70 腕を探して
翌日。
私たちはアドルフさんが住んでいたという村に足を運んだ。
サイベルの村から一時間くらい歩いたところに廃墟と化した村は存在していた。
森を抜けて開けたところにあるとはいえ、人の気配がしないかつての村には重々しい空気が漂っていて、無意識に体が強張ってしまう。
そんな私とは対照的にまったく動じた様子のないシルヴィアさんは、きょろきょろと視線を巡らせて村の様子をうかがった。
「荒れ放題ね」
『そりゃ、人の手が入らなくなれば荒れるのはあっという間さ』
シルヴィアさんが見た通りの感想を言えば、アドルフさんはそう答えてどこか寂しそうに村を眺めた。
点在するログハウスの壁面には蔦のような葉っぱが巻きつき、窓ガラスは軒並み割れてしまっている。荒れ放題の村の様子から、人の手を離れてしばらく経つことが伺い知れた。
泣く泣く村を手放したんだろうなと思うと切ない思いがこみ上げてくる。
「アドルフさんはここで……?」
『ああ、そうだよ、村の入り口を入ってすぐの――ちょうどあの家のあたりだ。あそこで俺は……』
アドルフさんはふらふらとその場所まで歩いていくと、目を閉じて今はない左腕のあたりを右手でさすった。
私はアドルフさんの後に続いて彼の横に立つと、その背中にそっと手を添えた。
アドルフさんが当時の状況を思い出しているせいだろうか、私の中にその当時の記憶が流れ込んでくる。
灰色の狼のような獣と村人らしき人が血だまりの中に倒れている。この狼みたいな生き物がきっと魔獣なんだろう。
大きく肩を上下させて息をつくアドルフさんは、魔獣の中でもひときわ大きな個体と対峙していた。
感じる恐怖は私のものなのか当時のアドルフさんのものかはわからない。
アドルフさんは魔獣を睨みつけながら、右手に握る剣に力を込めた。震える足で大地を踏みしめ、逃がすものかと鋭い目で相手をけん制した。
長い睨み合い末に、魔獣が動いた。
アドルフさんは魔獣の攻撃を何度か剣でかわした後、自分の左腕を噛みつかせて魔獣の懐を貫いた。
耳をつんざくような鳴き声を上げた魔獣は、報復のつもりかアドルフさんの左腕を思い切り噛みちぎった。
衝撃と共に左腕から大量に血が飛び散って、アドルフさんが叫び声を上げた。
ちぎれたところが熱い。
それでもここで倒れるわけにはいかないと足を踏みしめて一歩前に出ると、魔獣は踵を返して村の外へと逃げていった。
そいつがリーダーだったのか、村に侵入していた他の魔獣たちも後を追うようにして逃げていく。
それを見届けたアドルフさんは血だまりの中に膝をついた。
一緒に戦っていた村人が駆け寄ってきて、アドルフさんを担ぎあげたところで安堵した気持ちと共に記憶が途切れた。
私はその壮絶な一部始終に胃液がせりあがってきて吐きそうになった。
口元に手を当てて、必死に吐き気を押しとどめる。
よろめいた私をルミナが手を実体化して支えてくれた。
『大丈夫か? リン』
心配そうに顔を覗き込んでくるルミナに力なく頷いて、よろけた足に力をいれて体勢を整える。
「ごめん、もう大丈夫」
『無理をするな――――見えたのか?』
「うん」
幽霊に触れることで、私がその人の死んだ時の気持ちや記憶が見えることを知っているルミナが状況を察して聞いてくる。
私は一つ頷くと、シルヴィアさんに今しがた見た当時の様子を話した。
「…………で、魔獣はあっちの方向に逃げていきました」
私はアドルフさんの腕をくわえた魔獣が走り去った方に向かって指をさした。
私の話を一通り聞いたシルヴィアさんが「信じられない……」と呆気にとられたように呟いた。
やっぱりシルヴィアさんにも幽霊に触れただけでその人の過去を見るような能力はないようだ。
アドルフさんも信じられないと驚いていたけど、私の話したことが記憶の通りだと認めてくれた。
