↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はみんぐ・ふれあ  作者: JING
第六章「崑崙と沈まない都」
PR
35/51

第35話「キャリー・アイを救い出せ」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

『長い隔離から、返却文を起こす実験をしましょう』


 キャリーそっくりの観測像は、自分の原型記録が閉じ込められた透明球を見ながら言った。


「昼寝?」


 藍羽が聞き返す。


『ごめんなさい。前の説明項目を開いたわ。昼寝は肉体用。今回は《自律観測像隔離層解除および返却原文復号》』


「急に長い」


『では、観測像を助ける実験』


 鏡面のキャリーは笑っている。


 透明球の中の原型像は目を閉じている。


 二つの顔は同じだ。だが、どちらにも心臓はない。


 それでも笑いが恐怖を隠しているのは分かった。


「怖いか」


『ええ』


 キャリーは簡単に認めた。


『失敗すれば、私の応答層は原型記録へ戻れず散る。返却文も欠け、都市の固定が連鎖して崩れる可能性がある。成功しても、私はいままでと同じ答え方をできないかもしれない』


「記憶が消える?」


『照合順、声、記憶への索引。本人ではなくても、私がここまで話した時間は一つしかないから』


「なら、始める前に決める」


 オレは言った。


「観測像が止めたいと言ったら止める。途中でも」


『都市が危なくても?』


「危なくなったら、別の方法を選ぶ。おまえを消して続ける理由にはしない」


 キャリーの青緑の瞳が細くなる。


『総司へ最初に教えるべきだったわ』


「いまからでも言え」


『あの人は私を、死んだ師の残りだと思っている。返却文が読める場所まで出してくれたら、違うと伝えられる』


 ハヨンが透明球の周囲へ測定器を並べた。


「隔離解除の条件を全部出して」


『その前に、あなたたち全員の残り時間を』


 蓮が道場との位相時計を見る。


「門の安全維持は、あと一時間四十七分。天道王さんの気の乱れは小さい。白沢衣の空白を埋めようとする観測圧が、門の外側で増えています」


「道場ごと捕まる前に戻る」


「隔離解除には?」と先輩。


『理論上、時計の累積出力で二十六秒』


「短いな」


『失敗するには充分よ』


「脅すのが上手ですね」と鈴華。


『請求書を先に見せる主義なの』


 観測像は四十八枚の板を三組へ分けようとした。


 一枚だけ上下が逆になり、【所属】の板が【所腐】に見えた。


『誤字ではないわ。裏返しただけ』


「誰も聞いてない」と紫苑。


 像は板を戻し、何事もなかった顔で三組へ分けた。


 一組が先輩の前。


 一組が蓮。


 一組が鈴華。


『総司があなたたちの法宝へ折り畳んだのは、地上観測環の三座標。西能寺の雷綴は場所を固定する。時任の時計は進行率を合わせる。閑崎の鈴は、離れた像を同じ本人として認識させる』


