第32話「オレたちは崑崙の道士だった」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
母さんとの家族会議は、背景が三つに分かれていた。
画面の左には、吹雪。
右には、真っ青な海。
中央には、赤い髪の母さん。
「母さん。いま空にいるのか、海にいるのか、どっちだ」
『両方の境目』
「質問へ答えてない」
『いまからする話には、いちばん正確な答えよ』
母さんは白衣の上へ救命胴衣を着ていた。背後を研究員が走り、吹雪側の窓を閉める。海側の窓には、下から上へ波が流れている。
道場の板間には、昨日の全員が集まっていた。
オレ、ハヨン、父さん、おっさん、藍羽、先輩、蓮、鈴華、紫苑、ひなた。
ひなたが十枚の名札を並べ、時々、紫苑の札だけ読み直す。
「家族の話なら、私は外します」
ひなたは一度そう言った。
「残ってくれ」
オレが頼んだ。
「オレの家だけの秘密なら、外してもいい。でも、学校で教授がやってることにつながる。みんなに聞いてほしい」
「聞いたあと、普通の学校生活へ戻れる?」
「無理かもしれない」
「もう手遅れか」
ひなたは自分で座り直した。
母さんが画面から全員を見回す。
『先に謝ります。ハミン、ハヨン。私たちは、あなたたちへ家の役目を説明しなかった』
「お母さんまで?」
ハヨンが眼鏡を押さえた。
『使命を子どもの肩へ載せないことが、自由を守ることだと思った。でも、知らないまま危険へ触れさせた。判断材料を渡さないのも、選択を狭める行為だった』
『何でも親が代わりにやれば、子どもは自分で考え、失敗し、選び直す機会を失う。だから答えを押しつけたくなかった。でも私たちは、「答えを奪わない」と「判断材料を隠す」を取り違えた』
「だからって、危ない外側まで子どもに任せるのは違うだろ」
『ええ。危険な外側を支え、判断材料を渡すのは大人の責任。最後の答えを奪わないのも、親の責任よ』
父さんが隣で、昨日と同じ紙を上げる。
【紙面:私たちの間違い。】
「二人で決めたのか」
『ええ』
『それと、ハミンが女の身体になった日、私は家にはいませんでした。北側の共同研究施設へ出張し、その近くの観測節も回っていて、ハヨンから変化後の緊急記録が届くまで何も知らなかった』
「母さんでも、最初から知ってたわけじゃないんだな」
『ええ。知っていて遠くから眺めていた、とは思わないで。もっとも、知らずに済ませていた責任まで消えるわけではないけれど』
「ハヨンも知らなかった?」
「家に特殊な気脈と外部防御があることは知ってた。お父さんの服の設計も、お母さんの資料から一部見た。でも、昨日調べるまで、用途は気圧抑制とだけ書かれていた。天衡守、零頁、アトランティスとの接続は知らなかった」
「知ってたら言ったか?」
ハヨンはすぐ答えなかった。
「前の私なら、お兄ちゃんに知らせず対策装置を作ったかもしれない」
「正直だな」
「いまなら聞く」
「じゃあ、あとで聞け」
「いま聞く話じゃないの?」
「まず母さんだ」
話が進まない。
おっさんが咳払いをした。
「難しい名を増やす前に、崑崙とは何かから話せ」
『天道王さんは、どこまでご存じですか』
「ハガンが山の向こうから来た。妙な歩法を使う。強い。食う。以上」
父さんが紙へ書く。
【紙面:天道王も食う。】
「いま張り合うところか?」
藍羽が額を押さえた。
母さんは画面へ世界地図を出した。
中央アジアの崑崙山脈へ、ひときわ大きな青い点が灯った。《主門》と表示される。そこから天山、ヒマラヤ、日本の山地、南米のアンデス、北極圏へ、小さな点と線が伸びた。
『崑崙の重なり谷は、中央アジアの崑崙山脈に重なる主門を核にしています。世界各地の高地にも、気の流れが現実と重なる小さな入口がある。決まった呼吸と歩法でそこへ入ると、どの入口からでも同じ谷へ着く』
点から線が伸び、地図の中央ではない場所へ集まった。
地図の上にない谷。
オレは知っている。
霧の濃い朝、父さんの足跡を踏んだ先に増える道。岩壁の向こうの道場。見たことのない星。
「地図の国境線で言えば、中国側なのか」
『主門の地上座標は中国側です。でも重なり谷は、どの国家の領土にも属していません』
「だからって、オレたちまで中国人ってことにはならないよな?」
