22 残念なお知らせ
日が傾くころ、私たちはようやく山の麓までたどり着いた。
森を抜けて広大な平原を目にした時は、ほっとしてへなへなと崩れ落ちるように座り込んでしまった。
もう日も暮れるということもあって、今晩は山を下りてすぐのところにある沢と川が合流する地点で野宿をすることになった。
連なる山脈の斜面に太陽が沈んでいくのを遠くに眺めながら、河原で火起こしをする。
空の色が赤から藍色に変わっていく様子に目が奪われた。
山の中では背の高い木が多かったから、見晴らしのいい場所で夕暮れを見るのは初めてだった。
あっという間に暗くなった空の下で、私はあちらの世界にはないものを目にして驚きの声を上げた。
「月が二つある……」
三日月のような形をした天体が二つ、空に浮かんでいる。
今まで全然気がつかなかった。
ぽかんと三日月を眺めていると、ルミナリスさんがひょいと私の顔を覗き込んできた。
『何かあったか?』
「あ、いや……うん。あったにはあったけど、何でもないよ」
間近に迫った整った顔に内心ドキドキしながら目をそらす。
やっぱりルミナリスさんは距離が近い気がする。
ちょうど三つ違いのお兄ちゃんがいたからか親近感もわくんだけど、この距離感だけは一向に慣れない。
私は不自然にならないように一歩下がって夜空を見上げた。
月だけじゃなくて、小さく瞬く星も見覚えのある星座が一つもない。
どこを見渡しても夏の大三角形も北斗七星も北極星も見つからない。
全然違う星の配置に、本当にここは地球じゃないんだと思い知らされる。
どうしたら帰れるんだろう。っていうか、本当に帰れるのかな。
ついつい弱気になっていると、不意に隣に立つルミナリスさんに話しかけられた。
『リン、明日からなんだが……』
そう切り出されて、私は別れを告げられるのを覚悟した。
そうだ、ルミナリスさんが手を貸してくれるのは山を下りるまでだった。
何となくその言葉の先を聞きたくなくて、ルミナリスさんの言葉を遮って私から話を切り出す。
「うん、わかってる。ルミナリスさん、ついてきてくれてありがとうございました。今日、ずっと山を下りながらルミナリスさんがどうやったら成仏できるか考えてたんだけど、結局何も思いつかなくて……」
『うん?』
「あ! でもでも! まだ明日の朝まで時間があるから、精いっぱい考えるよ!!」
『まて、リン。何の話をしている?』
「え? 明日別れる前までに、どうしたらルミナリスさんが成仏できるかって話だけど?」
『は?』
「え?」
『…………どうしてそういう話になったか聞いてもいいか?』
「ん? だって、ルミナリスさんが私に憑りついてるのは山を下りるまででしょ? 私、ルミナリスさんにはすごくお世話になったから、何かお返しができたらって思ったんだけど、この通り何も持ってないから」
『それで俺が成仏する方法を考えていたのか』
「うん…………残念ながら、まだ何も思いついてないんだけどね」
そう言って力なく肩を落とせば、眉間にしわを寄せて聞いていたルミナリスさんは、目元に手を当てて大きなため息をついたまま動かなくなってしまった。
そんなにがっかりさせてしまったのなら申し訳ない。
私はいつかの時とは逆に「大丈夫?」とルミナリスさんの顔を覗き込んだ。
顔を上げたルミナリスさんと目が合った。
綺麗な色だなぁと紫色の瞳をじっと見つめていると、ルミナリスさんは眉尻を下げて言い出しにくそうに切り出した。
『リン、残念なお知らせがあるんだが……』
「え? なに?」
『実は……憑りついたまではよかったんだが、どういう訳か解除できなくなってしまって』
「へ?」
え、どういうこと?
憑りついたはいいけど、解除できない?
全身から血の気が引くような感覚に襲われる。
「待って。そ、それって、私に憑りついたまま離れられなくなっちゃったってこと……?」
『そうだ』
「はぁ!?」
『多分、成仏できるようになれば離れることができるようになるとは思うのだが……』
「いやいやいやいや! だってルミナリスさん、どうしたら成仏できるかわかってないって言ってたじゃない!!」
『……そうだな』
「ってことは、私この先ずっとルミナリスさんに憑りつかれたままなの!?」
『…………すまない』
謝罪という形での肯定に、私は愕然と立ち尽くすことしかできなかった。
そんな私の肩を、ルミナリスさんは慰めるようにぽんと叩く。
『これからもよろしくな』
当事者のはずなのに全く焦っていなさそうなルミナリスさんの様子にがくりと肩を落としつつ、私は盛大なため息をついて項垂れるしかなかった。
***
翌朝。
遠く平原の彼方から昇る朝日の眩しさに、しょぼしょぼする目をこすった。
ほとんど眠れなかった。
昨晩あったことやこれからのことをぽつぽつと考えていたけど、最後は考えるのが面倒になって、もうどうにでもなぁれって投げやりな気持ちで寝付く頃には、空は濃い藍色から明るめの青に変わっていた。
川の水で顔を洗えば、冷たさに一気に頭が覚醒した。
少し離れたところに立つルミナリスさんに「おはよう」って挨拶をする。
一晩色々考えたけど、現状どうすることもできないし、そもそも憑りつかれることになった経緯もルミナリスさんの親切心からで、私はそれを了承したのだ。
悲観するのも何か違う気がして、もういっそオルト村に戻るまでの強力な助っ人をゲットしたって考えることにした。
オルト村に戻ったらエクスさんがいるし、相談したら何とかしてもらえると思う。たぶん。
気持ちを新たに、川沿いに広がる牧草地を少し歩いたところで、道のようなものと車輪の跡を見つけた。
人工的にできた道のようなものは、川に沿うようにして遠くに見える森の方へ向かって伸びている。
とりあえずこのまま道を進んでみることにした私たちは、すぐに山道との違いを思い知らされることになった。
平坦な道は歩きやすかったけど、景色があまり変わらないせいか、あまり歩いてないにも関わらず結構な時間が経ったような錯覚を起こした。
変わらない風景と疲れで重くなる足に、軽快だった足取りもだんだんと重くなっていく。
加えて、寝不足だったのもいけなかった。
私はちっとも近づかない森の木々を遠くに眺めながらしゃがみこんだ。
だめだ、疲れた。
そもそも普段運動しない高校生にサバイバル四日はきつすぎた。
山を下っている間は足を滑らせないようにと気を張っていたから気づかなかったけど、平地に下りて気が抜けたせいか疲れがどっと押し寄せてきた。
しゃがみこんだ私の前に、ルミナリスさんが腰をかがめて『大丈夫か?』と心配そうに声をかけてくれる。
反射的に「大丈夫」と答えてしまってから、自分の状態を顧みて後悔した。
一度座り込んだはいいものの、立ち上がるのが億劫になってしまった。
体に力が入らない。
疲れた。動きたくない。眠い。
日は高いから時間的にはまだまだ移動できるはずなのに、どうしても気力が湧いてこない。
「ごめん……少しだけ休んでいい?」
『ああ』
限界を感じて休みたいと言った私に、ルミナリスさんは黙って付き添ってくれた。
***
そうして道のど真ん中で眠りに落ちてからどれくらい経っただろうか。
私は『リン!』と呼ぶルミナリスさんの声と、肩を揺さぶられる感覚で目を覚ました。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい!?」
初めて聞く男の人の声に驚いて飛び起きると、いつの間にか私のそばには一台の荷馬車と立派な顎髭を蓄えた小太りのがっちりした初老のおじさんが立っていた。




