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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
西遊記編
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53/54

第5話「猿とオレと、うるさい棒」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 朝の井戸水は、頭の中まで冷たかった。


 顔を拭いて裏庭へ出ると、悟空が棒を立てて待っていた。木の枝を削ったような棒だ。飾りはなく、握るところだけ色が濃い。


「遅い」


「まだ日が出たばかりだぞ」


「おれは出る前からいた」


「じゃあ、太陽が遅かったんだろ」


 悟空が笑う。


 オレは上着の留め具へ手をやった。緋天衣は身体へ合っている。袖も、裾も、動く時に邪魔にならない。一本の三つ編みを背中へ払い、右足を少し引く。


 庭の広さは、道場より狭い。


 左に井戸。右に薪の山。奥に壁。後ろには、まだ眠っている客の部屋がある。


 壊せるものが多すぎる。


「壁へ当てたほうが負け」


 オレが言う。


「おまえが当たったら?」


「オレの負け」


「分かった」


 悟空は棒を横にした。


 初めて会った時と、同じ立ち方だった。かかとが軽い。どちらへも動ける。だが、肩は昨日より下がっている。薪を割る時とは違う構えだ。


 オレは右手を少し前へ出した。


 悟空が来る。


 棒の先が、まっすぐ胸へ伸びた。


 掌で横へ流す。硬い木の感触。引き戻すと思った棒が、途中で回った。反対の端が脇腹へ来る。


 膝を落とす。


 頭の上で、風が鳴った。


 オレは前へ踏み、棒を握る手首へ拳を伸ばす。悟空は棒から片手を離した。空いた手がオレの肘を押し、身体を斜めにねじる。


 近い。


 昨日の妖怪なら、この距離で足が止まった。


 悟空は止まらない。


 オレの脛へ、足の裏が当たった。軽い。蹴り倒すためではなく、次に踏む場所をずらしている。


 右へ流れた身体を、左足で受ける。


 その前へ、棒が一本置かれた。


 跳ぶ。


 着地の場所を読まれた。悟空の足が先にある。オレは空中で腰を返し、片手を地面へついた。低く回って、相手の足を払う。


 悟空は、棒を支えに浮いた。


 足が、空を切った。


 二人とも、半歩離れる。


 息はまだ乱れていない。


 オレの頬だけが、勝手に上がった。


「いいな」


「おまえもな」


 声が、今度は同時だった。


     *


 次は、オレから行った。


 拳を顔へ見せ、途中で沈む。赤い袖が目の端へ入る瞬間に、膝を曲げる。紅燕歩。背を低く回し、棒の下へ身体を滑らせた。


 悟空が、後ろへ跳ぶ。


 追う。


 三歩目で止まるふりをして、足の指で土をつかんだ。重さを前へ落とす。肘が、相手の胸の前へ届く。


 棒が、縦になった。


 肘と木がぶつかる。


 重い。


 悟空は受け止めたのではなく、棒の下を地面へついていた。オレの力が、土へ抜ける。押し続ければ、こちらの肩が詰まる。


 力を引く。


 引いた分だけ、相手の棒が前へ出た。


「うおっ!」


 首を倒す。鼻の前を先端が通る。その下で、悟空の拳が腹へ来た。オレは左腕で受け、右足を相手の足の外へ置く。


 投げられる。


 そう思った瞬間、悟空が自分から低く沈んだ。


 重心が消える。


 消えたわけではない。オレが持ち上げようとした場所から、別のところへ移っただけだ。だが、腕に掛かっていた重さが抜ける感覚は、かなり嫌だった。


 オレは足を止めず、悟空の背中を越えた。


 その先に、井戸があった。


 まずい。


 石の縁に足を置き、向きを変える。水桶を蹴らないよう膝を上げた。身体が浮いた分、着地が遅れる。


 悟空の棒が、こちらを向いた。


 間に合うか。


「そこは、こうだ!」


 横から、別の棒が入った。


 先輩だった。


 雷綴と木の棒がぶつかる。悟空が腕を引き、先輩が半歩進む。オレは二人の間へ着地し、ほとんど同時に飛び退いた。


「邪魔すんな!」


「見ていたら、入りたくなった!」


「見てろよ!」


 悟空が、声を出して笑った。


「こっちのほうが、うるせえな!」


「棒の使い方なら負けん!」


 先輩の棒が唸る。