『いいえ。中国人でも、韓国人でもない。外の国籍書類とは別に、私たちが自分を何者と考えるかという意味では、崑崙の道士です』
「そうだ。オレは崑崙の道士だ」
先輩が首を傾げた。
「日本語は、来る前から普通に話してたよな」
「村の人間ならみんな日本語も英語もしゃべれたぞ?」
「それを普通だと思わないでください」と蓮。
『重なり谷には各地の入口から人と記録が集まります。言葉の呼吸を気で聞き分け、複数の言語を身につけるのも道士の基礎修行。ハミンは外へ出るまで、それが超人的だと知らなかっただけです』
「ただし、お兄ちゃんの英語の宿題は別問題」とハヨン。
「しゃべれるのと文法問題は別だ」
「日本からも行ける?」
『入口があれば』
父さんが立ち上がった。
道場の北側の襖を開ける。
向こうは物置だ。雑巾、木桶、おっさんが買い溜めた米袋。
父さんは一度閉め、右足、左足、右足を半歩。息を長く吐いてもう一度開けた。
襖の向こうに、霧の谷があった。
白い岩壁。
風に揺れる細い旗。
遠くで鐘が一つ鳴る。
「ちょっと待て!」
おっさんが物置へ手を伸ばす。
父さんが足を戻すと、米袋へ触れた。
「わしの物置を勝手に山へするな!」
【紙面:入口ではない。見せただけ。】
「充分おかしいわ!」
ひなたが名札の裏へ何か書く。
「普通の学校生活へ戻れない理由、追加」
「何個目だ?」
「数えるのをやめた」
先輩は楽しそうに襖を開け閉めしている。
「もう一回やってくれませんか、お父上」
父さんは首を横へ振った。
【紙面:見るだけでも、文書に入口を覚えられる。】
先輩がすぐ手を離した。
『崑崙の道士は、その重なり谷を使って世界各地の気脈を見てきました』
『外では仙人とも呼ばれます。寿命が尽きないという意味ではなく、仙脈へ気を通し、常人の限界を越えて動ける者という古い呼び名です。ハガンもハミンも、その崑崙の仙脈を持っている』
「だから、この身体でも体育なら人間を圧倒できるのか」
『ええ。ただし、身体相が変わって気の通り道と間合いがずれた今は、本来の半分も出ていません』
「やっぱり半分以下か。学年記録を出しても喜べないわけだ」
「普通は喜ぶところよ」と藍羽。
母さんが地図を切り替える。
青い点の近くへ、赤い線が増えている。
星環学園の選塔と同じ色。
『未来を当てる占い師ではありません。強い装置、王、軍、研究者――誰かが多くの人の道を一つへ固定しようとした時、気脈には偏りが出る。その偏りを見つけ、道を増やすのが本来の仕事です』
「増やすって、どうやって」
藍羽が聞いた。
『助言する。安全な場所を作る。装置を止める。時には戦う。ただし、本人の代わりに最後の一歩を選んではいけない』
父さんが昨日の言葉を掲げる。
【紙面:道は示せ。足は奪うな。】
「じゃあ母さんが、いつも海とか氷山のそばにいたのも仕事だったのか」
画面の吹雪が、質問を聞いたみたいに強くなった。
『ええ。でも、あれが私の仕事の全部ではないわ。普段は海外の研究施設や調査船から依頼を受けて、薬剤や観測機器を設計し、現地で修理する普通の研究職もある。道士の任務がなくても、出張は多いの』
「二つともやってるのか」
『普通の仕事先の近くに節があれば、そちらも見る。移動が一度で済むでしょう』
「忙しさは二倍だろ」
『ええ。昔のアトランティスが地上へ置いた観測節は、星環学園だけではありません。海底ケーブルの近く、氷床の下、砂漠の井戸、使われなくなった天文台。補完原典が動き始めてから、一つずつ過負荷が出ている』
母さんは地図の青い点へ、修理済みの印を付けた。
オレが通信した時、いつも背景がおかしかった。
氷山。
海上施設。
雷の落ちる研究船。
母さんが世界を飛び回る理由は一つではなかった。普通の研究者として各国の施設と調査船を巡り、その行き先の近くで、世界へ開いた古い継ぎ目も順番に閉じていた。二つの仕事を重ねているから、いつも忙しい。
「最初から教授の計画を知ってた?」
『アトランティス系の装置が動いているとは分かった。管理者が教授で、ハミンの帰還枝まで狙うと特定できたのは星見島の後』
「なら、どうして日本へ来ない」
子どもみたいな問いだと思った。
それでも聞きたかった。
母さんなら難題をほとんど解く。ハヨンより速く機械を作り、学校の先生が諦めた書類も遠くから通す。
近くにいれば、もっと早く何か変わったかもしれない。
