99 妄執に囚われた不死者の魂(?????視点)
オルト村から南東に少し離れたところにある洞窟。
長い時をかけて岸壁が浸食されてできた洞窟の奥深くで蠢く影があった。
裾のほつれた黒いローブで全身を覆い、手には黒い皮の手袋、口元も黒い布で隠し、かろうじて見える目元もフードを目深にかぶって最低限しか見えない。
人前に出れない体になって百五十年、男はもう自分の名前すらわからなくなっていた。
恨みと憎しみと後悔の念に自我をのみ込まれ、残っているのは自分を陥れた者たちへの復讐心だけだった。
「モウスグ、ダ……」
男はうわ言のように呟く。
体内の負のエネルギーが満ちてきているのを感じる。間もなく、三十年に一度の二つの月が重なる夜がやってくる。
闇の力が最高潮になるその日がくるたび、男は妄執に憑りつかれたように魔術を繰り返し行使し続けてきた。
最初の年に術に失敗し、魂を宿したまま体が不死者のそれと同じものになってしまった。当時、男が仕えていた南の大陸の魔導士は、肉体が腐り人間の成れの果てのような姿になった部下を見て、禁呪を使った罪人として切り捨てた。
カイナルディアの魔導士に弟子入りして研究を盗んで来いと言ったのはそいつだというのに、まるでトカゲがしっぽを切り離すかのようにあっさりと捨てられた。
男は憎んだ。
自分を捨てた主を、術を作った魔導士を、己の人生を。
おぞましい体になった男が自我を失うのはあっという間だった。
不死者となった体は死ぬこともできず、人の世界で生きていくこともできず、どこにも混じることができない孤独に心が耐えられなかった。
もう全て消えてしまえ。
自暴自棄に陥った男の自我は、どす黒い感情に飲み込まれて不死者の体のまま悪霊と化した。
それから百五十年。
悪霊化した男はかつて自分を捨てた主が死んだことも知らないまま、この世を彷徨い続けていた。
「モウスグ……」
太陽の下を歩けない体のため、儀式の準備は夜の闇に紛れるようにして進められた。
窪んだ目に眼球はなかったが、男は灯りのない暗闇の中でも何不自由なく動くことができた。
古の時代――まだ大陸間で争い合っていた頃、海を挟んで大陸が見えるこの場所は戦場だった。
多くの人々が争いによって命を失った地には、いまだ成仏できずにいる死霊が死体と共に数多く眠っている。
その眠っている死霊を叩き起こして実体を与えて使役し、自分を裏切った国を襲わせる。
ルミナリスが国防のために研究していた死霊を使う禁呪――それを男は復讐のために用いようとしていた。
三十年前、南の大陸で術を試みた時には成功まであと一歩というところだった。実体化まで至らず、死霊たちは教会の派遣した退魔師によって成仏させられてしまった。
「コンド、コソ……」
薄明りしか届かない深い森の中で、妄執に囚われた男は重なりつつある月を仰ぎ見た。
***
数日後、とうとうその日が来た。
男は自分の中にある負のエネルギーが最高潮に達しているのを感じた。
日が沈み、夜が訪れてから隠れ家にしていた洞窟を出る。
頭上を見れば、いつもは二つある月がぴったりと重なって一つになっていた。
今まで夜な夜な儀式の準備をしてきた場所は五か所。
村の守護を強固なものにするために聖水を備える方法を応用して、祠に見立てた石を動物の血で穢した。
そして今日、六ケ所の目の地点で祠を穢すことによって術は完成する。
祠に見立てた石の周りに陣を描き、予め準備しておいたウサギの血を撒くと、陣が赤黒い光を放ち始めた。
それと同時に六ケ所の祠が光の線で結ばれ結界のようになる。
赤黒い光の内側に位置する地面からいくつもの影がゆらりと立ち上がった。
甲冑の一部が砕けた者、体の一部を失った者、いずれも戦で命を失った者たちだ。
少し待てば結界内の死霊の実体化と使役が完了となる。
その矢先――。
「そこまでです!」
静寂を切り裂くように森の中に鋭い声が響いた。
男がゆっくりと振り返ると、そこには白いローブを着た青銀髪の男と黒いローブに頭まですっぽり身を包んだ男が立っていた。
「やっと見つけましたよ! 我が国と友を裏切った罪、今こそ償ってもらいます!」
声高らかに宣言した白いローブの男の言葉に、男は自分の前に現れた男たちを凝視した。
「ダレ、ダ?」
「おやおや、ご挨拶ですね。こちらはこの百五十年、片時も忘れたことなんてなかったというのに……」
中性的な顔立ちの白いローブを着た男が綺麗な顔を盛大に顰めた。
『トレヴィス』
もう一人の男が名前らしきものを呼んだ。
その瞬間、男の脳裏を懐かしい情景が一気に駆け抜けた。
聞き覚えのある声に聞き覚えのある名前。
「ア、ア、アア……ア……」
一気によみがえった記憶に男は頭を抱える。
(ソウダ、オレノナマエ……ハ……)
ずっと昔――忘れてしまった記憶の中で、男はトレヴィスという名前で呼ばれていた。
そして、自分の名前を呼んだ聞き覚えのある声の主を見て、かつてカイナルディアで師と仰いだ人を思い出した。
「シショー……」
男の呼びかけに応じて、黒いローブを着た男はフードを押し上げて顔をあらわにした。
そこにあったのは、百五十年前と寸分違わない師匠ルミナリスの姿だった。




