96 俯きかけた心を奮い立たせてくれたのは
気がつけば、屋上に一人取り残されていた。
「さむ……」
寒さに腕をこすって壁に寄りかかったままずりずりと座り込む。
風が冷たい。
膝を抱えて腕に顔を埋めば、目に浮かんだ涙が服の袖にじわりと染み込んだ。
「なんで……ルミナ……ど……して……」
意味がわかんないよ。
あんなにあっさり離れられるなんて聞いてないよ。
『俺は一緒にはいけない』
言われた言葉が頭の中を反芻してぐるぐる回る。
急すぎる別れに気持ちが追いつかない。
追いかけて、どうしてなのか問い詰めればよかったのかもしれない。
でも、私の足は地面に縫いつけらえたように一歩も踏み出すことができなかった。
『まったく、ルミナリスもヒドイ男だよね!』
動けなくなった私の耳にその『声』が届いたのは、もう何度目かわからない「なんで」と「どうして」を繰り返した時だった。
聞き覚えのある『声』に顔を上げてみれば、薄い緑色の髪の精霊――ラティスの姿が飛び込んできた。
ラティスは私のそばまでやってくると、その小さな手で頭をなでてくれた。
『泣かないで、リン』
「ラティス……」
『これからはルミナリスの代わりにボクが一緒にいてあげるからね!』
ラティスは私の鼻先で透明な羽を羽ばたかせて宙を一回転してみせた。
「ラティス……が?」
『そ、ボクが。前に言ったでしょ? リンが一人だったら一緒に行こうと思ってたって』
そういえば、前にセゼの木の場所を案内してもらった時にそんなことを言っていた気がする。
『でも、まぁ、危ないところにリンを連れて行かないっていう彼の判断は褒めてあげたいところだけどね』
ルミナリスの名前にピクリと反応する。
「危ないところ…………ラティスはこれからルミナたちが何をしようとしてるか知ってるの?」
『ボクが知るわけないじゃん』
「そう……だよね……」
『でも、あのルミナリスがリンを置いていくほどだからね。お花畑みたいなところじゃないってことだけは間違いないだろうね』
「…………」
さっきルミナも危険が伴うって言ってた気がする――そんな場所に私を連れて行くことはできないって。
そうして相棒に選んだのはエクスさんだった。
エクスさんが湖の底に沈んだカイナルディアのために一人で頑張ってきたのは知ってる。
彼は国から持ち出されたルミナの研究を葬るって言ってた。それがどんな研究なのかはわからないけれど、国を滅ぼしかねない事態になった研究と考えれば物騒なものだということは想像に難くなかった。
確かにルミナの言う通り、危険なのかもしれない。
けど、私だってここに来るまでそれなりに危ないことを経験してきたのだ。
ベルナ山では魔獣に追いかけられて滝から落ちたし、バゼル村への道中ではドラゴンに襲われた。
悪霊化した魔獣と戦闘にだってなった。
そこまで思い返して、気づいてしまった――私自身には何の力もないということに。
あの時も、その時も、思えばルミナやラティスがいてくれたからこそ何とかなったのだ。
そうだ、どうして忘れてたんだろう。
もともと私は幽霊を見ることしかできなかったはずなのに。
「…………わたし、なに勘違いしてたんだろ」
『リン?』
「私なんて、一緒に行ったって足手まといにしかならないよね……」
ルミナは優しい人だから、きっと私を傷つけないように『危険な場所に連れて行くわけにはいかない』ってオブラートに包んで言ってくれたんだ。うん、きっとそうだ。
ため息をついて膝を抱えて俯く。
膝に顔を埋めようとした瞬間、ラティスが私の膝と額の間に体を滑り込ませて、顔を上げさせようと俯きかけた額を押し戻した。
『ちょっとちょっと! なに一人で納得して落ち込んでるのさ!?』
「だって、わたし……何もできないから置いてかれたんでしょ?」
『そんなことあるわけないじゃん! どうしてそんな発想になるわけ? 後ろ向きな考え禁止ー!』
「だって、私一人じゃ何の力もないもん――ラティスの加護がなかったら、滝から落ちた時点で死んでたし、ドラゴンだってルミナがいなかったら撃退できなかった」
ね? と同意を求めると、ラティスはむっとした顔で私にデコピンを食らわせた。
「いたっ!」
『あのねぇ! キミはボクの加護を自分の力じゃないっていうけどね、ボクはリンだから力を貸してるんだからね!』
「私だから……?」
『そうだよ! ルミナリスだってそうだよ! そもそもあの人はリンと出会わなければ、今も悪霊のままベルナ山を彷徨ってたはずでしょ?』
「それはそうかもしれないけど……」
煮え切らない返事をすると、ラティスは盛大にため息をついて私の額をツンツンとつついた。
『あのねぇ、リンはリンが思ってるよりもずっと色んなことができるんだよ!』
そうしてラティスはそうだと悪戯っぽく笑うと、『癪だけど、一つだけ教えてあげるよ』と口元に人差し指を立てた。
『ルミナリスね、キミから離れられなくなったって言って旅についてきたけど、あれ嘘だからね?』
「うそ……?」
『そ。本当は『憑りついたまま離れられなくなった』じゃなくて、『離れたくなくて憑りついたままになってた』が正解。誰かに憑りついてないとベルナ山から離れられなかったみたいだけど、ここまでリンにくっついてきたのはルミナリスの意思だったんだからね』
