95 降ってわいた話
「ところで、お母さんは?」
お兄ちゃんを見て、お父さんを見て……ふとお母さんがいないことに気がついた。
さっき目が覚めた時にはいたのに、どこ行ったんだろう?
きょろきょろしてお母さんの姿を探すと、お父さんとお兄ちゃんがはっとして「また!?」と声をハモらせた。
また?
どういうことだろうと思ってお父さんとお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんはイーニスの前に手をパンと合わせて尋ねた。
「悪い、イーニス。お母さんの居場所わかるか?」
『リツの母君は懲りずによく迷子になるな――――ほれ、二階下の廊下で今も妹御を探しておるぞ』
イーニスは一度目を閉じるとすぐに目を開いてお母さんの居場所を告げた。
何の迷いもなく「行くか」とお父さんとが歩き出す。
「ほら、凛も行くぞ」
お兄ちゃんに声をかけられて駆け寄った私は、階段を下りながらお兄ちゃんに「ねぇねぇ」と話しかけた。
「今のってその子の能力なの?」
「ん? ああ、関わった人なら居場所を察知できるらしいんだ」
「へぇ……」
半信半疑ながらついていくと、階段を二階下りたところで言葉通りにお母さんと合流できた。
さすが神様……。
って、あれ? 私もイーニスにこっちの世界に連れてこられたんだよね?
それなのにどうしてお兄ちゃんたちは私の居場所がわからなかったんだろう。
湧いて出た疑問をお兄ちゃんにぶつけてみれば、お兄ちゃんもわからないらしくイーニスに答えを求めた。
イーニスは私のところまでとてとてと歩いてくると、無遠慮に手首を引いて袖をめくり上げた。
そこに巻きついた水色のリストバンドを見てあからさまに顔を顰めた。
『やはりか――これでは私が感知できぬのも当然ではないか』
「?」
『妹御よ、この加護はどうした?』
「え?」
『この風の加護はいつ受けたものかと聞いておるのじゃ』
「あ、えっと、こっちの世界に来てすぐに……ですけど?」
『ぬぅ』
「ええと?」
なにか言っちゃまずいことでも言ったかな?
ちらりとお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんも何かわかったらしく「まじか」と目元を覆った。
なんだろう、すごい不安になる。
「ねぇ……これって何かまずかったの?」
「まずかったっていうか……それのせいでイーニスがお前を探し出せなかったんだ」
「ん??」
言ってることの意味がよくわからない。
首を傾げる私に、お兄ちゃんがどういうことか説明してくれた。
どうやら私がこちらの世界に連れてこられた当初、私はイーニスの力をわずかに身に纏った状態だったらしい。
だからこそ、イーニスは私とはぐれても気配を辿ればすぐに探し出せると高をくくっていたらしい。
それなのに、その気配は突如として消えてしまったというのだ。
イーニスはその事象に驚き、お兄ちゃんに報告。お兄ちゃんはその時初めて私がこちらの世界に連れてこられたことを知ったそうだ。
「お前が風の加護を受けたせいで、イーニスの力がかき消されて気配を辿れなかったってわけらしい」
そういえば、ラティスには私からイーニスの匂いがしたって言われたけど、その後に会ったピティにはイーニスのことは言われずに風の加護のことだけ指摘されたっけ。
なるほど、それならお兄ちゃんたちが私を見つけられなかったのもしょうがなかったのかもしれない。
私がこちらの世界に来ていることを知ったお兄ちゃんは、お父さんとお母さんに連絡してそれぞれ西の大陸と南の大陸に別れて私を探してくれていたんだって。
みんなして私を探してくれていたなんて、すごく嬉しい。
なんだかこっちに来てから緩みまくりの涙腺が緩んでしまって、私は慌ててまばたきをしてそれを誤魔化した。
天井を仰ぎ見て目をぱちぱちしていると、前を行くお兄ちゃんが私を振り返った。
「それにしても、こっちの世界に来てすぐに精霊に加護を授けられるってすごいな。そこのルミナリスさん……だっけ? といい、風の精霊といい、お前いったい何したんだよ?」
「ええ!? 何もしてないよ!? ラティスにはこの世界のこと教えてもらったお礼に飴あげただけだし、ルミナだって――――って、あれ? お兄ちゃんなんでルミナのこと知ってるの?」
「凛が倒れた後に今までのこととかいろいろ教えてくれたんだ」
