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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
西遊記編
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49/52

第1話「悟空役が、ふたり多い」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 春休みになったら、朝寝坊ができる。


 そう言ったのは誰だったか。少なくとも、オレの顔へ木剣を振り下ろしている藍羽ではない。


「止まった!」


「考えてたんだよ!」


 横へ倒した首のすぐ脇を、木剣が通った。風で赤い三つ編みが頬へ当たる。オレは藍羽の右足の外へ踏み、肘を軽く押した。肩まで力を入れていたら、腕は棒になる。棒なら根元をずらせばいい。


 藍羽は手を離した。


 木剣だけが落ち、空いた手がオレの襟をつかむ。


「ちょっと待て!」


「考えてたんでしょ!」


 足を払われた。落ちる木剣より先に、オレの背中が道場の床へ着く。息を吐いて受け身を取った耳元で、乾いた音が二つ鳴った。


 木剣と、オレの負けだ。


「一本」


 縁側で蓮が言った。


「今のは半分だろ。武器を捨てた」


「捨てたんじゃないわよ。置いたの」


 藍羽が木剣を拾う。


「床に着く前から置いたって言うのか」


「あんたも、いま床に置いてあるでしょ」


「オレは置物じゃねえ!」


 跳ね起きると、縁側から拍手がした。ひなたが両手を合わせて笑っている。その隣では、ハヨンが丸いパンを二つに割っていた。


「お兄ちゃん、朝から三回目」


「まだ二回しか負けてない」


「朝ごはんを後回しにした回数」


 白いパーカーの袖から、小さな紙袋が出てきた。食べ物なら早く言ってほしい。オレは立ち上がった勢いのまま縁側へ走り、差し出された半分をつかんだ。


 中身は空だった。


「あんは?」


「こっち」


 ハヨンが自分の半分を口へ入れる。


「真ん中で割ったのに、どうしてそっちへ全部行くんだ」


「切り口を見れば分かったのに」


「妹の朝飯にまで間合いを読む必要があるのか」


 藍羽が木剣を壁へ戻した。床に残った汗を布で拭き、戸を開ける。庭の桜はまだ枝の先に花が固まっていて、風が来ても花びらは一枚しか落ちなかった。


 大きな戦いが終わったあとも、朝は腹が減る。


 壊れた物は少しずつ直り、痛かったところも、触れば痛いくらいになった。先輩の雷綴は修理から戻り、蓮の時計も、鈴華の鈴も、持ち主の手に収まっている。道場の床板には直したばかりの色の薄い場所があったが、藍羽はそこへ踏み込む時だけ少し足を緩めた。


 オレは、いまみたいな負け方なら何度でもできると思った。


 できれば、次は勝ちたい。


「もう一本」


「食べてからにしなさいよ」


「食べながらでも」


「それ、私に勝ちたいの? パンを守りたいの?」


 どちらも大事だ。


 答えを選んでいる間に、玄関から大きな声が来た。


「勝負と聞いたぞ!」


 先輩だった。聞くには少し遠い場所から来た気がする。肩に雷綴を担ぎ、その後ろには黒い和装の鈴華と、何も持っていないような顔をした紫苑が続いていた。


 紫苑の指には、もうオレのパンがあった。


「おい」


「朝食の消失。客席受けのいい演目だ」


「返せ」


「消したものは、戻して初めて芸になる」


 オレの耳の横からパンが出てくる。


 食べ物で手品をするなら、耳へ入れる前に言ってほしかった。


     *


「市民演劇大会?」


 藍羽が広げた紙には、大きな文字と、幕の両側から顔を出す笑ったお面が描かれていた。


 道場の長机を囲んだ全員が、紙をのぞき込む。先輩はまだ雷綴を持っていたので、鈴華が無言で指をさした。先輩は棒を壁へ立てかける。修理したばかりの床を、朝からへこませるわけにはいかない。


「商店街の人に頼まれたの。学生の参加が少ないから、道場でも声をかけてくれないかって」


「演劇って、舞台で戦うやつか」


「戦わないお芝居もあるよ」とひなた。


「じゃあ、戦うやつにしよう」


「話を最後まで聞く前から決まってる」


 蓮が募集要項を引き寄せた。


「春休みの最終週ですね。一組三十分以内。大きな装置は使えますが、持ち込みと片づけも自分たちで行うようです」


「三十分なら、かなり戦える」


 先輩がうなずく。


「客席が先に疲れますわ」


 鈴華は紙の端にあった費用の欄を見ていた。数字を見る時の鈴華は、構えた先輩より隙がない。顔を上げ、全員へ順に視線をやる。オレはまだ何も注文していないのに、少し背筋が伸びた。


