第27話「結果が原因を追いかける」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
「右へ三歩。左手を上げる。しゃがむ」
ひなたが札を読み上げる。
オレは道場の中央で右へ一歩進み、二歩目に左へ曲がった。手は上げず、そのまま転がる。
藍羽の蹴りが頭上を通った。
「いま右へ三歩って言ったでしょ!」
「途中で変えた」
「私の攻撃を見てからじゃない?」
「見てない」
「嘘」
「本当だ。おまえが来る前に転がろうと思った」
「それも先に決めてるじゃない」
「難しいな」
床へ寝たまま考える。
紫苑の札は、結果を先へ置く。
オレが右へ行くと決めれば、右で転ばせる原因を拾われる。左拳を打つと決めれば、その拳が外れる道を引かれる。
だったら、何も決めなければいい。
そう思ったが、人間は何も決めずには動けない。立つと決め、息を吸うと決め、相手へ近づくと決める。頭を空にしようとした瞬間、《頭を空にする》という一つの予定ができる。
「次」
起き上がる。
ひなたが箱から別の札を引いた。
「赤い布を取って、円を一周して、藍羽の肩へ置く」
道場の隅に赤い布がある。
走る。
一歩目で布を取らない。足で蹴り上げる。
布が宙へ舞う。
藍羽が予告なく右拳を出した。
避ける方法を決めない。
拳が頬へ触れる直前、その腕の外側へ掌を当てる。押された方向を感じてから、腰を回す。
身体が左へ抜けた。
落ちてきた布を肩で受け、回転の続きで藍羽へ近づく。
布は手で取らず、藍羽の頭へかかった。
「肩じゃない!」
「似たようなもんだ」
「全然違う!」
布の下から蹴りが来る。
今度も触れてから方向を選ぶ。
脛を前腕で受け、押し返さず、円の内側へ小さく回った。
「いまの!」
藍羽が布を外す。
「先に避け方を決めてなかった」
「当たってから決めた」
「当たる前!」
「似たようなもんだ」
「格闘では全然違う!」
道場の端でハヨンが端末へ記録している。
「接触から方向決定まで〇・〇八秒。事前筋収縮が減ってる」
「使えるか?」
「反応は遅くなる。でも選択肢の残数は増える」
「言い方が委員会っぽいぞ」
「数字を正確に言っただけ」
ひなたは読み終えた札を山へ戻した。
「私、これ必要?」
「必要だ」とオレ。
「私が読むより、機械で無作為に出せばいいんじゃない?」
「機械の乱数は偏りを計算できる」とハヨン。
「私だって癖くらいあるよ」
「水守さんは、途中で気が変わる」
「褒めてる?」
「最高に予測しづらい」
「褒めてないね」
ひなたは次の札を引こうとして、やめた。
「やっぱり今日は終わり」
「何で?」
「途中で気が変わった」
「いいな!」
「そう言われると腹が立つ」
藍羽が笑う。
オレも笑った。
勝負の話で、ちゃんと笑えた。
*
学校へ向かう坂道で、ハヨンが隣を歩いた。
大きめの白いパーカー。襟元の黒いインナー。丸眼鏡。淡い銀髪を片側で束ねた赤いリボンが、歩くたびに揺れる。十二歳なのに大学部の研究許可証を首から下げているせいで、遠足中の子どもが研究者の真似をしているようにも見えた。
「流出データと同じ帯域が、昨夜、学校側から返ってきた」
「返ってきた?」
「反射波。誰かがHF―001の三十秒を、選塔へ入力した」
「紫苑か」
「霧崎さんの札だけなら出力が小さすぎる。もっと大きい装置」
「目黒教授」
ハヨンは肯定しなかった。
否定もしない。
「オレが渡したせいだな」
「原因の一つ」
「慰めなくていいぞ」
