第22話「教授の赤い添削」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
洞窟から全員で帰ったのに、研修はそこで終わらなかった。
終わってくれなかった、と言うほうが正しい。
午後三時。
旧観測所の見学は中止。全生徒は研修館へ戻り、点呼後は屋内待機。帰りの船を一便早められるか、蓮が港と連絡を取っていた。
「低気圧の影響で、明朝までは動かせません」
管理室の受話器を置く。
「今日中に帰る予定は?」
「最初からありません」
「なら予定どおりだな」
「施設異常がなければ、です」
蓮は机へ工程表を広げた。洞窟で酸欠になった手はまだ少し震えている。それでも、生徒の避難、食事、教員の配置、夜間見回りを一枚ずつ並べていた。
「寝ろ」と言う。
「あとで」
「昨日も聞いた」
「今日は本当にあとでです」
「その言葉も昨日聞いた」
角砂糖を一つ、工程表の上へ置く。
「紙が汚れます」
「食えば汚れない」
蓮は諦めたように砂糖を口へ入れた。
管理室には、オレたち七人が集まっていた。
ひなたは各班の点呼表。藍羽は地下で擦った両手へ包帯。先輩の棒は中央を布と添え木で固定してある。鈴華は洞窟の声を記録するため、帳簿を開いたまま目を閉じていた。
ハヨンは写真をもう一度解析している。
「文字が変わった」
端末をこちらへ向ける。
欄外にあった『片方を選択』が消えていた。
代わりに、赤い文字。
『校正対象、地下へ移行』
「地下って、さっきの洞窟?」
藍羽が立つ。
「波形はもっと深い」とハヨン。「第一保守室の下。図面にはない」
「行くなって書いてるようにも見える」とひなた。
「逆だ。行かせたいんだろ」
オレが言うと、先輩がうなずいた。
「なら、なおさら全員では行かない。ここを守る人間が必要だ」
「委員会らしいこと言うな」
「委員会だからな」
「オレも補助員だ」
「ハミンは行く気しかない顔だろ」
「顔を読むな」
「オレは読める」
目黒教授を呼ぶべきだ。
そう決めた時、観測所の方向から鐘が鳴った。
逆向きじゃない。
低く、重い普通の鐘。
なのに音が届くたび、机の上の物が別の場所へ移る。角砂糖が蓮の口から包装へ戻り、開いた帳簿が閉じ、ハヨンの端末がまだ電源を入れる前の画面になった。
「全員、触った物から手を離して!」
ハヨンが叫ぶ。
二度目の鐘。
挑戦印も、相互請求も、受諾もない。時間も止まっていない。これは正式選闘ではない。
管理室の壁へ、白い手が生えた。
紙でできた指。
続いて肩、頭、胴。
胸に赤い文字。
『洞窟へ行かなかった』
選択殻が壁から抜け出した。
一体ではない。
廊下の壁、床、窓に映る海。あらゆる平面から白い人影が起き上がる。
「ひなた、生徒を食堂へ!」
「分かった!」
ひなたは質問しなかった。点呼表をつかみ、廊下へ出る。
「各班長、前から二列! 窓と壁に触らないで!」
普通の声が、混乱の中をまっすぐ通る。
オレと藍羽は管理室の入口へ立った。
「ここは通さない」
「競争な」と言う。
「こんな時まで?」
「多く倒したほうが勝ち」
「倒しても戻るでしょ」
「戻らない倒し方を見つけたほうが勝ち」
「それなら乗る」
白い影が来る。
藍羽の掌打が胸を抜き、紙を散らす。オレは紅燕歩で低く入り、二体の脚をまとめて払った。
紙片は床へ落ちる。
文字が裏返る。
『洞窟で三人を選んだ』
散った紙が二体へ増えた。
「増えた!」
「藍羽、一対二で負けるなよ」
「そっちこそ!」
先輩の棒が頭上を通る。
曲がっていても、棒術の軌道は曲がらない。白い腕を払い、選択殻を壁から離す。
「蓮、出口は!」
「生徒は東階段! 食堂の壁面が少ない!」
「鈴華、声で誘導を!」
「一人ずつ順に送って、三分までです」
鈴が鳴る。
〈全員、走らず食堂へ。廊下中央を進んでください〉
頭の中へ落ち着いた声。一人へ届くたび、鈴の印が次の一人へ移る。同時放送ではない。鈴華が百人以上へ一人ずつ、同じ言葉を渡し続けている。