「…………確かに村の人に聞いた魔獣のねぐらと同じ方向ね。それで、魔獣はアドルフさんの腕をくわえたまま走り去ったのね?」
「はい。間違いないです……シルヴィアさん、あの、魔獣のねぐらっていうのは?」
「ああ。一年前に退治されたっていう魔獣のねぐらよ。来る前にどのあたりにあったのか村の人に聞いておいたの」
村で手がかりが見つけられなかった時はそっちまで足をのばすつもりだったの、とさらっと言ってのけたシルヴィアさんの用意周到さに舌を巻く。ルミナにも言えることなんだけど、どうして美人な人っていうのはこうもハイスペックな人が多いんだろう。羨ましいことこの上ない。
結局アドルフさんの村ではそれ以上のことはわからず、かつて魔獣が住んでいたとされるねぐらに行くことになった。
***
アドルフさんの村からそう離れていないところにそのねぐらはあった。
少し屈まないと頭をぶつけそうなほど天井の低い横穴が、当時村を襲っていた魔獣のねぐらだったらしい。狼の住処と言われれば天井がそこまで高くないのも納得がいく。
入り口から身をかがめて中を覗き込んでみる。
暗くて奥までは見えないが、結構奥行きがあって広そうだ。
一通り穴の中を観察をしてふと疑問に思った。
そういえば、アドルフさんはどうしてここを探さなかったんだろう。腕を持ち去ったのが魔獣なら真っ先に探しに来てもよさそうなのに。
そう思って聞けば、アドルフさんが眉間にしわを寄せて首を左右に振った。
『探しに来たかったんだが、どうしても足がすくんでここまで来れなかったんだ。それで一年前に魔獣が退治されたっていうんで、ようやく探せると思って来てみたら洞窟の中に入ることができなくなってたんだ』
「入ることができなくなってた?」
アドルフさんの言葉を聞き留めてシルヴィアさんがどういうことかと聞き返してくる。
『どういうわけか見えない壁に弾かれて洞窟の中に入ることができなかったんだ――今も。ほら』
そう言ってかざされたアドルフさんの右手が、洞窟の入り口でぴたりと止まった。
何もない空間に手を這わせる様子は、まるでパントマイムをしているようだった。
透明な壁があるみたいな動きに、シルヴィアさんは口元に手を当てて呟いた。
「………………妙ね」
「妙?」
「なんでたかだか魔獣のねぐらに魔封じの結界なんて張ってあるのかしら……」
「結界?」
見た感じそんなものがあるようには見えないけど。
私の疑問に答えるように、シルヴィアさんが魔封じの結界について説明してくれた。
「魔封じの結界っていうのは生きてる人間には効果はないの。だから私たちは結界に阻まれることなく中に入れる。けど、体を持たないもの――アドルフさんとルミナリスはたぶん弾かれるはずよ」
その説明を実証するべく、ルミナもアドルフさんと同じように穴の入り口をペタペタと触って『壁があるな』と評した。
どうやらルミナも中に入ることはできないようだ。
何の変哲もない穴なのになぁと思って入り口のあたりを行ったり来たりしていた私は、穴の内側に何か模様の描いてある石が転がっているのを見つけた。
「シルヴィアさん、なんか変わった石が落ちてるんですけど、これ何かわかります?」
手のひら大の石をひょいと拾い上げて穴の外へ持ち出そうとした瞬間、血相を変えたシルヴィアさんに「ダメッ!!」と大声で止められた。
けれど、制止の声より早く、石を持った私は穴の外に出てしまっていた。
模様の描いてある石が太陽の光に照らされて、ピシッと乾いた音を立てて真っ二つに割れた。
「え、なんで……」
呟いた瞬間、一陣の風が私の横を通り抜けた。
『ぎゃああああああああああああああ!』
すぐ隣からアドルフさんの悲鳴があがった。
なに!?
尋常じゃない悲鳴に驚いて顔を上げると、黒い影に覆われた大型の獣がアドルフさんの肩に噛みついていた。




