86 秘密の話をしましょうか(エクスとルミナリス)
エクスが自室のソファーで一人くつろいでいると、白い鳥が壁をすり抜けて飛び込んできた。
それに気がついて手を出せば、白い鳥がその姿を手紙に変えてふわりと手の中に収まった。
「手紙……?」
たどたどしい字で『エクストラーザ・ローウェンさま』と書かれた宛名に誰だろうとひっくり返して差出人を見てみれば、同じくたどたどしい字で『やがみ りん』と書いてあった。
いつの間に読み書きを覚えたのだろう。
オルト村で保護した時には誓約書を読んであげなければならなかったことを考えるとめざましい成長である。
ベルナ山からここスーリアまでは結構な距離がある。いくらルミナリスがそばにいたとはいえ、読み書きのできない彼女にとって右も左もわからない異国での旅は大変だったに違いない。もしかしたら必要に駆られて覚えたのかもしれない。
そんなことを考えながら何が書いてあるのかと手紙を開くと、そこにはルミナリスを案じる言葉が並んでいた。
ところどころおかしな言い回しも見受けられたが、短い文章をいくつも書き連ねて心配する文面からは彼女の思いやりの深さをうかがい知ることができた。
「…………こんなに想われて、ルミナも隅に置けませんね」
どうかルミナを元気づけてあげてほしいという最後の一文を読み終えて、エクスはソファーの背もたれに背中を預けて小さく笑った。
自分と話して元気になるかはさておき、どのみちルミナリスとは二人で話したいことがあったのだ。
(からかうネタもできましたし、行ってみましょうか)
エクスはリンからの手紙をポケットにしまい込むと、ゆったりした足取りでルミナリスの部屋に向かった。
***
「ルミナ。ちょっといいですか?」
ノックなしにルミナリスの部屋のドアを開けて、エクスがずかずかと中へ足を踏み入れる。
完全に油断していたルミナリスは、ドアが開くと同時にびくりと体を震わせて、入ってきたのがエクスだとわかるとジト目になった。
『お前な……いきなり入ってきたら驚くだろう……』
「え? なんですか? 聞こえませんね」
大人の姿のルミナリスが口をぱくぱく動かしているのを見て、エクスはわざとらしく肩をすくめた。大方ノックしろとかいきなり入ってくるなとか言われているに違いない。
ルミナリスは眉間にしわを寄せると、体を子供の姿に転じた。
「昔からノックくらいしろと何回言えば分かるんだ? いきなり入ってきたら驚くだろうが」
「えー……今更じゃありませんか」
エクスがしれっと答えれば、ルミナリスは額に手をやって呆れたようにため息をついた。どうやら百五十年経っても友人の反応は変わらないようだ。それが少し嬉しくてエクスは口の端を上げた。
昔と変わらないやりとりに肩の力が抜けたのか、ルミナリスはエクスにソファーの向かいに座るように促した。
もとより話をしていくつもりだったので、エクスは遠慮なくソファーに腰を下ろして向かいに座る子供の姿のルミナリスに目を向けた。
「さて……改めまして、久しぶりですね。ルミナ」
「ああ」
「まさか、貴方とこんな形で再会することになるとは思ってもみませんでした」
「俺もだ」
「…………しかも、そんな可愛らしい姿で……」
「…………言ってくれるな」
茶化すようにくすりと笑ったエクスを、ルミナリスがため息とともに制する。ルミナリスとて子供の姿は不本意なのだ。
エクスが笑いを収めると部屋に沈黙が落ちた。
さて、どこから話しましょうかと思っていると、向かいに座るルミナリスが先に口を開いた。
