第6話「坊さん一人、妖怪大騒ぎ」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
三蔵は、食事の案内を見つけるのが速い。
村の入口に立っていた板も、オレより先に見つけた。文字の横には湯気の上がる椀が描いてある。昨日見た板と、同じ形の椀だった。
「こっちじゃ」
三蔵が道を曲がる。
「村は、まっすぐですよ」
蓮が言った。
「寺は、こっちじゃ」
答えにはなっていた。
だが、その言い方で進むと、食事のある場所へしか着かない。
八戒が鼻を動かした。
「ええ匂いするなあ」
オレにも分かった。米を炊く匂いと、油の匂い。寺で出る食事にしては、かなり腹へ響く。
悟空が三蔵の背へ声をかける。
「おっちゃん、先に宿を見つけるんじゃねえのか」
「寺にも寝床があると書いてある!」
「読んだの、飯のところだけだろ」
三蔵は聞こえないふりをした。
この道を選んだ以上、一緒に見に行くほうが早い。オレたちは村へ入る道を横目に、少し高いところへ続く坂を登った。
道の脇に、畑がある。
人がいない。
家の戸は開いているのに、庭にも誰も出ていなかった。縄に掛けられた洗濯物だけが揺れている。朝の仕事が終わった時間にしては、静かすぎる気がした。
チャオも畑を見ていた。
「土が、乾いてる」
「昨日は雨だったぞ」
「端だけなの。水を引く溝が、途中で詰まってる」
オレには気づかなかった。
彼女は畑へ入らず、道の上から指をさす。倒れた桶と、掘りかけの溝。誰かが途中で仕事をやめ、そのままになっている。
三蔵たちは、もう坂の上へ着いていた。
古い門がある。
門の横に、やけに新しい赤い旗が立っていた。
*
寺の前で、小さな妖怪が頭を下げた。
灰色の長い耳と、細い腕。身体に合わない大きな上着を着ている。袖から出た手には、煤の跡があった。
「旅の方、お疲れさまです。食事の支度ができています」
丁寧に言っているのに、目だけが後ろへ動く。
オレは門の内側を見る。
庭に卓が並び、湯気の立つ鍋があった。奥には大きな本堂。左右に低い建物がある。柱へ貼られた紙札は、どれも赤い字だった。
三蔵は、真ん中の席へ向かった。
「ご苦労じゃな」
「おっちゃん、待て」
悟空が呼ぶ。
その前を、背の高い妖怪が横切った。頭の片方に黒い角。手には、長い柄のついた大きな包丁を持っている。
「坊さまは、こちらへ。お連れはそちらでお待ちを」
「どうして分けるんだ?」
オレが聞くと、妖怪は笑った。
「僧侶の方には、特別な料理がございます」
「わいも、特別なのでええで」
八戒が、三蔵の後ろへついた。
「おまえは、ただの食いしん坊じゃろう」
三蔵が言う。
八戒は聞こえなかったふりをした。
似た者同士だった。
オレは一歩進みかけ、足元を見た。
土に、新しい線がある。
卓の下から、建物の陰へ延びている。何かを何度も引きずった跡だ。
「悟空」
声をかけた時には、遅かった。
三蔵の足元が開く。
椅子と卓が傾いた。三蔵が立ち上がろうとして、八戒へぶつかる。二人の姿が、庭の地面の下へ消えた。
「うわあああっ!」
叫び声と、大きな水音。
鍋は倒れていない。
食事だけが、地上に残った。
悟空が跳んだ。
閉じかけた穴の縁へ、棒を差し込む。オレも走り、反対側の板をつかんだ。重い。下から押されているのではなく、横の壁の中で何かが引いている。
「止まれ!」
黒い角の妖怪が叫んだ。
右の建物の戸が開く。
中には、人がいた。
縄を掛けられた大人と、子供。人間だけではない。角のある女も、小さな羽のある老人も、同じように座らされている。
その前に、槍を持った妖怪が立った。
オレは手に力を入れたまま、動きを止めた。
悟空も、棒を抜かなかった。
「離せば、そいつらは無事だ」
黒い角が、包丁の背で柱をたたく。
刃の厚い音がした。
*
穴の下から、三蔵の声がした。
「冷たいぞ! 風呂なら、湯を入れんか!」
「お師匠はん、これ、風呂ちゃう!」
八戒の声も続く。
生きている。
