62 寝顔に思う(ルミナリス視点)
目元を赤く泣きはらしたまま眠りについた凛のベッドの縁に腰かけて、ルミナリスはその寝顔を見つめた。
眠りを必要としない体はいつまで経っても眠気は訪れず、話し相手のいないこの時間は静かに凛の寝顔を眺めるのが日課になっていた。彼女が起きている時は「恥ずかしい」と言って顔を隠されてしまうが、今この時間は誰に邪魔されることなく思う存分に寝顔を見ていられる。
『…………お兄ちゃんはいいかなぁ、か……』
ルミナリスは先ほど凛に言われた言葉を反芻する。
本当になりたいのは兄ではないのだが、兄の代わりになろうかという提案も即行で断られてしまった。
どうやったら自分を異性として意識してくれるのだろうかと涙の流れた跡を指でぬぐって、触り心地のよい黒髪を梳く。
そういえば、凛から家族の話を聞いたのは初めてだった。
凛はあまり自分の話をしない。
思っていた以上にハードな人生を送ってきたようだ。
誕生日に家族全員を失うなんて、どれほどの悲しみだっただろう。
ルミナリスも幼い頃に両親を事故で亡くした経験があるため、家族を失った凛の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。
ただ、ルミナリスには親友と呼べる人がいた。
その親友の家に引き取られて、家族同然に何不自由なく育ててもらった。
凛はどうだったんだろうか。
以前、退魔師になりたいと言った時、彼女は人ならざるものを見る力のせいで、みんな自分から離れていってしまったと言っていた。
もし、友すらいない状態だったとしたら――そこまで考えて、ルミナリスはぞっとした。
もしかしたら、凛は心を許せる者がいない状態で今まで生きてきたのではないだろうか。
思えば、凛はあまり他者を頼らない。
普通、いきなり見知らぬ世界に飛ばされたら境遇を嘆いて誰かに頼るものではないだろうか。
それなのに、凛は絶望的な状況でも諦めずに泣きながら前を向いた。あのメンタルの強さはどこからくるのかと思ったが、頼ることができない環境で育ったのだとしたら……。
この小さな体にどれほどのものを抱えているのだろう。
ルミナリスの見つめる先で、すやすやと眠っていたはずの凛が苦しそうに寝返りを打った。
眉間にしわを寄せて、何か言葉にならない声を発している。
どうやらうなされているようだ。
起こすべきかと悩んでいると、一言だけはっきりと聞こえた。
「まって……ひとりに、しないで……」
泣きはらした目から新たに流れた涙に、ルミナリスは凛を起こすと決めた。
『おい、リン……リン!』
実体化させた手で凛の肩を揺する。
一度では起きなかったので、力を強めてもう一度ゆさゆさと肩を揺すった。
「んあ……?」
寝ぼけたような声でうっすらと目を覚ました凛は、右を見て左を見て目の前のルミナリスと目を合わせてピシッと固まった。
「な……な……なな……」
ルミナリスを凝視した凛は、口をぱくぱくさせて顔を赤らめた。
その顔を隠すように、掛布団を顔の半分まで引っぱりあげた凛は、気まずそうにルミナリスから視線を外した。
「な、なに?」
『すまない、リン。うなされているようだったから起こしてしまった』
「あ……そう、だったんだ……」
夢の内容を思い返したのか、凛は眉を下げて顔に暗い影を落とした。
「なんかごめん。迷惑かけちゃったね……」
無理矢理力ない笑みを浮かべた凛の姿に、ルミナリスは気がつけば彼女の目元に手を伸ばしていた。
新しく流れたばかりの涙の跡をぬぐって、そのまま手を凛の頭に持っていく。
『迷惑だなんて思ってないが――――なぁ、リン。一つ、聞いてもいいか?』
「ん?」
『あちらの世界に……』
ルミナリスは言いかけた言葉を途中で止めた。
いくら何でもこれを聞くのは酷だろうか。
そう思って凛の顔を見つめれば、彼女は怪訝そうに眉をひそませて、ルミナリスに先を促すような目線を投げかけた。
『――――あちらの世界に、お前の居場所はあるのか?』
「っ……!」
思いもよらない問いかけだったようで、凛は大きく目を見開いたまま息を詰めた。
沈黙が部屋に落ちる。
そして、その沈黙こそが凛の答えだった。
家族はいない。腹を割って話せるほどの友達もいない。叔母さんは心配してくれるとは思うけれど、そもそもお世話になっている叔母さんの家を進んで出たのは凛自身だった。
『居場所』と言われて凛が真っ先に思い浮かべたのは、誰もいない寮の自分の部屋だ。あんまり物のない殺風景な部屋――だからだろうか、元の世界に帰りたいと思っているはずなのに、帰る方法を探すのはどこか消極的だった。
無意識に目をそらしていたことを指摘されて、凛は泣き出したい気持ちをぐっとこらえて布団の下で唇を噛みしめた。
ルミナリスは黙り込んでしまった凛の様子に胸が締めつけられた。
『リン……』
「――――――どうして……そんなこと聞くの?」
ぽつりと凛が呟く。
どうしてと聞かれて、ルミナリス自身どうしてだろうと考える。
凛の境遇を聞いたところで、自分ではどうすることもできないのに。
それでも、『一人にしないで』と口にした凛の言葉に、おそらくこれが凛の本心だと直感した。
もし、あちらの世界でたった一人で生きていかなくてはならないのなら、無理して戻らなくてもいいんじゃないかと思ったのだ。
『――――ここではダメなのかと思ったからだ』
「?」
『もし、あちらの世界に居場所がないなら、無理に帰らなくてもいいんじゃないかと思ったんだ』
ルミナリスの言葉に、凛はぎこちなく上半身を起こした。
動揺に揺れる瞳をぱちぱちと瞬かせて、凛はルミナリスの言葉を繰り返す。
「………………帰らなくても……?」
『イーニスがどういうつもりでお前をこの世界に呼んだかはわからないが、帰りたい理由がないのなら、こっちの世界にいてもいいのではないか?』
「こっちの世界に……」
『ああ。少なくとも、この世界はミーティアスに理解がある。文字を覚える必要はあるかもしれないが、ここには幽霊が見えるからと言って虐げるような人間はいない』
「………………」
真偽を確かめるような目を向けられて、ルミナリスは自分の本心に気づいてしまった。
もっともらしい理由を上げはしたが、たぶん、自分は――。
『――――いや、違うな。俺が……俺がリンの居場所になりたかったんだ』
「ルミナが……?」
『そうだ。カイナルディアという故郷を失った俺に居場所を与えてくれたように、俺もリンの隣でお前の居場所になりたい――――リン、この世界を選んではくれないか?』
ルミナリスは凛の黒曜石のような黒い瞳をまっすぐに見つめると、そのアメジストのような紫色の目を細めた。