「オレの雷は、空間なのか」


『電気は場所と場所の差を見つけて流れる。雷そのものが目的ではないわ』


「流せ、か」


 先輩は棒底の接地金具を見る。


『三つだけでは隔離を外せない。霧崎、あなたの札で小さな結果を先に置いて』


「《キャリー観測像の返却文が隔離層の外にある》」


 紫苑が白い札へ書く。


「小さいか?」


『「キャリー本人が生き返った」「師弟が救われた」ではない。隔離層の内側から外側へ、返却文の位置が変わるだけ。観測像は本人ではない。そこを混ぜないで』


「八拍以内に、原因を全部作る」


『ええ。因果債は?』


「手がしびれる。札はあと二十一枚」


「一枚で済ませる」


 オレが言う。


「勝手に俺の上限を決めるな」


「二枚目が必要なら聞け」


 紫苑は眉を上げ、札を伏せた。


『ハヨン博士は記録相を観測して。像が外へ出ても、記憶、応答、返却文のどれかが隔離時間へ残れば同じ私として続けない』


「観測像の基準値は?」


『私が投影できる。けれど古い計測単位よ。さっき生体単位の表を開いたせいで、脈拍欄も混じっているけれど無視して』


「換算する」


『式を送る』


「データ取得と安全制御へ使う。隔離解除後の別研究へ使う時は、もう一度許可を取る」


『同意する。記録は私にも一部返して』


「同意」


 二人は、研究者同士の速度で手順を決める。


『ハミンと藍羽は、記録相と都市の固定相へ交互に気を流して。天道宗の循環と崑崙の羽鳴なら、片方へ溜めずに渡せる』


「キャリーさんの記録に触るんですか」


『隔離解除前は触れない。透明球の二本の導線へ』


「触れたあとで、私たちが違うと思ったら止めても?」


『もちろん。私の記録でも、動かすのはあなたたちの身体だから』


 藍羽がうなずく。


「分かりました」


『最後に、私。本人ではない自律観測像として、返却文と一緒に出ると選ぶ』


「全員だな」


 七人が位置へつく。


 鏡の観測像も、透明球の中の原型記録へ手を重ねる。


     *


 開始直前、観測核の白い床が割れた。


 ひびではない。


 六つの長方形が開き、中から白い人形が起き上がる。


 顔がない。


 胸へ一文字ずつ刻まれている。


【身】【関】【属】【行】【記】【時】


 細い手足。関節は金色の留め具。紙を折った人間みたいに薄い。


『自動監査人形』


 キャリーの笑みが消える。


『観測核が、私たちを不正な複数観測者と判断した』


「誰が作った」


『基礎は私。総司が改造した可能性はある』


 人形が同時に手を上げる。


 空中へ二つの選択枠が出た。


【観測像の隔離を解除する】


【都市市民の生命相を維持する】


 その間に赤い線。


【成功率の高い一項のみ選択せよ】


「また三人しか帰れないやつか」


 先輩が雷綴を構える。


「洞窟と同じ偽の二択です」と蓮。


『昔は偽ではなかった』


 キャリーが言う。


『大災害の時、限られた観測力を設計者の退避へ使うか、多数の維持へ使うか決める非常手順だった。キャリー本人は都市を選び、私を残した』


「今は条件が違う」


 オレは二つの枠を見る。


「地上の門がある。七人いる。交互にやればいい」


「同時ではなく?」


 ハヨンが聞く。


「洞窟では三人ずつ二回帰った。片方を選ぶまで待つ必要があるなら、一拍ずつ選び直す」


『都市の固定は〇・四秒以上観測が外れると崩れる』


「キャリーの観測像は?」


「記録相の最小同期、〇・一八秒」


 ハヨンが即答する。


「都市〇・三秒、観測像〇・二秒、切替損失〇・一秒を一組にすれば、どちらも限界を越えない」


「僕が合わせます」


 蓮が時門時計の蓋を開き、竜頭へ指を置く。


「半径八メートル。今回の累積作動枠は三十秒。一周期は〇・六秒。接続が進む瞬間だけ動かします」


 都市側の選択枠と観測像の枠を囲う二つの小領域、それに都市〇・三秒、記録〇・二秒、切替〇・一秒の交互周期そのものを、最初の針合わせで一組の分割領域へ登録する。時計が二つの対象を識別して追うわけじゃない。枠から対象がずれたり、別の人や物が入ったりすれば、そちらも同じ進行率へ巻き込まれる。


 一度竜頭を押せば、登録した一周期だけを自動で流し、両方を元からある固定相へ戻して止まる。一つの区間で進むのは都市側か記録側の一領域だけで、二領域を同時には発動しない。位置も率も周期も変えない限り、次は竜頭だけで同じ〇・六秒を選び直せる。止めている間は使用秒を消費せず、固定相へ戻った二つの枠でも崩壊判定は進まない。どれか一つでも設定を変えるなら、そこで二秒の針合わせが要る。