「そうなんだ……って、んん!? お兄ちゃん、ルミナのこと見えるの!?」
あっちにいた頃は霊感なんてなかったのに。
指摘すると、お兄ちゃんはちょっと気まずそうな顔をして「色々あってな」と言葉を濁した。
ちなみにお兄ちゃんと同じで霊感のないお母さんにも見えるようになったのか聞いてみると、お母さんには見えないらしく、ルミナがいる方向とは全然違う方を向いて、本当ならちゃんと会ってお礼を言わないといけないのにと残念そうにため息をついた。
***
神官さんが便宜を図ってくれて教会の一室を借りて食事をとることになった。
エクスさんは用があるとかで夜に合流することになっているらしく、食卓には私とルミナ、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、それにイーニスがついた。
当初ルミナは部屋の外にいるからと遠慮しようとしたんだけど、私もちゃんとルミナのことを家族に紹介したかったし、お兄ちゃんたちも私とルミナの話を聞きたがったので同席してもらうことになった。
私が気を失っている間にあらかたのことはルミナが話してくれたみたいだから、私からはルミナと出会う前のことを補足して、お兄ちゃんたちがこっちの世界に来てからの話を聞いた。
どうやらお兄ちゃんたちは西の大陸に放り出された私とは違って、北の大陸に下り立ったそうだ。
北の大陸は西の大陸よりも国土は小さいながらも水が豊富なところらしく、あちらの世界でいうアジアに似た雰囲気のところらしい。
お米を使った料理はあったけど、味付けが口に合わなくて大変だったそうだ。
せっかくお米があるんだから美味しく食べたいとお母さんが一念発起。日本にいる頃に食べていた料理を再現できないかって今も模索し続けているんだって。
そういえばスーリアで『おにぎり』を食べたって話をしたら、驚くことにおにぎり発案者はうちのお母さんだったことが判明した。
そういえばあの屋台のおじさん、北の大陸じゃおにぎりが流行ってるって言ってたっけ。
いつの間にかうちのお母さんがすごい人になってた……。
で、ポジティブで探求心の強いお母さんは今、酵母パンの試作中なんだそうだ。食欲って偉大だ。
三年ってやっぱり長いもので、話が途切れることのないままあっという間に夕方になっていた。
赤く染まってきた空を見ながら、お母さんが嬉しそうに頬を緩ませた。
「さて、エクスさんが来たら挨拶して家に帰りましょうね――――凛は今晩何が食べたい?」
「え? わたし……一緒に、帰っていいの……?」
呆然と聞き返すと、お母さんは「当たり前じゃない」と笑った。
「凛が起きる前にちゃんとエクスさんに話はしてあるから大丈夫よ。でも、今までお世話になったんだから、凛からもちゃんとお礼を言わないとね」
「ほんと!? 本当にお母さんたちと一緒にいられるんだ……!」
力強く頷き返してくれたお母さんに思いっきり抱きつく。
お母さんの匂いだ。
いろいろ変わったけど変わってないものもあって、私はたまらなくなって年甲斐もなくお母さんの胸の中で思いっきり泣いてしまった。
***
『リン、少しだけいいか?』
「ん? なに?」
ひとしきり泣いて落ち着いたところでルミナに声をかけられた。
なんだかよくわからないままルミナの背中を追いかけて階段を上ると、昼間の屋上に出た。
冷たい風が吹き抜けて暗くなり始めた空に舞い上がっていく。
ルミナは黄昏れていく空を背後に私に向き直ると、そっと手だけを実体化させて私の頭をなでた。
『よかったな、家族と一緒に暮らせるようになって』
「うん、ほんとう……こんな奇跡みたいなことってあるんだね」
私もびっくりだよって笑いかければ、『そうだな』って微笑み返してくれた。
『幽霊でもいいから会いたかったって言ってたもんな……リンは兄に文句を言わなくてよかったのか?』
「そんなの、お兄ちゃんたちの顔見たら言えるわけないじゃん」
『それもそうか』
恨み言なんて、また会えたってだけでおつりがくるくらいチャラになってる。
広い空に一番星を見つけて大きく息を吸い込む。
「あっちの世界にいる頃はさ、こんな日が来るなんて思ってなかったなぁ……だって、異世界だよ? 家族そろって異世界に移住とか……しかも、お父さんは退魔師でお母さんは定食屋さん、お兄ちゃんなんて神子様とか……あっちじゃ普通のサラリーマンとレジ打ちのパートと学生だったんだよ? 変わりすぎて笑っちゃうよね」
