第4話「三蔵法師に食費を請求された」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
坊さんは、勘定書と戦っていた。
宿の入口に立ち、片手に紙、もう片方の手に空の皿を持っている。向かいにいる店主の腕には、同じ皿が五枚重なっていた。
「おかわりは、同じ料理じゃろうが!」
「同じ料理を、もう一人前お出ししたんです!」
「そう何度も言わんでも分かる!」
「分かっていないから申し上げてるんです!」
よく息の合ったけんかだった。
オレたちは入口の少し手前で止まった。チャオは店の奥へ目を向け、背伸びをする。探している相手は、坊さんではないらしい。
「三蔵法師って、あれか?」
藍羽へ小声で聞く。
「服は、そう見えるけど」
「かなり強そうだな」
「声がね」
坊さんが、こちらを見た。
オレの赤い服、先輩の棒、ハヨンの白いパーカーへ順に目が移る。最後にチャオを見つけると、急に顔が明るくなった。
「おお! ようやく追いついたか!」
「悟空は?」
「中じゃ。まずは、こちらへ」
三蔵は一歩下がり、オレたちを店の前へ呼んだ。そして店主へ、大げさにうなずく。
「連れが来た。勘定は、まとめてくれ」
「待て」
オレは坊さんの肩をつかんだ。
「誰の連れだって?」
「旅は道連れというじゃろう」
「会ったばかりだぞ」
「会わなければ、連れにもなれん」
一理あるような顔で言うから、余計に腹が立つ。
鈴華がオレの横から勘定書を受け取った。読み、皿を見て、店主へ二つほど尋ねる。その間、三蔵は空の皿を背中へ隠そうとした。
見えている。
「こちらの追加分は、この方たちのお食事ですね」
「そうです」
「では、わたくしたちの分とは別にお願いします」
きれいに切られた。
三蔵が口を開きかけると、鈴華は先に勘定書を返した。
「ご自分で召し上がった分は、ご自分でお払いになってくださいませ」
柔らかい声なのに、店の入口が一段狭くなった気がした。
*
店の奥から、猪のような鼻をした男が顔を出した。
片手には、焼いた肉の串。
もう片方にも、焼いた肉の串。
「お師匠はん、長いこと話しとるなあ。冷めるで」
「八戒! それは、誰の分じゃ!」
「追加で頼んだんや」
三蔵の顔が、ゆっくり店主へ向いた。
店主は、皿を一枚増やした。
先輩が、声を出さずに肩を震わせている。オレも笑いそうになったが、油の匂いを嗅いだ途端、自分があの串を頼みそうだと気づいた。
八戒はチャオを見つけ、目を丸くする。
「おお、追いついたんか。おい、悟空!」
奥で椅子が鳴った。
猿が出てきた。
棒を片手に持ち、もう片方の手で口の横を拭っている。思っていたより小柄だった。だが、戸口へ足を置いた瞬間、床の上で身体がぶれない。かかとを下ろす前から、次へ動ける位置に腰がある。
オレは、自然と足を開いた。
面白そうだ。
「お兄ちゃん」
ハヨンの声で、我に返る。
悟空はオレを見ていなかった。
チャオを見ていた。
「……おまえ、何やってんだよ」
最初の言葉が、それだった。
チャオの顔から笑いが消える。
「来たんだけど」
「見れば分かる。なんで、こんなとこまで」
「探してたから!」
「だから、一人で来たのかって」
「途中までは一人!」
声が少しずつ大きくなる。
二人の間にある距離は、五歩もなかった。どちらも近づかない。そのくせ、悟空の目はチャオの膝へ何度も落ちていた。
傷に気づいている。
なのに、聞かない。
「転んだのか」
ようやく言った。
「転びかけたの。助けてもらった」
チャオがオレを見る。
悟空の顔が、そこで初めてこちらへ向いた。
「おまえか」
「おう」
「……そっか」
それで終わった。
オレは首をかしげる。
「心配だったって言えばいいだろ」
悟空が、ぴたりと動きを止めた。
チャオも止まる。
店主まで、皿を置く手を止めた。
「おまえ、誰だよ」
