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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
第五章「逆因果のカード使い」
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30/48

第30話「雪の日の昼食会」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 道場へ着く頃には、雪は庭石を白くするほど積もっていた。


「一番乗り!」


 オレは門をくぐるなり、誰も踏んでいない雪へ飛び込んだ。


 足跡が深い。


 女の身体は軽いはずなのに、勢いをつけたぶん膝まで埋まった。


「子どもみたい」


 藍羽が後ろから来る。


「同い年だろ」


「私は雪へ飛び込まない」


「じゃあ何で雪玉を持ってる」


「これは――」


 藍羽の右手に、きれいに丸めた雪玉がある。


「片づけるため」


「どこへ?」


「そこ!」


 顔へ飛んできた。


 首をひねって避ける。


 雪玉は後ろから門を入った先輩の胸へ当たった。


「冷たっ!」


「西能寺先輩、ごめんなさい!」


 藍羽がすぐ頭を下げる。


 先輩は胸の雪を払った。


「如月。決闘だな」


「違います!」


「オレが受けるぞ」


「ハミンは最初から相手だ!」


 雪を掴む。


 先輩も笑いながらしゃがむ。


「予定へありません!」


 門の外で蓮が叫んだ。


「もう腕章ないだろ!」


「腕章がなくても予定はあります!」


 その横を、雪玉が飛んだ。


 蓮の肩へ当たる。


 投げたのはひなただ。


「たまには予定外、やってみたら?」


「水守さんまで……」


 蓮は肩へ残った雪を見た。


 しゃがむ。


 小さな雪玉を作る。


「投げるのか?」と先輩。


「いまから予定に入れます」


「それ、ずるくない?」


 ひなたが逃げる。


 蓮の雪玉はまっすぐ飛び、ひなたの背中へ当たった。


「時任先輩、意外と正確!」


「時計なしでも、この距離なら」


 少し得意そうだ。


 鈴華は門の下へ立ち、黒い和装の袖へ雪がかからないよう一歩下がっていた。


「鈴華も来い!」


「わたくしは見届け役です」


「逃げたな」


「着物の洗浄費をどなたが負担しますか」


「京一」


 鈴華は自分の問いへ即答した。


「何でオレだ!」


 全員の視線が紫苑へ向く。


 門柱にもたれ、呆れた顔で見ていた。


「いつからいたんですか」と藍羽。


「五分前」


「声をかけてくださいよ」


「かけた」


「え?」


「門の前で、『怪しいな』って言った」


 誰も覚えていない。


 当たり前だ。聞いたやつがいない。五分前、オレたちはまだ坂の下だった。


「もう一回言え」


 オレが言うと、紫苑は面倒そうに門を見上げた。


「……怪しいな」


「だろ?」


「そこで意気投合しないで!」


 藍羽の声が坂の下まで響いた。


 ひなたは腕の紫紐を見てから、本人へ目を合わせる。


「霧崎先輩もやります?」


「俺は昼飯を食えと命令されて来た。雪合戦までは条件にない」


「怖いのか?」


 オレが聞く。


「その挑発には乗らない」


 紫苑の肩へ、藍羽の雪玉が当たった。


「ごめんなさい!」


「また外したのか、如月」


「ハミンが避けるからです!」


「原因はどうあれ、結果は俺に当たった」


 紫苑は肩の雪を取った。


 丸める。


「一回だけだ」


 投げた雪玉はオレの顔へ来た。


 避けない。


 額で受ける。


 冷たい雪が一本の三つ編みへ散った。


「おまえ、避けろよ」


「当てたかったんだろ」


「避けると思ったから投げた」


「じゃあ結果が外れたな」


 雪を払って笑う。