「――――正直……俺は今、どんな顔してお前と話をしたらいいのかわからない」
自分のしでかしてしまったことの大きさにどう向き合ったらいいのかわからないのだと項垂れるルミナリスの正面で、エクスはふっと肩をすくめてみせた。
「それを言われたら、私だって貴方に合わせる顔がありません。瀕死の貴方に『あとは頼んだ』って言われたのに、この状況ですからね」
エクスは目の前で項垂れるルミナリスに視線を向けたまま、過ぎ去った『あの日』を思い出していた。
暴走する術をどうにかしなければと、国宝として奉納されていた光の剣を持ち出して負のエネルギーごとルミナリスを斬ったのはエクスだ。結局、術の勢いは止まらずにルミナリスの意識は体から切り離されて負のエネルギーに取り込まれてしまった。
カイナルディアが湖に沈んだ後、その場所には悪霊化したルミナリスだけが残された。
満身創痍だったエクスは退却を余儀なくされて、湖周辺はルミナリスを中心に放たれた瘴気で満たされた。
悪霊化したルミナリスをいっそカイナルディアが目覚めるその日までそのままにしておこうと決めたのはエクス自身だった。悪霊化したルミナリスがカイナルディアを荒らしに来た輩を追い払ってくれるのではないかという目論見通り、彼は身に纏っていた黒い影を吹き飛ばされるまでカイナルディアを荒らそうとする連中から国を守った。
百五十年経った今でもカイナルディアが謎に包まれた国とされているのは、ルミナリスが他者を寄せ付けなかったからに他ならない。
百五十年。エクスは湖に沈んだ故郷のためだけに今日まで生きてきた。
「いつかこうして会えたら謝らないととは思っていました。私はね、国のために百五十年ものあいだ貴方を悪霊のまま放置していたんです。ひどい友人でしょう?」
謝りはしても、あの時の自分の決断を後悔はしないと決めていた。だから、弁解はしなかった。
ルミナの怒りをこの身に受けるつもりで白状したエクスは、目を閉じて罵声や拳が飛んでくるのを待った。
しかし、飛んできたのは罵声でもましてや拳でもなかった。
「…………いや。国を守りたかったのは俺も同じだ。お前が謝る必要はない」
静かに落ち着き払った声に、エクスははっと目を開いて正面に座るルミナリスを見た。
ずっとどんなふうに怒りを向けられるだろうかと想像してきた。怒られることばかり考えていたから、いざこうして謝罪を受け入れられるとどういう顔をしていいかわからなくなる。
エクスは顔を両手で覆うと肺が空っぽになるくらい息を吐いて気持ちを切り替えた。
まだやることは残っているのだ。
「……あれから百五十年。当初の予定とは少し異なりますが、ルミナを悪霊にしていた影も祓われました。あとは持ち出された死者蘇生の知識を闇に葬ることができれば、カイナルディアを長い眠りから目覚めさせることができる」
万感の思いを込めてエクスが言葉を放つ。
エクスはややたれ目がちのワインレッドの瞳にルミナリスの姿を映すとわずかに目元を緩めて話を続けた。
「そのことで、ルミナには話しておかなければならないことがありましてね」
「話しておかなければならないこと?」
「貴方は自分が死んだと思っているようですが、実は違うのです」
「? どういうことだ? 俺はあの時お前に刺されて……」
「ええ。あの時の貴方は私に刺されて瀕死の状態でした。おそらく数刻もしないうちに命を落としていたでしょう――――けれど、その前にシャーリーが国中の時を止めました」
ルミナリスが思わず立ちあがった。
今、こいつはなんと言ったのか。命を落とす前に時を止めた?