オレは息を吐いた。
黒い角の妖怪は、自分をこの寺の主だと言った。名前は黒角。見たままだ。誰が付けたのかは知らないが、考える手間を惜しんだ名前だと思う。
「ここは、強い者が弱い者を養う寺だ」
「縄で縛って?」
藍羽が言う。
「働きたがらん者には、しつけが要る」
その言葉で、目の前の妖怪がかなり嫌いになった。
でも、いま殴れば、右の部屋で槍が動く。
オレと悟空の距離は近い。二人で黒角を倒すだけなら、できるかもしれない。だが、見張りは一人ではない。屋根にも、柱の陰にもいる。
ひなたが、オレの後ろへ近づいた。
「ハミン」
小さな声。
「右の部屋、奥にも戸がある」
オレは顔を動かさず、目だけをずらした。
確かに、座らされた人々の向こうに、細い光が見えた。閉じた戸の隙間だろう。
先輩は雷綴を握っていたが、地面へはつけていない。強い電撃を使えば、近くの人間まで危ない。鈴華は黙って、見張りの視線が動く先を見ていた。
ハヨンが、オレの手元へ目をやる。
板を持ち上げ続ける腕が、少し震えていた。
「下に空間はある。閉めても潰れない」
短く言った。
オレは悟空を見る。
悟空は、下へ向かって叫んだ。
「おっちゃん、そこから動くな!」
「動こうにも、腰まで水じゃ!」
「じゃあ、そのまま待ってろ!」
悟空が棒を抜く。
オレも、手を離した。
板が閉じた。
音は、腹の底へ落ちた。
黒角が笑う。
「最初から、そうすればいい」
オレは笑わなかった。
閉じた穴の縁を、覚えた。
引きずった線の向きも、槍を持つ妖怪の立つ位置も。
あとで開けるために。
*
オレたちは、庭の端へ集められた。
武器を置けと言われたが、先輩は雷綴を手から離さなかった。悟空も棒を持ったままだ。黒角は近づいて取り上げることをせず、見張りを増やした。
見張りを呼ぶ声が、さっきより高い。黒角はオレたちの棒から目を離さなかった。
三蔵を捕まえたから、今度はオレたちまでまとめて扱えると思っているだけだ。
「褒美は、俺がもらう。坊さんを食って力をつけるなら、俺が先だ」
黒角は手下へ命じる。
下っ端たちが、顔を見合わせた。
「俺たちの分は?」
「働き次第だ!」
誰も、それ以上は聞かなかった。
灰色の耳の小妖怪が、鍋を運ぼうとしてよろけた。オレが手を伸ばすより早く、黒角が足を出す。
鍋の縁が傾く。
ひなたが、下へ布を差し込んだ。
熱い汁が地面へ流れたが、小妖怪の腕へは掛からなかった。
「余計なことをするな」
黒角が言う。
ひなたは顔を上げた。
「こぼしたら、食べられなくなるよ」
黒角は口を開き、閉じた。
料理を餌に人を集めるつもりなら、食べ物を全部捨てるわけにはいかない。ひなたはそこを分かって言ったのだろうか。それとも、本当に食べ物が惜しかっただけか。
オレには分からない。
小妖怪が、ひなたの手元を見ていた。
布は濡れたが、手は火傷していなかった。
黒角が本堂へ入ると、見張りたちの肩が少し落ちた。槍の先も下がる。疲れている。よく見ると、靴も服も、まともにそろっていない。
悟空が、低い声で言った。
「飛び越えれば、向こうへ行ける」
「おまえだけならな」
「おっちゃんを出せば」
オレは右の部屋を見た。
悟空も、そちらを見る。
縄を掛けられた子供が、膝へ顔を埋めていた。
悟空の口が閉じる。
「全部、開ける」
オレが言う。
「一個ずつじゃなくて、同じ時に」
紫苑が、指の間の小石を転がした。
「派手な舞台は、幕を上げる前が忙しいんだ」
そう言って、石を握った。
次に開いた手は、空だった。
見張りの一匹が、それを目で追っていた。
紫苑は石を出さず、今度は反対の手を開いた。
何もない。
見張りの鼻が、少し前へ出た。
「どこへやった」
「なくした物を探すのは、得意か?」
「ごまかすな」
「ごまかされていると思うなら、目を離さないことだ」
紫苑が笑い、その妖怪の足元を指した。
石が、落ちていた。
見張りが拾おうと屈んだ瞬間、紫苑の視線が腰の鍵へ動く。盗まなかった。鍵の形と、掛けられた紐を見ただけだ。