 紫苑も笑った。


 それから本気の雪合戦が始まった。


 おっさんが道場の引き戸を開け、庭いっぱいの足跡を見た。


「昼餉の前に腹を減らすとは、よい修行じゃ」


「参加する?」と藍羽。


「わしが投げれば門がなくなる」


「やめてください」


 全員で止めた。


     *


 道場の大広間には、九枚の紙が並んでいた。


 ひなたが作った紙のランチョンマットだ。


 ハミン。


 藍羽。


 ハヨン。


 先輩。


 蓮。


 鈴華。


 紫苑。


 ひなた。


 おっさんの場所だけ、《天道王さん》と丁寧に書かれている。


「私が作ったの」


 ひなたが胸を張った。


「料理じゃなくて紙を?」


「料理は天道王さんと藍羽。私は席を作った」


「席札を作っただけだろ」


「名前を書くのが大事な人もいるでしょ」


 紫苑の前の紙は、ほかより厚い。


 《霧崎紫苑》の文字を紫色の鉛筆で何度もなぞり、上から透明な紙を重ねてある。表の色が消えても、下に深い筆圧が残る。


 左上には小さく、こう書かれていた。


 《ここへ座る人へ、名前を聞く》


 ひなたが一度鍋のほうを見て、紫苑へ戻る。


「名前、教えてください」


「霧崎紫苑」


 ひなたは薄くなった文字をまたなぞった。


「よし」


「何がよしなんだ」


「いまは覚えた」


「すぐ忘れる」


「すぐ聞く」


 紫苑は自分の紙へ指を置いた。


「こんなもの、毎回作る気か?」


「毎回は大変だから、今日は試作品。次は消えにくい方法をハヨンちゃんと考える」


「私は耐光顔料と圧力記録層を提案済み」


 ハヨンが眼鏡を押し上げる。


「普通のランチョンマットへ研究費を使わないで」とひなた。


「必要経費」


「予算申請はわたくしへ」


 鈴華が反射的に言った。


 全員が見る。


「もう会計担当じゃないぞ」と先輩。


「資格は停止されましたが、計算能力まで停止されておりません」


「頼もしい」とおっさん。


「食費に関しましては、特に監査が必要です」


 鈴華がオレとおっさんを見る。


「何で二人だけ見る」


「実績です」


 鍋は三つあった。


 鶏と白菜の塩鍋。辛い赤鍋。肉と根菜を煮た大鍋。


 そのほかに焼き魚、卵焼き、山盛りの白飯。


「これで昼飯か?」


 紫苑が聞く。


「雪の日は身体を温める。修行の一部じゃ」とおっさん。


「その理屈で毎日食べてるぞ」とオレ。


「毎日、身体は温めねばならん」


「正論みたいに言うな」


 全員が席へ着く。


 先輩はオレの隣を狙ったが、今日も藍羽が先に座った。


「如月、その席は指定か?」


「名前が書いてあります」


 本当に《藍羽》と書いてある。


「ひなた、位置を決めたのか」


「揉めると思ったから」


「ならオレの反対側は?」


 そこには《ハヨン》。


「お兄ちゃんの食事量を観測する」


「何で昼飯まで」


「食欲の回復は重要な指標」


 先輩は向かいへ座った。


「見えるからいいか」


「何が?」


「何でもない」


 蓮が自分の席へ工程表を出そうとする。


 ひなたが取り上げた。


「今日は進行表なし」


「鍋を入れる順番があります」


「好きな順で入れて」


「煮え方が変わります」


「それも楽しんで」


 蓮は不安そうに鍋を見た。


「予定外の春菊を入れるぞ」


 オレが大量に掴む。


「待って。量は予定内にしてください」


「結局言うんじゃねえか」


 笑いが広がる。


 紫苑だけ、まだ箸へ触れていない。


「どうした」


「命令の確認だ」


 選塔の小さな赤い環が、紫苑の手首へ残っている。


 《明日一回、ハミンたちと昼食を食べる》


 断ろうとしても、席を立てない。


 軽い命令でも、選択を封じる仕組みだ。


「嫌なら、いま返す」


「勝負の条件を無駄にするのか」


