第3話「その女の子は、荷物を捨てない」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
転がった車輪が、女の子の足首へ引っかかった。
身体が前へ倒れる。それでも腕を広げない。胸に抱えた包みを、かばっている。
オレは横から入った。
右足で車輪を踏み、左腕で彼女の肩を支える。急に止めたら膝を傷める。二人で半歩だけ前へ流れ、土へ靴底を滑らせた。
「荷物、置けるか?」
「置かない!」
返事が速かった。
後ろの妖怪が、棍棒を上げる。頭に短い角が二本、口の左右から牙が出ていた。背は先輩より高く、腹には太い帯を巻いている。
オレは女の子を左へ押し出した。
棍棒が落ちる。
踏んでいた車輪を蹴り上げ、その内側へ棍棒を通した。木と木がぶつかり、輪が斜めに食い込む。妖怪が引き抜こうとする間に、半歩詰める。
顎へ掌。
上がった顔の下へ、肘。
腹が硬い。厚い皮の奥で力が張っていた。突き抜くより、足をずらす。左へ身体を回し、相手の膝の外側へ踵を当てた。
妖怪が、片膝をつく。
「おとなしくしてろ!」
「そっちこそ!」
オレたちは、同じくらい怒っていた。
もう一度来る棍棒を避けると、先端にくっついた車輪が邪魔をして、妖怪の腕が下がった。そこへ藍羽が飛び込む。手首を押さえ、足を刈り、道の脇へ投げた。
土煙が上がった。
「足を止めてるのに、殴り合わないで!」
「殴り合いにはなってねえ。こっちが二回殴っただけだ」
「そういう数え方しない!」
女の子は、ひなたの横まで走っていた。蓮が道の端へ誘導し、鈴華が追手のほうへ顔を向ける。先輩は、さっきの三匹の前へ棒を横にした。
鼻の長いのが立ち止まる。
「おまえら、坊さんの仲間じゃなかったのか」
「だから、まだ会ってねえって!」
「じゃあ、なんで邪魔する!」
「転びそうなヤツがいたからだ!」
妖怪は一瞬、返事に困ったような顔をした。
その隙に、先輩が棒で地面を軽くたたく。
「こっちは通行止めだ」
小さな青い火花が、雷綴の表面を走った。放ってはいない。それでも鍋の蓋をかぶった妖怪は、頭を両手で押さえて後ろへ下がった。
大きな妖怪が起き上がる。口から土を吐き、棍棒へ絡んだ車輪を力任せに引き剥がした。
車輪が割れた。
「ああっ!」
少し離れた場所で、荷車の持ち主らしい老人が声を上げる。
「借り物を壊すなよ」
「おまえが入れたんだろうが!」
そこは、確かにそうだった。
オレは老人へ手を上げる。
「あとで直す!」
「直せるの?」と藍羽。
「ハヨンが」
「勝手に仕事を増やさない!」
後ろから妹の声が飛んできた。頼めばやってくれそうな声だったので、いまは安心しておいた。
*
大きな妖怪は、女の子が持っている包みを指した。
「そいつは俺の獲物だ」
「この子が?」
藍羽の声が低くなる。
「中身だ! 光る物を持ってやがる。村の外から来た小娘が、そんなもん持ってるわけがねえ」
「持ってるから、追いかけてるんだろ」
オレが言うと、妖怪は棍棒を握り直した。
「細かいことを言うな!」
細かいか。
かなり真ん中の話だと思う。
後ろで女の子が、ひなたの手を振りほどきかけた。
「わたしがもらってきたの! 盗んだんじゃない!」
「分かった。こっちへ来るな」
オレは前を向いたまま答えた。
妖怪の肩が下がる。さっきは頭を狙った。今度は腰から払ってくる。棍棒の先は重く、いったん振れば途中で変えにくい。
オレは、わざと前へ出た。
目の端で藍羽が動く。合わせるつもりだ。声はいらない。朝から何度も殴り合った相手の足音なら、少しは分かる。
棍棒が横へ来る。
オレは低く沈み、藍羽は一歩引いた。空振りした重さで妖怪の肩が回る。その背中の側へ入り、太い帯をつかむ。
引く。
反対から藍羽が膝を押す。
妖怪の足が、二本とも土を離れた。
横向きに落とす。頭は打たせない。肩と尻が、少し高い音を立てて地面へ着いた。
今度は起き上がる前に、先輩の棒が胸の前へ下りてきた。
「まだやるか」
先輩は笑っていた。
