90 エクスさんの提案と私の出した答え
「イーニス教の本部に行きませんか?」
教会から帰ってきたエクスさんにそう提案されたのは、夕食後のお茶を飲んでいる時だった。
薄い紫色をしているくせに緑茶の味をしたハーブティーに眉を顰めていた私は、ふと顔を上げて正面に座るエクスさんを見た。
「イーニス教の本部、ですか?」
「ええ。昨晩、ルミナからリンさんがスーリアに来た理由を聞きましてね」
「ルミナから?」
「ええ、神子様に会うためにスーリアに来たと――――おや? ルミナから話はありませんでしたか?」
「ええと……?」
ルミナリス先生、聞いてません。
隣に座るルミナをちらりと見れば、ルミナは一瞬目を泳がせた後、こくりと小さく首を縦に振った。
「…………昨日エクスと話しているときに少しそういう話をした」
「そうだったんだ」
「ええ――――それでですね。昼間教会に行った折に、神子様に会うことはできないかどうか聞いてみたのですよ」
「え!?」
思いがけない話に視線を正面に戻す。
エクスさんは優雅な手つきでお茶を一口飲むと、にっこりと笑みを浮かべた。
「こう見えても教会には長く在籍している分、上層部に少し顔が効くんです」
「おー……」
田舎の村で神官をしていたから駆け出しの神官さんなのかと思ってたけど、実は結構顔が広いらしい。
でも、確かにそうだよね。百五十年前からイーニス教にいるってことは幹部してたっておかしくないもの。
そこまで考えて、ふと疑問が頭をよぎる。
「あれ? エクスさんが歳をとらないのってみんな知ってるんですか?」
私の問いかけに、エクスさんは「まさか!」と否定した。
「さすがにそんな危うい橋は渡りませんよ。ちょっとした小技を使いましてね。四代前から代々イーニス教の神官をしている家系って設定にしてあります」
「設定……」
ルミナも色々と規格外だと思ったけど、エクスさんもなかなかの規格外さんだ。類は友を呼ぶっていうのは本当らしい。
ともかく、エクスさんは名を変え姿を変えて百五十年もイーニス教に籍を置いてきたそうだ。
「エクスさんは神子様には会ったことないんですか?」
「残念ながら。十年ほど前に王都の本部で神官をしていた時ならお会いする機会もあったのでしょうけど、今はしがない田舎の村の神官ですからね」
エクスさんの言葉に引っかかりを覚える。
「十年前は神子様っていなかったんですか?」
「ええ。神子様は二年ほど前にイーニス様の声を聴くことができる者として、突如現れたんです」
「突如……?」
「ええ。お会いしたことはありませんが、田舎で神官をしている私でも噂だけは耳にします」
「どんな……ですか?」
「東の大陸で邪竜を封印した話が一番新しいでしょうか。普段はイーニス様の意思に従って世界を飛び回っているそうです。なんでも、まだ若い方のようで――――ああ、そうだ。ルミナやリンさんと同じような髪の色をしているらしいですよ」
「!?」
二年前に突如教会に現れた。私と同じ髪の色。
エクスさんからもたらされた神子様の情報に私の心臓がドキンと跳ねた。
髪の色だけで言えば、この世界でも黒髪はそこまで珍しくない。
だけど、私は今のエクスさんの話を聞いて思うところがあった。
創造主であるイーニスの意思を聴くことのできる存在。突如教会に現れて二年の間にあっという間に神子様と呼ばれるようになった――それはまるで、あちらの世界で何度も読んだ異世界転移もののラノベの主人公のようだと思った。
「おい、リン。大丈夫か?」
横から肩を掴まれてはっとルミナに顔を向けると、彼は何やら厳しそうな顔で私を見ていた。
「顔色が悪い。何かあったのか?」
「あ……ううん、何でもない」
私は少しだけ視線を泳がせてから首を横に振った。確信がないことは言わない方がいいと思ったからだ。
確信も確証もない。けれど、なぜだか思わずにはいられなかった――神子様も私と同じで日本から転移してきた人なんじゃないかって。
そう思ったら急に手が震えた。
私は震える手を机の下に隠して握りしめると、向かいに座るエクスさんに問いかけた。
「それで……神子様には会えるんですか?」