「衣装と小道具は、なるべく手持ちの物で。舞台を壊した場合の費用まで、ここには含まれておりません」


「なんでオレを見るんだ」


「京一にも申し上げています」


「オレは舞台の広さに合わせる!」


「強さも合わせてくださいませ」


 ひなたが募集用紙の裏に候補を書き始めた。お姫様の出る話、鬼の出る話、動物たちが旅をする話。オレは鬼という字に指を置く。


「これなら強い相手がいる」


「お兄ちゃんが選んでるの、演目じゃなくて対戦相手」


 ハヨンが横から紙をずらした。


「西遊記はどう?」


 藍羽が言った。


「猿がいて、豚がいて、河童がいて、坊さんが旅をするの。妖怪も出るし、役も多いでしょ」


「猿は知ってる。棒を使う強いやつだ」


 先輩と同時に、オレの手が上がった。


 二本の腕が机の上でぶつかる。


「悟空はオレだ」


「オレのほうが棒を使う!」


「猿は棒だけで戦ってねえだろ」


「そこはおまえに譲る!」


「何を譲った!」


 紫苑が頬杖をついた。


「顔で選ぶなら、俺だな」


「猿の顔を競うのか?」


「主役の顔だ」


 ひなたの鉛筆が止まる。紙には『悟空』と書かれ、その横に、オレと先輩と紫苑の名前が並んでいた。


「悟空役が、ふたり多いね」


「三人で順番にやればいい」とハヨン。


「途中で身長が変わりますよ」と蓮。


「変化の術」


「最初から最後まで、その説明で押し切るんですか?」


 ハヨンは少し考えたあと、首を振った。面白そうな顔をしていたので、たぶん押し切る方法を考えていた。


 先輩が立ち上がり、机の向こうのオレを指さす。


「よし。役を懸けて一本だ」


「受けて立つ」


「座る!」


 藍羽の手が、オレの肩を押し戻した。鈴華が先輩の袖を引く。紫苑だけが立たずに、なぜか勝った顔でいた。


「主役が決まる前に、残りの役が看病係になりますわよ」


 その時、長机の端から、白い大きな手が伸びてきた。


 父さんだ。


 いつから座っていたのか分からない。白熊の着ぐるみ型法宝、白沢衣を着た父さんは、湯飲みを両手で抱えている。目の前の紙には、すでに何か書いてあった。


【紙面:先に、話を知る。】


 全員が少し黙った。


 オレは悟空が強いことを知っている。先輩は棒を使うことを知っている。藍羽は旅の仲間を知っている。ひなたが、静かに尋ねた。


「最後まで読んだことがある人は?」


 誰の手も上がらなかった。


 紫苑は上げかけ、鈴華に見られて下ろした。


     *


 図書館へ行くことになった。


 道場を出たところで、天道王のおっさんが門へ看板を立てていた。『春の入門歓迎』。その下には、小さく『昼食持参可』とある。


「おっさんも芝居に出るか?」


「わしは客席で見る側じゃ。主演の父親役なら、考えてやってもよい」


「お父さん役はいまのところいないわよ」


 藍羽が言う。


「では、最強の仙人」


「役を増やさない!」


 おっさんは残念そうに髭を撫で、手にしていた看板をオレへ渡した。持てということらしい。片腕で受け取ると、板の裏に別の字が見えた。


『演劇大会、応援よろしく』。


「もう出ることになってるじゃねえか」


「藍羽がみんなへ話すと言っておったからの」


「話すのと決まるのは別よ!」


「違うのか」


 父娘の会話を後ろで聞きながら、看板を門の内側へ立てた。参加する気はある。勝負も旅も好きだし、ひなたが書いた役の候補には、まだ見たことのない名前がたくさんあった。


 ただ、舞台へ上がった自分を想像すると、拳を出す相手がいないのが落ち着かない。


「観客を敵だと思わなければいいんですよ」


 隣を歩く蓮が言った。


「敵とは思ってねえよ」


「何を見ているか気になって、先に動きたくなりませんか」


「なる」


「僕も、発表の時は少しそうです」


 蓮は腕時計へ目を落とさず、商店街の先を見た。今日は急がなくていいらしい。その肩の横で、ハヨンが店先の風車を見つけて立ち止まった。


 羽が二重になっていて、前と後ろが逆向きに回る。ハヨンは鼻先を近づけたが、分解はしなかった。


「これ、舞台の雲に使える」


「雲を回すのか?」


「流すの。お兄ちゃんが飛んでるように見える」


「オレが本当に跳べばいいだろ」


「天井がある」


 言われて、会場の絵を思い出した。


 演劇には、思ったより敵が多い。天井とか、時間とか、弁償代とか。


 店の主人が、試しにと風車を一本渡してくれた。ハヨンは自分の小銭で買い、蓮と一緒に羽の重なりをのぞく。二人とも楽しそうだったので、オレは置いていかれないように袖だけ引いた。