オレは、その意図を覚えた。
今すぐ取り返すことだけを考えていたら、見えないものがある。悔しいが、こういう時は紫苑のほうが落ち着いている。
ひなたは、人質の部屋の前を通る妖怪へ声をかけた。
「中の子、水を飲めてる?」
「あとだ」
「さっきから、咳をしてる」
「だから、あとだ!」
ひなたは怯んだが、足は引かなかった。
鈴華が横へ立つ。
「具合を悪くなさったら、働けなくなるのでしょう。こちらで水を運びますから、戸を少し開けていただけませんか」
見張りは、二人を見比べた。
本堂から黒角の声がすると、急いでそちらを振り返る。戻ってきた目は、さっきほど強くなかった。
「一杯だけだ」
ひなたが椀を受け取った。
オレは近づかなかった。ここでオレまで動けば、見張りが槍を構える。代わりに、声が届くところで水桶を持ち上げる。
戸が開く。
座らされた人々の間を、ひなたが通った。鈴華は入口に残り、邪魔にならないよう身を寄せる。その位置からなら、外のオレにも中の動きが見えた。
小さな子供が、椀へ両手を添える。
手が震えている。
ひなたは椀を離さず、少しずつ傾けた。
「ゆっくりでいいよ」
子供が、二口飲んだ。
横にいた老人が、壁へ肩をつけ直す。背中の下で、床板が小さく鳴った。
鈴華の目が動く。
オレも同じ場所を見る。
床の端が、一か所だけ黒い。湿っているのか、板が古いのか。人が荷物を引きずったような細い傷が、そこへ集まっていた。
戸が閉まる。
ひなたが戻ってきた。言葉を交わさず、オレから空の桶を受け取る。すれ違う時に、ひと言だけ聞こえた。
「裏へ、空気が抜けてる」
まだ通れるかは分からない。
だが、完全な箱ではなかった。
悟空は閉じた穴の近くに座っていた。棒を膝に乗せ、地面を見ている。オレが横へしゃがむと、板の下から水音がした。
「おっちゃん」
悟空が呼ぶ。
「聞こえとる!」
下から三蔵が答えた。
声が出ることに、少し安心する。
八戒も何か言っていた。板へ耳を近づけると、井戸ではなく古い水槽だという言葉が聞こえた。壁に出っ張りがあり、三蔵をそこへ座らせたらしい。
「わいまで乗ると狭いんや。上から何か下ろせへんか」
悟空の手が棒を握る。
見張りが、槍を上げた。
オレは悟空の腕へ触れた。止めるためではなく、こっちを見ろと伝える。板の端と、壁へ続く溝を指した。
悟空が、その先を追う。
木の取っ手を持つ妖怪が、二人いる。
「分かった」
悟空は小さく言った。
大きな音を立てて板を割るより、開く場所を押さえたほうがいい。少なくとも、下で待つ二人の頭へ木片を落とさずに済む。
ハヨンが近づき、オレへ空の水筒を渡した。
「汲んできて」
手渡す時、白い袖の内側に栞が見えた。
オレは目だけで聞く。
ハヨンは首を横へ振った。
「ここじゃ、出口ができるまで待ってくれない」
見張りの槍へ、視線を向ける。
そうだろう。道場へ通じる穴を目の前で作られて、黙って見ている相手ではない。帰る前にも、まずこの庭をどうにかしなければならなかった。
オレは水筒を受け取り、立ち上がった。
運べと言われた物を運ぶ。そのついでに、開く場所と、閉じる物を見る。勝負の間合いを測るより遅い仕事だったが、いまはそれが必要だった。
*
夕方には、仕事を手伝う形になっていた。
逃げないよう見張りをつけられ、薪を運び、水を汲む。三蔵を待つ間、手伝えば食事を出すと黒角は言った。言い方だけは、昨日の宿と似ている。
違うのは、断れば誰かへ槍が向くことだ。
オレは水桶を持って、井戸から台所まで歩いた。
往復するたび、建物の陰が見える。食料の袋が積まれた蔵。地下へ下りる階段。二人で引かなければ動かない、重い木の取っ手。
穴の板を閉めた仕掛けは、あれだろう。
先輩は薪割りを任されていた。大きな音がするたび、見張りが肩を跳ねさせる。怒りを薪へぶつけているわけではない。振り下ろす力は一定で、目だけが周囲を見ていた。
藍羽はチャオと一緒に、台所で野菜を切っている。チャオの手は速い。藍羽は、その横の裏口へ何度も目を向けた。