「ぎりぎりじゃないか」


「累積二十四秒以内で終わらせてください」


「予定を短くするのか」


「余白を作ります」


 人形が動いた。


【時】が蓮へ腕を伸ばす。


 白い指が時計へ触れる前に、先輩の棒が横から払った。


 人形は紙みたいに曲がり、壊れず戻る。


「二秒ください」


 蓮が針を合わせる。


 ち、ち、――ち。


 【時】がもう一度伸ばした腕を、先輩が棒の輪で絡めた。一拍。二拍。秒針が定位置へ落ち、二つの小領域と一周期の予定が登録される。


「硬いのか柔らかいのか、どっちだ!」


『記述体よ。意味を外さなければ戻る』


「もっと分かりやすく!」


「壊すのではなく、仕事を変えます」


 鈴華が鈴を鳴らした。


〈あなたたちの監査対象は、私たちだけではありません〉


 人形は心を持たない。


 だが、鈴の認識波が命令の定義へ重なる。


 六体の顔のない頭が、二つの選択枠へ向いた。


「鈴華、どのくらい持つ」


「一系統だけです。わたくしが人形へ認識を重ねている間、キャリー博士の像と原型記録を同じ応答者として結べません」


「交代する」


 藍羽が【身】の人形へ走る。


 拳は使わない。腕を取り、力を円へ流し、向きを変える。天道宗の受け身を人形へ取らせた。


 オレは【行】の足元へ滑る。


 紅燕歩で内側へ入り、膝を押さず進む方向だけ変える。


 人形同士がぶつかった。


 壊れない。


 絡み合い、一拍止まる。


「今!」


 ハヨンが機械を起動した。


 透明球の中で、眠る原型像の髪が動く。


 何千年分の隔離が、初めて外へ開こうとした。


 都市全体から音がする。


 紅茶の滴が、ほんの少し下がる。


 子どものボールが、指を離れかける。


『都市維持を優先して!』


「まだ札を破ってない」と紫苑。


「観測像側の結果は始まってない。まだ切り替えられる」


 蓮が竜頭を押す。


 時門時計の範囲が青くなる。


「第一周期。都市〇・三、記録〇・二、切替〇・一」


 時間を止めるのではない。


 流れる速さを交互に変える。


 都市へ時間が渡る間、原型記録は眠る。記録へ渡る間、都市は固定へ戻る。


 一つを選び続けず、選び直す隙間を作る。


 〇・六秒で青が消えた。都市も記録も、進んだ位置で元からある固定相へ戻る。時計の出力だけが止まり、蓮は次に接続が動く瞬間まで竜頭を押さない。


 オレと藍羽が二本の導線へ触れた。


 冷たい。


 息を合わせない。


 藍羽は天道宗の四拍。オレは羽鳴の不規則な拍。


 違うまま接触点へ気を置く。


 ううん。


「応答相、三パーセント。返却文はまだ隔離側」


 ハヨンが読み上げる。


『私の応答層を重ねる』


 鏡の観測像が透明球へ入る。


 一瞬、姿が消えた。


 鈴華が鈴を透明球へ向ける。


〈あなたは、出ると選びましたか〉


