第47話「羽鳴炎(はみんぐ・ふれあ)」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
白紙の中へ落ちた。
上も下もない。
文字だけがある。
《正しい》
《安全》
《最適》
《唯一》
赤い言葉が、暗い空間へ何万本も立っている。
触れる前に、向こうから身体へ貼りついた。
《男》
肩へ。
《出生相》
胸へ。
《帰還》
長い腕へ。
《固定》
足元へ。
男の身体が、赤い線で縁取られる。
月の出へ戻ったばかりの身体。
欲しかったもの。
零頁は、そこへ正解の丸をつけた。
《利用者希望を検出》
《ハミンは、男の身体を日常相として希望している》
「合ってる」
否定しない。
「オレは男だ。できるなら、毎日この身体でいたい」
赤い文字が増える。
《希望を最適化》
《時間・循の周期照合を解除》
《男相を恒常固定》
《以後の女相転換を削除》
偽物の月が、白紙の上へ現れた。
傷一つない白い円。
本物の満月は、白紙の外に置き去りにされている。
《受諾すれば、今後永久に男の身体を維持》
手を伸ばせば、届く。
教授に奪われる前から戻りたかった。
満月の夜だけじゃなく、朝も昼も、この腕と脚で走りたかった。
学籍書類へ身体相の説明を足さず、男として入学した記録と同じ姿で教室へ入りたかった。学園に制服はあっても、普段の服装は自由だ。男の身体では、いつもの黒い上着と黒ズボンで通いたかった。
その希望を、女の身体で勝てるようになったからと消すつもりはない。
「代価は?」
《利用者負担なし》
「嘘つけ」
《最適化に必要な燃料は確保済み》
赤い円の下へ、四十七本の青い線が出た。
持ち主へ戻る途中の選片。
青いはずの線が、偽物の月へ入る直前だけ赤くなる。
誰かが左へ行きたかった一回。
断りたかった声。
忘れられた名前。
明日謝るかもしれない余白。
全部を少しずつ燃やせば、オレ一人を永久に固定できる。
「利用者負担なし、じゃねえだろ」
指を引く。
「ほかのやつに払わせるだけだ」
《元所有者の損失は最小》
「ゼロじゃない」
《ハミンの希望充足が総利益を上回る》
「オレに聞いてない」
《いま確認している》
「燃料にされる全員へ聞け」
《非効率》
「じゃあ、やらない」
偽物の月へ背を向ける。
《拒否すれば、恒常男相を失う》
《選択肢は二つ》
一、他人の枝を使い、永久に男でいる。
二、全部を返し、男の身体を永久に失う。
白い文字が、二枚の扉になる。
前にも見た。
星見島の洞窟。
《三人しか帰れない》
六人いたのに、三人を選べと表示された。
オレたちは三人ずつ二回、扉を通った。
表示のほうが嘘だった。
「二つしかないって、おまえが決めたのか」
《論理上の全候補》
「じゃあ、三つ目」
指で二枚の扉の間を示す。
「いまは全員へ返す。オレがこれからどの身体を基準にするかは、返したあとでオレが決める」
《未確定状態は危険》
「危険を説明しろ。決めるのはオレだ」
《安全な唯一解を拒否するか》
完璧な朝が周囲へ広がった。
一種類のパン。
同じ角度で笑うひなた。
予定どおりの時刻に来る電車。
雷で誰も傷つけない先輩。
遅れない蓮。
声に苦しまない鈴華。
忘れられない紫苑。
薬を失敗しないハヨン。
オレは男の身体で、何の問題もなく教室へ入る。
喧嘩も、事故もない。
誰も泣かない。
安全だ。
魅力がないとは言わない。
「いい朝だな」
《同意を確認》
「でも、次がない」
端のパンを取ることも。
ひなたが笑うのをやめることも。
先輩が棒を置くことも。
蓮が遅れることも。
鈴華が聞かないことも。
紫苑へもう一度名前を聞くことも。
ハヨンが装置へ触る前に、オレへ尋ねることも。
「生きてない朝だ」
完璧な景色へ拳を当てる。