悟空の声が低くなる。
「ハミン。あっちは妹。ほかは仲間」
「名前の話じゃなくて」
「聞いたじゃねえか」
「二人とも、店の前!」
藍羽が割って入った。
オレと悟空の肩を、それぞれ片手で押す。悟空は押された分だけ引いた。相手の手に逆らうより、立つ場所をずらしていた。
ますます、面白そうだった。
先輩も同じことを思ったらしい。肩越しに、悟空の棒をじっと見ている。鈴華は先輩の顔を見て、ため息をついた。
「今日は、先にお食事です」
全員が、そこには異論を言わなかった。
*
勘定のけんかは、皿洗いで落ち着いた。
足りない分は三蔵たちが働く。追加注文は、先に値段を聞く。鈴華が店主と話をつけると、三蔵は不満そうに袖をまくった。
「わしは、遠くへ経を取りに行く身じゃぞ」
「お椀は近くにございますわ」
反論の行き場がなかった。
オレたちは持参の食料と、老人にもらった野菜を店へ渡した。米と汁の代を払い、足りない分は薪割りと荷運びを手伝うことで決まる。こちらの事情を聞いた店主は、同じ旅の連れでもずいぶん違うと三蔵を見た。
三蔵は、聞こえなかった顔をした。
食卓を動かして長くすると、大勢が並べるようになった。端には河童がいた。皿を持って、立ったり座ったりしている。
「おら、ここにいていいだか」
悟浄という名らしい。
「席があるなら座ればいいだろ」
オレが答えると、彼は少し笑って腰を下ろした。
「人が多いと、いろいろ聞こえるでな」
「声か?」
「声にしてねえほうも、少し」
鈴華が、静かに悟浄を見る。悟浄は自分の胸を押さえ、それ以上はうまく説明できないように首を振った。
八戒が横から口を挟む。
「こいつ、腹に隠したことがちょっと分かるんや。隠してる饅頭の場所までは分からへんけどな」
「そこは、今、分かったぞ」
オレが八戒の袖を見る。
八戒は慌てて腕を下ろした。
チャオは悟空の斜め向かいに座った。小槌の包みを膝から下ろさず、先に汁を一口飲む。悟空は自分の椀を持ち上げたまま、その手元を見ていた。
「まだ熱いぞ」
「分かってる」
「そっちのほうが、煙が多い」
「同じ鍋から入れたよ」
「でも」
「悟空も、飲めば?」
悟空は椀へ顔を寄せ、すぐ離した。
熱かったらしい。
チャオが笑った。悟空も、少しだけ口の端を緩める。そこでやっと、二人の再会が終わったように見えた。
オレは飯を口へ運んだ。
旅先の米は、道場のものより少し硬かった。汁に浸すとちょうどよくなる。野菜の煮物には、拾った時についた土の匂いは残っていない。
食べるために運び、運ぶために直す。
当たり前のことだが、いま食卓へ出ていると思うと、荷車の軸を支えた腕の疲れにも少し意味がつく。
「おかわり」
オレと悟空と八戒が、同時に椀を上げた。
鈴華の目が細くなる。
三蔵が、洗い場から叫んだ。
「値段を聞け!」
学んだことを、すぐ人へ教えたがる坊さんだった。
*
食後、男たちは宿の裏で薪を割ることになった。
オレも一緒に立つと、店主が少し意外そうな顔をした。赤い服と三つ編みで判断されたのだろう。説明するより早いので、太い薪を一本持って外へ出る。
悟空が斧を取ろうとしたところを、オレが先につかんだ。
「使えるのか?」
「薪なら、家でも割る」
台へ立て、木目を見る。
端から細い割れが入っている。そこへ刃を合わせ、斧の重さを落とす。腰まで振り回す必要はない。乾いた音がして、薪が二つへ分かれた。
悟空が片方を拾った。
「悪くねえな」
「そりゃどうも」
先輩が次の薪を置く。悟空が斧を受け取り、一撃で割る。速いが、切り口が少し斜めになった。
「右肩が先に入ってる」
オレが言う。
悟空が、こちらを見る。
「割れりゃ、いいだろ」
「割れたな」
「じゃあ、いいだろ」
「明日、棒でも同じになるのかと思って」
悟空の目が変わった。
先輩が、にやりと笑う。
その間へ、蓮が薪を二本置いた。
