45 キースさんを待つ現実
キースさんがぼんやりとまばたきをする。
「兄さん!!」
『キース!!』
「キース様!!」
アバンさんが手を握ったまま呼びかけ、サリーナさんとケインさんがベッドに駆け寄ると、キースさんが目だけを動かして喜びに涙をこぼした。
「もど……れた……やっと……」
『よかった! キース!』
キースさんに抱きつこうとしたサリーナさんの体が、すかっとキースさんをすり抜けた。
『あ……キー……ス?』
サリーナさんは自分の体に視線を落として、不安そうな顔をキースさんに向けた。
霊体だったときは触れ合えていたけど、キースさんが元の体に戻ったことによって触れ合うことができなくなってしまったようだ。
もしかして、元の体に戻ったことでサリーナさんのことも見えなくなってしまったんじゃ……。
そう思ったけど、キースさんはサリーナさんのいる方へしっかりと視線を向けて頷いた。
「ちゃん、と、みえてる……サリー……ナ……」
『ほんとう……?』
「ああ……みえる……し、きこえてる……よ」
それから、キースさんは私とルミナへと視線を向けて、かすれた声で感謝の言葉を紡いだ。
「あり、がとう、ございます……サリー、ナを、つれてきてくれた、だけでなく……ぼくまで……」
私がなんて声をかけていいか言いよどんでいると、キースさんは続けて一番近くで心配そうに顔を覗き込んでいたアバンさんとケインさんに顔を向けた。
「アバン、ケイン……ながい、あいだ……しん、ぱい、かけて……すまな、かった……それ、に……」
「いいんだ! いいんだ、兄さん。もう何もしゃべらなくていいから! ケイン! 医者と親父に連絡を!」
キースさんが掠れた声でまだ続けようとしたので、アバンさんがそれを押しとどめた。
アバンさんの指示で、ケインさんがばたばたと部屋を出ていく。
それを傍目に、私とルミナも客間に戻らせてもらった。
***
「キースさん、よかったね」
『………………ああ』
ソファーに腰を下ろしてルミナを見上げれば、ルミナはどことなく浮かない顔をしたまま頷いた。
どうしたんだろうと思って問いかければ、ルミナはしばらくして重い口を開いた。
『今更ながら、よかったのかと思ってな』
「? どういうこと?』
『…………リンはキースの様子を見て何も思わなかったか?』
そう言われて、起きたばかりのキースさんを思い浮かべる。
がりがりにやせ細って窪んだ目を潤ませたキースさんの姿は、とても弱々しく儚げに映った。
『いくら目覚めることができたとはいえ……体は五年もの間、延命処置だけで生きながらえていたんだ。この先後遺症なしに今までと同じ生活が送れるとは到底思えない』
「…………」
確かに五年も寝たきりのあの体では、すぐに起きて生活できるとは思えない。
私は押し黙って、キースさんの部屋の方へ視線を向けた。
今頃、ケインさんが呼んだお医者さんから診察を受けているだろう。
なんて言われてるんだろう。
良かったなんて気軽に口にしてしまったけれど、キースさんが本当に大変なのはこれからなのかもしれない。
それに、サリーナさんはどうするんだろう。
キースさんの部屋に残してきてしまった彼女のことも気になった。
不思議なことに、臨死体験を経験したせいかキースさんは幽霊が見えるようになったようだけど、元の体に戻ったことによって触れ合うことはできなくなってしまった。
サリーナさんの不安そうな顔が頭をよぎる。
逆にサリーナさんにとっては可哀想なことをしてしまったのかもしれない。
私が大きくため息をついて両手で顔を覆っていると、サリーナさんがドアをすり抜けて部屋に入ってきた。
『リン!』
呼びかけられて顔を上げると、サリーナさんは晴れやかな笑みを浮かべてふわふわと私のところへやってきた。さっきまでの不安そうな感じはどこにもない。
『リン、ありがとう! キースを助けてくれて』
「…………でも、サリーナさんにとっては前の状態の方が……」
私が何を言いたいのか察したのか、サリーナさんは強く首を振って否定した。
『いいの! あたし、キースが元の体に戻れて本当に嬉しく思ってるの! ここに来るまで、ずっと裏切られたんじゃないかって思いもあって……でも、違うって分かって。キースがあたしのことちゃんと迎えに来てくれるつもりだったって分かったから――――それに、キースが言ってくれたの。ずっと一緒にいようって』
「ずっと、一緒?」
『ええ! 生涯独り身でいるから、ずっと傍にいてほしいって』
「そんなこと、できるの……?」
ルミナに目を向ければ、彼は目を伏せるようにして答えた。
『おそらく、できなくはないと思う。憑りついている相手をリンからキースに変えればいいだけの話だ』
『だからね、リン。あたし、キースに憑りついて彼の一生を見守ろうと思うの』
「…………サリーナさんは本当にそれでいいの?」
『だって、それしかないもの』
仕方ないじゃないとサリーナさんが笑う。
そして、私の頬に口づけて続けた。
『ありがとう、リン。ここまで連れてきてくれて。憑りつく相手がキースになるだけだから、またいつでも会えるけど……こうしてあたしがここにいられるのはアナタのおかげだから。だから、ちゃんとお礼を言いたかったの』
その瞬間、憑りついた時と同じ白い光が私とサリーナさんを包んで、弾けて消えた。
***
翌日、私はアバンさんとケインさんに呼ばれてエルマン商会の応接室を訪れた。
先日と同じ給仕の子が私の前にお茶を置いてしずしずと部屋を出ていったのを確認すると、アバンさんが口を開いた。
「この度は兄を救ってくださり、ありがとうございました。貴女がこの商会にきてくれなかったら、兄は今もずっと寝たきりのままでした……」
かしこまった丁寧な物言いに、私は居たたまれない気持ちになってしまって、慌てて手を振って否定した。改まってお礼を言われるような大層なことをした覚えはない。
だって、もともとはキースさんに会いたかったサリーナさんが半ば無理やり私に憑りついてヴェラードについてきたのが発端だ。
「そんな……私はただ、サリーナさんを連れてきただけで……」
「いいや。きっかけはそうかもしれないが、結果的に兄は貴女と貴女のお連れの方に救われた――――元のような生活はできないけど、兄は貴女が連れてきてくれた最愛の女性と一緒になれて幸せそうにしている」
自分には相手の女性は見えないけど、と残念そうに肩をすくめてみせたアバンさんは「さて」と佇まいを正して続ける。
「恩人である貴女に何かお礼がしたいのだが、何か希望はないだろうか?」
「え、いや……そんな急に言われても……」
咄嗟に思い浮かばない。
私は断ろうとしたけど、アバンさんもケインさんもそういう訳にはいかないと、思いつくまで屋敷に滞在するように勧めてくれたのだった。