殴って壊したわけじゃない。
オレが拒んだ一人分の署名が抜け、景色は紙へ戻った。
「永久に男でいたい」
もう一度、はっきり言う。
「でも、他人の明日と引き換えには選ばない」
偽物の月へ赤線が走る。
白い円が割れた。
本物の月は割れない。
月は、いま男であることを決めただけだ。
明日からの身体を、オレに代わって決めてはいない。
*
割れた月の向こうから、教授が現れた。
教授に似たものだった。
サングラスはない。
目は赤い校正記号で塗りつぶされている。
紫のスーツの片側は白紙、反対側は赤い文字。
左腕の火傷も消えていた。
人間の傷まで、最適でない誤差として校正した姿。
「教授」
『返却は損失である』
口が動く。
教授の声と、零頁の文字を読む女声が重なっていた。
『管理者は、損失を補完する』
「選闘は終わったぞ」
『自動補完は選闘ではない』
「知ってる」
挑戦宣言も、請求も、受諾もない。
勝者はもう決まった。
ここは正式選闘の闘技場じゃない。
それでも動けるのは、オレと、校正像へ取り込まれた教授だけだ。
ハヨンたちは隔離区画から見えない。
声も届かない。
攻撃も、防御も来ない。
校正像が右手を上げる。
空間へ赤線を一本引いた。
《長い腕を前へ出す》
男の右腕が勝手に伸びる。
関節が最後まで開き、肩が引かれた。
女の身体の間合いで踏んでいた足が、男の腕の長さへ追いつかない。
上体が前へ流れる。
校正像の掌が胸へ来る。
女の身体の紅燕歩で回ろうとする。
脚が長すぎる。
爪先が床へ引っかかり、膝が遅れた。
掌を肩で受ける。
衝撃が背中まで抜ける。
正式選闘じゃないから、有効打の声はない。
痛みだけがある。
「勝ったあとに強くなるの、遅いんだよ」
長い腕を引き戻す。
男の身体でおっさんへ勝った時は、女の身体で覚えた観察を持ち込んだ。
でも、あの頃の女相はまだ不慣れだった。
いまは違う。
紅燕歩も、無選歩も、女の身体で完成させた。
その運動地図を男の骨格へそのまま貼れば、距離がずれる。
捨てる必要はない。
男の地図へ、女の地図を重ね直す。
長い脚で大きく踏む前に、女相で使った小さな踵の向きを作る。
肩幅は広いまま、腰の回転だけを短くする。
腕は遠くへ届く。
だから拳を伸ばし切らず、女相の懐へ入る余白を残す。
校正像が二本目の赤線。
《男相運動を選択》
床へ、男のオレの影だけが出る。
正面へ長く踏み、重い拳を出す動き。
三本目。
《女相運動を削除》
低い影へ赤線が引かれる。
紅燕歩の小さな回転が、身体から消えそうになる。
「どっちかにする気はない」
鼻歌を鳴らす。
ん――。
男相の胸から出る音は低い。
女相の小さな肺で覚えた間隔で、長くなった息を切る。
音が二つに割れる。
一つは、出生時から続く男相の波。
一つは、この一年を過ごした女相の波。
その外側に、細い揺れが出た。
ハヨンが来日した日、二相波形を包んでいた第三の線。
男でも、女でもない第三の身体じゃない。
二つのどちらにいる時も、その身体で次を選ぶ本人の波。
「これが、羽鳴か」
幼い頃、父さんが声を使わず、動作で教えた呼吸。
可能性を一つへ絞らず、全身の気を揃える崑崙の基礎。
男の影と女の影の間へ、オレ自身の細い影が立った。
形は決まっていない。
いまの身体へ重なり、次の一歩だけを選ぶ。
校正像が突く。
男の長い脚で、間合いの外から一歩入る。
女の紅燕歩で、最後の半歩を小さく回る。
長い腕を伸ばし切らず、校正像の肘へ触れる。
無選歩。
押された方向を足場にし、男の肩で力を返す。
校正像の赤い腕が外へ流れた。
胸の白紙へ、掌が届く。
叩く。
爆発はしない。
紙が一枚めくれるだけの音がした。
『校正不能』
教授の口が、零頁と違う動きをした。