「慰めてない。私の観測器がデータを作った。霧崎さんが複製した。お兄ちゃんが条件へ同意した。使った誰かがいる。一つだけにすると、ほかが次も同じことをする」
「でもオレの分は消えない」
「消さなくていい」
ハヨンはリボンの端へ触れた。
「私の薬も同じだった」
「何が」
「先に《お兄ちゃんが男を好きになる》という結果を決めた。本人へ聞かず、身体という原因をあとから従わせようとした」
ハヨンは一度息を吸った。
「しかも、留学中ずっと効く予定で作った。元へ戻す時期まで、私が勝手に決めた」
「いまは、その戻る時期すら分からない」
「うん。事故で身体相へ作用したあと、予定していた期限は意味を失った」
足を止める。
ハヨンも二歩先で止まった。
「まだ説明の途中」
「聞いてる」
「薬効が間違っていたことだけが失敗じゃない。結果を決める権利が私にあると思ったことが――」
最後まで言わず、眼鏡を押し上げる。
「いまは、事故対策を先にする」
「逃げた?」
「保留。言葉にして終わった気になると危険」
「面倒な妹だな」
「お兄ちゃんに言われたくない」
また歩き出す。
道場から学校までの坂は、前より短く感じた。
*
最初の結果は、雨だった。
昼休み。冬晴れの中庭で、ひなたの制服が突然濡れた。
「冷たっ!」
頭から水をかぶったみたいに髪が頬へ張りつき、ノートへ大きな染みが広がる。
空は青い。
噴水もない。
「誰か水を投げた?」
周りの生徒が見回す。
オレには、紫苑戦と同じ二重の感触があった。
濡れた結果だけが、先にある。
「数えろ!」
ひなたの腕を引き、軒下へ走る。
「何を?」
「いいから!」
一、二、三。
四拍目で日が陰った。
五拍目。真上へ小さな黒い雲が生まれる。
六。
七。
八拍目。
雨が落ちた。
中庭の一角だけへ、夏みたいな大粒の雨が叩きつける。ひなたの濡れた制服へ、原因が追いついた。
「走って!」
校舎側から藍羽が叫んだ。
音は、そのあとに来た。
がしゃん。
二階の窓が、すでに割れている。
ガラス片が陽の中へ飛び出し、その下にいた生徒たちがようやく見上げる。
「伏せろ!」
先輩の棒が横から入った。
電撃は使わない。長い棒で落下するガラスの向きを変え、校舎の壁へ散らす。
オレと藍羽は生徒二人を軒下へ引き込んだ。
割れた窓の向こうに、まだ原因がない。
「一!」
蓮が校庭から時計を見ている。懐中時計ではなく、普通の計測器だ。
「二、三!」
体育の授業で使っていたボールが、地面から跳ね上がった。
「四!」
誰かが蹴ったわけじゃない。さっき生徒の足へ当たった反動が、いま遅れて始まったように転がる。
「五、六!」
ボールが階段を上り、廊下へ入る。
「七!」
割れた窓へ向かう。
「八!」
窓枠を打った。
破砕音がもう一度、最初の音へ重なった。
「八拍」
ハヨンが軒下で端末を構えていた。
「霧崎さんの札と同じ」
「紫苑がやったのか?」
「一枚の札で二つの結果は置けない。雨と窓が同時。違う」
「じゃあ、複製したやつか」
校内放送のスピーカーが鳴る。
チャイムじゃない。
低い一定音。
「選闘開始記録なし!」
蓮が言う。
「時間停止もありません。これは正式選闘ではない。全員、現実時間のままです!」
その言葉へ重なるように、廊下で二人の生徒が頭を下げた。
「ごめん!」
「こっちこそ、ごめん!」
二人とも、何に謝ったのか分からない顔をしている。
三拍目。
一人の鞄から教科書が落ちた。
四拍目。もう一人の靴へ当たる。
「わざとだろ」
「違う」
五拍目で声が荒くなる。
謝罪という結果へ、喧嘩の原因が追いつこうとしている。
「止まってください」
鈴華の鈴が鳴った。