妖怪は、笑っていなかった。
「おまえら、どこの連中だ」
「見学」とオレ。
「見学で投げるな!」
「見学先で人を追いかけるなよ」
紫苑が棍棒を拾い上げ、手の中で重さを量った。
「いい木だな。車輪の弁償にはなる」
「俺の武器だぞ!」
「あちらの車輪も、あの方の物ですわ」
鈴華が老人を手招きした。老人は最初おそるおそる近づいたが、壊れた輪を見ると、急に声が大きくなった。
「今朝、油を差したばっかりなんだぞ!」
生活の怒りは、強い。
結局、妖怪は帯の袋から銭を出し、壊れた車輪の分を払った。鼻の長いのたちは、もう道の端へ逃げていた。鍋の蓋だけが一度振り返ったが、先輩と目が合うとまた走り出す。
大きいのも、棍棒を拾って去った。
紫苑が、いつの間にか妖怪の袖へ入れていた乾いた葉を回収する。オレには何の役に立ったか分からなかったが、彼はそれを指の間で回して、満足そうに笑った。
*
女の子は、荷物を抱えたまま石に座った。
名前はチャオという。赤い袖の上着を着て、髪を緑の布でまとめていた。
額に汗が光り、片方の膝から血が出ていた。ひなたが水を含ませた手拭いを渡すと、やっと片手を包みから離した。
「ありがとう。わたし、もう少しで転ぶところだった」
「転んでたぞ。最後だけ止めた」
「じゃあ、最後をありがとう」
言い直されると、少し照れた。
オレはしゃがみ、靴の土を払うふりをした。チャオの靴底はずいぶん擦り減っている。今日初めて長い道を歩いたようには見えなかった。
「どこから来たんだ?」
「いろんなところ。最初は、小さな村から」
「一人で?」
チャオがうなずく。
「届けたいものがあるの」
布の結び目へ、視線が落ちた。
ハヨンは傷薬の小瓶を差し出す。チャオは包みを抱え直そうとして、膝の傷に手拭いを当て損ねた。
「持ってようか」とひなた。
チャオの指が、少し強く布をつかんだ。
ひなたは手を止め、それ以上近づけなかった。
「じゃあ、そこに置いたままでいいよ。膝だけ、こっちに向けて」
言われたとおりにして、チャオは薬を塗ってもらう。しみたらしく、鼻の横へしわが寄った。けれど、包みは揺れなかった。
「それ、そんなに重いのか」
オレが聞く。
「重くない。でも、なくしたら困る」
「金とか?」
「違う」
チャオは少し考えたあと、結び目をほどいた。
中から、小さな槌が出てきた。
頭は丸みがあり、持ち手は手のひらに収まる長さだった。飾りのようにも見えるが、光が当たったところだけ明るいわけではない。布の影に入った側からも、淡い色がにじんでいた。
ハヨンが一度、眉を上げる。
だが、手は伸ばさなかった。
「光の小槌っていうの」
チャオが言う。
「悟空に、渡さなきゃいけないの」
オレと先輩が、同時に顔を上げた。
また同じことをしてしまった。
「悟空って、あの?」
「棒の使い手か?」
二人に詰め寄られ、チャオが少し身体を引く。藍羽がオレの襟を引き、鈴華が先輩の肩を押し戻した。
「質問は、一つずつ」
「近いですわ」
オレたちはしゃがみ直した。
チャオは二人の顔を見比べ、やっと少し笑った。
「知ってるの?」
「話だけだ。実際には、まだ会ってない」
「じゃあ、会ったら、あんまり驚かないでね」
「そんなに強いのか?」
「強いけど……お行儀も、すごく悪いから」
ひなたが、なぜかオレを見た。
そこは比べなくていい。
*
荷車は、軸まで折れていた。
車輪の弁償代があっても、すぐに新しい物が生えてくるわけではない。老人は根菜を籠へ戻しながら、何度も折れたところへ目をやっていた。
ハヨンがパーカーから小さな金具を出す。
「今日、村まで動けばいい?」
「そこまで行けば、息子が直せる」
「じゃあ、木を二本」
オレと先輩が周囲を見る。
「生えてるやつじゃなくて、落ちてる枝」
妹が先に言った。
二人とも、木を見ていた。
藍羽が鼻で笑う。オレは細すぎず太すぎない枝を拾い、手で余分な出っ張りを折った。ハヨンは折れた軸を左右から挟み、金具と縄で固定する。長い説明はない。必要な長さを指で示し、蓮がそれに合わせて縄を切る。