「……ハミンくん」
本人の声。
「そこにいるのか」
「私は、いる」
次の瞬間、赤い文字が口を閉じる。
『管理者個体の迷いを検出』
《迷い》へ赤線。
教授の声が消えた。
「迷うくらい残せ!」
もう一度入る。
校正像の拳。
男の長い腕で受ける。
女の低い重心で回る。
二つの地図を交互に切り替えない。
同時に重ねる。
拳へ触れたまま、脇へ抜ける。
背中の赤線を掌で擦る。
一本が薄くなる。
巨大な像を倒す力はない。
力比べなら、零頁のほうが大きい。
消す必要もない。
赤線の下にいる教授が、自分で動ける余白を一行ずつ作る。
*
白紙の外側で、青い線が八方向から戻ってきた。
人の姿は見えない。
声も、オレの戦いへ届かない。
それぞれが四十八区画で維持している、既存の規則だけだ。
最初の青線は、雷綴の導路。
赤い収集線へ攻撃する電撃じゃない。
選片を燃やさず、来た場所へ流すための場所情報を返す。
二本目は、時門時計の中核。
校正像を遅くしない。
オレを速くもしない。
現在の一秒と、止まった都市の一秒を、ひびの入った針で同じ進行率へ合わせる。
三本目は、心響鈴。
教授へ幻を見せない。
オレへ心話で指示もしない。
卒業式で本人が選んだ声だけに、本人の署名を戻す。
四本目は、天道纏気の循環。
塔側と道場側、離れた二つの十三重円が、気を一人へ集めず地脈へ返す。
五本目は、同意証明。
安全停止への署名を、未来譲渡へ使えないという四十八分類の証明。過負荷になる枝だけを止め、答えは書かない。
六本目は、逆因果札の八拍。
《選択が持ち主へ戻り始めた》
その小さな結果だけを先へ置き、原因が追いつく道を開けたままにする。
七本目は、キャリーの返却文。
教授の赤い校正を消さず、その下へある原文を読めるようにする。
《保存された選択は、選択者の現在へ返す》
八本目は、一つの音じゃなかった。
文化祭と卒業式の装置へ保存された、ばらばらの鼻歌。
先輩、蓮、鈴華、藍羽、ハヨン、紫苑、ひなた。
卒業生。
その場で自分から声を出した人だけの波形。
音そのものは、固定の中から出てこない。
選んだ記録だけが、青い線の間へ余白を作る。
どの線も、校正像を殴らない。
オレの攻撃を守らない。
勝ち方を教えない。
零頁が返却中の枝を燃やさず、違う選択を違うまま共有できる規則状態を作っている。
一人の正しい音へ揃えない。
赤、青、黄、白、緑。
色の違う線が、触れ合っても混ざり切らず、細い金色の縁を作った。
文化祭の舞台と同じだ。
「はみんぐ・ふれあ」
藍羽が模造紙へ書いた、少し変な名前。
ハミン。
humming。
触れ合い。
flare。
最後の「い」を勢いで落とした、あの企画。
そこへ、崑崙の古い呼び名が重なる。
羽鳴。
空気の縁が、熱のない炎みたいに揺れた。
*
《返却命令を入力》
零頁が、白い面を開く。
《管理者権限なし》
《新規利用者の命令を要求》
「オレを次の管理者にする気か」
《勝者候補》
「断る」
《命令がなければ、最適化を継続》
「命令じゃない答えは?」
《未定義》
胸元へ手を入れる。
緋天衣の上着は、男の身体へ合う寸法と黒色に変わっている。それでも、内側のポケットは手を入れる場所に残っていた。
折った紙を出す。
父さんが第十三の門の前で渡した、空白の紙。
答えを書けとも言わなかった。
父さんの答えを写せとも言わなかった。
ただ、道を示し、足は奪わないと紙へ書いた。
父さんは、いまも外にいる。
声は聞こえない。
紙にも新しい言葉は増えていない。
最初から空白のまま。
卒業式の進行へ気づいたことを書くため、胸ポケットへ入れていた短い鉛筆を取る。
紙を手のひらへ置く。
何を書くかは、オレが決める。
男の身体でいたい。