「比べるなら、これを全部終えてからにしませんか」
山になった薪を見る。
かなりあった。
オレたちは黙って手を動かした。勝負より先に仕事が来る場所は、道場だけではないらしい。
少しして、悟空が低い声で言った。
「チャオを追ってたのは、どんなヤツだ」
「角が二本。腹が硬くて、棍棒。もう逃げた」
「何かされたか」
「膝を擦った。靴も擦れてた。手当てはした」
悟空は、薪を持つ手を止めた。
「一人で来ることねえのにな」
「渡したいものがあるんだろ」
「そういうのは、おれが帰れば」
途中で言葉が切れた。
帰る日を、自分でも言えないのだろう。
オレは割った薪を籠へ入れ、次の一本を持ち上げた。
「あいつ、会ったら怒ることがいっぱいあるって言ってたぞ」
悟空の顔が、少し引きつる。
「何を?」
「知らねえ。飯を食わせながらなら、聞くと思うって」
「余計なことを教えんなよ」
「逃げなかっただろ」
悟空は黙った。
それから、笑った。
少しだけ、声が出た。
「おまえ、変なヤツだな」
「おまえには言われたくねえ」
二人で斧へ手を伸ばし、またぶつかる。
先輩が横から持っていった。
「順番だ!」
その一撃で、薪が台から飛んだ。
蓮が、静かに台の位置を戻した。
*
宿の広間へ戻ると、三蔵はようやく皿洗いを終えていた。
濡れた手を振り、旅がどれほど大変かをひなたへ語っている。ひなたは聞きながら、店主から借りた布で卓を拭いていた。
八戒は、拭いたばかりの場所へ肘をつく。
藍羽に布を渡され、しぶしぶ反対側を拭き始めた。
「それで、何の経を取りに行くんだ?」
オレが座ると、三蔵は急に背筋を伸ばした。
「ありがたい経じゃ」
「名前は?」
「一生楽に暮らす法」
オレは黙った。
先輩も黙った。
ハヨンは、笑いそうなのを口の中へ引っ込めた顔をしていた。
「そのまんまだな」
「大切なことは、分かりやすいほうがよい」
「何が書いてあるんだ」
「取りに行く前から分かっておれば、取りに行かん」
それも一理ある。
この坊さんは、正しい形の言い訳を作るのがうまい。
「楽に暮らすって、どれくらい?」
ひなたが聞いた。
「朝起きたら飯があり、昼には昼飯があり、夜には寝床がある」
「いまも、ありますよね」と蓮。
三蔵は、じっと蓮を見た。
「皿を洗わずにじゃ」
「そこか」
思わず納得した。
八戒が、濡れた袖を絞りながら戻ってきた。
「せやから、先に払える分だけ頼んだらよかったんや」
「追加の串を頼んだのは、おまえじゃろう!」
「わいの話は、今してへん」
「いま、するところじゃ!」
二人の間に、悟浄が拭いた椀を置いた。争いの真ん中に置くには、ずいぶん薄い椀だった。どちらかの肘が触れたら割れると思ったが、三蔵も八戒も、同時に腕を引いた。
「それ、まだ濡れてるだ。ひっくり返しておいたほうがいい」
悟浄が言う。
八戒が椀を返し、三蔵が布を下へ敷いた。
けんかは続いていたが、手は同じ仕事をしていた。オレはそれを見て、こいつらもずっと一緒に歩いてきたのだと思った。
紫苑が、机の上に三枚の札を伏せる。
「食後に一つ。赤い札を当てれば勝ちだ」
「何がもらえるんや?」
八戒がすぐ食いついた。
「俺の称賛」
「いらんわ」
言いながら、一枚を指した。
外れた。
もう一度。今度は三蔵も身を乗り出し、二人で相談して選ぶ。また外れた。
オレには途中で一枚が入れ替わったように見えたが、どこで替えたかは分からない。紫苑の指は速いというより、見せる場所がうまい。手首を見ようとすると、顔が先に笑う。
悟浄は端の札へ、そっと指を置いた。
紫苑の眉が動く。
めくると、赤かった。
「おまえ、見えたのか?」
オレが聞くと、悟浄は首をかしげた。
「隠す時に、そっちを気にしたような気がしただ」
「なら、次も頼むで!」
八戒が椅子を寄せる。
次は、外れた。
悟浄は申し訳なさそうに肩を縮める。紫苑が札をまとめ、軽く笑った。
