91 イーニスの神子
一睡もできなかった。
色んなことを考えているうちに暗かった空は白んでいき、ぼんやりと空を眺めているうちに日が昇ってしまった。
「ふぁ……」
教会へ行く馬車に揺られながら大きな欠伸をした私は、向かいに座るエクスさんと目が合って慌てて口元を隠した。
「眠そうですね」
向かいから声をかけられて顔を覆う。
うう……そこはそっとスルーしてほしかった。
寝不足の今、エクスさんの綺麗なお顔が朝日のように眩しい。
私は笑って誤魔化して、本日二回目のやらかしに項垂れた。
ちなみに一回目は馬車に乗り込んだ時にルミナの膝の上に座ってしまったことだったりする。
スーリアに着くまでルミナの膝に座って移動してたから、つい。
そう。つい、うっかり。条件反射で座ってしまった。
あの時のエクスさんとルミナのぽかんとした顔が忘れられない。
「リン、大丈夫か?」
ルミナが私を心配そうにのぞき込んでくる。
正直、寝不足の目にはルミナの顔も十分眩しい。そして、やけに顔が近い。
美人は三日で飽きるってことわざがあるけど、そんなこと全然ない。絶対ない。自信を持って言える。
私はルミナを押しとどめるように手で制して「大丈夫」と答えた。
「昨日いろいろ考えててちょっとだけ寝不足なだけだから――――ところで、エクスさん。教会の本部ってどんなところなんですか?」
これ以上突っ込まれる前にと話題を変える。
今日の私はあちらの世界でいうシスター服のような服を着ている。シルヴィーが着ていた服とお揃いのやつだ。
シルヴィーがすごく似合っていただけに、自分の格好に胡散臭さを禁じ得ない。
着慣れてないせいもあるとは思うけど、コスプレみたいですごく落ち着かない。
エクスさんが言うには、本来ならオルト村で保護された時に着る服だったらしい。教会に所属する女の人の服なんだって。
このまま出歩くのが恥ずかしくて上着を所望したら、エクスさんはそれならばと教会のエンブレムが刺繍された灰色のローブを貸してくれた。
ちなみにエクスさんも神官服の上にお揃いのローブを着ている。彼は向かいの席でいつもと変わらない人のよさそうな笑みを浮かべたまま、私の問いかけに答えてくれた。
「建物だけはやたらと立派ですが、別にそう身構えるようなところではありませんよ? ――ほら、見えてきました」
「!?」
エクスさんが教会本部の建物を指さした。その指の指し示す方向を見て、私はピシッと固まった。
灰色の石を積み重ねてできた巨大な建物は、まるで西洋の大聖堂のような外観をしていた。
実際に馬車を降りて見上げたら更に圧倒された。
「…………」
「おい、リン。口が開きっぱなしだぞ」
ルミナがくくっと笑って私の頬っぺたをつついてくる。
私ははっと口元を引き締めて、もの言いたげな視線をルミナに送った。
だってしょうがないじゃない。こんなすごい建物、テレビとか教科書でしか見たことなかったんだから。
「リンさん、こちらですよ」
入館の手続きを終えたエクスさんに声をかけられて小走りで駆け寄る。
これ、はぐれたら絶対迷子になるやつだ。
私は気を引き締めて姿勢をただすと、イーニス教の本部に足を踏み入れたのだった。
***
神子様との謁見にはまだ時間があるらしく、エクスさんは建物の中を案内してくれた。
礼拝堂に通されて、オルト村の教会との違いにくらりと眩暈を覚えた。
規模が全然違う。
広い。広すぎる。あと天井も高い。
あちらの世界の教会のように天使の絵とかが描いてあるわけではないけど、星を重ねたような彫刻が至る所に施されている。
「すごい……」
思わず声が漏れた。
参拝に来ている一般の人も結構いるみたいで、礼拝堂は厳かな雰囲気ながらも結構な人の往来があった。
エクスさんが色違いの神官服を着た神官さんたちに左手を胸の前に当てて軽く会釈をすると、向こうも同じようにして軽く会釈を返してくれた。
エクスさんがいうには、白地に赤のラインが地方の教会の神官で白地に青のラインが本部の神官らしい。
礼拝堂を出て広い廊下を歩いていると、向かいに見知った顔を見つけて声を上げた。
「シルヴィー!?」
私の呼びかけに、はっと顔を上げたシルヴィーが笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。
「リン! ――――とそちらは?」
シルヴィーがエクスさんを見て首を傾げる。
「前に話した保護してもらったオルト村の教会の神官さんなの」
私が二人の間に立ってエクスさんを紹介すると、彼はにこっと人好きのする笑顔をシルヴィーに向けた。
「エクス・ローウェンです。リンさんのお知り合いですか?」
「ええ、少し前に知り合って」
「友達になったんです。私が読み書きができるようになったのもシルヴィーのおかげで」
ね? とシルヴィーを振り返ると、彼女は少し照れくさそうに顔の横に垂れた金髪を耳にかけた。
「シルヴィア・ライナーと申します」
シルヴィーが改まった様子で左手を胸の前に当てて頭を下げる。先ほどからあちらこちらで見かける仕草は、どうやら教会の人同士でする挨拶のようだ。エクスさんも同じようにお辞儀をして、彼女の持つ錫杖に目をとめた。
「その錫杖……退魔師ですか?」
「ええ。スーリア所属の退魔師です」
「そうでしたか、スーリアの…………それはそれは」
エクスさんが笑みを深めた。
ただにこやかに話しをしているだけのはずなのに、なんとなく違和感のようなものを感じて胸がざわつく。
「エクスさん?」
「ああ、退魔師の方と知り合いなら心強いなと思いまして――同じ能力をもつ者同士なら話も分かち合えるでしょうし」
何やら一人うんうんと頷くエクスさんをよそに、シルヴィーが私に話しかけてきた。
「リンたちはどうして教会に?」
「そう! 聞いて、シルヴィー。神子様に会えることになったの!」
「神子様に!? すごいじゃない! よかったわね!」
「うん! まさかこんなに早く会えるだなんて――ね、ルミナ?」
「…………そうだな」
ルミナを振り返ると、彼はどことなく心ここにあらずといった感じで返事を返してきた。
どうしたんだろう?