「無駄じゃない。一回来た」


「食べてない」


「じゃあ一口食え。そのあと返す」


「命令?」


「勝者請求の範囲だ」


 紫苑は塩鍋を小皿へ取り、一口食べた。


「うまい」


 おっさんが満足そうに髭を撫でる。


「一回分、ここで終わりだ」


 オレは選択印へ触れた。


「残りを返す。もう立ってもいい」


 赤い環が消えた。


 紫苑の膝が、わずかに動く。


 立てる。


 帰れる。


 視線が戸口へ向いた。


 部屋が静かになる。


 紫苑は箸を置いた。


 腰を浮かせる。


 先輩が何も言わず、紫苑の空いた茶碗へ白飯を山盛りにした。


 どん、と置く。


「何のつもりだ、西能寺」


「おかわり」


「一杯目も食べ終わってない」


「先に結果を置いた」


「原因は?」


「腹が減ってる」


 紫苑は先輩を見る。


 席から立つ。


 茶碗を持つ。


 帰るのかと思った。


 赤鍋の前へ行き、自分で肉を追加した。


 席へ戻る。


「辛いほうがいい」


「残った」とオレ。


「飯が残ってたからだ」


「原因は何でもいい」


「それを俺に言うか」


 紫苑は山盛りの飯を食べ始めた。


 命令の印は、もうない。


 ひなたが鍋を見て、紫紐を見て、紫苑を見る。


「名前、もう一回」


「霧崎紫苑」


「辛い鍋が好き」


「それは覚えなくていい」


「次に席を作る時、必要です」


 紫苑は何も言わず、もう一杯よそった。


 ひなたが紫苑の長い指を見る。


「奇術が得意だって聞きました。カード以外もできるんですか?」


 紫苑が空いた手を返した。何もなかった人差し指の先に小さな火が灯り、瞬きの間に消える。


 ハヨンが端末を向けた。


「法宝反応、零。仕掛けと手技」


「奇術は測らずに見ろ、ハヨン博士」


     *


 委員資格を失っても、三人の癖は変わらなかった。


 先輩は食後の重い鍋をまとめて台所へ運ぶ。


 蓮は洗う順番を勝手に決める。


 鈴華は割れた皿がないか数え、食材費の領収書をおっさんへ求めた。


「領収書?」


「監査の基本です」


「山で採った茸に、紙はない」


「採取場所と概算価格を」


「裏山」


「正確な番地をお願いします」


「山に番地を求めるなよ、鈴華」


 オレが笑う。


「無所属でも厳しいな」


「無所属だからこそ、信用は記録で作ります」


 蓮が洗い場から顔を出す。


「その言葉、監査報告の冒頭へ使っていいですか」


「著作権料を請求します」


「委員会予算は停止中です」


「では貸しに」


「取り立てが怖いな」と先輩。


 洗い物を終えた蓮は、工程表ではなく、鞄から角の擦れた携帯ゲーム機を出した。


「蓮、ゲームやるのか」


「好きだよ。意外?」


「ちょっと」


 ハヨンが白いパーカーの袖を少しまくり、隣へ座る。


「時任さん。対戦」


「受けます。妨害道具はありで」


「運の要素が増える」


「相手が何をするか分からないほうが面白い」


 画面の中で、丸い車が菓子でできた道へ並んだ。開始三秒で、蓮の車は最短線を外れ、拾った妨害道具をハヨンの車へ投げる。


「時任さん、現実より乱暴」


「ゲームですから」


 ハヨンは一周目で全ての曲がり角を記録し、二周目には最短線へぴたりと乗った。蓮の車は最後の曲がり角で抜かれる。


 負けが決まると、蓮はすぐ再戦のボタンを押した。


「もう一度」


「負けず嫌い」


「知っています」


「負けた一戦を、なかったことにするのか?」


 オレが聞くと、蓮は首を横へ振った。


「消えないよ。一敗は一敗。次は、別の一戦です」


 角の擦れたゲーム機を、両手で持ち直す。


「現実では、同じ十秒をやり直せない。ゲームだって、走っている途中の時間は戻らない。でも、相手ももう一度やると選べば、負けたあとに次の一戦を選べる。そこが好きなんだ」