大きな幻は出さない。二人の間へ、白い一本の線だけを見せる。
「いま感じている怒りは、あなた方が最初に選んだものではありません」
「心を読んだのか?」とオレ。
「いいえ。謝罪の時点では、二人とも相手を心配していました。鈴へ触れた像と、いまの像が違いすぎます」
鈴華は二人へ別々の方向を指した。
「八つ数え終わるまで、線を越えないでください」
二人は戸惑いながら離れた。
八拍目。
教科書を踏んだ生徒の足が滑る。
けれど喧嘩相手は、反射的にその腕を掴んだ。
原因はできた。
結果だけが変わった。
「謝ったなら、もう喧嘩は終わりでいいだろ」
支えられた生徒が言う。
「うん」
逆因果が、二人の選択を最後までは奪えなかった。
*
事故は校舎の北側へ広がった。
転ぶ前に膝を擦りむいた生徒。
答える前に赤い丸がついた答案。
倒れる前から床へ散っている本。
どれも八拍以内に、原因が追いかけてくる。
「中等部は南階段へ!」
ひなたが濡れたまま誘導札を持った。
「走らない! 名前を呼ばれた順に移動! 欠けてる人がいたら言って!」
「ひなた、着替えろ!」
「全員出してから!」
「風邪引くぞ!」
「普通の風邪ならあとで治せる!」
普通の生徒にしか言えない判断だった。
力がないから、置き去りの数を数える。
オレたちは北廊下へ走った。
蓮がすべての結果と原因へ時刻をつける。
「窓、十二時五十九分四秒。原因、十二時五十九分十二秒。雨、十二時五十八分四十七秒。原因、五十五秒」
「全部八秒?」
「拍です。現象ごとに〇・七秒から一・二秒の差があります」
「紫苑の呼吸に合わせてたからか」
「今回は学校側の人の呼吸を拾っている」
ハヨンが画面を見せる。
文化祭で流出した三十秒の波形。それが校内の何百人もの拍へ引き伸ばされている。
「私のデータが、結果を先に固定する足場に使われてる」
「止められるか」
「原因が一つなら強い。霧崎さんと同じなら、増やす」
「何を?」
「原因」
廊下の先で、展示用の大きなガラス棚が砕けた。
まだ砕けていない棚へ、砕けた像が重なっている。
中には体育祭の優勝杯と、文化祭の模型。真下に避難の遅れた一年生が三人いる。
「結果が来る!」
オレは走った。
未来の破片が先に頬をかすめる。まだ傷はない。
一拍。
一年生を藍羽のほうへ押す。
「任せて!」
二拍。
藍羽が三人を抱えるように廊下の角へ運ぶ。
三拍。
ガラス棚の脚を見る。左が緩んでいる。横には清掃用の台車。天井では換気扇が強く回り始めた。
原因の候補が三つある。
だが、放っておけば札は一番近い一つを選ぶ。
「先輩、左脚を棒で押せ!」
「壊すのか?」
「壊さない。押すだけ!」
四拍。
先輩の棒が左から触れる。
「藍羽、反対から引け!」
「倒れるでしょ!」
「倒さないくらい!」
五拍。
藍羽が気を纏った指で右側を引く。
オレは台車を棚の正面へ転がし、寸前で止める。
六拍。
左脚が原因か。
右への力か。
台車の衝突か。
換気扇の振動か。
ガラスへ重なった結果が明滅する。
七拍。
赤い文字が空中へ浮いた。
《展示棚が砕ける》
文字が四方向へ引かれ、どれも薄くなる。
「八!」
結果が反転した。
未来の破砕音が吸い込まれる。
頬をかすめたはずの傷が消えた。
ガラス棚は、揺れながらも立っている。
「原因を一つに決められなかった」
ハヨンが言う。
「戻ったぞ!」
「小さい結果だから。人へ直接大きな傷を置くのは、そもそも保護で失敗する」
「じゃあ全部、原因を増やせばいい」
「学校全部で何件あると思ってるの」
もっともだった。
「元を止めます」
蓮が校内図を開く。