そう思って、もう一度「ルミナ?」と声をかけてみれば、ルミナは私の頭に手を伸ばしかけて――手を下ろした。
いつもならぽんぽんとなでてくれるのに、どうしたんだろう。
なんだろう、この違和感。
ルミナ、今なに考えてるんだろう。
不安に駆られてルミナに手を伸ばす。考えていることはわからないまでも、ルミナが今どんな気持ちなのか知りたかった。
けれど、寸でのところでルミナにかわされてしまう。すっと何気ない動きでかわされて、私の手は空を切った。
「ねぇ、ルミナ。なにか――」
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン
隠してない? そう聞こうとした言葉は、四の刻を知らせる鐘の音でかき消された。
「そろそろ時間ですね。神子様のところに行きましょうか。では、私たちはこれで」
エクスさんが鐘の音を合図に奥に向かって歩き出す。
まだ話の途中なのにとエクスさんの背中とシルヴィーを交互に見ていると、シルヴィーが苦笑して「また連絡するわ」と私の背中を押してくれた。
「ほら、早く行かないと迷子になるわよ」
「あ、うん。ごめんね、シルヴィー。私もまた連絡するから」
別れの挨拶もそこそこに、私はエクスさんの背中を追いかけた。
***
石畳の上に深紅の絨毯が敷かれた部屋に通された。
辺りを見回してみれば、部屋にいるのは私とルミナとエクスさんと初老の神官さんが二人だけだった。神子様の姿はまだない。
エクスさんが先に部屋にいた神官さんに声をかけて深々とお辞儀をしている。もしかしたら、あの二人がエクスさんの言う上層部の人なのかもしれない。
エクスさんは神官さんたちと二、三言葉を交わすと私たちのところに戻ってきた。
「もうすぐいらっしゃるそうです――フードをかぶって待っているようにと」
言われた通りにフードをかぶって赤い絨毯の上に膝立ちで待っていると、その時は訪れた。
ギィーと扉が開かれる音とともに衣擦れの音が近づいてくる。
かぶったフードの隙間から神子様と思われる人の足が見えた。
足の感じからして男の人だろうか。
張りつめるような空気が部屋に満ちる。
私は顔を上げたい衝動を抑えながら、神子様の足元を目で追いかけた。
やがて衣擦れの音が止まって、一番前に膝をついていた神官様が厳かに口を開いた。
「この度は我々の急な申し出にも関わらず、謁見の場を設けてくださり誠にありがとうございます」
「いや、こちらこそ急かしてしまってすみませんでした。なるべく早く確認したかったので助かりました」
神子様と思われる若い男の人の声が耳に届いた。
え?
その声に、私の心臓がどくんと跳ねた。
そんなことあるはずがない。
あるわけがない。
でも、私がその声を聞き間違えるなんてありはしない。
だって……だって……その声は――。
私は恐る恐るゆっくりと顔を上げて、正面に立つ神子様を見た。
白地に金の刺繍の入ったローブを身に着けた、黒髪で黒い瞳をした青年――前よりも大人っぽくなってたけど間違いない。
そこにいたのは、三年前に火事で死んだはずの兄――八神律だった。
「――――お、にぃ、ちゃん……?」
記憶の中のお兄ちゃんよりも幾分か歳をとった姿に、三年前に死に別れたお兄ちゃんの姿が重なる。
あの日、確かにお兄ちゃんは死んだはずだ――お父さんとお母さんと一緒に。お葬式だってしたし、私は一人で叔母さんのところに引き取られた。
ただただ信じられない思いで目の前の青年に『お兄ちゃん』と呼びかければ、向こうも驚きに目を見開いた顔で『凛』と私の名前を呼んだ。
どうして。
理解の範疇を越えて、視界がぐるりと回る。
寝不足も相まって頭が考えることを放棄した。
そのまま目の前が真っ暗になって、私はどうしてという思いとともに意識を手放した。




