74 精霊ラティスとセゼの木
「ラティス……?」
あまりにも唐突な風の精霊の登場に、幻でも見ているのではないかと目をぱちぱちと瞬く。
消えない。
ついでに頬もつねってみる――――痛い。
うん、夢じゃない。
『やだなぁ、夢じゃないよ!』
「でも、どうして……?」
『ボクは風の精霊だよ? そばにはいられなくても、ずっとリンのこと見てきたんだ。今までだって危ないときは助けてあげてたでしょ?』
言われて、確かにと思う。
私がルミナに襲われた時、滝から落ちた時、それに魔獣に襲われた時も、ラティスは私のことを守ってくれていた。
『危険から守るだけならボクの加護だけでなんとかなるけど、今回ばかりはそうはいかないと思ってさ』
「だから私の前に出てきてくれたの……?」
『そうだよっ』
呆然とした呟きに、ラティスが私の鼻先で誇らしげに胸を張った。
やばい、涙がでそうなほど嬉しい。
私とラティスが再会を喜んでいると、一人置いてきぼりにされていたルミナが私を呼んだ。
そういえば、ルミナはラティスとは初対面だった。
「ルミナ、この子はラティス。私に風の加護を授けてくれた風の精霊さん。ラティス、こっちは……」
『ルミナリスでしょ? ちゃんと知ってるよ』
私がルミナを紹介する前に、ラティスがルミナを指さして名前を言い当てた。
どうやらずっと見てきてくれたというのは本当らしい。
ルミナが興味深そうにラティスを見る。
『風の精霊とは驚いたな……人間の前には滅多なことじゃ姿を現さないんじゃなかったのか?』
『普段はね。でも、リンが困ってたから』
そう言ったラティスはくるりと私に向き直った。
『さて、本題に入るよ。リンはセゼの木を探してるんだよね?』
「そ、そう! けど、この辺りにはなかなか生えてない木みたいで……ラティスはセゼの木の場所がわかるの?」
『わかるよ。風が吹くところなら、ボクたちの目と耳が届くから』
四枚の羽根を羽ばたかせて私の前でくるりと一回転したラティスは、私の手……というか人差し指を握ってぐいぐいと引っ張った。
『こっち』と引かれるがまま歩き出そうとして、ふと足を止める。
「ねぇ、ラティス。セゼの木ってここから結構離れてる?」
『そうだね。人の足だと結構離れてるかも』
「それなら一度戻っていい? アドルフさんとシルヴィアさんも一緒に連れていきたいの」
どのみちアドルフさんはセゼの木の下に連れていかなければならないのだ。アドルフさんにあとどれくらいの猶予が残されているかわからない以上、一緒に連れていった方がいいと思った。
ラティスは同行者に人間がいることを知って少し難色を示したものの、最終的には承諾してくれた。
私たちは一度魔獣が住んでいた横穴のところまで戻った。
戻ってきたまではよかったんだけど、私ではすり抜けてしまってアドルフさんに直接触ることができない。
見かねたルミナがアドルフさんを担ぎ上げる。同じ霊体なだけあって、ルミナはアドルフさんの体に触れることができるようだ。
私は意識の虚ろなシルヴィアさんの前にしゃがみこむと、彼女の腕を自分の肩に回して背中に寄りかからせるようにして立ち上がった。
「リン……?」
背中越しにシルヴィアさんの弱々しい声が聞こえる。
「シルヴィアさん。辛いとこ悪いんですけど、セゼの木まで少しだけ頑張ってください」
「ん……」
微かに頷いたシルヴィアさんを背に、私は一歩踏み出した。
重い。何これすごい重い。シルヴィアさん、私よりも軽そうなのに。
人ひとりの重さに驚愕する。
ドラマとか漫画の世界ではみんな軽々やってたのに、実際やるとなると大違いだ。
前かがみになって歩く私を、ラティスが少し前を飛んで先導してくれる。