「反射波の中心は旧天文塔。一階の基準機です」
「正式選闘じゃないなら、みんなで行けるな」
「行けます。ただし現実時間です。けがも疲労も戻りません」
「いつも戻らないだろ」
「確認です」
鈴華が避難する生徒の最後尾を見た。
「水守さんが全員を南棟へ移しました」
「なら走るぞ」
*
基準機は、塔の一階で逆さに動いていた。
針が左へ回り、紙が印刷口へ吸い込まれ、赤い文字だけが空中へ残る。
「HF―001の帯域を切る」
ハヨンが端末を接続する。
「お兄ちゃん、鼻歌。文化祭と同じ基準」
「分かった」
低く鳴らす。
藍羽が違う高さを重ねる。
先輩は棒で機械の振動を床へ逃がし、蓮は暴れる針の流れを五分の四まで落とす。完全には止めない。鈴華の鈴が、機械の偽の警報を本当の音から分ける。
全員の音が違う。
だから一つの原因へ固まらない。
ハヨンが接続を切った。
針が止まる。
校内の低音も消えた。
「終わり?」
藍羽が聞く。
「新しい結果の発生は止まった。もう置かれたものは八拍待つ」
全員で八つ数えた。
何も起きなかった。
蓮が基準機の記録板を外す。
裏側へ、赤い認証線があった。
「教授権限」と先輩。
「自動認証かもしれません」
蓮はそう言いながら、線を隠さなかった。
「今回は目黒教授へ先に報告しない」
オレが言う。
三人がこちらを見る。
「原因を一つにするな。教授が使ったか、誰かが権限を盗んだか、機械が勝手に動いたか。全部残して調べろ」
「あなたに言われなくても」と蓮。
少しだけ、笑う。
「同意します。顧問への報告前に、委員会の内部監査記録として複写します」
鈴華が鈴を一度鳴らした。
「わたくしも、原本の声を保存します」
「オレは?」と先輩。
「機械を壊していない証人です」
「重要だな」
「普段の行いのためです」
「ひどくないか?」
こんな時でも、三人のやり取りは変わらない。
ただし立つ場所は変わり始めていた。
教授の説明を待つ生徒から、自分たちで記録を比べる監査者へ。
*
夕方、屋上のフェンスへ紫苑が座っていた。
「落ちるぞ」
「俺が落ちる結果は置いてない」
「普通に落ちる可能性は残るだろ」
襟を掴んで内側へ下ろす。
「過保護だな」
「目の前で落ちられると寝覚めが悪い」
紫苑の前へ、破られていない札が一枚ある。
「今日の事故、おまえじゃないな」
「俺なら二十二件で終わる。学校全部へばらまくほど安くない」
「データを渡した先は」
「教授だ」
「使うと知ってた?」
「試験には使うと言われた。あんなふうに生徒へ出すとは聞いてない」
「信じる?」
「信じたい原因が減った」
紫苑は札をこちらへ滑らせた。
表は空白。
裏に、選闘の日時だけがある。
「再戦状か」
「俺の札を一枚も使わず、今日の結果を壊した」
「みんなでな」
「正式選闘では一人だ」
「分かってる」
「次は、俺が負ける結果も置いてみろ」
「おまえが自分で書くのか?」
「それじゃ俺の勝ちだ。おまえが原因を作れ」
札を取る。
胸が熱くなる。
今度は、その熱だけで条件を選ばない。
「賭けはあとで決める。ハヨンにも話す」
紫苑が眉を上げた。
「学習したな」
「負けたものを持って帰った」
「なら、次は俺から何を持っていく?」
「昼飯代」
「帰還枝は?」
「情報は、勝って無理やり吐かせるより、自分で話したくさせる」
「できると思うか?」
「原因はあとで作る」
紫苑は声を立てて笑った。
その笑いだけは、結果より先じゃなかった。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