女の身体で過ごしたことは消したくない。
アトランティスを見捨てたくない。
いまの世界へ上書きもしたくない。
教授を消して終わりにしたくない。
先輩たちの道具を、もう誰かの枝を集めるものにしたくない。
全部を一行へ書くには、紙が小さい。
だから、いま最初にすることだけを書く。
【全員に返す】
父さんの字じゃない。
少し右上がりの、オレの字。
「これだ」
零頁の上へ置く。
《命令権限なし》
「命令じゃない。オレの選択だ」
《単独署名は全員を拘束できない》
「拘束しない。返すだけだ。返ったあとに、使うか、捨てるか、選び直すかは全員が決める」
紙が沈まない。
零頁の白い面へ、ただ載っている。
強制力はない。
だから、四十七本の青い線が一つずつ自分から触れた。
雷の導路。
時刻。
声。
循環。
同意。
八拍。
返却文。
自発的な音の記録。
最後に、オレの羽鳴。
九つは一つの太い光にならない。
別々のまま、紙の違う端へ触れる。
赤い文字が、紙を燃やそうとした。
青い線は炎を消さない。
燃料になる枝を、持ち主の署名へ戻す。
赤い火は、燃やすものを失った。
空気の縁で揺れ、色へほどける。
「羽鳴炎」
名をつけた。
「はみんぐ・ふれあ」
巨大な光線は出ない。
校正像を呑み込む爆発もない。
一本だった赤い固定線が、端からゆっくり裂ける。
赤の中から青。
青の隣から黄色。
白、緑、紫、橙。
選片の持ち主ごとに違う色。
細い線は小さな羽の形で震え、それぞれ別の方角へ飛んでいく。
熱はない。
燃えて消えるんじゃない。
固定を解き、帰る道を思い出している。
校正像の胸へ、色が広がる。
オレは男の長い脚で踏み込む。
女の紅燕歩で最後の角度を小さく回る。
男の腕を伸ばす。
拳は作らない。
開いた掌を、教授の胸へ当てる。
羽鳴の震えを通す。
最後の一撃。
打ち壊すためじゃない。
赤線の下にいる本人へ、選ぶ余白を返すための接触だ。
校正像が大きく揺れた。
目を塗っていた赤い記号が落ちる。
サングラスのない教授の目が現れた。
*
「私は、負けた」
教授が言った。
「十三分前にな」
「管理者としてもだ」
「それは、これからおまえが決める」
零頁に、最後の欄が残っていた。
《暫定管理者権限》
選闘の担保で、教授の所有からは外れている。
でも、どこへ返すかの署名は空白。
オレが奪えば、次の管理者になれる。
零頁へ命じれば、教授へ強制的に書かせることもできるかもしれない。
しない。
「おまえの先生が残した記録は、返事を待ってる」
「記録だよ」
「観測像も向こうにいる。でも、本人じゃない」
「キャリー先生が生きていたなら、私を許さないだろう」
「許すかはキャリー本人が決める。会えてないうちから、許されなかったことにして終わるな」
「生徒たちも」
「一人ずつな」
教授の周りへ、三つの法宝の青い原文が浮かぶ。
流せ、蓄えるな。
止めず、異なる現在を合わせる。
選ばれた声へ帰路を与える。
「西能寺くんは、棒を置いた」
「また持った」
「私が与えた管理刻印なしで、雷を流した」
「先輩が選んだ」
「時任くんは時計を壊した」
「中核は残した」
「閑崎くんは、濾過刻印を外した」
「聞かない声を自分で決めた」
「彼らは、私が与えた役割を失えば立てないと思っていた」
「立ってるぞ」
「見えていない」
「道が残ってる。十分だ」
教授は、四十七本の色を見る。
紫苑の名前を奪った記憶頁。
ひなたたちが自分で残した声。
閉じた都市の一秒。
「私は、事故を減らした」
「ああ」
「救われた者もいる」
「いる」
「それでも、返さなければならないか」
「助けたことを消せとは言ってない」
教授がしたことを、赤線ごと消さない。
いい教師だった時間も。
選片を燃やしたことも。
両方を残す。