『おい、リン。大丈夫か?』
ゼェゼェと肩で息をする私を気遣ってルミナが声をかけてくれる。
顔を上げてみれば、アドルフさんを担いでいるルミナは私とは違って涼しい顔をしていた。
「なん、で、ルミナは、平気、なのっ?」
『霊体に重さはないからな』
しれっと返される。
そうか、重さがないのか。
それなら涼しい顔をしているのも納得というものだ。
ルミナは私の顔をまじまじと見ると、すぐ隣に並んで背負われているシルヴィアさんに手を伸ばした。
背中にかかる負担が減ってルミナお仰ぎ見れば、シルヴィアさんの首根っこならぬ襟の後ろを掴んで引っ張ってくれていた。
「あっ、ありが……」
ありがとうと言おうとして、なんだかシルヴィアさんが苦しそうなのに気づく。
「待った待った、ちょっとストーップ! 首! 首締まっちゃう!」
そうしてルミナに支え方を変えてもらって、シルヴィアさんを二人で支えるように体勢を変えた。ずいぶん楽になったおかげで歩くスピードも上がる。
「ルミナ、ありがとう」
『……なに、気にするな』
お礼の言葉を口に出すと、ルミナが穏やかな笑みを返してくれて思わずその表情に見とれた。
顔に熱が集まるのがわかって、ぱっと顔をそらす。
赤くなった顔を見られたくなくて、私は前を行くラティスに顔を向けて雑念を振り払うように足を速めるのだった。
***
歩き始めてどのくらい経っただろうか。
人の足だと結構離れてるというだけあって、確かにずいぶん歩かされた。
高かった日が傾きだして、本当にこの先にセゼの木があるの? と思い始めた頃になって、ようやくセゼの木が見えてきた。
綺麗な小川の流れる畔に見たことのある白い木が目に入って、安堵に大きく息を吐く。
「つ……ついた……」
でも、着いて終わりじゃない。
幹にもたれかけるようにしてシルヴィアさんを座らせて木を仰ぎ見る。
実ってどれだろ。
アドルフさんをセゼの木の根元に寝かせたルミナが同じように気を仰ぎ見て、ふわりと宙に浮く。木の中ほどになっていた白くて丸い実を一つもぎって私のところに下りてくる。
『これがセゼの実だ』
手渡されたセゼの実をじっくり見てみる。
あれだ、白いけどプラムみたいだ。
「これ、皮むいちゃっていいの?」
『ああ、問題ない』
ルミナの返答を受けて、私は意識の朦朧としているシルヴィアさんの傍らに膝をついてセゼの実の白い皮をぺらりとむいていく。中の果肉はほんのり黄色味を帯びた白い色をしていた。
「シルヴィアさん、セゼの実です。食べられますか?」
皮をむいた部分をシルヴィアさんの口元に持っていってあげると、彼女は小さく口を開けて自力で柔らかそうな実に齧りついた。
その瞬間、シルヴィアさんがカッと目を見開いて地面を転がりだした。彼女は口を押えてごろごろ地面の上をのたうち回った後、意識を手放した。
悶絶して動かなくなったシルヴィアさんを見て、全身から血の気が引いていく。
「ね、ねぇ! ルミナ! ど、どうしよう……私まずいもの食べさせちゃったのかな!?」
慌てる私とは対照的に、ルミナはとても落ち着いていた。
『心配ない』
「で、でも、まるで毒でも食べたんじゃないかってくらい苦しんでたよ!?」
納得できずに食い下がる私に、同じように白い実を手に下りてきたラティスが私の手にそれを握らせる。
『なにせ激マズだからね』
「!?」
不味いだけ!? それであんなに苦しんでたの!?
衝撃と共に手の中の白い実に視線を落とす。
『毒ではないからリンも食べてみたら?』
いかにも楽しそうにラティスに言われてぶんぶんと首を左右に振る。
どれだけ不味いのかは気になったけれど、あの苦しみようを見た後でこの白い実にチャレンジする勇気は私にはなかった。