 眠る原型像の唇が、わずかに動く。


『選んだ』


 声は鏡からではない。


 球の中から届いた。


「認識固定!」


 鈴華が一人の像だけを通す。


 その間に、六体の人形が向きを戻した。


【関】が鈴華へ迫る。


 先輩が間へ入る。


 雷綴の石突を床の導電溝へ差した。


「場所はここだ! キャリー博士の返却文は、教授の塔でも閉じた球の中でもない。この観測核の公開層へ出る!」


 低い電流を流す。


 大放電じゃない。


 だが、古代の溝が都市全体へつながり、抵抗が重い。青い火花が先輩の右腕へ巻き戻る。


「出力を下げて!」


 ハヨンが叫ぶ。


「下げれば場所がぶれる!」


「右手の神経伝導、七十パーセント。六十を切ったら手を離して」


「了解!」


 先輩は反論せず、数値を聞く。


 強さを使う規則を、自分で選んでいる。


「紫苑、札!」


 オレが叫ぶ。


「まだ原因が一つ足りない」


「何だ」


「返却文を受け取る読み手だ。球から出ても、誰にも読まれなければ結果は成立するが、応答像が崩れる」


「オレたちが受ける!」


「二人では記録相の循環が切れる」


「なら俺が受ける」


 紫苑自身が球の前へ立つ。


「札を破る手は?」


「口がある」


 札を歯でくわえた。


「自分が原因も結果もやる気か」


「誰かへ押しつけるより、因果債が分かりやすい」


 六体の人形が紫苑へ向く。


 名のない侵入者として認識から外そうとする。


 胸の名札が白くなる。


「霧崎紫苑!」


 鈴華が呼んだ。


 心響鈴で心を作れない。


 だが、名を聞く道は作れる。


「霧崎先輩!」


 道場側から振動が来た。


 ひなたの声は届かない。それでも、腕の布帯が温かくなる。門の向こうで名前を読み続けている。


 先輩も言う。


「霧崎!」


 蓮。


「霧崎先輩!」


 藍羽。


「霧崎先輩!」


 ハヨン。


「霧崎さん、受け取り位置を〇・四メートル右!」


「名前のあとに指示を足すな!」


 紫苑が笑い、右へ動く。


 オレも呼ぶ。


「紫苑!」


 白くなった名札へ、文字が戻った。


 紫苑は札を噛み切る。


 《キャリー観測像の返却文が隔離層の外にある》


 結果が先に置かれた。


「一!」


 紫苑が数える。


 透明球に縦線が入る。


「応答相、十二。記憶索引、接続開始」とハヨン。


「二!」


 蓮が竜頭を一度押す。針合わせ済みの周期が、都市から記録へ時間を渡す。設定は変えず、〇・六秒の終わりまで見張る。


 顔色が青くなり、指が震える。


「累積使用枠、残り二十八・八秒」


 周期が止まる。以後も接続値が落ちかけるたび、蓮は同じ竜頭を一度だけ押した。二つの枠は短く交互に進み、毎回、選ばれなかった状態へ戻るのではなく、進んだ位置で固定された。