同時に鈴華の肩が揺れる。逃げる百人以上の恐怖を、鈴が拾ってしまう。
「二分で切れ!」
「避難完了まで」
「倒れたら会計できないぞ!」
「それは困ります」
少し笑い、鈴華は音を保った。
ハヨンが選択殻へ測定光を当てる。
「中心は観測所。ここで壊しても、地下の記述から再出力される」
「地下へ行けば止められる?」
「可能性は高い」
「なら行く」
「お兄ちゃん、いまは――」
廊下の向こうで、赤い線が走った。
こちらへ飛びかかろうとした選択殻の胸へ、斜めに一本。
『食堂へ向かう』
文字が消える。
白い影は足を踏み出せず、その場で紙へ戻った。
目黒教授が歩いてくる。
紫のスーツ。薄いサングラス。右手の赤ペン。
「避難を続けなさい。ここは私が校正する」
「目黒教授!」
「ハミンくん、如月くん。次は右から三体」
まだ壁の中にいた三体へ、赤いペンが動く。
一体目の胸に『殴る』。
二体目へ『つかむ』。
三体目へ『回り込む』。
その文字へ、それぞれ赤線を引いた。
三体は壁から出た。
攻撃しない。
腕を上げかけ、下ろす。足を回しかけ、止まる。
目黒教授はペンを閉じた。
短い金属音。
赤ペンの軸が伸び、黒い短杖になった。
一歩。
最初の影の喉へ先端。
返す動きで二体目の膝。
杖の中央を持ち替え、三体目の脇へ滑り込む。
紙の身体が同時に崩れた。
今度は増えない。
「すげえ」
「教授、そのペンは法宝なのか?」
「いいや。これは法宝ではないよ」
「じゃあ、何だ?」
「その答えは、次の授業で扱おう。いまは避難を優先しなさい、ハミンくん」
教授が戦えることは知っていた。
先輩の棒を片手で受けたのも見た。
それでも、授業中と同じ立ち方のまま三体を倒す姿は、おっさんとは別の異様さがあった。
おっさんは、相手が出した力を円の中へ受ける。
目黒教授は、力が出る前に道を消す。
「赤線を引くたび、何か燃えてる」とハヨン。
廊下の窓へ、半透明の栞が一枚浮かんだ。
端から赤く燃え、灰も残さず消える。
もう一体。
教授が動きを消す。
もう一枚、選片が燃える。
「委員会の保管選片です」と鈴華。
鈴を止めた顔が青い。
「声が一つずつ消えています」
「緊急時の残響鎮圧には、保管選片を使える」と目黒教授。「放置すれば、生徒へ触れてもっと大きな枝を奪う」
「承認記録は?」と蓮。
「顧問緊急枠だ。あとで私が記載する」
答えながら、三本の赤線。
三枚が燃える。
「教授、候補を消してるのか」
「よく見ているね」
「未来を読んでるんじゃない。あいつらが次にやろうとしたことへ線を引いてる」
「読むだけなら、外れることがある。選ばないよう校正すれば、外れない」
「オレにもできる?」
「試してみるかい」
目黒教授は、戦いの最中なのに授業の質問へ答える顔をした。
選択殻が一体、二人の間へ来る。
オレは右から入るふりをして左へ回る。
そう考えた。
足が動かない。
右にも左にも。
赤い線が、床へ二本引かれていた。
行こうと考えた道の上に。
「何だ、これ」
選択殻の腕が迫る。
身体だけが動かない。
目黒教授の短杖が横から入り、白い手をそらした。
「考えた候補は、選択になる一歩前でも観測できる」
杖が影の胸を打つ。
「いまの君は、右を囮に左を選んだ。だから二本とも欄外へ出した」
「欄外?」
「本文へ書く前の候補を消す。欄外校正、と私は呼んでいる」
足が動くようになる。
窓で、二枚の選片が燃えた。
「オレ相手にも燃料がいるのか」
「一候補につき一片。安くはないよ」
「じゃあ候補を百個出せば勝てる」
「君が同時に百通りを本気で選べるならね」
目黒教授が笑う。
簡単に勝てる気はしなかった。
それが、少し面白かった。
この時までは。
食堂側から、ひなたが戻ってきた。
中等部の男子を一人、手を引かずに連れている。男子は廊下の途中で立ち止まり、左右の扉を見比べていた。
「どうした!」
「二つとも食堂に見えるって」
実際、右も左も同じ明るい食堂へ続いている。中の生徒、机の位置、窓の海まで同じだった。
『右なら助かる』
『左なら皆が助かる』