 ハヨンは、自分の端末へ開きかけた走行解析を見た。


 いつもなら、全経路を計算し、蓮が次に使う妨害道具まで確率へする。


 画面を閉じた。


「解析しないのか?」


「しない。解いたら、時任さんが次に何をするか見る前に終わる」


「僕も同じ手は使いません」


「だから、もう一回」


 予定外を嫌う蓮が、画面の中では自分から予定外を増やしていた。


 分からないことを放っておけないハヨンが、分からない相手を解かずに遊び始めた。


 ひなたは濡れたランチョンマットを乾かしている。


 紫苑の紙だけ、名前の色が薄くなっていた。


 ひなたはまた紫鉛筆でなぞる。


「そんなに何度も書いて、疲れないか」


 紫苑が聞く。


「文化祭の看板より小さいから平気」


「俺が来なくなったら?」


「席は片づける」


 紫苑の顔が少し固くなる。


「でも、また来たらまた作る」


「ずっと取っておくとは言わないんだな」


「いない人の席を勝手に残したら、来るかどうかを決められないでしょ」


 ひなたは普通の調子で言った。


「来た日に、本人へ聞く。それでよくない?」


 紫苑は乾きかけの紙へ目を落とした。


「ハミンと似たことを言う」


「それ、褒めてます?」


「半分」


「残り半分は返してください」


 紫苑は小さく笑った。


 オレは食器を二枚持って台所へ行く。


 ハヨンが袖を引いた。


「お兄ちゃん。少し時間」


「皿が先だ」


「洗う。終わったら縁側」


「分かった」


     *


 雪は昼を過ぎても降っていた。


 縁側へ座ると、板の冷たさが朱赤の緋天衣を通る。


 ハヨンは隣へ来た。


 ハヨンが「投薬時の空瓶」と小さく告げる。白雲衣の袖から、小さな透明袋が出た。襟元には黒いインナーが見えている。


 中に、空の薬瓶が入っていた。成分を抜いたガラスの底には、ごく薄い紫色の着色痕だけが残っている。


 あの日、オレへ黙って飲ませた薬。


 恋愛対象を男へ変えるはずだった薬。


「まだ持ってたのか」


「証拠物。成分は抜いてある」


「何の証拠だ」


「私がしたこと」


 ハヨンは瓶を膝へ置いた。


 丸眼鏡を押し上げない。


 赤いリボンにも触れない。


「薬が想定外の作用をしたことを、私は失敗だと言ってきた」


「失敗は失敗だろ」


「それだけじゃない」


「留学中ずっと効かせる設計だった。いつ戻すかまで、お兄ちゃんへ聞かず私が決めていた」


 庭で雪が枝から落ちる。


「私は、お兄ちゃんが女の子を好きなことをトラブルの原因だと決めた。お兄ちゃんが誰を好きになるかを、本人に聞かず変えようとした」


 一言ずつ、専門語へ逃げない。


「恋愛対象は、私が調整していい数値じゃなかった。お兄ちゃんを心配していたことは、本当。でも心配した人に、相手の選択を奪う権利ができるわけじゃない」


「出国前日だけで、約束が三件重なってた」


 ハヨンの指が、赤いリボンの端へ触れる。いつものように数を並べようとして、指先だけが先に震えた。


「私がいない場所で、お兄ちゃんがまた誰かを困らせて、自分も傷つくのが怖かった。知らない国で強い人を見つけたら、止めても行く。連絡が切れたら、私には追いつけない」


 息を一度数えた。でも、次の数字が出てこない。


「正しくしたいって言えば、計算の問題にできた。女の子への約束をなくせば危険も減るって。でも本当は――どうしても、お兄ちゃんを守りたかった。帰ってこなくなるのが、怖かった」