「一度見抜かれた手は、同じ顔では使わないさ」
鈴華が茶を飲んだ。
「けれど、京一が次のお椀を狙っているのは、よく分かりますわ」
先輩の手が止まる。
「心を読んだのか?」
「視線です」
オレは自分の目を、空の皿から戻した。
チャオが、小さく笑っている。悟空も横を向いたまま肩を震わせていた。さっきまで、小槌の包みがチャオの膝にあることを全員が気にしていたのに、いつの間にか、食べ残した漬物と札の置き場所が真ん中に戻っていた。
普通の食卓に見えた。
坊さんと猿と豚と河童と、知らない世界から来た八人が座っているのに。
八戒が漬物の皿をチャオへ寄せる。
「まだ残っとるで」
「ありがとう。半分でいい」
「遠慮せんでええ。悟空に見つかる前に食べとき」
「聞こえてるぞ」と悟空。
「せやから、急ぐんや」
今度は、チャオも声を出して笑った。
チャオは小槌の包みを、そっと膝から机へ移した。悟空がそれを見る。何か言いかけたが、三蔵が間へ身を乗り出した。
「それは土産か?」
「悟空に」
「わしの分は?」
「ないよ」
返事は短かった。
ハヨンが小さく吹き出す。
三蔵は傷ついた顔をしたが、店主が茶を運んでくると、すぐ両手で受け取った。立ち直りも速い。
悟浄が、チャオのほうを見た。
「疲れとるだ。渡すのは、明日でもええんでねえか」
チャオは目をこすりかけ、やめた。眠くないと言いたそうだったが、肩が少し落ちている。
悟空は、その隙に包みから視線を外した。
「逃げねえよ。明日も、ここにいる」
チャオの指が止まる。
「本当?」
「朝飯を食う前に出るわけねえだろ」
「そこは、普通に言えばいいのに」
チャオは呆れた声で返したが、包みを抱え直す手は少し緩んでいた。
店主が寝床を案内してくれた。客が少ない日で助かった。広い部屋を二つ使い、布団を並べる。宿代は明日の朝の仕事も含めて決まっている。旅の最初から、寝る場所と飯のためによく働いた。
「本を読んでるだけなら、腰は痛くならないんだけどな」
廊下でつぶやくと、ひなたが振り返った。
「でも、薪の匂いは分からなかったよ」
確かに、オレの手にはまだ木の匂いがあった。
ひなたは笑い、チャオの手を引いて部屋へ入っていく。藍羽と鈴華が続き、ハヨンは最後にオレへ布の端を投げた。
「それ、足拭き。部屋へ入る前に使って」
オレの靴の裏には、昼の道の土がついていた。
*
夜中、廊下へ出ると、悟空が庭を見ていた。
棒を膝に乗せ、戸口に座っている。オレを見ると、少し横へずれた。
「寝ねえのか」
「水を飲みに来た」
「そうか」
オレは隣に腰を下ろした。
庭には小さな石と、空の桶がある。昼間なら何でもない景色だろう。暗い中では、石の影が深く見える。風が葉を擦り、遠くで犬のような声がした。
「小槌のこと、知ってるのか」
オレが聞くと、悟空は膝の棒へ目を落とした。
「少しな」
「嫌なのか」
「分かんねえ」
それ以上は言わなかった。
オレも聞かなかった。会ったばかりで、全部話せと言うつもりはない。いま分かるのは、こいつがチャオを見つけた時、足を前へ出しかけて止めたことくらいだ。
悟空がオレの手を見た。
「拳、硬いな」
「おまえもな」
「朝、少し動くか」
オレは笑った。
「やっと話が早くなった」
廊下の奥から、布団の擦れる音がした。
「オレもだ!」
先輩の声だった。
二人で振り向くと、戸の隙間から雷綴の先だけが出ていた。
「聞いてたのか」
「強い相手と戦う話は聞こえる!」
悟空が、初めて腹から笑った。
オレもつられて笑う。
すぐに隣の部屋から、藍羽の声が飛んできた。
「寝なさい!」
三人とも、同時に口を閉じた。
どうやらこの旅でいちばん強い声は、三蔵のものではなかった。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