 悟空の棒が、その内側へ入る。


 木と金属が、速い音を重ねた。先輩は長い間合いから押し、悟空は短く持ち替えて潜る。似た武器なのに、身体の使い方が違う。


 オレは二人の足を見た。


 先輩の右足が、少し内側を向く。


 悟空の左足が、そこへ入ろうとする。


 その間なら、オレも入れる。


 もう一度、前へ出た。


「今度はおまえが邪魔だ!」


 悟空の声に、オレは笑った。


 邪魔をされる気分が、よく分かったらしい。


 先輩が雷綴の中ほどを握り、両端を短く見せた。


 長い棒を、狭い庭で扱う構えだ。右へ振れば悟空、左へ返せばオレがいる。二人へ同時に届くわけではないが、先輩は身体の向きを変えず、手の位置だけで狙いを替えてくる。


 オレは棒を受けない。


 一歩外へ回る。


 そこへ悟空が来た。


 目が合う。


 二人とも、相手をどかすより先に笑った。


「あいつから、止めるか」


 オレが言う。


「賛成」


「相談が聞こえているぞ!」


 先輩の棒が、低く走った。


 悟空が跳び、オレは逆に沈む。上と下へ分かれれば、先輩はどちらかを選ぶ。棒の先が上がる。悟空を選んだ。


 オレは足元へ滑り込んだ。


 先輩の膝が、そこへ来た。


「脚もある!」


「知ってる!」


 前腕で受け、勢いを横へ流す。先輩の足が一瞬だけ地面を離れる。その間に悟空が、肩越しへ棒を掛けた。


 後ろへ引く。


 オレは足を押す。


 先輩は、倒れなかった。


 雷綴を地面へ突き、三本目の脚にした。土が少し沈み、銀の文字が朝日に光る。電気は出ていない。普通の一本の棒として、二人の重さを受け止めていた。


「ずるいぞ!」


 悟空が言った。


「二人掛かりに言われたくない!」


 正しい。


 オレは笑いながら手を離した。先輩の身体が前へ戻る。その瞬間、悟空が棒を下へずらした。


 足首を狙う。


 先輩が跳ねる。


 オレは空いた場所へ肩を入れた。


 持ち上げるのではなく、着地する向きを少し変える。大きな相手ほど、足の置き場をずらすだけで困る。先輩の顔から、一瞬だけ笑いが消えた。


「おっと!」


 着地した先に、薪が一本転がっていた。


 先輩は踏み潰さず、靴底で転がす。そのまま片足で回り、雷綴の端をオレの肩へ当てた。


 強くはない。


 だが、きれいに入った。


「一本!」


 先輩が言う。


「まだ倒れてねえ!」


 オレが言い返すと、悟空が横からオレの肩へ棒を置いた。


「二本」


「おまえ、さっきまで味方だっただろ!」


「さっきまでだな」


 ひどい猿だった。


 オレは棒を脇へ挟み、悟空のほうへ身体を寄せる。近い距離では、武器を大きく振れない。悟空は手を緩めて棒を滑らせ、端だけを残して持ち直した。


 その指が速い。


 握っていない瞬間が、ほとんど見えない。


 オレは膝で棒を押さえ、掌を悟空の胸の前へ止めた。


 同時に、悟空の足の裏がオレの腹の前で止まる。


 二人とも、あと少しで届く。


 どちらが先だったかは、分からなかった。


 先輩が、二人の肩へ棒を渡した。


「これで三人、引き分けだ!」


「おまえが決めるな!」


 今度は、オレと悟空が同時に叫んだ。


 戸口で、誰かが小さく笑った。


 チャオだった。


 眠そうな目をしていたが、肩から力が抜けている。悟空が一瞬そちらを見て、口を開きかけた。その足元へ、先輩の棒が下りる。


「脇見は――」


 悟空が反射で払う。


 先輩が受ける。


 二本の棒が、さっきまでとは違う高さで交差した。


     *


 最初に壊れかけたのは、井戸の桶だった。


 誰の棒が当たったのかは分からない。たぶん先輩のほうだ。オレの足だった可能性も、少しある。


 桶が空へ飛ぶ。


 三人とも動きを止めた。


 落ちる。


 悟空の棒が、下へ入る。先輩の棒が、反対側を支える。オレは二本の間から手を伸ばし、取っ手をつかんだ。


 水が、全部こぼれた。


 三人とも、濡れた。


「勝負、終わり!」


 藍羽の声が来た。


 振り向くと、戸口に全員がいた。ひなたは顔へ手を当て、蓮は雑巾を持ち、鈴華はすでに店主へ頭を下げている。


 ハヨンだけが、少し楽しそうだった。


「朝から、いい音してたね」


「見てたのか」


「途中から。桶を飛ばしたところが一番そろってた」


 三人とも、答えなかった。


 三蔵が庭へ出てきた。眠そうな顔で、悟空の頭を見る。


