23 ドラゴン襲来
通りすがりに私に声をかけてくれたのは、旅をしながら行商人をしているというドリスさんという初老のおじさんだった。
どうやら私が道のど真ん中で寝ていたのを、気分が悪くてしゃがみこんでいるんだと勘違いして声をかけてくれたらしい。
事情を聞かれてオルト村に行きたくて旅をしていることを伝えると、ドリスさんは女の子の一人旅は危なかろうと、荷台でよければ次の村まで乗ってきなと言ってくれた。
女の子の一人旅……。
ドリスさんにはルミナリスさんの姿は見えていないようだ。
降ってわいたような幸運に感謝しつつ、木箱がたくさん載っている荷台の一番後ろに座らせてもらうことになった。
舗装されてないむき出しの地面の道を荷馬車がガタガタと行く。
荷馬車を引いているのは黒い馬のような生き物で、あちらの世界の馬よりも大きい。中身が詰まった木箱がたくさん載っているのに、一頭でも余裕で荷台を引けるらしい。パワフルな生き物だ。
進行方向とは逆向きで座った私は、通り過ぎていく景色を眺めながら小さくなっていく山脈をぼんやりと眺めた。
随分遠くまできた。
広大な平原の中を道が一本走っているだけで、右を見ても左を見ても綺麗な牧草地しか見えない。
東京ではあり得ない景色だ。
両手をお尻の後ろ辺りについて上体をそらせば、澄んだ青空に白い雲が転々と浮かんでいる。
その青の中に、飛行機のような空飛ぶ白いものを見つけて目を凝らした。鳥にしては大きい気がする。
おかしい、こっちの世界には飛行機なんてないはずなのに。
「…………あれ、何だろ?」
空を指さして聞くと、隣に座っていたルミナリスさんも空を見上げて目を凝らし――――血相を変えた。
『…………おい、まずいぞ。ドラゴンじゃないか! おい、親父!! 全速力だ!!』
「へ?」
『おい、親父!! チッ、聞こえないか……おい、リン! 親父に全力で馬を走らせろって伝えろ!!』
「え? なに!?」
『いいから! ドラゴンが出たって言えばわかる!!』
「ど、ドラゴン!?」
ドラゴンという単語にぎょっとなる。
こちらの世界ではドラゴンは普通にいる生き物らしい。
ルミナリスさんの様子から、結構やばそうな生き物だと察する。
「おじさん! おじさん、大変! ドラゴン!!」
私が大声で御者台にいるドリスさんに呼びかけると、おじさんもぎょっと振り返って空を仰ぎ見た。
「なんじゃと!? ああああああ、なんてこった……お嬢ちゃん、しっかりつかまっておくんじゃよ!!」
ルミナリスさんと同じく血相を変えたドリスさんは、馬の手綱をしっかりと握って手に持っていた鞭をこれでもかというほど振り上げた。
ガクンという衝撃の後、荷馬車の速度がぐんと上がる。時折車輪が跳ね上がり、荷台が宙に浮く感覚にひやりとする。私は必死に荷台をつかんで身をかがめてやりすごした。
どれくらい走っただろうか、ひときわ大きな馬の嘶きとともに私たちを爆風が襲った。
風に耐えられなかった木製の荷台が、載せていた荷物を撒き散らしながらばらばらに砕け散る。
体を固定するものなんてなかった私は、その勢いのまま道端の牧草の上に放り出された。
息が詰まるような衝撃の後、全身に走る痛みに顔を顰めた。
実体のない霊体のルミナリスさんは爆風に吹き飛ばされることもなかったようで、負傷している様子はない。少し離れたところに綺麗に着地した後、急いで私のところに駆け寄ってきてくれた。
『おい、リン! 大丈夫か!?』
「ッ…………なんとか……」
投げ出された体に力をこめれば、なんとか立ち上がることができた。
ところどころ打ち付けたところが痛いけど、動くのに問題はなさそうだ。
ドリスさんはと思って辺りを見回してみると、土煙の向こうに白銀のドラゴンの姿があった。
巨大なドラゴンの口には、先ほどまで荷馬車を引いていた黒い馬が無残にも咥えられていた。鋭い牙で噛まれたその体からは鮮血が滴り、ぐったりとした様子からもう息はないように見えた。
そこから少し離れたところに、御者をしていたドリスさんが俯せで倒れているのを見つけた。ピクリとも動かないドリスさんの姿に、もう手遅れかもしれないと思ったけど、もしかしたらまだ生きているかもしれないと思い直して、痛む体に鞭打って駆け寄る。
「おじさん! おじさん、しっかりして!!」
中年太りのがっちりしたおじさんの肩を揺らすと、おじさんが小さな呻き声を上げた。
よかった、生きてる!