 図書館の入口で、先輩が足を止めた。


「棒は」


「預かってくれるって」とひなた。


 受付へ話を通してくれたらしい。先輩は雷綴を布へくるんで渡し、受け取り札を慎重にしまった。武器を手放す手つきというより、気に入った靴を預ける時の顔に近い。


 オレは服を脱がなくていいので助かった。


 緋天衣の朱赤は、本の背表紙が並ぶ部屋でも、そこそこ目立った。


     *


 図書館には、同じ話の本が何冊もあった。


 薄いもの。厚いもの。絵が多いもの。文字ばかりで、開いただけで眠くなりそうなもの。


「全部、同じ話なのか」


「短くしたり、分かりやすく書き直したりしてあるんだと思う」


 ひなたが二冊を並べてくれた。片方の悟空は頬の丸い猿で、もう片方は鎧を着て、まっすぐ前をにらんでいる。


「先輩はこっちだな」


 丸いほうを指す。


「おまえはこっちだ」


 先輩が、木へ逆さにぶら下がる猿を指す。


 反論する前に、鈴華の指が唇の前へ立った。図書館では、相手より声を大きくしても勝てない。分かっている。オレは声を小さくした。


「棒の持ち方なら、こっちの絵がいい」


「そこは認める」


 先輩も同じくらいの声で答えた。


 棚の下には、返されたばかりらしい本が数冊置いてあった。ひなたが係の人へ尋ね、借りてもいいものを分けてもらう。その中に、茶色い布で表紙を包んだ古い本があった。


 角が丸くなり、背の糸が少し毛羽立っている。表紙の中央には『遊記』の二文字。その上の一文字は、白っぽく擦り切れて読めなかった。


 オレは指でなぞりかけ、途中で止めた。これ以上消したら、何の本かますます分からなくなる。


「西遊記だよな」


「猿とお坊さんが描いてあるね」


 ひなたが表紙の下を示す。


 絵の猿は棒を持ち、坊さんは大きな荷物を背負っていた。豚も、河童もいる。さっき藍羽に聞いた四人が揃っているので、間違いなさそうだった。


 最初の数枚をめくると、畑と小さな家が出てきた。女の子が鍬を持ち、そばで猿が何か食べている。


「これ、女の子の役もあるぞ」


「それは助かるわね」と藍羽。


 先へ進むと、船が出てきた。その次には、妙な乗り物にまたがる坊さんがいた。二つの車輪。前に曲がった取っ手。どう見ても、馬ではない。


「バイク?」


 ハヨンがオレの腕の下から顔を入れた。


「西遊記にバイクってあったか」


「挿絵の人が足したんじゃない?」


 藍羽は別の本の絵を見せた。そちらでは、猿が雲に乗っている。足がなくても走るものは、いろいろあるらしい。


「雲よりバイクのほうが、まだ作りやすそうですね」と蓮。


「舞台の上を走らせませんわよ」と鈴華。


 紫苑が、オレの開いたページの端へ視線を落とした。


「その本、細工はしてないよな」


「してねえよ」


「絵の影が、いま動いたように見えた」


 全員が本を見る。


 動かなかった。


 オレが少し角度を変えると、紙の上へ窓の格子の影がずれた。紫苑は肩をすくめた。


「光か」


「手品師が光にだまされるなよ」


「だまされない男は、だます側にも向かない」


 何となく立派に聞こえるが、たぶん負け惜しみだった。


 ひなたは古い本と、舞台の作り方の本を借りた。薄い西遊記も一冊借りようとしたが、机に置いたままのそれを見て、藍羽が自分の借りる分へ足した。


 道場へ戻ったら、まず読み合わせをする。


 そのつもりだった。


 帰り道、ひなたは借りた本を胸へ抱え直した。


「演劇って、途中で笑ってもいいんだよね」


「客が?」


「演じるほう。面白いことがあったら、つい笑いそう」


「笑えばいいんじゃねえか」


「ハミンは、戦ってる途中でも笑うものね」


「相手が面白いからな」


 ひなたはしばらく考え、うなずいた。台詞を間違えることより、みんなの顔を見て吹き出すほうが心配らしい。その気持ちは分かる。先輩が猿の耳をつけたら、オレだって一度は笑う。