 十二歳の妹の声だった。


「でも、それは理由。許可じゃない。守りたかった相手から、先に選ぶ権利を取った」


 ハヨンは両手を膝へ置いた。


「ごめんなさい、お兄ちゃん」


 出国の日にも、勝手に変えたことを謝られた。今度は、想定外の薬効だけでなく、最初からオレの選択を奪おうとしたことまで、逃げずに言い直した。


 簡単に「いい」と言いたくなかった。


 結果として日本で藍羽たちに会えた。


 女の身体で紅燕歩も無選歩も作った。


 でも楽しいことが増えたからといって、無断で選んだことが正しくなるわけじゃない。


「オレは怒ってる」


「うん」


「男へ戻りたい。教授に奪われる前から、戻りたかった」


「うん」


「格闘の間合いだけじゃない。学校へ行くたび、見た目から説明をやり直した。個室は助かった。でも、みんなの大部屋から一人だけ外れる夜は、楽なのと寂しいのが両方あった」


 ハヨンは空の薬瓶を見る。


「学校が聞くべきことまで、おまえの責任にはしない。個室を選んだのはオレだ。でも、どっちの身体でそこへ行くかを、オレより先に決めたのは、おまえだ」


「うん」


「守るなら、先に聞け」


「聞く」


「いまの身体で勝てることとも、別だ」


「分ける」


 ハヨンの声は小さい。


「治すまで、許さなくていい」


「治したら許せ、って聞こえるぞ」


「違う」


 ハヨンはすぐ顔を上げた。


「治すことを交換条件にしない。戻せなくても、お兄ちゃんが許さなくても、私がしたことは私の責任」


 目が赤くなる。


 泣かないよう、息を数えている。


「次の薬を作る時は、成分の前に同意を確認する。お兄ちゃんが嫌だと言ったら止める」


「オレ以外にもだ」


「全員」


「研究だからって急ぐな」


「急ぐ時ほど聞く」


「断られても、理由を勝手に作るな」


「断られた結果を、そのまま受ける」


 オレは空の薬瓶を持ち上げた。


「捨てるか?」


「お兄ちゃんが決めて」


「またオレへ決めさせるのか」


 ハヨンの肩が固まる。


「冗談だ」


「いま冗談を入れるところ?」


「重かったから」


 袋を返す。


「持っとけ。忘れないために」


「許す?」


「忘れない」


 ハヨンが待つ。


「だから次は聞け。オレが忘れたふりをしても、聞け。嫌だと言ったら止まれ」


「了解」


「それから、オレも紫苑戦でおまえのデータを勝手に賭けた」


「それはお兄ちゃんの責任。私の薬と相殺しない」


「分かってる。次はオレも聞く」


「了解」


 完全に元通りじゃない。


 元通りという言葉そのものが、もう違う気がした。


 失敗する前へ戻ることはできない。


 なら、覚えたまま次を変える。


 それがいま決められることだった。


 ハヨンがリボンの端へ触れる。


「甘いもの、食べたい」


「鍋三杯食ったあとだぞ」


「謝罪は糖を消費する」


「それっぽい理由を作るな」


「プリン、二個ある」


「一個オレのだろ」


「選んで」


「大きいほう」


「聞く前から取ってる」


「これは兄の権利だ」


「保護領域にない」


「選闘するか?」


「食べ終わる」


 ハヨンが立ち上がる。


 さっきより足取りは軽かった。


     *


 プリンを食べる前に、門の呼び鈴が鳴った。


 一回。


 藍羽が玄関へ出る。


「荷物がある。でも誰もいない」


 全員で見に行く。


 雪の上へ、大きな木箱が置かれていた。


 国際便の札。送り主の名前は《ハガン》。配達完了印はあるが、受取人の署名がない。


「父さんだ」


「お父さん?」とハヨン。


「ハガンさんから?」と藍羽。


 箱を持ち上げる。


 重い。