「おまえは、朝から騒ぎを起こしおって」


「おれだけじゃねえだろ」


「その返事も、いつも同じじゃ」


 三蔵が口の中で何か唱えた。


 悟空の顔が変わった。


 棒が落ちる。


 両手で頭を押さえ、片膝をついた。


「おい!」


 オレは三蔵の前へ出た。


「何した!」


 三蔵が言葉を切る。


 悟空の肩が、ゆっくり下がった。金の輪の縁が、朝日と関係のない色で光っていた。


「叱っただけじゃ」


「言葉で叱れよ!」


 オレの声が大きくなった。


 三蔵が、口を閉じる。


 悟空は額へ手を当てたまま、もういいと言った。けれど、すぐには立たなかった。チャオが駆け寄り、隣へ膝をつく。


 先輩は雷綴を下ろした。


 さっきまで、勝負の続きをしたがっていた空気が消えている。


 ハヨンが、悟空の正面へしゃがんだ。


「その輪、いつから?」


「少し前からだ」


「触らない。見るだけ」


 一度だけ、輪の縁へ目を近づける。銀髪が頬へ落ちた。ハヨンはそれを払わず、短く息を吸った。


「法宝だ」


 オレは、輪を見た。


 いまなら分かる。金属の光の奥に、気の道がある。雷綴にも、緋天衣にもある、あの細い流れだ。見慣れた形ではないので、ただの輪だと思い込んでいた。


「本の中にも、同じものがあるのか」


「同じ。呼び方が違うだけかもしれない」


 ハヨンは立ち上がった。


「それと、この輪は誰かを持ち主として結んでる。誰なのかまでは見えない。分かるのは、そこまで。輪の結び方を知らずにいじったら、かえって締まる」


 悟空が、ようやく顔を上げた。


「外せるのかと思った」


「簡単なら、もう外してる」


 妹の返事は短かった。


 けれど、悟空は少しだけうなずいた。できないことを、できるような顔で言われるよりはよかったのだろう。


     *


 朝飯は、静かに始まった。


 三蔵は、悟空の前に一番大きな椀を置いた。何も言わない。悟空も何も言わず受け取る。オレには、それで全部済むとは思えなかったが、二人の間へまた割って入る言葉も見つからなかった。


 チャオが、小槌の包みをほどいた。


 朝の光の中で、丸い頭が明るくなる。ハヨンはそれを見て、今度は驚かなかった。


「これも同じね」


「法宝か?」


「うん。昨日は、気の流れまでは見なかったから」


 蓮が、時計の鎖を指で押さえた。


「働きが違っても、力を通す道具としては同じなんですね」


「なら、こいつも」


 先輩が壁へ立てかけた雷綴を見る。


「この世界じゃ、名前の違う宝物になるのか」


「名前まで変わるわけじゃないと思うけど」


 ハヨンが答える。


 悟空は小槌を見ていた。


 チャオは、それを机の上に置いた。押しつけるようには渡さない。両手を離し、悟空の顔をまっすぐ見た。


「持ってきたよ」


「知ってる」


「途中、何回も帰ろうかなって思った」


 悟空の指が、椀の縁で止まった。


「でも、これを持って帰ったら、家にはわたし一人でしょ。渡せないまま、棚に置いておくのは嫌だった」


 オレは、箸を下ろした。


 誰も、その時は食べなかった。


「いま、何かが変わらなくてもいいよ。ちゃんと、渡したかったの」


 チャオが小槌を少し押す。


 悟空は、すぐには取らなかった。


 金の輪が額にある。小槌は机の上にある。どちらも法宝だが、そこに置かれるまでの道は同じではない。


 チャオは渡すために、ここまで歩いた。


 悟空は、手を伸ばした。


 持ち手へ指が掛かる。


 淡い光が、指の間へにじんだ。すぐに消える。何かを壊す音も、誰かを変えるような大きな光もなかった。


「……ありがとな」


 小さな声だった。


 だが、チャオには聞こえた。


 彼女はうなずき、ようやく自分の椀を持ち上げた。


 悟空は小槌を布へ包み直す。元の結び目をそのまま真似しようとして、うまくできなかった。チャオが手を伸ばしかける。


「やる」


 悟空が言った。


 チャオは手を引っ込めた。


 少しいびつな結び目ができる。


 それを胸元へしまってから、悟空は飯を食べ始めた。


     *


 朝の仕事を終えると、宿を出る支度が始まった。


 店主は、壊れていない桶を何度も回していた。オレたちが井戸から水を汲み直し、庭まで拭いたので、もう怒ってはいない。それでも、出発する先輩へは、棒を横に持たないでくれと念を押した。


