第9話「敵と作る体育祭」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
警備補助の朝は早い。
早いということを、オレは集合時刻の四分後に知った。
「遅刻です」
校門前で、時任が時計を見せる。
「四分だろ」
「四分あれば、入場門用の土台を二基確認できます」
「四分で朝飯を一杯追加できる」
「しないで来てください」
「したから四分で済んだんだ」
「ハミン!」
背後から藍羽が走ってきた。水色のジャージ姿で、片手にオレの警備腕章、もう片方に食べかけのパンを持っている。
「腕章、道場に忘れてた!」
「さすが藍羽」
「褒める前に謝る!」
「悪い」
「私にじゃなくて時任先輩に!」
時任は工程表へ何かを書き込んだ。
「七時三十四分、警備補助二名到着。遅延四分。理由、朝食および忘れ物」
「二名にするな。藍羽はオレの腕章を――」
「私も二分遅刻」
「おまえ、先に行けたのに待ったのか?」
「べつに。忘れ物を届けただけ」
藍羽はパンを一口で食べ、オレの腕へ腕章を強く巻きつけた。
「痛い」
「気のせい」
「気を扱う道場の娘が言うと意味が違うぞ」
体育祭まであと十日。
選闘で決まった警備は、今日の一回だけだ。夕方まで勤めれば、手首の赤い印は消える。委員会が本当に守っているものを見るには、充分な一日だと思っていた。
朝の校庭は、もう普段の校庭じゃなかった。白線を引く機械が走り、入場門の骨組みが寝かされ、色別の旗がフェンスへ干されている。中等部と高等部を合わせた人数ぶん、動く物も決めることも増えていた。
絶対運命補完委員会は、名前だけなら世界の終わりを防ぐ秘密組織みたいだ。
実際にやっていたのは、万国旗の結び目を数えることだった。
「二百九十八、二百九十九、三百」
先輩が巨大な箱を肩へ載せたまま数える。
「蓮、三百本あるぞ」
「発注は三百二十本です」
「二十本足りないな」
「京一が昨日、棒術の目印へ使って折りました」
閑崎が会計帳を開いたまま言った。
「あれは古くなってたんだ」
「古くても資産です」
「オレが二十本ぶん働く」
「京一の労働は委員活動ですので、追加の資産には換算されません」
「厳しいな、鈴華」
先輩は笑い、箱を二つ重ねた。
重さは一箱で三十キロ近い。こいつはそれを左右の肩へ一つずつ担ぎ、平気で歩いている。
「手伝う」
オレが一箱へ手をかけると、先輩は止めなかった。
「持てるか?」
「誰に言ってる」
腰を入れて持ち上げる。
重い。
持てないほどじゃない。だが、男の身体のつもりで腕だけに任せると、箱の角がすぐ下がる。腹へ寄せ、重心の真下へ足を置く。
「いい持ち方だ」
「藍羽に教わった」
「如月に?」
「女の身体の使い方は、オレより知ってる」
言ってから、自分でも少し驚いた。
前なら、教わったことを隠したかもしれない。負けたみたいで悔しいから。
でも、藍羽の動きは藍羽の強さだ。それを借りて箱を運べるなら、隠すほうがもったいない。
「なるほどな」
先輩は嬉しそうにうなずいた。
「じゃあオレも、ハミンに持ち方を教わる口実で――」
「西能寺先輩!」
時任の声が飛ぶ。
「荷物を口説かないで、運んでください!」
「ハミンを口説こうとしたんだ」
「訂正しなくていいです!」
荷物を置く場所は、校庭東側の体育倉庫。
工程表には、そう書いてある。
ところが東側へ着くと、倉庫がなかった。
「場所、間違えたか?」
「僕の工程表が間違うなら、先に校舎を疑ってください」
時任が真顔で言う。
「それ、自信ある言い方に聞こえるけど、学校が動く前提になってない?」
藍羽がフェンスを見回した。
昨日まで倉庫があった場所には、白線用の砂袋が積まれている。代わりに西側、テニスコートの奥へ、見覚えのない灰色の建物が立っていた。
「あれじゃねえか?」