あとはどうやってこの場を逃げ出すかだけど。
状況を確認しようと視線を上げたところで、馬を咀嚼するドラゴンと目が合ってしまった。
やばっ……!
全身の毛が逆立つのを感じる。
まずい、まずい、まずい!
どうする!? 熊とかだと死んだふりとか聞くけど、熊じゃないし。
かといって背中を向けた瞬間に襲ってきそうだ。目を合わせたまま後ずさるのも熊と遭遇した時だった気がする。
うっかり合ってしまった目をそらすことも逃げることもできずにいると、隣に立っていたルミナリスさんが手を前に突き出して力ある言葉を発した。
『炎よ!』
そうして突き出した手から炎が…………でない。
ルミナリスさんは何も起こらない自分の手を悔し気に見つめて舌打ちした。
『チッ……やっぱり駄目か……』
ちょ、やっぱり駄目かってどういうこと!?
そこは元悪霊の意地を見せて、かっこよく出現させた炎とかでちゃちゃっとやっつけてくれるところじゃないの!?
「ちょ、ルミナリスさん?」
『すまない。やはり実体のないこの体では魔法を使うことができないようだ』
「こないだまで使ってた力は!?」
『あれは恨みを源とした負の力だ。悪霊だった頃なら使えたが、浄化されてしまった今となっては微々たる力しか残ってない』
「おふ……」
まじか。
悪霊だった頃はあんなに強い力を使えていたのに、浄化された途端、弱体化されるなんて。
馬の巨体を余裕でぼりぼり食べるドラゴンに、手負いの私と気を失ったドリスさん。
逃げられる気がしない。
でも、このままでもいずれはドラゴンに食べられてしまう――あの馬のように。
ない頭を必死で回して一つの結論を出した。
一か八か、賭けてみるしかない。
私はおじさんから離れることにした。
私がおじさんを背負うことはできない。体格だけを考えればルミナリスさんなら担げそうだけど、残念ながら彼には実体がない。
どうあっても、私たちにはおじさんを担いで逃げるという選択肢はとれないようだ。
そうなると、別行動かこのまま二人ともドラゴンに食べられるかの二択しかない。
食べられるのだけは絶対に嫌だ。
私はドラゴンと目を合わせたままじりじりと後退し、少し離れたところで踵を返すと全速力で走り出した。
背後でルミナリスさんとドラゴンが動く気配がする。
案の定、ドラゴンはおじさんじゃなくて目を合わせていた私を追いかけてきた。
やっぱり来たかー!
つかまったら最後。私はあの馬と同じ末路をたどることになる。
それだけは絶対に嫌だ。
私はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ。
必死に足を動かして走る。牧草地だけあって隠れるところがどこにもない。
目指す場所もないまま、私は後ろを振り返ることなく全速力で牧草地を駆ける。
「はぁ、はぁ、はぁ…………あっ!」
不意に足を取られて転んでしまった。
すぐに立ち上がったけど、一瞬の隙をつかれてドラゴンに距離を詰められてしまう。
そもそも、自分の身長の二倍以上あるドラゴンから逃げようとしたこと自体が間違いだったのだ。
馬を食べ終わったドラゴンが大口を開けてこちらに迫ってくる。
私は固く目を閉じて衝撃に備えた。
けれど、いつまで経ってもその衝撃が来ない。
「…………?」
恐る恐る片目を開けてみると、私とドラゴンの間に黒いローブを翻したルミナリスさんが右手をドラゴンに向けて佇んでいた。