「縦ならいいんだな!」


「天井にも気をつけて!」


 旅立ちの見送りが、注意事項になった。


 三蔵は村の先へ向かうと言う。西へ進む街道沿いに、旅人へ食事を出す古寺があるらしい。食事という言葉だけ、妙に強く発音した。


 鈴華が眉を上げる。


「無料、という話ですか?」


「そう聞いた」


「聞いた相手は?」


「昨日、道で会った親切な者じゃ」


 藍羽がオレを見る。


 オレも藍羽を見た。


 二人とも、昨日の立て札を思い出していた。


「一緒に行くか」と先輩。


「オレは行く」


 悟空とまだ勝負が終わっていないし、チャオを送り届けたからそれで終わりという気にもならなかった。ひなたも、古寺のある村で泊まれるならいいと言った。


 蓮が道を教わり、ハヨンは宿の入口の小さな風鈴を見上げる。


「あれも法宝かな」


 オレが聞く。


「違う。普通の鈴」


「なんで分かる」


「風が吹いた時しか鳴ってないし、いまのところ他の働きがない」


 鈴華が、自分の鈴へそっと触れた。


「不思議な場所だからといって、全部に不思議があるわけではありませんわ」


 オレは道端の石を一つ拾い、掌で転がした。特別な重さも、変な気の流れもない。投げれば痛い、普通の石だ。


 もとの場所へ戻した。


 悟空がそれを見ていた。


「何してんだ」


「見学」


「さっきから、その言い方、便利だな」


「便利だから使うんだよ」


 悟空は笑い、棒を肩へ担いだ。先輩も並ぶ。二本の棒が、狭い門でぶつかった。


「先に行け」


「おまえが行け」


「二人とも縦!」


 店主の声が、村の朝へ響いた。


     *


 その日は、街道の途中で一度だけ雨に降られた。


 大きな木の下で雨宿りをする。三蔵は濡れた荷物に文句を言い、八戒は葉の大きい場所を探して横になった。悟浄は、雨が降るほうを少し喜んでいるように見えた。


 オレと悟空は、木の根に並んで座った。


 朝の勝負で打ち合った腕が、少し重い。痛みは強くないが、肘を曲げると相手の棒があった場所を思い出す。


「明日は、先輩を入れないでやろう」


 オレが言うと、悟空がうなずいた。


「声がでかいんだよな」


「聞こえるぞ!」


 木の反対側から返事が来た。


 悟空が笑い、オレも笑う。


 チャオはひなたたちと、包みの紐の結び方を話していた。ハヨンが片手で解ける結びを見せると、チャオは実際に試して、ここはほどけやすすぎると言った。二人で結び直し、蓮が自分の袋でも真似する。


 大げさな道具を使わない工夫は、見ていて分かりやすい。


 オレは、悟空の胸元を見た。


 小槌の包みが少しだけ見えている。


「大事にするんだな」


「落としたら、怒られる」


「それだけか」


 悟空は、雨の向こうを見た。


「ここまで持ってきたんだろ」


 オレはうなずいた。


 それなら、もう聞くことはなかった。


 雨が弱くなると、鳥が枝へ戻ってきた。葉の先から大きな雫が落ち、三蔵の頭へ当たる。


「冷たい!」


「雨やからな」と八戒。


 当たり前の返事に、三蔵がまた文句を言う。


 道の先は、まだ長そうだった。


 オレは立ち上がり、濡れた草を靴で払った。明日の古寺で何を食べられるかと三蔵が話し始め、鈴華がその話を横で聞いている。


 悟空は棒を持ち直した。


 胸元へ一度だけ手を当て、小槌があるのを確かめてから、チャオの隣へ歩いていった。


 坂を越えると、道端に新しい板が立っていた。


『お疲れの旅人へ。温かな食事と寝床あり』。


 古寺の名前が、その下にある。板だけ妙に白く、足元の土には掘り返した跡が残っていた。三蔵はうれしそうに文字を読み、歩く速さを上げた。


 オレは板の裏へ回ってみた。


 削りかすが、まだ草に掛かっている。


「どうした?」


 悟空が振り向く。


「ずいぶん新しい案内だなと思って」


「坊さんは、新しい飯のほうが好きなんだろ」


 それはそうだ。


 それでも、オレは板を覚えておいた。帰りにここを通ることがあったら、同じ向きに立っているか見てみようと思った。


エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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