二つの扉から男子の声が流れる。
「教授、消せるか?」
「一方を校正すれば迷わず進める」
目黒教授が短杖を上げる。
「待って」とひなた。
男子の横へしゃがむ。
「どっちが本物か分からないよね」
男子がうなずく。
「じゃあ、ここで待ってていい。私が両方見てくるから」
「でも、早く行かないと」
「急いで間違えるより、二十秒待とう。待つのも選べるよ」
ひなたは右の扉へ手を入れた。腕が鏡像みたいに二本へ増える。
すぐ引く。
次に左。こちらは普通だ。
「左は床が続いてる。右は見えるだけ」
「じゃあ左」
男子が自分で言った。
左へ一歩入る。
右の食堂が、水の像みたいに崩れた。
「走らなくていいよ。奥の教授までまっすぐ」
「ありがとう、水守先輩」
男子が避難していく。
ひなたは目黒教授の短杖を見た。
「消すほうが早かったかもしれません。でも、あの子が次に二つ見た時、教授がいないかもしれないから」
「良い判断だ、水守くん」
目黒教授は本心から褒めているように聞こえた。
それでも短杖は下ろさない。
ハヨンが選片の燃焼数を端末へ出した。
「いままで十四件」
「選択殻を十四体止めた」と目黒教授。
「十四人が選べなくなった記録を燃やした」
「放置すれば、ここにいる百二十人へ増えた」
「だから正しい?」
「少なくとも、必要だ」
鈴華が窓へ残った空の場所を見た。
「十四の声は、もう聞こえません」
「持ち主の選択封鎖も消えたのか?」
「いいえ。保管記録だけが消費され、封鎖は原典側へ残っています」
「じゃあ返せない」
「同量の余白があれば再構成できる」と目黒教授。
「その余白も誰かから集めるんですか」と蓮。
「今は生徒を守るほうが先だ」
また正しい言葉で、答えが後ろへ送られる。
先輩が避難路と観測所を見比べた。
「水守。ここは任せられるか」
「任せて。全員の点呼が終わるまで動かない」
「危なければ逃げろ」
「西能寺先輩も」
「オレは危ないほうへ行く担当だ」
「戻るまでが担当です」
ひなたの言葉に、先輩は一度だけ笑った。
*
選択殻を追い、観測所へ戻った。
地上の生徒は研修館へ避難済み。ひなたが最後尾を確認し、管理職員と一緒に港側へ残った。
観測所へ入るのは、オレ、藍羽、ハヨン、委員会三人、目黒教授。
目紋の窓が内側から赤く光っている。
「先ほどの洞窟が再展開する可能性があります」と蓮。
「今度は私がいる。六人を三人へは分けさせないよ」
「教授が起動したんじゃないよな」
聞くと、目黒教授は足を止めなかった。
「なぜ、そう思う?」
「助けに来るのが早すぎた。教授は、オレたちがどの扉から出るか知ってたみたいだった」
「施設の非常路図を見ていたからだ」
「図面に洞窟はないって言った」
「保守室までの道はある」
嘘ではない。
答えにもなっていない。
地下へ下りる。
第一保守室の壁は、赤い線で四角く囲まれていた。
目黒教授が短杖の先で中央へ点を打つ。
壁が頁みたいにめくれる。
その先に、洞窟より広い空間があった。
床は黒い水。
歩くたび波紋が広がるのに、靴は沈まない。天井は見えず、白い扉が何十枚も浮いている。扉の隙間から選択殻が次々落ちていた。
「ここが最深部」とハヨン。
「観測核へ接続する地上端末だ」と目黒教授。
「何の観測核?」
「まだ説明してなかったね」
教授の短杖が、飛びかかる影を受ける。
今度は赤線を引かない。
杖と紙の腕がぶつかる。教授は半歩下がり、相手の肘へ杖を絡め、足を払う。
きれいな体術だ。
管理権限がなくても強い。
先輩が反対側へ入る。曲がった棒と短杖が一瞬だけ交差し、二人は言葉なしに軌道を分けた。
「教授、右を!」
「任せよう、西能寺くん」
先輩が三体を抑える。藍羽とオレが左。蓮は扉の落下間隔を測り、鈴華が選択殻の残響を空の扉へ誘導する。ハヨンは水面へ端末を当てた。
文化祭より、昨日の道より、連携は速い。
敵がどれだけ増えても、七人でなら止められる。
目黒教授の短杖から赤線が水面へ走った。
黒い水が、鏡になる。
長い黒髪が浮かんだ。
