
凛の一番近くで見てきたのだ。ラティスに言われるまでもない。
顔を顰めたルミナリスのそばに寄って、ラティスは二ッと口の端を上げてみせた。
『なら、わかるでしょ? リンは必ずキミのところに帰ってくるよ。キミが思うより、ずっと強くなってね』
『どういう――』
どういうことだと開きかけた唇をラティスの小さな指がつんと触れて止める。
『ふふ……ナイショ! 今日はそれだけ言いに来たんだ。じゃあね、ルミナリス!』
にっこりと含みのある笑みを浮かべたラティスは、来た時と同じように小さな手をひらひらさせると夜風と共にぱっと消えてしまった。
そうして一人残されると夜の静けさが戻ってくる。
(まったく……こっちの気も知らないで勝手なことを言ってくれる……)
ルミナリスはため息をついてもう一度屋根の上に寝転がった。
――リンは必ずキミのところに帰ってくるよ。キミが思うより、ずっと強くなってね――
耳に残るラティスの言葉に胸を押さえる。
こんなこと思ってはいけないのに、嬉しいと思っている自分がいた。
その思いを振り払うように小さく頭を振って、夜空に浮かぶ二つの月に手を伸ばす。
重なりそうで重ならない位置にある二つの月が重なるまであと数日。
あの二つの月が重なる時、世界の光と闇のバランスが崩れると言われている。
おそらく何かが起こるとすれば、その時だと踏んでいる。
(リンたちが追いつく前になんとしてでも片付けなくては)
空に突き上げた手を握りしめて、ルミナリスは決意を新たにした。