『さらりーまんとかいうのはよくわからないが……突然連れてこられた異世界に移住するとか、なかなかに肝の据わった家族じゃないか』
「ほんとにそう思う」
『………………北の大陸で暮らすんだったか』
ぽつりとルミナが呟いた。
お父さんたちのお家は北の大陸にあるらしく、私もこのあと移動することになっている。
本当なら行ったり来たりするのにものすごく時間がかかるんだけど、イーニスの空間を渡る能力で一瞬で移動できるんだって。さすが神様。
「そうみたいだね。ルミナは北の大陸って行ったことある?」
『いや……』
「じゃあさ、向こうに着いたら一緒に町を探検しようよ! まずは市場に行って、食べ物はあんまり期待できそうにないけど――お米があるってことは田んぼがあるのかな?」
『…………』
「ルミナは? どんなところに行ってみたい?」
新しい町に着いたらまず市場に行こうってなっちゃうのは、今までの癖なんだからしょうがないよね。
北の大陸かぁ……どんなところなんだろう。
初めて行くところっていつもは緊張するんだけど、お母さんたちやルミナも一緒って思ったらなんだかすごくわくわくした。
北の方角を眺めながらつらつらと候補をあげてみたんだけど、いつまで経ってもルミナから返事が返ってこない。
あれ? と思って振り返れば、ルミナは俯いたまま目を反らした。
『すまない、リン』
「え?」
『俺は一緒にはいけない』
結構な風が吹いていたにもかかわらず、ルミナの声はやけにはっきりと聞こえた。
はっきり聞こえたはずなのに、何を言っているのかうまく理解できなかった。
「え? いけ……ない……?」
口をついて出た声が掠れた。
「だって、ルミナ……わたしから離れられないって……」
『ああ……』
「だから、今までずっと一緒で……」
『…………』
「いっしょに……」
早鐘を打つ心臓の音がうるさい。
なんで?
離れられなくなったって言ってたのに。
ここまでずっと一緒で。
離れられても十メートルくらいで。
いつだって隣を歩いてくれて。
これからもずっと一緒だと思ってたのに。
どうして、ともう一度聞こうとしたところで背後のドアが開く音がした。
はっとして振り返ると、エクスさんが私たちを見つけて歩み寄ってくるところだった。
「ルミナ、話は終わりましたか?」
「…………ちょうど話をしていたところだ」
私を挟んで前と後ろでエクスさんとルミナが言葉を交わす。
なに……?
呆然と見つめる先で、ルミナがもう一度「すまない」と謝罪の言葉を口にした。
「俺はエクスと行かなければならない」
「エクス、さんと……?」
「そうだ。カイナルディアがああなってしまったのは俺のせいだ……エクスが一人で頑張っているのに、原因を作った俺が何もしないわけにはいかない」
「ま、まって。でも、ルミナ、私から離れられないんじゃ、ないの……?」
「確かに俺はお前と一緒にいるために今日までずっと憑りついてきた……だが、ここから先は危険が伴う。そんな場所にお前を連れて行くことはできないから、もともと凛にはスーリアに残ってもらう予定だったんだ」
危険? 連れて行くことはできない?
スーリアに残ってもらう予定だった?
なによ、それ。
そんな話、一言も聞いてない。
問いただしたいことがぐるぐると渦を巻いて心の中を乱した。
何度目かわからない『どうして』を繰り返したところで、昨日の朝ことをふと思い出した。
ローブを作りに行ってみてはどうかと言われた時、ルミナとエクスさんの間に感じた違和感、交差した視線の意味――あれはこれのことだったんだ。
なんの根拠もないけど、あの時にはもう決まっていたのかもしれない。
歩いてきたエクスさんが私の隣で足を止めた。
正面に立つルミナの両手が、並んで立つ私とエクスさんに向かって伸びる。
白くてしなやかな、男の人のわりに綺麗な手。
何度も私の頭をなでてくれた手が、私の右肩とエクスさんの左肩にトンと置かれた。
その瞬間、ずっとそばに感じていたルミナの気配のようなものが私の中から消えた。
「ぁ……」
喪失感から伸ばした手は、ルミナを掴むどころかすり抜けて空を切った。
ルミナの体を突き抜けた自分の手を見て、のろのろと顔を上げればルミナと視線がぶつかった。
ルミナはわずかに何かを呟くと、『元気でな』と別離の言葉を口にして背を向けた。




