28 徘徊する幽霊
『……て……けて……』
微かな声が聞こえたような気がして、私はふと暗闇のなか目を覚ました。
何時だろうと体を捻ってベッドサイドの砂時計に目を向けてみれば、だいたい夜中の一時すぎくらいだった。
むくりと上半身を起こして目をこすっていると声がかけられた。
『リン、起きたのか?』
声のする方に顔を向けると、ベッドのすぐそばの床に座ったルミナリスさんがこちらを見上げていた。そんなところに座り込まなくても、テーブルのところに椅子があるのに。
「ルミナリスさん、さっき何か言った?」
『いや? 言ってないが……』
なんだろう、空耳かな。
首をかしげて寝直そうと横になったタイミングで、直接頭の中に微かな『声』が聞こえてきた。
『れか……誰か……けて……誰か……助けて……』
誰か助けてという女の人の声に、私の意識は一気に覚醒した。
がばっと飛び起きてルミナリスさんを見ると、彼は窓から外を見ているところだった。
「ルミナリスさん、この声!」
『外だな』
スリッパを履いて私も窓に駆け寄ると、真っ暗な村の中を淡く光る老人ような人影が横切っていくのが見えた。見るからに生きている人とは違う雰囲気に幽霊だとわかる。
窓から下を観察していると、その老人の幽霊は村のあちらこちらをふわふわと徘徊して、誰か助けてと言って回っている。
どうしよう。すごく怖い。
でも、見た感じ悪霊のような嫌な感じはしない。
観察するように窓の外の幽霊を見ていると、不意に目が合ってしまった。
あ。しまった。
咄嗟に目をそらして、十秒。
そろりと先ほど幽霊がいたあたりを建物の影から覗いてみると、その姿は消えていた。どこかに行ってしまったんだろうかと思っていると、ぞわりと背後に気配を感じた。
ばっと振り返ると、腰の曲がったおばあさんの幽霊がそこに立っていた。
「ヒィッ!」
思わず上げそうになった悲鳴をかみ殺して、肩で息をする。
び、びっくりした。
同じようにびっくりしたらしく、ルミナリスさんも少し飛びのいたように見えた。
『助けて……お願い、あの人を助けて……』
おばあさんの幽霊は、私の手に半透明の自分の手を添えて窓の外を指さした。
どこかに連れていきたいのかな。
間近で見ても悪い感じはしないから、きっと大丈夫な幽霊だと思う。
なんとなくルミナリスさんを仰ぎ見ると、見つめ返して頷いてくれた。好きに行っていいって解釈することにする。
ちょっとだけ、ちょっとだけ様子を見てこよう。
私はスリッパからブーツに履き替えて、白いローブを身に纏った。
『行くのか?』
「うん。ちょっとだけ。様子を見てくるだけだから……」
音を立てないように部屋を出て、忍び足で宿屋の一階に降りる。
幸いこちらの鍵は閂が主流らしく、内側にかけられた閂を外してしまえば難なく宿屋を出ることができた。
これ、外から鍵かける時ってどうするんだろう。ふと疑問が頭をよぎる。
一応ドアノブの近くに何か引っかけるような部分があるから、何か別の鍵もあるのかもしれない。
とりあえず今は考えても仕方がないので、おばあさんの幽霊の後を追いかけることにした。
***
私はおばあさんの幽霊に導かれるまま、暗い村の中をどんどん進んでゆく。
こんなことなら手持ち用のランプを持ってくるべきだったと少し後悔しつつ、おばあさんの幽霊の後をついて歩く。おばあさんもルミナリスさんも若干光ってくれているのがありがたい。
おばあさんの幽霊は迷いなく一軒のログハウスの前で足を止めて、私を振り返った。
『お願い、あの人を助けて……』
助けてと言われても、人の家なんですが。いいのかな、開けても。
まぁ、閂がかかってれば開かないわけだし。
恐る恐るドアノブに手を伸ばしてそっと引いてみると、ギギッと木がきしむ音がして、ドアはゆっくりと開いた。
「おじゃましまーす……どなたかいませんかー?」
不用心だなと思いながら足を踏み入れると、おばあさんの幽霊は一足先に中に入って奥へ消えていった。
急いで追いかけたかったけど、真っ暗な部屋の中で足を引っかけないように歩くのが精いっぱいで、どうしてもゆっくりになってしまう。
見かねたルミナリスさんが私の隣に立って明かり代わりになってくれるのがありがたい。
おばあさんの幽霊に少し遅れてその場所に着くと、台所のような場所で年老いた男の人が床に倒れていた。
涙を流しながら倒れた人に縋りつくおばあさんの幽霊の姿に、助けたかったのはこのおじいさんだと察した。
私は俯せに倒れているおじいさんのそばに腰を下ろすと、まず息を確認した。ほんの微かだけれど、手の甲に風を感じる。よかった、まだ息がある。
生存が確認できたまではいい。でも、私には医療の心得はない。
こういう場合、下手に動かさないほうがいいとも聞くし、素人は手は出さない方がよさそうだ。
人工呼吸と心臓マッサージの講習しか受けたことがない。ぶっちゃけそれすらもぼんやりとしか覚えていない。もっとしっかり説明を聞いておくんだった。
とりあえず今自分にできることといえば、大急ぎで医者を呼んでくることくらいだ。
「おばあちゃん、大丈夫。すぐにお医者さん呼んでくるから!」
そう言ってから、病院の場所を知らないことに思い至る。
異世界の、しかも今日初めてきた村。
看板がかかっていても文字が読めない私じゃどこが病院かわからない。
「おばあちゃん、病院! お医者さんのとこ案内して!」
私もルミナリスさんも村のどこに何があるかわからない。きっとこの村に住んでいたであろうおばあさんの幽霊だけが頼りだ。
私の言葉にすくりと立ち上がったおばあさんの幽霊は、私の手に自分の手を重ねて『こっち』と外に連れ出そうとしてきた。
よかった、通じたみたいだ。
私はおばあさんの幽霊を追いかけて、わずかな月明かりしかない暗い村の中を駆けだした。