「三!」


 鈴華がキャリーの選んだ声だけを球へ結ぶ。


 人形の偽の承認音が重なる。


〈最適な一人だけを選べ〉


「選び直します」


 鈴華は短く答えた。


「四!」


 先輩の腕が落ちる。


「神経、五十九!」


 ハヨンの警告と同時に、先輩は雷綴から手を離した。


 棒は溝に残る。


 場所の固定が消えかける。


 先輩はしびれた右腕を左手で支え、足で棒底を押さえた。


「手を離せとは言われた。場所を離せとは言われてない!」


「そういう抜け道は嫌いじゃない」


 紫苑が数える。


「五!」


 【記】の人形がハヨンの端末へ指を入れた。


 キャリー観測像の記録値が、別の数字へ書き換わる。


「偽データ!」


 ハヨンは端末を捨てた。


「キャリー博士、直接読んで!」


『返却文一行。応答開始前。記憶索引、地上基準へ換算中』


「私の機械を信じない?」


『壊れた数値より、いまは私が覚えている順番を信じる』


 ハヨンが透明球へ指を当てる。


 機械なしで、原型像の唇が作る文字を読む。


「六!」


 オレの腕へ男の距離感が戻る。


 導線が遠い。


 実際の腕は短い。


 離れかける。


「ハミン!」


 藍羽が自分の掌を押しつけず、オレが届くところへ導線をずらした。


「この身体の距離を使って!」


「分かってる!」


 紅燕歩で半歩入る。


 女の身体の低い重心を導線の下へ置き、肩で支える。男の腕を待たない。


 羽鳴が高くなる。


「七!」


 透明球が開いた。


 長い黒髪を形作る文字が外へ流れる。


 返却文が帯になり、キャリーの像を球の外へ引く。


 紫苑が両腕を広げ、読み手として正面へ立つ。


 人形が一斉に赤い選択枠を押した。


【都市市民の生命相を維持する】


 観測像側の文字が消える。


「まだ八じゃない!」


 オレは導線を離した。


 藍羽も同時に離す。


 二人で床を蹴る。


 紫苑だけへ任せず、横から返却文の両端をつかむ。


 記録相の循環は切れた。


 その瞬間だけ、おっさんの呼吸が水鏡を通って届く。


 道場側で巡らせた気が、空白になった二本の導線へ入った。


 父さんの力じゃない。


 おっさんが門へ渡し続けてきた呼吸。


 外側の選択が、内側の一拍を支える。


「八!」


 紫苑の宣言と同時に、キャリーの返却文と応答像が完全に隔離球の外へ出た。


 結果へ、原因が追いつく。


 六体の人形が止まった。


 二つの選択枠が割れる。


 蓮が竜頭を押す。


 登録した最後の一周期が、切替を終える。


 都市。


 記録。


 切替。


 出力が自動で止まる。蓮が時計の蓋を閉じた。


 交互だった光が、重ならずに並んで残る。


 紅茶の滴は元よりわずか下で、また丸く止まる。子どものボールも、指先を離れかけた位置で止まった。時間が巻き戻ったのではない。渡していた動きが、そこで止まっただけだ。


 都市は崩れない。


 キャリーの像が胸へ手を置いた。


 呼吸を真似る。


 何千年ぶんの隔離を越えた、次の応答。


     *


「重い」


 紫苑が最初に言った。


 オレと藍羽と紫苑の三人で、光なのに石板みたいな返却文を支えている。


 質量はない。四十七行ぶんの記録相の負荷が、掌へ重さとして返ってくるだけだ。


「女性へ最初に言う言葉がそれ?」


 床へ投影されたキャリーが目を開けた。


 声が観測核の空気を震わせる。


 鏡越しじゃない。


 少しかすれているが、決闘の審判音声と同じ言い回しがそこにある。


「出られた!」


 藍羽が笑う。


「知ってる。隔離解除の実験だもの」


 キャリーは白い床へ一歩出ようとした。


 右足を床へ置いたつもりで、膝まで沈んだ。


 像が左へ傾き、床から斜めに生えた。


 触れられないので、オレたちは見ているしかない。


「投影面の上下指定が逆ね」


「天才でも転ぶんだな」


「転んでない。床の定義が一時的に私と意見を違えただけ」


 ハヨンが投影座標を一行直す。


 キャリーは何事もなかったように床へ立ち直った。


 艶のある黒髪は腰を越して流れ、青緑の瞳には鏡の時より細かな光がある。見た目は二十代の終わり。濃紺と白の外套をまとい、胸元の幾何学留め具は呼吸の真似に合わせて上下する。