初めて聞く話にきょとんとしていると、私の額をつついていたラティスは今度は丸を描くように額をぐりぐりした。
『だからね、ボクが何を言いたいかっていうと……あの人がリンを足手まといだからって置いてくはずがないってことさ。そもそも風の加護を持ってるキミが足手まといになるはずなんてあるわけがないしね。単純にリンを危険に巻き込みたくなかっただけだって』
「私を、巻き込まないために……」
ラティスの言葉を反芻して唇を噛みしめた。
ここに来るまで散々ルミナを巻き込んできたのに、いざルミナの番になったら一人で勝手に決めて行っちゃうなんて水くさいにもほどがある。
今まで力になってもらった分、私だってルミナのために何かしてあげたいのに。
「ねぇ、ラティス。もし、私がルミナの力になりたいって言ったら力を貸してくれる?」
『理由はともあれ、リンにお願いされるなんて気分がいいね。いいよ、力を貸してあげる』
強気な表情のラティスが心強い。
ラティスの言葉に後押しされて、私は涙を拭ってすくっと立ち上がった。
「…………追いかけなきゃ!」
追いかけて、ちゃんと言いたいことを言わなきゃ。
こんなところで膝を抱えて泣いてる場合じゃない。
決心したら、今まで動けなかった足が嘘みたいに軽くなった。
階段を駆け下りてみんなのいる部屋に戻ると、ルミナとエクスさんは既にいなくなっていた。
泣き腫らした顔を見て驚く家族をよそに、お兄ちゃんにルミナが来なかったか聞くと、先ほど挨拶をして出ていったことを教えてくれた。
私はそれを聞くやいなや部屋を飛び出した。
階段を下って一階まで下りるまでにルミナたちの姿はなかった。
お願い、間に合って!
足がもつれて転びそうになるのを堪えて教会の外に飛び出すと、ルミナが馬車に乗りこもうとしているところだった。
「ルミナ!」
張り上げた私の声に、ルミナが弾かれたようにこっちを向いた。
すでに馬車に乗りこんでいたエクスさんも追いかけてきた私に驚いているようだった。
『……リン!?』
「待って、ルミナ! 置いていかないで!」
『…………』
動きを止めてくれたルミナのところに駆け寄って、私は自分の気持ちをぶつけた。
「私、ルミナと一緒に行きたい!」
そう私が言うと、ルミナは眉間にしわを寄せてつっと目を反らした。
『言っただろう。ここから先は危険が伴うと――そんな場所にお前を連れて行くわけにはいかないんだ、わかってくれ』
「だったら尚更連れってってよ! ラティスだって力を貸してくれるって言ってくれた! 足手まといになんてならないから!」
ふとルミナの視線が私の隣を飛ぶラティスに向く。余計なことをというような視線に、ラティスは悪びれた様子もなく、むしろ勝ち誇ったような顔で答えた。
『言っとくけど、キミがちゃんと説明しないでリンを置いて行こうとしたのが悪いんだからね』
ラティスの言葉を受けて、ルミナは小さくため息をつくと私に向き直った。
『……足手まといになるとは思ってない――』
「じゃあ!」
『だが、だめだ。お前を俺の事情に巻き込むわけにはいかない』
頑ななルミナにイライラがこみ上げる。
「私の時は散々巻き込まれておいて、どうして自分の番になったらそんなこと言うの!?」
『それは……』
「私だって、ルミナの力になりたいの!」
自分でも勝手な言い分だってことはわかってる。
自己満足だろって言われたらその通りだ。
だけど、ここで何もしないで別れたら絶対に後悔すると思った。
まっすぐにルミナを見据えると、ほんの少しだけ彼と目が合った。
ルミナはわずかに口を開きかけて、すぐさま否定するように首を左右に振った。
『それでもだめだ。第一、リンにはもう家族のそばに居場所ができただろう?』
「それはっ……!」
『なら、尚更ここに残るべきだ。わざわざ危険に身を投じる必要はない。話は終わりだ――――俺のことなんて忘れて、どうか幸せに暮らしてほしい』
話は終わりだとばかりに一方的に話を終わりにしてルミナが踵を返す。
「そんな! まだ話は終わってな――」
引きとめようとルミナの手を掴もうとしたけど、私の手は彼の手をすり抜けてしまう。
その隙に馬車に乗ってしまったルミナは、私を拒絶するようにさっさと扉を閉めてしまった。
「まっ――」
待って、と引きとめる間もなく馬車が動き出した。
もうそうなってしまっては自力で追いかけるすべはなかった。
どんどん遠ざかっていく馬車を見つめながら、私は握りしめた拳を太ももに叩きつけた。
じんじんとした熱が広がって鈍い痛みを感じる。
結局は置いてかれたという事実が悲しい。
けれど、それ以上に怒りにも似た感情が私の心の中を渦巻いていた。
こんなの納得できるはずがない。
それに、扉が閉まる直前見えてしまったのだ――ルミナの傷ついたような表情を。
どうして別れを切り出した本人がそんな顔をするの。
どう見たって、ルミナだって納得してないじゃん。
――――なにが、『俺のことなんて忘れて、どうか幸せに暮らしてほしい』よ。
そんなのできるわけないじゃない。
このままじゃ終われない。
いや、終わらせない。
私はぎゅっと手を握りしめると、小さくなる馬車を挑むような目で見つめた。
ラティスはルミナの後釜をずっと狙っていた模様