「待て。それなら、俺は……」
「ええ。ルミナは死んでいません――――まぁ、死にかけている状況に変わりはありませんが」
「なっ……!? じゃあ、今の状態は何だというんだ!? 俺はついこの間まで悪霊だったはずで」
「ええ。あの時私が使った光の剣のせいで、貴方の意識は負のエネルギーごと体から切り離されて影に呑まれてしまった。覆っていた黒い影が祓われた今、貴方は生霊の状態に戻ったといえます……昔、貴方がしていた実験でも何度か同僚の方が生霊になったことがあったでしょう?」
「確かにあったはあったが……」
にわかには信じられない。
生霊と言えば、ヴェラードでのキースが記憶に新しい。彼は階段から落ちた拍子に魂が体から抜け出て戻れなくなっていた。
ふと、ルミナリスは自分の手のひらに視線を落とした。
そういえば、あの時ルルド村からヴェラードへ移動するときにサリーナが凛に憑りついたが、彼女は凛から遠く離れても行動ができた。確かに同じ霊体なのになぜだろうとは思っていたのだ。
霊体は生きていても死んでいても少なからず本体の影響を受ける。生きている間は霊体は肉体に縛られ、死んでからも遺体から遠く離れられないようになっている。
しかし、誰かに憑りついたりなどして完全に体と切り離された霊体は別だ。肉体の束縛を受けなくなる。
ルミナリスは凛に憑りついている自分は肉体と切り離された状態にあると思っていたが、どうやら根本から間違っていたらしい。
生霊の場合は死霊と違い、憑りついた相手の肉体に縛られることになる。憑りついた凛から十メートル程度しか離れられないのもおそらくそのせいだ。
言葉を失って手のひらを見るルミナリスに、エクスは膝の上で組んでいた手を組み替えて向かいから声をかけた。
「貴方を体に戻すためにはカイナルディアを目覚めさせないといけないのですが、今は少しばかり時期が悪くてですね」
「時期?」
「ここ数年、きな臭い動きがあるんですよ。オルト村から少し南東に離れたところで何度か死者蘇生の実験が行われたような事件が起こっています。まぁ、どれも失敗に終わったようですがね。オルト村の神官に志願して周囲を調べてきましたが、どうもカイナルディアを襲った連中の末裔があのあたりに潜んでいるようなのですよ」
「なるほど。それでお前はオルト村で神官をやってたのか」
エクスの話を聞いてルミナリスは妙に納得した。
この面倒くさがりで効率を愛する友人がオルト村なんて辺境の田舎で神官をしていることがどうにも腑に落ちなかったのだ。
「ええ。まぁ、今はリンさんを探すためにあちらには土くれ人形を置いてきましたが」
「相変わらず器用だな」
凛が狭間に落とされた後、彼女を探すためにどうしてもオルト村を離れなければならなかったエクスは、精霊の加護を応用することで土くれから自分そっくりの人形を作りだして代役として村に置いてきた。世界広しと言えど、そんな方法で代役を立てられるのはエクスくらいだろう。
「ルミナがリンさんを保護してくれていて助かりました。これでようやく私もオルト村に戻れます」
「待て。そんな危険な場所にリンを連れて戻るつもりか?」
「そのつもりですよ。ルミナの影を祓うほどの加護を持っているならば戦力として申し分ない」
「な……リンを巻き込むつもりか!?」
「巻き込むも何も、ルミナが彼女に憑りついている時点で十分巻き込まれているではありませんか。貴方はリンさんから離れられないのでしょう? ならば彼女ごと連れて行くしかないではありませんか」
「それは……」
ルミナリスは言い淀んだ。
確かにエクスの言う通りだ。
ルミナリスはカイナルディアを目覚めさせるために尽力しなければならないと思っていた。エクスと共にカイナルディアを襲った連中の末裔とやらを排除する必要がある。それが術を研究していた自分にとっての責務だ。エクス一人にまかせるつもりはなかった。
ただ、凛はどうだろう。彼女はカイナルディアとは何ら関係ない。自分が憑りついたせいで争いに巻き込まれるなんてあってはならない。
リンにこの世界を選んでほしいと言ったのはルミナリス自身だったが、国を滅ぼしかけた原因を作った自分が彼女のそばにいていいとは到底思えなかった。
ならば、凛が元いた世界に帰れるように手を回してやるのが筋というものだ。