「扉の番号は同じですね」
時任は工程表と建物を交互に見た。紙の小さな配置図では、倉庫の四角が東から西へにじむように移っている。
「また選闘反応?」と藍羽。
「基準値内です。昨夜の点検でも異常は――」
「普通の学校は、基準値内でも倉庫が歩かないぞ」
「歩いた証拠はありません」
「じゃあ飛んだ」
「そういう問題ではありません」
時任はこめかみを押さえた。
閑崎だけは、移動した倉庫より手元の帳簿を見ていた。
「備品番号が二つ増えています」
「増えるのはいいんじゃないか?」
「購入していない物が増えるのは、減るのと同じくらい問題です」
「会計って大変だな」
「ハミンさんの食費よりは予測できます」
灰色の倉庫へ近づく。
扉には「第一体育用具庫」と書かれた札があった。見る角度を変えると、「第二」「第三」と数字だけが入れ替わる。
低い音がした。
オレの鼻歌と似ている。
けれど、呼吸に合わせて揺れない。細く、正確で、ずっと同じ高さだ。
「中に誰かいる」
藍羽も気づいた。
扉の向こうから、金属を叩く音がする。
次に、人の声。
「誰か! 開かない!」
「ひなた?」
同じクラスの水守ひなたの声だ。
クラス委員でも格闘家でもない、ごく普通の女の子。体育祭ではクラスの応援旗を担当している。
「ハミン? そこにいるの?」
「いま開ける!」
取っ手を引く。動かない。
先輩が箱を下ろし、オレの隣で取っ手を握った。
「一、二でいくぞ」
「三は?」
「二で開ける」
「気が合うな」
「一、二!」
二人で引く。
扉が外れた。
正確には、取っ手と扉の表面だけが剥がれた。
その向こうに、また同じ扉がある。
「なんだ、これ」
剥がした扉を横へ置く。二枚目を開ける。
さらに扉。
時任が時計を確認した。
「用具庫の内部距離が、外形と一致していません」
「見れば分かる」
「数字で確認したんです」
「おまえ、見たものを数字にしないと信じないのか?」
「数字にすれば、ほかの人にも同じものを見せられます」
その答えだけは、少し分かる気がした。
「時任先輩。外をお願いします」
藍羽が髪を結ぶ。
「私とハミンで――」
「いや、オレが行く」
先輩が棒を肩から下ろした。
「如月は外に残ってくれ。中等部一年が三人、点呼から消えてる。鈴華と探してほしい」
「でも」
「ハミンはオレが連れて戻る」
「連れられなくても戻るぞ」
「そういうところも含めてだ」
藍羽は不満そうにオレと先輩を見比べた。
「絶対、張り合って奥へ行きすぎないで」
「分かった」と先輩。
「善処する」とオレ。
「ハミンは分かってない!」
*
三枚目の扉を越えると、中は倉庫だった。
ただし、広すぎる。
天井まで積まれた跳び箱。何十本もの綱引き用ロープ。赤白の大玉。騎馬戦の帽子。見たことのない形のハードル。どれも学校の倉庫にありそうで、数だけがおかしい。
通路が三つに分かれている。
右の札には「大玉転がし」。左には「騎馬戦」。真ん中には「借り物競走」と書かれていた。
「今年、どれもやらない競技だな」
先輩が言う。
「去年は?」
「企画には出た。けがの危険や時間の都合で全部落ちたはずだ」
選ばれなかった競技。
その道具だけが、ここに残っている。
「ハミン!」
ひなたの声は、右の通路からした。
「こっち!」
続いて左からもした。
「ハミン、早く!」
真ん中からも。
三つとも同じ声、同じ息の切れ方。
「どれだ?」
「本人に聞く」
オレは大声で呼んだ。
「ひなた! 昨日の昼、オレに何て言った!」
三つの通路が黙る。
少し遅れて、右から返事が来た。
「購買の焼きそばパンを三つ買うな! 一人一個!」
「本人だ」
「判断材料が食事しかないのか」
「充分だろ」
右へ走る。
大玉が通路を塞いでいた。赤い玉、白い玉、その奥にまた赤。触れて押すと、軽いはずの大玉が石みたいに重い。