「返したあと、また失敗する者がいる」
「いるだろうな」
「私は、その結果を知っていても止めないのか」
「危険を言え。選択肢を増やせ。助けを頼まれたら助けろ」
「選ばせた結果、間に合わなければ?」
「責任を一緒に持て」
教授の目へ、怒りが出た。
「簡単に言う」
「簡単じゃない」
「君は、失った都市で待っていない」
「待ってない。だから、おまえの痛みを全部分かったとは言わない」
掌を離す。
「でも、オレのを取っていい理由じゃないって言った」
「変わらないのだね」
「そこはな」
教授は怒った顔のまま、少し笑った。
「君は、本当に扱いづらい生徒だ」
「教師をやめても言うのか」
「教師だった事実は消えない」
教授が零頁の最後の欄へ手を伸ばす。
赤い文字が囁く。
《権限を保持すれば、損失を再校正できる》
《キャリー観測像を完全解放できる》
《アトランティスを現在へ復元できる》
教授の指が止まる。
「キャリー観測像は、完全解放を選んでない」
「分かっている」
初めて、教授がそう答えた。
「都市の全員にも、聞いてない」
「分かっている」
「なら」
「急かさないでくれ、ハミンくん」
「待つ」
オレは口を閉じた。
教授の指が、空白へ触れる。
赤い管理印を描きかける。
止める。
青い返却文へ向きを変えた。
「私が選ぶ」
声は零頁のものじゃない。
教授自身の声だった。
「暫定管理者権限を、元所有者の集合署名へ返す」
空白へ、自分の名を書く。
《目黒総司》
その下へ、一文。
《管理権限を返還する》
赤い文字が抵抗する。
《最適未来が失われる》
「失われるのではない」
教授は言った。
「私が選ばなかった未来として、残る」
署名が確定した。
校正像が崩れる。
教授は消えない。
人間の身体へ戻り、白紙の上へ膝をついた。
左腕の火傷も戻る。
間違えた痕を消さずに。
*
零頁の中央へ、二つの世界が出た。
現在。
止まったアトランティス。
赤い文字は、どちらか一方を消せと求める。
集合署名から、別々の色が返事をした。
消さない。
重ねない。
同意なしに起こさない。
現在と都市の間へ、薄い水面が広がる。
文化祭で二つの光が触れた時の、金色の縁。
観測できる。
食事や声を、水鏡越しに同じ時刻へつなげられる。
けれど、都市全体を今日の世界へ押し込まない。
一人ずつ、身体状態、記憶、関係、所属、行動、時間を確かめる。
起きるか。
待つか。
戻る場所をどこにするか。
本人の同意を得ながら、少しずつ静止を解く避難相。
長い作業になる。
教授が一人で終わらせられない。
キャリー観測像も、母さんも、ハヨンも、答えを代わりに書けない。
それでいい。
四十七行に足りなかった最後の一行が、それぞれの意思を保った集合署名で完成した。
《返却を実行》
父さんの空白だった紙から、文字が浮き上がる。
【全員に返す】
一行が、四十八頁へ分かれた。
固定された赤線は、もう燃えなかった。
人の数だけ違う色になり、学校、町、遠い場所、止まった都市へ帰っていく。
偽物の月が完全に消える。
本物の満月だけが残る。
教授と並んで、白紙の出口を見る。
「出るぞ」
「私は、戻ってよいのかね」
「戻って説明しろ」
「石を投げられるかもしれない」
「避けるか、受けるか、話すか、自分で決めろ」
「君なら?」
「避ける」
「君らしい」
出口へ踏み込む。
男の長い一歩。
女の身体で覚えた小さな重心修正。
二つが一つの足へ入っている。
白紙の外で、時計塔の秒針が震えた。
最適な一秒へ戻ろうとする。
戻らない。
次の目盛りへ進む。
かち。
世界が、もう一度、時間を始めた。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