ルミナリスは何が最善か考えを巡らせ、一つの答えを出した。
「…………俺がお前に憑りつけば、リンはお前と戻る必要はなくなるか?」
「そうですね。彼女の保護先をスーリアに変える必要はあるでしょうけど」
「ならば、オルト村には俺だけを連れていけ――そのかわりと言ってはなんだが、お前に一つ頼みがある」
「何です?」
「リンをイーニス教の神子に会わせてやってほしい」
「神子様に、ですか?」
唐突に出てきた神子の話にエクスが訝しむように眉を寄せる。
「リンの転移にイーニスが関わっていると加護を授けた風の精霊が言っていた。イーニスの愛し子だという神子を通してならば、イーニスに直接会えるかもしれないだろう? もともと俺たちは神子に会うために王都に来たんだ」
凛の転移にイーニスが関わっていることを聞いたエクスは、ふと彼女と初めて会った日のことを思い出した。
そういえば、あの日凛が卒倒したのはイーニスの名前を聞いた直後ではなかっただろうか。そして目覚めてすぐの彼女はイーニスに会う方法を聞いてきた。その時はまさかそんな事情があるとは知らず戯言だと思って笑って流してしまったが、思えばあの時の絶望的なまでに打ちひしがれた様子は少し異常だったかもしれない。
それもこれも転移にイーニスが関わっているというのであれば納得がいくというものだ。
エクスは思い返しながら、真剣な表情のルミナリスに目を向ける。
それにしても、この友人が研究以外のことを気にかけるのは珍しい。
「……ルミナはずいぶんリンさんのことを気にかけているのですね」
さりげなくを装って探りを入れてみれば、ルミナリスは小さく笑って「そうだな」と返した。
エクスはおや、と目を瞠った。てっきり「そんなことはない」と返ってくるものだと思っていただけに内心驚いたのだ。
手紙の内容からルミナリスに懸想しているのは凛の方かと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「貴方、ちゃんと生きている女性にも興味があったんですね」
珍しいものを見るような目をルミナリスに向ければ、彼は胡乱気な目で見返してきた。
「なんでそうなる……」
「なんでって、今まで魔術の研究にしか興味なかったではありませんか」
「…………………………リンには恩があるんだ」
「恩、ですか……まぁ、そういうことにしておいてあげましょう」
エクスはじーっともの言いたげにルミナリスを見て、ふっと顔に笑みを張りつけた。
あまり突っ込んでへそを曲げられるのも困るからこの辺で話を切り上げた方がいいだろう。
「事情はわかりました。では、リンさんは王都に置いていくということでいいんですね?」
「………………ああ」
「それであれば、伝手を当たってみましょう。これでも教会にいる期間は長いですから上層部に知り合いもいるのですよ」
「助かる――――そうだ、エクス」
話は終わりとばかりに席を立ったエクスをルミナリスが呼び止める。
「…………ここで話したことはまだリンには言わないでくれないか? あとで俺から話す」
「わかりました。話すタイミングはルミナに任せます」
今度こそ話は終わり、とエクスが部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送ると、ルミナリスは大人の姿に転じてソファーに項垂れた。
凛と一緒にいたいという気持ちは今でも変わらない。できることなら自分が彼女の居場所になりたいと思っていた。
それができないからと凛を元の世界に戻そうとするのは間違っているのかもしれない。けれど、このまま戦場になるかもしれない場所に彼女を連れていくことだけは避けたかった。
『リン……すまない……』
絞りだすように呟かれた謝罪の言葉は、誰に聞かれることもなく部屋に溶けていった。
お読みいただきありがとうございました。
ブクマや評価などなどとても励みにさせていただいております。
長らく更新できなかった上、新年早々重い話ですみません!
ルミナ、まさかの死んでなかったという話でした。
ノリと勢いでちりばめた伏線をそろそろ回収していきたいと思う今日この頃です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。