紫苑は荷車の下へ潜り、留め具を渡していた。あの顔で土の上へ寝転がることは気にならないらしい。服についた土は気になるようで、出てきてから丁寧に払った。
チャオも立ち上がり、根菜を拾い始める。
「座ってろよ」
「手はケガしてない」
「膝はしてるだろ」
「しゃがまなければ拾えるよ」
腰を曲げ、長い大根を一本持ち上げる。ひなたが籠を寄せ、二人で傷んだものを分けた。畑の物を扱う手が慣れている。
老人が、その手元を見ていた。
「嬢ちゃん、農家の子かい」
「家の畑をやってるの。最近、ちょっと留守にしてるけど」
「じゃあ、帰ったら草が大変だ」
チャオの顔が、途端に真剣になった。
「そうなの。それが心配で」
悟空へ大事な物を届ける途中でも、畑の草は気になるらしい。
オレは、自分が道場の庭の草むしりを途中にしてきたことを思い出した。帰る時には、父さんが紙を用意しているかもしれない。
荷車が動くようになると、老人は修理代を払おうとした。鈴華が、金具の代だけ受け取る。それ以外は、こちらも車輪を戦いへ使った分だと言った。
老人は、なおも何か渡そうとして、最後に野菜を二つ差し出した。
「宿へ持っていきな。煮てもらえる」
オレは受け取った。
今度は遠慮しなかった。
*
西へ向かう道を、一緒に歩くことになった。
チャオの探す悟空も、三蔵という坊さんと旅をしているらしい。さっき見た立て札の話をすると、チャオはすぐ顔を曇らせた。
「また狙われてるんだ」
「そんなにうまいのか、その坊さん」
口へ出してから、藍羽に肩をたたかれた。
「食べ物の感想みたいに言わない」
「だって、そういう話だっただろ」
チャオは少し困ったように笑い、そんな噂は当てにしないほうがいいと言った。本人を食べて確かめた者がいるなら、もう三蔵は歩いていないはずだ。
確かに。
簡単なことを言われると、さっきの三匹が急に気の毒になった。
「悟空は、なんでその坊さんと旅してるんだ?」
「いろいろ、あったの」
チャオは、足元の小石をよけた。
「前は、わたしの家にいた。朝ごはんを食べたら、昼ごはんのことを聞くの。昼ごはんのあとには、夜ごはん」
「計画的だな」
「お兄ちゃん、いま共感するところじゃない」とハヨン。
「お皿も、すぐ空にするんだよ。畑の手伝いを頼んだら、力を出しすぎて、抜かなくていいものまで抜くし」
ひなたが、またオレを見る。
こっちを見る回数が増えている。
「でもね、いないと、家が静かすぎるの」
チャオの声が少し小さくなった。
道の両側で草が鳴る。風が来て、彼女の袖を持ち上げた。小槌を包んだ布の端も揺れたが、手は緩まない。
「朝、余分にお椀を出しそうになる。帰ってきたら怒ろうと思ってたことも、言う相手がいないと、どんどん増えちゃう」
「会ったら全部言えばいい」
オレは言った。
「多いよ?」
「飯を食わせながらなら、聞いてるだろ」
チャオが吹き出した。
「うん。それなら、逃げないかも」
笑った顔は、追われていた時よりずっと幼く見えた。小槌を届けるというのは、強い猿へ武器を運ぶことだけではないらしい。
オレは、家の卓に並ぶ椀を思った。
父さんの大きな椀。ハヨンが片手で持つ、小さな椀。オレの飯が多いと文句を言う藍羽。食べる順番を気にする蓮。
帰ったら席があると知っているのは、かなり強いことだ。
「小槌は、どう使うんだ?」
先輩が聞いた。
チャオは布の上から、丸い頭を撫でた。
「悪い心を払って、素直な心へ戻すんだって。だから、これがあればって思って……取りに行ったの」
「殴るのか?」
オレの問いに、チャオは一瞬黙った。
「いきなり殴ろうとは思ってないよ」
藍羽が、何か言いたそうにオレを見る。
分かっている。いまのは、少しオレが悪い。
「みんなは、どうして旅してるの?」
今度はチャオが聞いた。
オレは後ろを見た。蓮が少し考え、ひなたは借りた本を入れていない空の手を見た。何から話せばいいのか、全員の顔に同じ迷いが出ている。
