87 借りていたもの、お返しします
目が覚めると朝になっていた。
なかなか寝つけなかったけど、ベッドでごろごろしているうちにいつの間にか寝落ちしていたらしい。
起きてすぐにルミナの姿を探してから、別々の部屋だったことを思い出して苦笑してしまった。
出会ってからずっと一緒にいたから当たり前になっていたけど、思えばこれが普通なんだよね。
一つ伸びをしてベッドサイドに置かれた砂時計に目をやる。
三の刻――七時半くらいか。
起きたらダイニングに来てくださいって、エクスさんに言われてたんだった。
朝ご飯、エクスさんが作ってくれるのかな?
前に食べたとき美味しかったなって思ったら、期待してお腹がすいてきた。
もそもそとベッドから起き出して、おもむろにルミナがいる方の部屋の壁を見た。
ルミナ、どうしてるかな。思いつめてないといいんだけど。
本当はルミナの抱えているもの、なんでも話してほしい。でもだからって、無理矢理聞き出すのは違うと思うから。
だから、私はルミナが話してくれるまで自分からは聞かないと決めた。
――――――――よし!
「ルミナ、起きてる?」
壁に向かって話しかければ、一呼吸おいてルミナがにゅっと壁をすり抜けてきた。
『おはよう、リン』
いつも通りの挨拶にひとまず安心する。
そのままじっとルミナを見ていると、それに気づいて彼が首を傾げた。
『どうかしたか?』
「ううん、何でもない。ルミナはよく眠れた?」
『寝る必要がないから寝てはいないが……まぁ、色々とじっくり考えることはできたな』
「そっか……」
『それより朝食に行くんだろう? 準備はできているのか?』
「あ、うん。もう行けるよ」
いつものように椅子の背もたれに掛けていた白いローブを羽織ろうとして、私はふと動きを止めた。
そういえばこのローブ、エクスさんに借りたままだったな。
なりゆきでずっと借りっぱなしになってたけど返さなきゃ。
「これ、エクスさんに返さなきゃ」
『……リンのものにしては大きいとは思っていたが……エクスのものだったのか……』
「うん。いろいろあって借りっぱなしになってたんだ」
手にしていたローブを丁寧に折りたたんだところで、さすがにこのままは返せないと思って清めのマットに加護を求める。
マットが光ってあっという間にローブが清められた。
ものの数秒で洗濯完了とか、本当にこっちの世界の洗濯は便利すぎる。
綺麗になったローブを見て、しみじみと今までのことを思い出す。
特にベルナ山ではお世話になったなぁ。寒さもしのげたし、あの頃は鞄を持ってなかったからいっぱいついてるポケットは重宝したっけ。
正直に言うと、返すのが惜しいってくらい気に入っている。
本当、このローブってば優秀すぎたのだ。
生地の触り心地もさることながら、軽いし濡れてもすぐ乾くしポケットはいっぱいあるし、おまけにとっても丈夫だった。
昔、お母さんがいい靴を履いたら他のメーカーの靴が履けなくなるって言っていたけど、今ならその気持ちがわかる。
ここに来るまでにも村の市場で代わりになりそうなものを探してみたんだけど、これがなかなか見つからなかった。
あとでエクスさんにどこで買えるか聞いてみようと思いつつ、ルミナと並んで部屋を出た。
***
「これ、ありがとうございました。すごく助かりました」
先にダイニングにいたエクスさんに挨拶もそこそこにローブを手渡すと、彼は「ああ」と思い出したように手を打った。
「そういえば、お貸ししたままでしたね」
「長くお借りしてしまってすみません」
「いえいえ、あの状況でしたから仕方ありませんよ。役に立ったのならよかったです」
『あの状況?』
当時の状況を知らないルミナが会話に割り込んでくる。
「えとね、これを借りたすぐ後に狭間に落とされちゃったから」
『あー……俺のところに来る前か』
「うん――――――あ。そういえば」
ふとピティとの会話を思い出す。
――――お願い、助けてほしい子がいるの!
あの時、ピティは誰を助けてほしくて私を狭間に落としたんだろう。エクスさんならピティの言ってた『助けてほしい子』が誰のことかわかるかな?