 中には写真が一枚と、折った紙。


 写真は雪山だった。


 岩壁へ十三の輪が重なり、中央だけ黒く開いている。道場床の円に似ているが、線の一部が門の形へ折れていた。


 紙の字は、丸く整っている。


【紙面:十三の輪。開く。行く。】


「来るってことか?」


 ハヨンが紙を裏返す。


 何もない。


「いつ?」


「父さんの紙は短すぎるんだ」


「長く書かれても困るんじゃない?」とひなた。


「白熊の着ぐるみで世界最強だと説明されるほうが困る」


「え?」


「あとで分かる」


 ひなたは嫌な予告をされた顔になる。


 蓮が国際便の札を見た。


「配達業者名がありません。到着時刻も空白です」


「監視映像を見る」


 ハヨンが玄関脇の端末を開く。


 道場の門には、防犯用の小さなカメラがある。昨夜からの映像を早送りする。


 雪が降り始める。


 門の前へ、足跡ができた。


 一つ。


 二つ。


 人間よりずっと大きい。丸い靴底が雪を深く沈める。


 なのに、足跡を作る身体が映っていない。


 次の画面で、木箱だけが胸の高さへ浮いている。


 門が開く。


 箱が中へ入り、雪へ置かれる。


 門が閉じる。


 巨大な足跡だけが道の向こうへ続いた。


「透明人間?」


 ひなたが画面へ顔を近づける。


「違う」とオレ。


「何で分かるの」


「父さんだ」


「ハミンのお父さん、映らないの?」


「いつも白熊だ」


「説明が増えたのに、分からない部分も増えた」


「正常な反応です」と蓮。


 ハヨンが一コマずつ戻す。


「可視光では雪と同化してる、だけじゃない。輪郭抽出も、人型判定も、対象なし。箱と足跡だけを別々の出来事として処理してる」


「紫苑みたいに忘れられる?」


 オレが聞く。


「違う。霧崎さんは撮影結果から人物が抜ける。これは最初から観測対象に入ってない」


「何のためだ」


「分からない」


 ハヨンは、分からないものを分からないと言った。


「お父さんに聞く」


「紙で何文字返ってくるかな」


「質問を短くする」


「そういう問題か?」


 先輩は映像の巨大な足跡を見ていた。


「世界最強って、本当か」


「本当」


「戦ってみたい」


「やめとけ。棒が折れるぞ」


「なら素手で」


「先輩は命を大事にしろ」


「惚れた相手の父親へ挨拶は必要だろ」


「何の話だ」


「そこからか」と紫苑。


 紫苑はいつの間にか木箱の隣へ立っている。


 ひなたが紫紐を見た。


「名前をお願いします」


「霧崎紫苑。辛い鍋が好き」


「覚えてる!」


「それだけか」


「増やしていきます」


 笑いが玄関へ広がった。


 その間も、外の雪は足跡を少しずつ埋めていく。


     *


 夕方。


 監査表の複製を、蓮と鈴華が学園の外部監査室へ送った。先輩は雷綴を道場の武器棚へ置き、教授からの回収信号を警戒している。


 紫苑は帰らなかった。


「命令は終わったぞ」


 オレが言う。


「雪がやむまでいる」


「帰る場所は?」


「結果だけある。場所はその日による」


「客間を使うか?」


「同情ならいらない」


「雪の中で倒れられると片づけが面倒だ」


「それなら一晩借りる」


「原因はあとからでいい」


「それ、便利に使い始めたな」


 庭へ出る。


 昼の足跡はもう消えていた。


 代わりに、庭の中央へ大きな雪の山がある。


 いや。


 雪の山が動いた。


 丸い耳。


 素朴な白熊の顔。


 腹へ太い縫い目。


 頭から足まで白熊の着ぐるみを着た巨漢が、いつの間にか立っている。


 門が開いた音はしなかった。


 気配もなかった。


