41 キースさんの今
キースさんのこと知っているというおじさんは、ケインさんと名乗った。エルマン商会で副会長の秘書をしているらしい。
ちょうど取引先の商店を回っているところで、キースさんのことを探している私を見かけたそうだ。
キースさんはキース・ランガーとサリーナさんに名乗っていたようだけど、それは彼の母親の性だったようだ。本名はキース・エルマンさんというらしい。道理で見つからないわけだ。
外で込み入った話をする気はないらしく、私の歩く速さに合わせながら少し先を歩いてエルマン商会まで案内してくれた。
思わずついてきちゃったけど大丈夫だったかな、とエルマン商会の立派な建物を前に今更ながら心配になってきた。
レンガでできた三階建ての建物の中に入ると、応接室のような場所に通された。
高そうな布張りのソファーの中央に座って、右側にルミナ、左側にサリーナさんに脇を固められる。
やや小さめな三人掛けのソファーに一人で座っているはずなのに、圧迫感がすごい。
給仕さんらしき女の人には二人の姿は見えていないようで、私とケインさんの前にだけ白磁のティーカップを置いてしずしずと部屋を出ていった。
私は向かいの席に座っていたケインさんに一言断ってからカップを手に取る。
透き通った薄い紫色の液体がゆらゆらと揺れている。
なんだろう、ハーブティーかな。
しげしげと紫の液体を観察した後、匂いを嗅いでみる。
どことなく甘い香りがする。
とりあえず危険そうな感じはないので、一口飲んでみて思わずむせた。
これ、麦茶だ。
色は紫だし匂いは甘いのに、全然甘くない。むしろ味だけで言えばだいぶ香ばしい。
見た目と味のギャップに体が追い付かなかったらしい。咳き込んでいると、ルミナがこっそり手を実体化して背中をさすってくれた。
あー、びっくりした。
私は息を整えると、ケインさんに愛想笑いを浮かべてその場を誤魔化した。まだちょっと苦しいけど、本題に入ってしまおう。
「あの、それで……キースさんは?」
部屋の中にはケインさんだけで、キースさんらしき男の人は見えない。てっきりここに来れば会えるものだとばかり思っていた。
辺りをきょろきょろして聞けば、ケインさんは探るような視線を私に向けた。
「その前に、リンさんはどうしてキース様を探されていたのですか?」
「あー……ええと、ルルド村で知り合ったサリーナという子にキースさんへの伝言を頼まれて……」
「!」
サリーナさんの名前を出した瞬間、ケインさんが明らかに動揺した。
ケインさんは膝の上で握っていた両手をほどくと、その手で顔を覆って項垂れた。なんだろう、嫌な予感がする。
「そうでしたか……残念ながら、キース様は今お話しできるような状態ではありません」
『ちょっと! なんでよ!!』
キースさんの言葉を聞いて、サリーナさんが席を立つ。
私が止める間もなく、ケインさんにつかみかかろうとしたサリーナさんがケインさんの体をすり抜けた。
たたらを踏んだサリーナさんが悔しそうに手を握りしめて、こちらを振り返る。私はサリーナさんが聞きたいことを代わりに尋ねた。
「あの、話せないってどういうことですか?」
「それは……その……」
「兄はもうずっと寝たきりで意識がない状態なんだよ」
言いよどんだケインさんの言葉を引き継いで、新たに部屋に入ってきた人物が話を続ける。
三十歳くらいだろうか、灰色の短髪に狐目をした男の人はそのまま私たちのところまでやってくると、ケインさんの隣にどさりと腰を下ろした。
「ああ、失礼――私はキースの弟のアバン。ここでは副会長をしている。ケインが兄の客人を連れてきたと聞いたので気になってね」
「キースさんのお兄さん……あの、意識がないってどういうことですか?」
「アバン様」
嗜めるようにケインさんが制止したけれど、アバンさんはどこ吹く風といった感じで私の質問に答えてくれた。
「いいじゃないか、どうせ状況が変わるわけでもないんだ。兄は五年ほど前に階段から落ちてから、もうずっと意識が戻らないままだ」
「五年前!?」
『階段から落ちて!?』
私とサリーナさんが同時に驚きの声をあげた。
ということは、サリーナさんがキースさんと駆け落ちしようとしてから五年以上が経っていたことになる。
サリーナさんの方は死んで五年という自覚があったのか、驚いたところは階段から落ちての部分だったようだ。
『う、嘘よ! きっとあたしに会いたくなくてそんな嘘ついてるのよ! やだ、キース! キースに会わせて!』
サリーナさんは拳を握りしめて泣き叫んだ。
その瞬間、テーブルの中央にあった花瓶にピシリと亀裂が走って真っ二つに割れた。
私とケインさんとアバンさんの視線が割れた花瓶に集まる。
『おい、リン。まずいぞ』
隣からかけられたルミナの声に、私は小さく「え!?」と返した。
『このままだと負の感情に呑まれてサリーナが悪霊化する』
「!!」
悪霊化する? サリーナさんが?
悪霊と聞いて真っ先に思い出したのは、山で出会った真っ黒い影のルミナの姿だった。
影に触れた時の悲しみや憎しみの負の感情が思い起こされて、私はぶるりと身を震わせた。
そんなのダメ。なんとかしないと……!
「あ、あの! キースさんに会うことはできないでしょうか!」
私は挙手してケインさんとアバンさんに尋ねてみる。
二人は顔を見合わせて顔を顰め、アバンさんが呆れたように口を開いた。
「君は話を聞いてなかったのか? 兄は会える状態じゃないと……」
「分かってます! ちゃんと聞きました! ただ一目、一目見るだけでいいんです! じゃないと、サリーナさんが……!」
「サリーナさんが?」
アバンさんに聞き返されて、はっと口を押えた。
まさか幽霊になって目の前にいる上、悪霊化しかけてるなんて言えるわけがない。
「あ、いえ……その。サリーナさんの墓前にちゃんと報告できないと思って……」
「………………サリーナさんは亡くなられていたのですか」
まるでサリーナさんを知っているようなケインさんの言葉に、私は頷き返す。
「ケインさんはサリーナさんのことを知っているんですか?」
「ええ、存じておりますよ。キース様が家督を投げ打ってでも一緒になりたかった方、ですからね。キース様が階段から落ちて意識を失った直後に調べさせてもらいました。ただ、事故後は行方不明となっておりましたので……」
「行方不明? 私はルルド村でキースさんを待っていたサリーナさんが荷馬車に轢かれて亡くなるのを見ましたけど……」
「そう……でしたか……」
沈黙が部屋に落ちる。
だめか。なんとかキースさんに会わせてあげられればと思ったけど、事はそう簡単には進んでくれない。
どうにかしてサリーナさんを鎮めないとと思ったところで、ソファーに座って腕を組んでいたアバンさんがケインさんに声をかけた。
「――――ケイン。会わせてやってくれ」
「!!」
「今更駆け落ちも何もないからな……私たちも立ち会うことにはなるが、それで供養になるなら確認していくといい」
「あ……ありがとうございます!」
お礼を言ってちらりとサリーナさんを見ると、会えると分かって少し落ち着きを取り戻したようだった。