「下がれ」
先輩が棒を横へ入れ、てこのように持ち上げる。
オレは下へ滑り込み、紅燕歩で玉の横を抜けた。小さい身体が初めて、狭い隙間で得をした。
「先に行く!」
「一人で突っ込むな!」
「ひなたの声が近い!」
通路の角を曲がる。
応援旗を抱えたひなたが、積み上がった平均台の上へ立っていた。その下を、赤白の大玉がゆっくり回っている。落ちれば挟まれる。
「普通の転校生だと思った私の期待、返して!」
ひなたはオレを見るなり怒鳴った。
「オレがやったんじゃない!」
「ハミンが来てから、学校が普通じゃなくなった!」
「それはちょっと否定できない!」
平均台が揺れる。
ひなたの靴が滑った。
オレは床を蹴る。
大玉の間を小さく回り、一つ目の正面を避ける。二つ目が反対から来る。腕を伸ばす。遠い。
五・七センチ。
足りない距離を、もう嘆かない。
踏み込みを大きくするんじゃない。身体ごと回る。肩を先へ入れ、指先ではなく肘の曲がる距離へ相手を迎える。
落ちてきたひなたの腰を両腕で受けた。
「重っ」
「女の子へ言う台詞じゃない!」
「オレも今は女だ!」
「だから何!」
「よく分からん!」
受けた勢いを殺さず、その場で回る。紅燕歩。大玉を避け、ひなたと一緒に床へ転がった。
次の大玉が迫る。
先輩の棒が、玉の下へ突き込まれた。
「ふんっ!」
巨大な玉が跳ね上がり、天井へぶつかる。先輩はそのままオレたちの前へ立ち、二本目を横殴りで弾いた。
「大丈夫か、ハミン!」
「ひなたに聞け!」
「私は大丈夫!」
ひなたは自分で立ち、抱えていた応援旗を確認した。こんな状況でも手放さなかったらしい。
「一年生が三人、一緒にいた。でも、声がして別の通路へ行っちゃった」
「どんな声だ?」
「自分たちの声。騎馬戦に出れば勝てるって」
選ばなかった競技が、自分を選べと呼んでいる。
倉庫の奥で、金属音が一斉に鳴った。
ハードルが勝手に立ち上がる。跳び箱の段が引き出され、通路を組み替えていく。
「帰り道が消えるぞ」
先輩がオレへ背を向けた。
「ひなたを連れて入口へ戻れ。オレが道を開ける」
「一年生は?」
「如月たちが外から探してる」
「見つけるまで帰らない」
「警備指揮下だぞ」
「時任の指揮であって、先輩のじゃない」
「細かいところを突くな!」
先輩が振り返った。
怒ってはいない。困った顔の奥で、少し笑っている。
「なら三人で戻る。オレが前。ハミンはひなたを守れ」
「最初からそう言え」
「おまえに命令を聞かせるのは難しいな」
「勝てば一回聞くぞ」
「次は何を賭けるかな」
こんな時まで嬉しそうにするな。
ひなたがオレの袖を引いた。
「二人とも、まず出てから口説き合って」
「口説いてない!」
「オレは口説いてる」
「先輩は黙れ!」
棒がロープを払い、オレたちは変わり続ける通路を走った。
*
一年生三人を見つけたのは藍羽と閑崎だった。
倉庫の外へ出ると、校庭の隅に四人が座っていた。藍羽は一番小さな生徒の背をさすり、閑崎は細い鈴を手にしている。
「ハミン!」
藍羽が立ち上がった。
「ひなた!」
「無事。応援旗も無事」
「旗はあとでいいの!」
藍羽がひなたを抱きしめる。その横で、一年生たちはぼんやり目を瞬いていた。
「何があった?」とオレ。
「倉庫の壁から、自分たちが騎馬戦をしてるのが見えたって。そっちへ行けば絶対勝てるって声も聞こえたらしいの」
「閑崎の鈴を使ったのか?」
黒い和装の閑崎を見る。
「幻で幻を覆っただけです」
「幻まで作れるのか。やっぱり、それも法宝だよな?」
「ええ」
「どんな幻だ?」
「出口に立つ如月さんの姿を」
「私、ずっと隣にいましたけど」
「ですから、二人になりました」
「怖いことを平気で言わないでください!」
藍羽が自分そっくりの幻を思い出したらしく肩を震わせた。