 あれだけ大きいのに、雪景色の一部として置かれていたみたいだ。


「父さん」


 白熊が右手を上げる。


 声は出さない。


 雪を払う藍羽が振り返った。


「ハガンさん!」


 ハヨンが縁側から走る。


「お父さん。到着予定を送って」


 白熊は左手に持っていた紙を掲げた。


【紙面:送った。】


「《行く》だけでは予定にならない」


 ハヨンが真顔で抗議する。


 父さんはもう一枚、紙を出した。


【紙面:着いた。】


「それは結果!」


 紫苑が吹き出した。


「この親にして、ハミンか」


「どういう意味だ」


 ひなたは白熊を見上げて固まっている。


「えっと……白熊さん?」


 父さんがうなずく。


「ハミンのお父さん、で合ってますか」


 もう一度うなずく。


「世界最強?」


 父さんは少し考えた。


 紙へ何か書く。


【紙面:父。】


 ひなたの肩から力が抜けた。


「そっちを選ぶんだ」


 道場の引き戸が開いた。


 おっさんが縁側へ出てくる。父さんと目が合うと、長い髭の下で笑った。


「久しいのう、ハガン」


 父さんは深く会釈し、おっさんも同じ角度で返した。父さんが紙を一枚掲げる。


【紙面:息子が世話になっている。】


「うむ。よく食い、よく挑む。道場が賑やかになったわい」


「食うのを最初に数えるな!」


 おっさんが庭へ降り、右拳を出す。父さんも白い拳を差し出した。


 二人の拳へ、おっさんの言うオーラ――巡らせた気――が薄くまとわりつく。


 こつん。


 軽く触れただけだった。


 次の瞬間、すさまじい衝撃波が庭の中央を円く走った。気そのものは拳の触れた一点で閉じているのに、押し出された空気が積もった雪を同心円の壁にして舞い上げ、オレたちの髪と袖を一斉に後ろへ引く。


 雪が落ちる。


 二人の足元だけ、きれいな円に地面が出ていた。庭石にも門にも傷一つない。力を庭の中へ閉じたらしい。


「挨拶で衝撃波を出すな!」


「これでも挨拶じゃ」


 父さんも大きくうなずいた。


「二人の挨拶は危険すぎる!」


 先輩はもう目を輝かせている。


「お父上。手合わせを――」


「誰のお父上だ!」


「ハミンのお父上だろ」


「そうだけど、呼び方が近い!」


 父さんが先に紙を出した。


【紙面:あと。】


「受けてもらえる!」


「あと、がいつか書いてないぞ」とオレ。


「結果は置かれた!」


「紫苑の悪い影響が出てるな」


 父さんは全員を見回した。


 先輩、蓮、鈴華の外された腕章。


 紫苑の包帯。


 ハヨンの持つ薬瓶。


 オレの長い赤髪を束ねた、一本の三つ編み。


 何も聞かず、最後の紙を上げる。


【紙面:腹が減った。】


「昼飯、全部食ったぞ」


 父さんがオレを見る。


「何でオレだけ見る!」


 父さんは何も音を出さず、白熊の腹を両手で押さえた。


 それから空になった大鍋と、《腹が減った》の紙を交互に指す。


 おっさんが道場へ戻り、大鍋を持ってくる。


「客人へ一鍋、敗者へ二鍋じゃ」


「まだ先輩と戦ってないだろ!」


 父さんは紙を裏返した。


【紙面:一鍋。足りない。】


「似た者同士が増えた……」


 藍羽が頭を抱える。


 雪の庭へ、笑い声が重なった。


 監視端末の画面では、父さんのいる場所だけ白い庭が続いている。


 人の輪郭は映らない。


 ただ、宙に浮いた紙の《腹が減った》だけが、くっきり残っていた。


エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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