ひなたは灰色の耳の小妖怪と、椀を並べていた。
オレが水を運ぶと、彼は慌てて場所を空ける。ぶつかって怒鳴られるのに慣れているような動きだった。
「そこに置くぞ」
先に言ってから下ろした。
小妖怪は、少し不思議そうにオレを見る。
ひなたが、椀を指さした。
「この子、灰耳っていうんだって」
「そのまんまだな」
灰耳が耳を伏せる。
「悪い意味じゃねえよ。覚えやすい」
オレは水桶の取っ手を倒した。
灰耳の視線が、オレの腰の袋へ落ちる。
食料を入れてきた袋だ。
ひなたも気づいた。
「ごはん、食べた?」
灰耳は、首を横へ振った。
「みんなの分を出してから」
「みんなって、誰?」
「黒角さまと、見張りの人。残ったら、俺たち」
台所には、鍋が三つある。
米も、野菜も、少なくない。
それなのに、この細い腕の妖怪は、朝から何も食べていないらしい。
オレは袋へ手を入れた。
ひなたが、軽く首を振る。
後ろに見張りがいた。
気づかれれば、灰耳が怒られる。
オレは手を出し、代わりに空の桶を持ち上げた。
「水、足りねえな」
「足りるぞ」と見張り。
「あとで足りなくなって、いま汲まなかったって怒られるのはオレだろ」
見張りは、嫌そうな顔をした。
「勝手にしろ」
オレは灰耳へ目を向ける。
「道がぬかるんでる。軽いほう、持ってくれ」
ひなたが、すぐもう一つの桶を渡した。
*
井戸の裏では、見張りの顔が見えなくなった。
オレは干し肉を一本出し、灰耳へ渡す。
灰耳は取らなかった。
「何をすればいい?」
「食えばいい」
「そのあと」
「噛め。硬いから」
灰耳は、しばらくオレを見た。
ひなたが隣へしゃがむ。
「さっき、私を台所の内側へ入れてくれたでしょう。熱い鍋の前を空けてくれた。あれ、助かったよ」
「落としたら、怒られるから」
「でも、私も助かった」
灰耳は干し肉を受け取った。
最初は端だけかじり、次は少し大きく噛む。顎が動く。味が広がったのか、伏せていた耳が少し上がった。
オレは井戸の縄を下ろしながら言った。
「三蔵を食ったら、本当に強くなるのか?」
灰耳が首を振る。
「知らない。俺は、食いたくない」
「じゃあ、何でここにいる?」
「山から下りたら、仕事があるって言われた。飯も、寝る場所も。逃げたやつは、部屋へ入れられる」
右の建物のことだ。
ひなたが、そちらを見た。
「あの人たちも?」
「働かなかった人。働けなくなった人も」
オレは縄を握る手へ、力を入れすぎた。
桶が井戸の縁へぶつかる。
水が跳ねた。
灰耳がびくりと肩を縮める。オレはすぐ縄を緩め、桶を静かに置いた。
「悪い。おまえに怒ったんじゃねえ」
灰耳は干し肉を両手で持っていた。
ひなたは、急いで何かを頼まなかった。食べ終わるまで待ち、空いた手へ水を渡す。
それから、右の建物を指さした。
「あそこにいる人を、外へ出したい」
灰耳の耳が、また下がった。
「黒角さまに見つかる」
「見つからない道を、一緒に考えたいの」
オレは地面へ枝で線を引いた。
庭。本堂。台所。右の部屋。
灰耳は線を見つめた。
干し肉の最後の一欠片をのみ込み、細い指で、描かれた壁の端をこすった。
そこに、隙間ができた。
「昔の、薪を入れる戸」
声は小さかった。
だが、道が一つ増えた。
灰耳は指を引っ込め、細い肩を丸めた。
「俺も、そこから出られる?」
オレは、彼の足を見た。靴の踵が潰れ、紐の長さが左右で違う。それでも、井戸まで自分で歩いてきた足だ。
「通れる大きさなら、出られる」
「出たあと、何をすればいい」
ひなたが、土に描かれた寺の外へ丸を一つ描いた。
「まず、もう少し食べよう。そこから考えればいいよ」
灰耳は、その丸を長く見ていた。
戻れと呼ぶ声がした。オレは地面の線を靴で消し、桶を持つ。灰耳も軽い桶を抱え直した。来た時より、耳が少し起きていた。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