 それを言ったら、先輩は今すぐ耳を作ろうとした。


 鈴華に止められた。


     *


 戻ると、長机には昼飯と、見慣れない巻物が並んでいた。


 昼飯のほうは、すぐ分かった。焼き魚、卵、汁物、山になった米。巻物のほうは、細い軸に灰色の布を巻き、両端を赤い紐で結んである。


 キャリーが、巻物の脇で説明書を裏返した。


「おかえり。ちょうど整理が終わったところよ」


「飯の?」


「そちらはあなたのお父さん。私はこっち」


 教授は机の端に座り、紙の上に何かを書き写していた。オレたちを見るとペンを置く。誰かを呼びつけるような口ぶりではなく、資料を片づける手つきもゆっくりだった。


「天道宗の蔵に預けられていた品だ。持ち主の記録を整理する途中で、名前が分かった」


「感受画巻」とキャリーが言った。


 ハヨンの顔が上がる。


「本を巻くほう?」


「知っているの?」


「名前だけ。中へ入るっていう」


 オレは箸を止めた。


「何の中へ?」


「本の中」


 ハヨンが、図書館から借りてきた茶色い本を指した。


 米をのみ込んでから、もう一度聞く。


「書いてある場所へ行けるってことか」


「仕組みが働けばね。読んだ感覚を、景色や身体の経験にまで広げる法宝なの」


 キャリーは巻物へ指を添えた。広げた内側には、山とも波ともつかない細い線が走っている。その線は途中で輪になり、またほどけていた。


 オレは紙の本と巻物を見比べる。


「じゃあ、これを読めば」


「巻けば」とハヨン。


「悟空と戦える?」


「そこへ行きたい理由が、もう違う」と藍羽。


 違わない。役を知るには、本人を見るのが一番早い。構えた時にどちらの足へ重さを置くのか、棒を振る前に肩が動くのか。絵では分からないことが、目の前なら分かる。


 それに、旅の景色も見られる。


 町の匂いや、食べ物の味も。


「中で見てくれば、役作りも早いだろ!」


 オレが言うと、先輩がすぐうなずいた。


「本人の棒を見られるなら、申し分ない!」


「本人が芝居を教えてくれるとは限りませんよ」と蓮。


「見て覚える」


「その前に、帰り方を覚えなさい」


 キャリーが巻物を手前へ寄せた。


 ひなたは本の表紙を見ていた。かすれた最初の一文字へ、指先を近づける。しばらくして顔を上げた時には、困ったような笑顔になっていた。


「私も、景色は見てみたい」


 藍羽がため息をつく。


「放っておいたら、勝手に話が進みそうね」


「来るだろ?」


「行くわよ。勝手に主役を決められたら困るもの」


 紫苑は、空の指の間へ一枚のカードを出した。


「本の中の舞台装置か。見て損はないな」


 鈴華は昼飯の皿を寄せながら、オレを見る。


「旅費は、向こうでいくら掛かるのでしょう」


「本に書いてあるんじゃないか?」


「では、入る前にそこを読みましょう」


 最後まで現実的だった。


 父さんが紙を出す。


【紙面:見学先で、決闘しない。】


 オレと先輩は、同時に別のほうを向いた。


 キャリーが赤い紐をほどく。布の奥から、乾いた草のような匂いがした。図書館の紙の匂いとは違う。まだ机の上にあるはずの巻物から、小さな風がオレの頬へ触れる。


 古い本の端が、ぱらりとめくれた。


 猿と坊さんの絵が見える。


 その背後には、舞台よりずっと広そうな道が続いていた。


 オレは残りの飯を口へ運んだ。


 出かける前に食べておかないと、知らない世界の最初の感想が、腹減った、になってしまう。


エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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