『いま私が北側の節を離せば、そちらへ流れる観測圧が増えます』
「仕事だから?」
『それだけではない』
母さんは、いつもの即答をしなかった。
『私は、技術で守るほうが得意だった。隣で説明し、あなたたちが怒るのを聞くより、遠くの壊れた装置を直すほうが簡単だった。仕事を理由に、その簡単なほうも選んだ』
父さんが画面へ向け、紙を上げる。
【紙面:二人の間違い。】
『ええ。ハガンだけの責任にはしません』
ハヨンが聞く。
「いま来られないなら、何ができる?」
『節の外圧を抑える。あなたの位相校正器へ安全値を送る。必要な時に、分からないと言う』
「お母さんが?」
『私にも分からないことはあるわ。奪われた選択を外から戻す方法と、アトランティスを誰も犠牲にせず解く方法。そこは現場を見たあなたたちと一緒に考える』
「母さんが着いたら全部解決、じゃないんだな」
『残念?』
「少し」
『正直でよろしい』
「でも、勝手に答えを決められるよりいい」
母さんは画面越しに笑った。
『それも正直でよろしい』
「父さんは、その道士の一番強いやつ?」
『各地の大きな気脈を守る者を、天衡守と呼びます。あなたのお父さんは、いまの天衡守の中で最強』
先輩が拳を握る。
「やっぱり一度、稽古を」
「話を聞け、先輩」
「聞いてる。聞いたから戦いたい」
父さんは先輩へ小さな紙を出した。
【紙面:あとで。】
「約束ですよ!」
「父さんの『あとで』は半年後かもしれないぞ」
藍羽が手を上げた。
「父さんは、崑崙の道士なんですか」
空気が少し変わる。
おっさんが腕を組んだ。
「違う」
自分で答えた。
「わしは天道宗の開祖、天道王じゃ。他所の門弟になった覚えはない」
『そのとおりです』
母さんがうなずく。
『天道宗は崑崙の外門でも、アトランティスの封印守でもありません。天道王さんが、この土地の共鳴を聞いて独自に作った宗派です』
「じゃあ、どうして床の円が同じなんだ」
「気そのものは、若い頃にインドで修業して学んだ。現地でオーラとも呼ばれておった、身体と世界を巡る力じゃ」
おっさんは床の円を指でなぞった。
「だが、この十三の円は地面が鳴ったから描いた」
おっさんは簡単に言った。
「道場を建てる前、この土地で座っておった。夜になると、地面の下から低い音がする。音に合わせて足を置くと、十三の円と八つの道が一番よく気を巡らせた。だから修行図にした」
「選塔も同じ音を読んだ?」
ハヨンが端末へ二つの図を重ねる。
「魔械文書は機械と文字で。天道王さんは身体と呼吸で。同じ地下の運命相を、別の方法で観測した」
「わしのほうが先か?」
「選塔の基礎は学校創設前。天道宗は十数年前」
「なら、わしのほうが正確じゃ」
「時期の話を聞いてた?」
藍羽がため息をつく。
「父さんとハガンさんが会ったのは?」
「インドでの修業を終え、各地の武術を巡っておった頃じゃ。山道で、朝の気脈を調べる白熊に会うた」
若い頃から、父さんは白熊だったらしい。
「怪しい白熊が土地を調べておったから、殴った」
【紙面:先に殴ったのは天道王。】
「勝ったのは?」
先輩とオレが同時に聞いた。
「ハガンじゃ」
おっさんは、今度こそごまかさなかった。
「わしは一手も届かず負けた。翌朝、再戦を申し込んだが断られた。その代わり、短い間だけ朝ごと隣へ座り、呼吸だけを共にした。教えたとも、教わったとも言わぬ。それだけじゃ」
父さんが紙を一枚足す。
【紙面:鍋は天道王が勝った。】
「料理の勝敗はいま要らない!」
藍羽が父親と白熊をまとめてにらんだ。
既知なのは互いの拳と呼吸。
アトランティスも、零頁も、十三番目の門も知らない。
おっさんが何も隠していないことは、藍羽の顔を見れば分かった。
「偶然だったんだ」
藍羽が床の円へ触れる。
「父さんは、門を守る役目をもらって道場を建てたんじゃない。この場所を選んで、毎日掃除して、子どもへ受け身を教えて。それで門になった」
「不満か」
「逆」
藍羽は笑った。
「父さんらしい。命令されたからじゃなく、自分で始めたんだから」
おっさんは髭を撫で、すごく偉そうにうなずいた。
「なら今日の掃除は三倍じゃ」
「それは関係ない」
「すべて修行に関係する」
「嬉しそうな顔で増やさないで」
重い話の中でも、道場は道場だった。
*
『次は、ハミンのこと』
