72 魔獣との交戦
差し出した手をルミナが握り返してくれる。
黒い影に覆われた魔獣を前に、私は必死でルミナと繋いだ手に思いを込めた。
なんとかしなきゃ! なんとかしなきゃ! なんとかなきゃ! 私のせいでこんなことになっちゃったんだもん。私がなんとかしなきゃ!!
ふわりと私とルミナをつなぐ手が温かみを帯びてくる。ルミナは私と繋いだ方とは違う方の手を黒い魔獣に向かって構えた。
『よし、いい感じだ』
ルミナが満足そうに口角を上げる。
魔獣に突き出していた方の手が淡く白い光を放ち始めた。光は更に大きくなってルミナの手に集まってくる。
その光が危険なものだと察したのだろう。ルミナが攻撃するよりも早く、魔獣が地を蹴った。
ピュン! と、ルミナの手から放たれた光の球が魔獣がいたところを攻撃する。
地面が小さくえぐれたものの、魔獣にはひらりとかわされてしまった。
ルミナが続けざまに次の攻撃を放つ。
前のドラゴンの時と違って、集まった力を小出しに放出しているようだ。ドラゴンの時は一発に力のすべてをかけているいう感じだったけど、今回は小さな光の球で逃げる魔獣を追うように攻撃していた。
『チッ。ちょこまかと……』
攻撃しながらルミナが毒ずく。
ドラゴンと違って的が小さくてすばしっこいから当てにくいようだ。
魔獣は何度か跳躍してルミナの攻撃をかわした後、突然方向転換をして私たちの方向に向かって地を蹴ってきた。
「ヒッ!」
恐怖から思わずルミナから手を放してしまった。
『バッ……放すな!』
焦ったような声をルミナがあげる。攻撃手段のなくなったルミナと私の前に魔獣が迫っていた。
魔獣が近づいてくる様子がひどくゆっくりに見える。
このままだとルミナまでやられちゃう!
そう思った瞬間、私は自分でも信じられないような行動にでていた。
素早く立ち上がってルミナと魔獣の間に体を滑り込ませると、頭を守るように両手をクロスさせて魔獣からの攻撃に備えた。
『バカッ! 前に出るな!』
ルミナの罵倒が聞こえたけれど、もう遅い。
クロスした私の腕に大口を開いた魔獣の口が迫っていた。
触れ合いそうになる瞬間、手首のリストバンドが光を放って強風が吹いた。
地面に落ちていた葉っぱや私の髪が巻き上げられ、猛烈な風に驚いた魔獣は弾かれたように後方に飛びのいた。
一瞬だけ、二の腕にチクリとした痛みを感じた。どうやら少しだけ牙がかすめたらしい。
魔獣が自分をかすめた瞬間、魔獣の感情が流れ込んできた。
人間が憎い。人間が憎い。人間が憎い。人間が憎い。人間が憎い。人間が憎い。
強烈なまでの人間への憎悪に、ぞわりと鳥肌が立った。
触れたのは一瞬だけだったはずなのに、はっきりと伝わってきた。
風の精霊の加護が黒い影を吹き飛ばしたのか、影に覆われた魔獣は私に触れた部分だけ黒い影がなくなっていた。元の灰色の毛並みがあらわになる。
けれどそれも一瞬で、あっという間に黒い影に全身が包み込まれる。
『…………これは相当に恨みが深いな』
再び黒い影が魔獣を覆う様子を見てルミナが評する。
「どういうこと?」
『お前の風の加護で影を吹き飛ばしても、強い恨みの念がすぐにまた黒い影を呼んでしまっている』
「そんなのどうしたらいいの!?」
『根比べだな――リン、もう一度力を貸してくれ。俺が魔獣を地面に押さえつけるから、その間に黒い影を一欠けらも残さずに吹き飛ばすんだ』
「わ、わかった。やってみる」
再び差し出された手を取って、さっきと同じように握った手に思いを込める。
的が小さいと毒づいていたルミナはだんだんとコツを掴んできたようだ。魔獣に数発の光の球を叩き込むと、倒れた魔獣にすかさず近づいて魔獣の頭を地面に押さえつけた。
『今だ!』
ルミナからかけられた声に、私は魔獣に駆け寄って震える手でその体に触れた。
さっき一瞬感じた人間への激しい憎悪の感情が流れ込んでくる。
それと同時に、死んだ時の情景が目前に広がった。
暗い穴の中、倒れた仲間や子供たちに群がる人間の冒険者たち。生きながらにして爪や毛皮が剥がされていく仲間の断末魔が穴の中に響き渡る。
やめて。私の子供に、仲間に何をするの。やめて。痛い。苦しい。やめて。許さない。許さない。許さない。人間が憎い。憎い。憎い。
無念と、生きながらにして肉体の一部を採取された痛み、それを行った人間への恨みが伝わってくる。
目の前に見えた魔獣の最期の情景に、その思いに、涙が溢れた。
深い悲しみと仲間を残虐に殺されたという強い恨みと怒り。
恨まれても仕方ないとさえ思ってしまった。
その強い恨みと怒りが、私が黒い影を払拭したところをすぐに黒い影で覆いつくしてしまう。
以前なら、風の精霊の加護で黒い影を吹き飛ばせば黒い影は元の姿を取り戻していた。けれど、目の前の魔獣は影を吹き飛ばしても吹き飛ばしてもすぐに影で覆われてしまう。
これじゃ埒が明かない。こんなのどうしたらいいの!?
触れたところからはずっと魔獣の感情が流れ込んでくる。
死んでからもずっとそんな思いにとらわれて成仏もできないなんて。
救いの見えない痛みと恨みに、相手が魔獣だというのに同情してしまった。
「リン! ふせて!」
突然、少し離れたところからシルヴィアさんの声が聞こえた。
その一瞬あと、魔獣の体に光を放ったシルヴィアさんの錫杖が触れた――幽霊の魂を消滅させる力を持つ錫杖が。
『ギャアアアアアアアアアアアアア!!』
魔獣が苦しそうな声を上げる。
錫杖の光が黒い影に包まれた魔獣を覆いつくす。影を食らいつくすように光が膨張して……魔獣もろとも弾けた。
その後には小さな光の粒子だけがその場に漂い、魔獣の姿は跡形もなく消えていた。
さきほどまで痛いほど伝わってきた魔獣の感情も今は何も感じない。静寂に、光が弾けるのと共に魔獣の魂が消滅したのだとわかった。
無念と痛みと強い憎悪を抱いたまま、その思いを昇華させることができなかった。あのままでは成仏させることもできないまま、悪霊として永遠にこの世を彷徨うことになっていたかもしれない。
魂の消滅なんて嫌だなってシルヴィアさんの説明を聞いた時に思ったけど、あの憎しみにとらわれて身動きができなくなっていた魔獣にとっては、消滅は救いだったかもしれない。
さっきまで魔獣がいた場所を漂う光の粒子を見つめて、私は涙を拭った。