本の中へ来たと言われても、チャオには意味が分からないだろう。オレだって、道場の門から来たヤツに、おまえは紙に書かれた人物だ、と言われたら、まず何を食ったのか聞く。
「芝居をするんだ」
オレは、分かるところから言った。
「旅の話を。だから、実際に歩いてみたくて来た」
「役者さん?」
「これからなる」
「まだ一度も練習してないんだけどね」とひなた。
チャオは、順番に顔を見た。
「じゃあ、あの人は強い人の役?」
先輩を指す。
「分かるか!」
先輩が胸を張る。
「オレも強い役だぞ」
オレが言うと、チャオは少し首をかしげた。
「さっきの戦いを見たから、分かるよ。でも、二人とも強い役だと、誰が困る人をやるの?」
「そこは、まだ決まってねえ」
「弱い役をやったら、本当に弱くなるわけじゃないでしょ」
正しい。
正しいのだが、先輩と同時に困った。
藍羽が笑い、紫苑が指を鳴らした。
「いい観客だ。役を決める時にもいてほしい」
「私は、困った人のほうが難しいと思うな」とひなた。
「どうして?」
「助けてほしいって、上手に言えないこともあるから」
チャオは自分の包みを見た。追われている時、彼女は助けてとは叫んでいなかった。荷物を離せとも、諦めろとも言われたくなくて、ただ走っていたのかもしれない。
オレは先へ伸びる道を見た。
相手が何をしたいか分かるのは、殴り合う時だけとは限らない。けれど、拳より顔のほうが読みづらい時もある。
「困ったら言えよ」
チャオへ言った。
「荷物を置け、以外にもやり方はあるだろうし」
「うん。さっきは、怒鳴ってごめん」
「怒鳴ったのはオレもだ」
「なら、お互いさまね」
チャオが笑う。
先輩が横から、困った時には棒を貸せると言った。鈴華が、困り事の形を聞いてからにしてほしいと返す。やっぱり役を決めるのは、まだ少し先になりそうだった。
*
道が川へ近づくと、風が冷たくなった。
木の橋の手前で、チャオの歩幅が小さくなる。本人は止まろうとしない。オレは先へ走り、橋の欄干へ肘をついて待った。
「休もう」
「まだ歩けるよ」
「オレが休みたい」
「さっき、走ってたのに?」
「走ったからだ」
チャオは疑わしそうに見たが、ひなたが水筒を出すと、ようやく橋の端に腰を下ろした。
足の甲に、靴の擦れた赤い跡があった。膝とは別の傷だ。ハヨンが柔らかい布を切り、靴の内側へ当てる。チャオは自分で紐を結び直し、立ったまま二度、足踏みした。
「楽になった」
「よかった」
ハヨンは残った布を畳み、道具をしまった。
川の水は澄んでいた。石の間に小さな魚がいて、近づくと影の下へ隠れる。先輩が棒を構えかけたので、鈴華が首を横へ振った。
「夕飯前に、全員びしょ濡れになるのは困ります」
「まだ何もしていない!」
「する前に申し上げました」
紫苑は橋の欄干でカードを広げていた。チャオがそれを見て目を丸くすると、一枚を選ばせ、裏へ返す。小さな手品が始まった。
蓮も隣に座り、見えないように手を添える。ハヨンは仕掛けを見抜いたらしいが、何も言わない。最後にチャオの選んだ札が水筒の下から出てきた時、ひなたが彼女より先に拍手をした。
「どうやったの?」
「旅の途中に、一つくらい分からないことがあってもいいだろ」
紫苑が笑う。
チャオは小槌の包みを膝に置き、両手で拍手をした。
抱え続けていた腕が、初めて空いた。
オレはそれを見て、橋の先へ目を向けた。夕方の光が道を斜めに切り、煙が何本か立っている。教わった村だろう。
風に乗って、何か怒鳴る声が聞こえた。
「また追手か?」
先輩が立つ。
だが、次に聞こえた言葉は、棍棒を持った妖怪のものとは少し違った。
「わしは、そんな値段とは聞いとらんぞ!」
腹の底から出た、かなり立派な文句だった。
チャオが顔を上げる。
「いまの声……」
オレも立ち上がった。
西遊記の坊さんは、怒る時までよく通る声らしい。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