母さんが画面へ二つの人影を出した。
男のオレと、女のオレ。
黒い輪郭と赤い輪郭が、胸の中心で重なっている。
『崑崙には、ごく稀に二つ以上の身体相を同時に保つ仙脈が生まれます。双相仙脈。ハミンがそう』
「薬でできたんじゃないのか」
『薬は扉を間違えて開いただけ。女の身体相を無から作ったのではないわ。あなた自身に成立し得た二つの相があり、ハヨンの薬が表へ出す相を切り替えた』
『神経の指向へ向かうはずだった作用を、双相仙脈が身体相の切替側へ逃がしたの。元の設計は、留学中ずっと恋愛指向への効果を維持する長期式だった』
ハヨンの画面に、文化祭で見つけた第三の金色波が出る。
「これが双相仙脈?」
『二つを一つへ潰さず、同じ人間として巡らせる気の波。あなたが薬を設計した時には式へ入っていなかった。身体相へ誤作動した時点で、留学終了に合わせて薬効を切る予定式は使えなくなった。いつ自然に戻るかは、私にもまだ計算できない』
「最初から、すぐ戻る薬じゃなかったのか」
「うん」とハヨン。「留学が終わるまで効かせるつもりだった。でも、今の身体相がいつ戻るかは予定にも式にもない」
「学校の補完圧が女の相を固定して、満月だけ出生相が照合し直した」
『ええ。教授はその周期を、外の世界と閉じた都市をつなぐ時計にした』
オレの男の影が、赤い枠へ移される。
胸の奥が冷えた。
「この双相仙脈があるから狙われた」
『そう』
「崑崙の道士だから、止める役目もある?」
母さんは答えを急がなかった。
『家の役目はある。でも、それをあなたの答えにしてはいけない。私たちが隠して失敗した次に、血筋で命令すれば同じことを繰り返す』
父さんも何も書かない。
全員がオレを見る。
空白の紙が、懐に入っている。
「オレは、道士だからやるんじゃない」
口へ出すと、思ったより簡単だった。
「教授に負けた。月を取られた。先輩たちの法宝も、紫苑の名前も、生徒の選択も使われた。腹が立つ。取り戻したい。止まってるやつがいるなら、そいつらも見てから決めたい」
「見たあと、助けない選択もある」と紫苑。
「ある」
「道士に失格と言われても?」
「道士の修行はしてきた。でも、誰かに合格をもらうためじゃない。そうしたいからやる。嫌になったら嫌だと言う」
父さんが紙へ大きな丸を描いた。
「父さんに合格をもらうためでもないぞ」
丸の紙を伏せる。
代わりに、熊の拳が差し出された。
オレも拳を当てる。
女の小さな拳は、白熊の手の中へ半分埋まった。
それでも押されない。
父さんは、そこに置くだけだった。
*
家族会議が終わる頃、道場の十三重円に変化が起きた。
最初は、ハヨンの投影だと思った。
板間へ引かれた八本の線の間に、細い線が増えていく。
九本。
十六本。
三十二本。
最後は四十八。
「装置は切ってる」
ハヨンが端末を上げる。
「自然発生。昨日、選塔が観測できない空白を埋めようとして、道場へかけた圧で節が起きた」
鈴華の台帳が勝手に開いた。
六つの区分。各欄に八つの小印。
床の四十八線と、一つずつ重なる。
「わたくしの台帳が、この図を写していたのですか」
鈴華は鈴へ触れた。
鳴らしていないのに、床下から声が返る。
〈開く〉
〈開かなかった〉
〈入る〉
〈残る〉
選ばれなかった言葉が重なった。
おっさんが中央へ立つ。
「地面の音が変わった」
父さんは円の外へ下がった。
衣服型法宝・白沢衣の縫い目が、逆に光を消す。
【紙面:自然節が門になろうとしている。】
「十三番目?」
丸。
床の中心へ、水滴が一つ浮かんだ。
下から上へ落ちる。
板間に触れた瞬間、木の床の奥へ青空が映った。
空の中を、逆さの塔がゆっくり横切る。
おっさんが初めて、笑わなかった。
「わしの道場の下に、何を建てた」
母さんが画面の向こうで首を振る。
『誰も建てていません。あなたたちが毎日巡らせた気で、閉じていた自然節へ道ができた』
「偶然?」
藍羽が聞く。
『始まりは。でも、門にしたのは毎日の選択よ』
青空の下で、長い黒髪が揺れた。
まだ顔は見えない。
水面の向こうから、手のひらが床へ重なる。
『見つけた』
キャリーの声がした。
『十三番目の、帰されていない門』
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