『総司』
キャリーを写した観測像の声。
目黒教授の短杖が止まった。
『また、私の言葉を切るの? ……あら、「また」は次の記録だったわ。参照を一つ飛ばした』
「通信が選択殻を流入させている。閉じてください、先生」
『違う。あなたが開いた剪定路から、捨てた候補が落ちているのよ』
「閉じれば同じだ」
『同じではない』
水面の観測像は、目黒教授だけを見た。
『原型は、あの日ここへ私を残すと選んだ』
黒い水の下に、巨大な青い影が映る。
建物か、街か。遠すぎて分からない。
『あなたが選び直す権利ではない』
目黒教授の顔から、笑みが消えた。
声は荒くならない。
それでも、短杖を持つ右手の指が白くなるほど握られていた。
「観測像を残すと選んだのは、他に方法がないと思ったからでしょう」
『それでも原型の選択よ。私は本人ではないけれど、その判断を託された』
「間違った選択を、弟子が直してはいけませんか」
『原型が方法を教えた。目的を選んだのはあなた。代価を払う人を、さらに勝手に選んだのも』
鈴華の鈴が激しく鳴る。
「この声……文化祭だけではありません。わたくしの鈴の奥で、ずっと」
『閑崎。その鈴は聞くためのもの。消すためではない』
「キャリー先生」
目黒教授が水へ短杖を向ける。
「あなたの記録は混線している。これ以上、生徒を迷わせないでください」
『迷うことを奪わないで、総司』
赤線が水面を横切った。
キャリーの観測像が上下に分かれる。
青緑の目だけが最後まで残った。
『その子の月まで――』
水が黒へ戻る。
「何をする!」
オレは目黒教授の手首をつかんだ。
教授は振りほどかなかった。
「危険な通信を切った」
「観測像は話してた」
「観測像の言葉が、先生の残留意識だけの意思だという保証はない」
「都合の悪いところだけ消したように見えたぞ」
「そう見えるだろうね」
目黒教授はオレの手を見下ろす。
「ここまで来たなら、説明を続けよう」
短杖が元の赤ペンへ縮む。
「私は、アトランティスの出身だ」
選択殻が止まった。
白い扉の途中で、全て固まる。
ハヨンが教授の顔を見た。
「崩壊記録を、その場で見た?」
「見たよ」
「測っていい?」
「非接触なら」
白雲衣の袖から、小さな観測板が出た。
緑の線が教授の全身を一度だけなぞる。
「体温、心拍、細胞代謝は普通。見た目も生体年齢も三十歳前後。でも、経年方向の波形だけ読めない」
「質問は?」
「目黒教授は、どうやって今まで生きたの」
「私自身の選択も一件、預けている」
「誰に」
「暫定管理者としての私に。詳細は、いまは開示しない」
「保留する。忘れない」
「キャリー先生の弟子として、魔械文書を学んだ。彼女の基礎設計を使い、星環学園の選塔、選闘、委員会の三法宝を現在の形へ組み直した」
「崩壊記録の中で、先生の身体は光へ消えた。私はあれを、先生の死として見た。残った自律観測像には、崩壊時の意識が混ざっている。完全な形へ戻すには、失われた都市ごと再構成するしかない」
先輩が自分の棒を見る。
蓮は懐中時計。
鈴華は鈴。
「教授が全部……」と先輩。
「必要だったからだ。危険な争いを隔離し、選ばれなかった力を散らさず集める場所が」
「では、レベル2台帳の赤い処理線も、レベル3承認欄の空白も偶然ではないのですね」と蓮。
一般生徒へ公開されているのは、昼食や一度の行動みたいな軽微選択を扱うレベル1だけだ。
部活を続ける、一定区画へ入らない、誰かとの接触を一学期間だけ制限する。そうした厳しい条件選択を扱うレベル2は、生徒へ知らせず、委員会と顧問だけで管理してきた。さらに上に、人生の幹へ触れ得るレベル3があることも、三人は承認規約の名前だけは知っていた。
だが、何をどう奪えるのか。どこから起動できるのか。その実装を教授は見せていなかった。
「何のために集めたんです」と蓮。
「キャリー先生が残した意識と、彼女と共に止まったものを救うため」
「止まったもの?」
「今は、それ以上を正確に見せられない。中途半端な像は、あの観測像の通信と同じ誤解を生む」