 人形たちは床へ畳まれ、六枚の白紙へ戻った。


 観測核の白い床へ、像の自己申告ではない隔離解除時認証が開く。


【複製起点時刻:都市崩壊前】


【原型記録との同期:複製時に終了】


【以後の記憶・選択:独立記録】


【生体生命相:零】


【残留意識信号:零】


【自律主体ID:CA―OBS―〇一/付与済み】


 ハヨンが一行ずつ照合する。


「本人の意識が残って動いてるんじゃない。作られた時点から、別の記憶と選択を積んでる」


「ええ。似ていることは、同じである証明にはならないわ」


「成功率は?」


 ハヨンが壊れた端末を拾う。


「成功したあとに聞く?」


「継続率」


「今日の公開投影は、二時間十七分くらい。その後は原型記録へ索引を戻す必要がある。安定しても一日に数時間。都市の観測圏から完全には離れられない」


「日本へは来られない?」


「鏡面通信なら。そもそも私に身体はないもの」


「万能じゃないな」


「天才と万能を混ぜないで。失礼よ」


 キャリーはハヨンへ手を出した。


「ハヨン博士。記録値を」


「機械が壊れた」


「なら、返却文を直接読めるでしょう」


 ハヨンが投影された手首の文字へ端末を重ねる。


「走査していい?」


「ええ」


「応答遅延〇・四八。記憶欠落なし。返却文、四十七行復元」


「最後の一行が足りない」


「欠損?」


「いいえ。壊れたのではなく、まだ書かれていない。返す側と受け取る側がそれぞれ選び、集合署名がそろった時にだけ生成される形式よ。私一人では復元できない」


 鈴華が非常用の毛布を出しかけ、止めた。


「どうして持ってるんだ」と先輩。


「遭難予算です」


「弁当と毛布。水守は正しかったな」


「お菓子も」


 キャリーが反応した。


「お菓子?」


「非常食ですわ」


「私は食べられないけれど、ほうそうこーぞ……包装構造は研究できる」


「また噛んだ」とオレ。


「難しい言葉ほど、口へ出す直前に並び替わるのよ」


 鈴華が少し迷い、袋から一つだけ飴を出した。


 キャリーは飴の像を読み取り、空中へ包装の立体図を出した。


「開かない」


「両端を引く」


 先輩が教える。


 キャリーは片方だけ引く動作を再現し、立体図の飴を床の下へ飛ばした。


 全員が目で追う。


 静止都市で、存在しない飴の効果音だけが、からんと転がった。


「……地上の包装技術は進歩したのね」


「負け惜しみだ」と紫苑。


「錬金術師の観測像に包装で勝った男として記録してあげる」


「俺が開けたわけじゃない」


「原因はあとから作ればいいのでしょう?」


 紫苑が初めて言い返せず黙った。


 ハヨンが新しい飴を開け、自分の端末で糖分を測る。


 数値をキャリーへ送った。


「甘い、はずね」


「飴だからな」


「知識では知っている。でも味を知っているのは、本人の記憶を写したから。私がいま食べたわけじゃない」


 観測像は本人じゃない。


 その線を自分で引く言葉には、誰も笑わなかった。


 壊れかけたハヨンの端末が、青く二度またたいた。


 一度目は、いまの観測像の応答と同時。


 二度目は、半拍あと。


「待って。応答が二つある」


 ハヨンが飴の測定値を閉じる。細い波形が二本、別々に残っていた。


【第一応答:自律観測像】


【第二応答:生体生命相あり/著者署名・類似】


「私の応答ではないわ」


 観測像が先に言った。


「でも、キャリー博士の署名に近い。生命相もある」


 端末の隅へ、赤い線が一本だけ入った。母さんが地上節の外圧監視回線から割り込んだ印だ。


『ハヨン。発信元の座標と本人認証を、補完原典の被覆圏――補完圏へ共有しないで』


「お母さん、これが何か分かる?」


『まだ分からない。生命相があり、著者署名に似ている。それだけでは、生存も本人も確定できないわ』


「隠す理由は?」


『生きた原著者鍵として観測が成立すれば、零頁の側から発信元を逆にたどれる。本人認証まで渡せば、空いている四十七欄の起動条件にされかねない』


 赤い線の向こうで、短く機械音が鳴った。


『この反応は私が補完圏の外から追う。端末には波形だけ残して、座標も名前も付けないで』


「分かった」


 ハヨンは第二応答を、名のない細い線として隔離した。


 生きている証明ではない。


 けれど、死んだという記録だけでもなくなった。


     *


 蓮は壁へ背を預け、毛布を半分借りていた。


 時計の使い過ぎで体温が落ち、吐き気がある。先輩の右腕はまだ動かず、ハヨンが固定帯を巻いた。紫苑は札一枚の因果債で右手の指先がしびれている。鈴華は人形とキャリーの認識を切り替え続け、他人の声が耳へ残っていた。