閑崎は一年生へ水筒を渡し、袖の内側で手を握っていた。鈴を使った反動なのか、指先が少し白い。
「大丈夫か?」
「お気遣いなく」
「でも――」
「心へ触れた側が、平気な顔をする責任もあります」
笑っているのに、声が遠かった。
オレがもう一歩近づこうとした時、校舎の時計が十四時十三分を指した。
次の瞬間、十四時二十六分になった。
秒針が一周もせず、十三分を飛び越えた。
「いま……」
時任が工程表を見る。
空白だった十三分の枠に、赤い文字が戻っていた。
――予行、完了。
倉庫の壁が低く唸る。
灰色だった建物の色が、校舎と同じ白へ戻っていく。扉の札も「第一体育用具庫」へ固定された。
「全員、そこを動かないで」
目黒教授が校庭を歩いてきた。
片手に赤いペン、もう片方に工具箱を持っている。
「目黒教授、倉庫の内部が――」
「聞いたよ、ハミンくん。用具搬入用の自動棚が誤作動したらしい」
「自動棚で倉庫が西から東へ動くのか?」
「最新技術は驚きに満ちている」
「最新に見えないぞ、この倉庫」
「外見で年齢を決めてはいけない。私にも刺さるからね」
教授は笑い、扉の脇にある古い制御盤を開けた。中へ赤いペン先を差し入れる。
かちり。
それだけで低い音が止まった。
時任が教授の手元を見つめる。
「教授。この型の制御盤に、赤外校正端子はありません」
「裏側にある」
「配線図には――」
「古い図面だ。あとで最新版を渡そう」
答えは滑らかだった。
正しいように聞こえる。だから、どこがおかしいのか掴めない。
「倉庫は安全になった。けが人もいない。体育祭の準備を続けよう。予定は遅れているだろう?」
目黒教授が赤いペンを閉じる。
時任の工程表から「予行、完了」の文字が消えた。
「……はい」
時任は答えた。
納得した声ではなかった。
*
夕方、元の位置へ戻った倉庫から古い校旗を運び出した。
濃紺の布へ、星環学園の星の紋章が刺繍されている。
その裏側に、もう一つ印があった。
十三の輪と、真ん中の黒い点。
目だ。
ハヨンの薬瓶の底で一度見た形に似ている。
「それ、旧校章じゃないか?」
先輩が言う。
「旧校章?」
「選塔の古い印だって聞いた。オレたちが入学するより前からある」
先輩は気にせず校旗を畳んだ。
オレはもう一度、布の裏を見た。
黒い点が、一瞬だけこちらへ焦点を合わせた気がした。
「ハミン」
先輩が急に呼ぶ。
「今度の警備打ち合わせなんだが」
「明日もあるだろ」
「校外でやったほうがいいと思う」
「何で?」
「静かな店で、二人で、食事をしながら」
「飯か。いいな」
先輩の顔が明るくなる。
「何が食べたい?」
「焼肉。藍羽と時任と閑崎も呼ぼう」
「二人でと言っただろ!」
「打ち合わせなら全員いたほうがいい」
少し離れたところで、閑崎が口元へ袖を当てた。
笑っている。
「閑崎、何がおかしい?」
「いいえ。警備計画が大変健全な方向へ補完されたと思いまして」
先輩だけが肩を落とした。
藍羽はなぜか機嫌よく校旗を持ち、時任は十三分遅れた工程をどう戻すか頭を抱えている。
委員会は敵だ。
少なくとも、ついこの前まではそうだった。
今日も全部を信用したわけじゃない。
けれど先輩は、倉庫の中でオレたちへ背を向けた。時任は混乱の中でも全員の位置を数えた。閑崎は自分が震えても一年生を落ち着かせた。
規則の後ろに、ちゃんと人がいる。
そう分かっただけで、腕章の重さは少し変わった。
「明日の集合、七時半です」
時任が念を押す。
「分かってる」
「朝食は?」
「一杯減らす」
「本当に?」
「そのぶん早く起きて食う」
「減っていません!」
校庭へ、オレたちの声が響いた。
倉庫の窓だけが、最後まで真っ暗だった。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