先を隠している。
でも、隠していることは認めた。
「生徒の選択を燃やして?」
ハヨンが聞く。
「小さな選択は、使われず残響になれば本人も周囲も傷つける。適切に集め、大きな救済へ変える。失ったものより救えるものが大きいなら、私はその計算を引き受ける」
「持ち主へ聞かずに?」
「一つずつ聞けば、間に合わない」
「それを勝手って言うんだろ」
オレが言う。
目黒教授は否定しなかった。
「そう呼ばれることも、引き受けるよ」
先輩が一歩出た。
「教授。オレの雷綴も、燃料を集めるために渡したのか」
「君の生来の帯電が成長とともに手に余った時、まず気の流れを整えた。雷綴を渡したのは、その後も余る電気を人へ向けず逃がすためが第一だ。その戦闘気が保存に役立つことも事実だ」
「オレを助けたのは」
「嘘ではない」
答えが速い。
先輩は棒を下ろせなかった。向けることもできなかった。
蓮が台帳を開く。
「体育祭と文化祭の記録を、処理済みとした理由は?」
表向きは記録の欠落を問う言葉だった。だが、開いた頁はレベル2の秘匿台帳と、存在しか知らされていないレベル3の承認索引を重ねている。
「君たちが余計な危険へ入らないため」
「僕たちはレベル2を知り、一般生徒へ伏せたまま運用もしました。その責任は僕たちにあります。ですが、レベル3の実装まで隠されたまま、危険の入口へ立たされることへ同意はしていません」
「それは私の判断ミスだ。謝ろう」
「謝罪では記録が埋まりません」
「帰校後、必要な範囲を開示する」
「必要な範囲を決めるのも教授ですか」
蓮の声は震えていない。
目黒教授は少し目を細めた。
「成長したね、時任くん」
「答えになっていません」
鈴華は鈴を胸元へ持ったまま、二人を見ている。
「鈴華は?」
聞くと、ゆっくり口を開いた。
「教授は、わたくしへ鈴をくださった。聞こえすぎる声を整理し、眠れるようにしてくださいました。その恩は、いま消えません」
「うん」
「同時に、この鈴で声を消していたのだとすれば、知らなければなりません」
「わたくしも、条件選択を必要な秘密だと判断し、レベル2の支出を記帳しました。守るためだったという言葉だけで、その責任を教授へお返しするつもりはありません」
目黒教授が三人を見る。
「私は君たちへ、ここで盲目的な忠誠を求めない」
「さっき忠誠を求めるって顔だったぞ」
「また顔を読んだのかい」
「教授のは少し読めるようになった」
「なら言葉にしよう。私の計画には、三人の法宝と信頼が必要だ。私が救おうとするものを見せた時、それでも支えるか、自分で選んでほしい」
文化祭では、教授も崩れかけた会場へ残った。先輩たちと同じように生徒を避難させ、オレたちの無茶を叱り、それでも最後まで一緒に幕を下ろした。
三人がすぐ棒や時計や鈴を向けられないのは、恩だけのせいじゃない。敵だと思っていたオレと行事を作るうちに育った情も、その時間を見守った教授への信頼も、どちらも本物だったからだ。
「選ぶまで、何をする」
「準備を続ける」
白い扉が一枚、音もなく開いた。
中に何百本もの選片が見える。
細い影が、栞の間へ立っていた。
制服を着た生徒たち。
顔は見えない。
「それも準備か」
「返すために保管している」
目黒教授はオレへ向き直った。
「そして、君の特別授業も」
「ここでやるのか?」
「ここでしか成立しない授業だ」
黒い水に赤い円が広がる。
十三重。
八本の線。
黒い水の上へ、雲上闘技場の静止相が半透明に重なる。
白い扉越しに青空と、床より下の雲が透けて見えた。逆さの観測所も残っている。
まだ時間も、移送も始まっていない。
だが雲上闘技場は、もう足元まで来ていた。
「ハミンくん」
目黒教授は赤ペンを胸ポケットへ差した。
授業を始める時と同じ声で言う。
「選塔に問う。私とレベル3――原典級の選闘をしないか」
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