あの日、狭間に落とされる前の私がピティと話していたことを説明すると、エクスさんは口元に手を当てて「おそらく」と口を開いた。
「彼女の言っている『助けてほしい子』というのはシャーリーのことでしょうね」
「それって昨日エクスさんが言ってたカイナルディアを眠らせたっていう水の精霊ですよね?」
「ええ。彼ら水の精霊は精霊の中でも仲間意識が強いのですよ。おそらくリンさんが風の加護を受けていることを知って、なんとか湖に蔓延した瘴気を払えないかと考えたのではないでしょうか」
「なるほど……」
確かにそれならルミナがピティのことを全く知らないのも辻褄が合うし、自分がベルナ山に飛ばされた理由も納得がいく。
「ピティが迷惑をかけましたね。というか、私もこんなことになるとは知らなかったとはいえ、軽い気持ちで退魔師の仕事をしてみませんかなんて言ってすみませんでした」
「いえ、そんな! エクスさんが謝るようなことじゃないで……」
きゅるるるる……
謝った瞬間に腹の音が響いた。
「ひやあああああああ」
とっさに顔を覆って蹲った。
もう! もう! もう!
もうやだ、私のお腹! 穴があったら入りたい。
そりゃ、お腹はすいてたけど今この時に鳴らなくてもよくない!?
指の間からちらりと見てみると、ルミナはともかくエクスさんまで口元に手を当てて肩を震わせていた。そっと目を反らしてくれているのは優しさだろうか。
「話はあとにして、ひとまず朝ご飯にしましょうか」
エクスさんは笑いを誤魔化すように咳払いすると、朝食を準備してくれた。
***
白い平べったいパンに野菜や肉を挟んだサンドイッチと野菜の沢山入ったスープは、どことなくオルト村で初めて食べたご飯を思い出させた。
うん、美味しい。やっぱりエクスさんは料理上手だ。
ほくほくと食べる私の隣で、ルミナは並べられた料理を前に信じられないものを見るような目をエクスさんに向けていた。
『お前、料理なんて作れたのか』
「失礼ですね。やろうとしなかっただけで、やればちゃんとできる子なんですよ、私は」
「あれ? 実体化してなくても何て言ってるか聞こえるんですか?」
「いいえ? でも、付き合いだけは無駄に長いですからね。それくらい顔を見れば何を言いたいかくらい察しはつきます」
「なるほど……」
なんかいいなぁ、そういう関係。
とはいえ、聞こえないのは不便だろうなと思ったところで、ふと思いついた。手だけとか部分的に実体化できるんだから、声だけ聞こえるようにってできないのかな。
「ねぇ、ルミナ。手だけ実体化するみたいにさ、声だけ聞こえるようにするってできないの?」
『――――――その手があったか」
どうやら思いつかなかっただけらしい。
私には違いはわからなかったけど、エクスさんにはルミナの声が聞こえるようになったようだ。
話せるようになったルミナとエクスさんの会話に耳を傾けつつ、朝食の時間はなごやかに過ぎていった。
食事の終わりにエクスさんに今日の予定を聞かれた。
もともとは図書館に行くつもりだったんだけど、カイナルディアのことはエクスさんから聞いちゃったから調べる必要はなくったし…………さて、どうしよう。
他に予定という予定もないし、エクスさんにローブを返してしまったから新しいのを買いに行くのもいいかもしれない。
「あの、エクスさんが着ているローブと同じものがほしいんですけど、どこで買ったものなんですか?」
私がローブの話を切り出すと、エクスさんはきょとんと目を瞬いて意外そうな顔をした。
「え? 同じものがほしいのですか?」
「はい。着心地もいいし、ポケットもたくさんついててすごく便利だったんです。できたら同じようなものが欲しいんですけど、なかなか売ってなくて」
「あー……あれは特注品ですからね」
「特注品……」
「ほしいのでしたら店を紹介しましょうか?」
「本当ですか!?」
「ええ」
エクスさんは頷くと、おもむろにルミナと視線を交わして顔に笑顔を貼りつけた。
「今日は教会に行く用事がありましてね。残念ながら一緒には行けませんが、店の場所を教えますからルミナと一緒に作りに行ってみてはいかがですか?」
「えと、ルミナはそれでいい?」
「ああ」
「では、決まりですね――――ルミナ、リンさんを頼みましたよ」
「ああ。そちらもな」
二人のやりとりに、ふと違和感を覚えた。
何だろう。
そう思ってルミナとエクスさんを見てみたけれど、感じた違和感は一瞬で消えてしまった。
結局そのあとも違和感の正体はわからず、私は首をひねりながらルミナと町へ繰り出すのだった。