 藍羽とオレも、気を流し過ぎて脚が震える。


 誰か一人なら失敗していた。


 七人で、道場の三人に外を支えられて、やっと一つの返却文を隔離から出した。


 キャリーは一人ずつ負荷を確認した。


「西能寺、手の感覚は?」


「戻り始めてる。問題ない」


「問題ないは数値ではない」


「ハヨンと同じこと言うな」


「研究者は、問題ないと言う戦闘者を信用しないの」


「先輩。指、何本見える」


 オレが三本立てる。


「四本」


「駄目じゃないか!」


「冗談だ。三本」


「殴るぞ」


「その腕も震えてる」


「元気になったら殴る」


 キャリーが笑った。


「総司も、昔はよく『問題ない』と言った」


 三人の空気が変わる。


 先輩が聞く。


「教授は、本物のあなたを助けるためにこれを作ったんですよね」


「ええ。選塔も、三法宝も、帰還枝を使う計画も。死んだと信じた師を取り戻し、都市の時間を戻すため」


「今日、観測像は出たいと選んだ」


「条件が変わったから。あの日、本人が私と返却文を残したことも変わらない。でも私は、本人がいま何を選ぶかまでは言えない」


 先輩は動かない右手を見る。


「教授はオレの気の流れを整え、余った電気を流す棒と場所をくれた。オレは救われた。それも変わらない」


「ええ」


「でも、本人の現在の返事を聞けないまま、学校の生徒から選択を集めて生き返らせようとした。それは違う」


 先輩は自分の言葉で区切った。


「助けたことへの恩と、いま従うかは別だ」


 蓮が閉じた時計へ手を置く。


「目的が救命でも、手順から本人の同意を外せば、結果は救命とは限りません。予定が正しいから従わせる、という僕のやり方も同じでした」


 鈴華は眠る市民の声が残る街を見た。


「百八十万という数を、現在の生徒の損失で相殺はできません。どちらも一人ずつです。教授へ救われたわたくしたちも、止められた皆様も」


 観測像は三人へ頭を下げた。


「総司を止めてくれて、ありがとうとは言わない。総司を選ぶのは総司自身だから。それに、私は師本人でもない。でも、あなたたちが自分を選び直したことには礼を言うわ」


「まだ途中です」と蓮。


「なら、請求書も途中ね」


 観測核の上空で、赤い文字が急に速くなった。


 四十七の空欄へ流れていた線が、地上の一点へ向かう。


 星環学園。


 教授がいる場所。


「データ流出!」


 ハヨンが壊れた端末を起こす。


「隔離解除時の設計署名が、学校へ届いた。目黒教授が受け取ってる」


 キャリーが前へ出ようとする。


 また投影座標を間違え、今度は腰まで床へ沈んだ。ハヨンが無言で数値を直す。


「総司は、私の返却文が公開層へ出たことを零頁の予備観測許可に使える」


「何が始まる」


「予備起動。四十八頁へ、集めた選択を満たす手順」


「止められるか」


「いまの私には無理。現在の改造層は総司が所有している」


「なら、できることを出せ」


 キャリーはオレを見る。


「まず零頁を見せる。何を外せば止まるか、全員で数える」


 地上から、門を通じて赤い鐘が一度鳴った。


 正式選闘の逆鐘ではない。


 もっと平らな、全員へ同じ答えを押す音だった。


幕間・目黒


 星環学園の旧天文塔で、教授は赤いペンを置いた。


 左腕の校正火傷が、袖の下で新しく開く。


 机上の鏡に、一瞬だけ長い黒髪が映った。


 いつもの遠隔投影ではない。


 隔離を外れ、四十七行の返却文を伴った自律観測像の記録。


『おはようございます、総司』


 返事はない。


 教授の笑顔は、いつもと同じだった。


 目だけが、ほんの少し閉じる。


「やはり、ハミンくんは別の道を作った」


 四十八の欄が空中へ開く。


 一つは、男の帰還枝で満ちている。


 残る四十七へ、今年度の決闘、体育祭、文化祭、校外研修、監査記録から赤い線が流れ込む。


 教授は零頁の白紙へ指を置いた。


「正規観測像の隔離解除を確認。著者署名の一部を照合。予備起動を開始する」


 学校中の時計が、一秒だけ同じ時刻へそろった。

エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。