「ええ。なんでも神子様も狭間に落ちた者に興味があるようでしてね。明日にでもと快い返事をいただけました」
「明日……」
「都合が悪かったですか?」
「いえ、そういうことはないんですけど……」
まさかこんなに早く神子様に会えるとは思ってなかったから、心の準備が全然できていなかった。
「リン、本当に大丈夫か?」
「あ、うん。本当に大丈夫……大丈夫なんだけど、ちょっと疲れちゃったみたい」
我ながら苦しい言い訳だけど、これしか出てこなかったんだから仕方がない。
へらっと笑ってみせれば、ルミナもエクスさんも顔を見合せたくらいで深く突っ込んではこなかった。
私はそれを理由に部屋に戻って休ませてもらうことにした。
***
部屋に戻ってベッドの上で膝を抱えていると、ルミナが壁をすり抜けて入ってきた。
『リン、邪魔するぞ』
「ルミナ……」
ルミナは私の横に来ると、昨日の夜と同じようにベッドの縁に腰かけて私を見た。
じっと見つめられるとなんとなく気まずい。
身じろいで少しだけ体を後ろに移動させると、ルミナの手が伸びてきて私の額に触れた。
『…………熱はないようだな』
「ふぇ?」
『様子がおかしかったから、具合でも悪いのかと思ったんだが』
「あ、えっと、違うの。本当にそういうのじゃなくて……神子様の話がね。急にいろいろ進んだから、ちょっと気持ちが追いついてなくて――――あ、でもね。一晩寝れば大丈夫だから」
手を小さく振って大丈夫だと告げれば、ルミナは私の顔をじぃーっと見たあと額に触れていた手を頭に回してポンポンとなでてくれた。
『それならいい。お前は一人で抱え込むところがあるから少し心配だったんだ』
「ルミナ……」
『ゆっくり休むといい。何かあったらいつでも呼んでくれ』
頭をなでてくれていた手が離れていく。
それが少しだけ名残惜しくて、思わず「あ……」と離れていく手を見てしまった。
ベッドから立ち上がって部屋を出ていくルミナの後ろ姿に、ふといつか言われたことを思い出した。
――リン、この世界を選んではくれないか?――
私はまだルミナに返事をしていない。
返事はオルト村に着くまででいいとは言われたけど、神子様に会うまでにちゃんと決めておかないといけない気がした。
そうしてルミナのいなくなった部屋で一人ベッドに寝転がる。
ぼんやりと天井の模様を眺めながら、ルミナになでてもらった頭に手を持っていく。
ルミナのことは好き。
好きって自覚してから、一緒に旅をする中で前よりもっと好きになっていた。
好きって気持ちだけでこの世界に残っていいのかなって、ここに来るまでずっと考えてきた。
でも、こうしていつも一緒だったルミナと離れてみたら、やっぱり隣にルミナがいないのが寂しくて。
もし向こうに帰れても、ルミナのいない生活に耐えられそうにないと思った。
目を閉じてあちらの世界にある自分の部屋を思い浮かべる。
戻るの? 今までの私に?
必要最低限しか私物のない寮の部屋で一人、生涯誰にも言えない秘密を抱えて生きていた。
きっとそれは高校を卒業しても変わらない――大学生になっても、就職しても、誰にも幽霊が見える力のことを打ち明けられずに上辺だけの交友関係が続いていくに違いない。
それなら……そんな人生なら、こちらの世界の方がいいなって思った。
ここなら少なくともルミナがいる。シルヴィーっていう同じ能力を持った友達もできた。能力を生かせる仕事だってできるかもしれない。
――ありがとう――
エオ君も、バゼル村のおばあさんの幽霊も、サリーナさんも、テト君もテト君のお母さんも、アドルフさんも……みんな、別れ際に笑顔を向けてくれた。
私が『見る』ことができたからこそ関わることができた人たち。
ずっと嫌いだったこの力を、この世界なら受け入れてもらえる。
知ってる人なんて誰一人いない世界だったけど、私は今この世界で自分を偽らずに生きていけている。
ふと右手を天井に掲げて中指にはめられた指輪をしげしげと見やる。
まだ指になじまない指輪が何だかこそばゆい。
神子様に会う前に縁を結んでおきたかったとルミナから贈られた指輪――。
ここには私を必要としてくれる人がいてくれる。
アメジストのような紫色の石をそっとなでて、私は自分なりの答えを出した。




