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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
第四章「教授が月を盗む日」
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22/48

第22話「教授の赤い添削」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 洞窟から全員で帰ったのに、研修はそこで終わらなかった。


 終わってくれなかった、と言うほうが正しい。


 午後三時。


 旧観測所の見学は中止。全生徒は研修館へ戻り、点呼後は屋内待機。帰りの船を一便早められるか、蓮が港と連絡を取っていた。


「低気圧の影響で、明朝までは動かせません」


 管理室の受話器を置く。


「今日中に帰る予定は?」


「最初からありません」


「なら予定どおりだな」


「施設異常がなければ、です」


 蓮は机へ工程表を広げた。洞窟で酸欠になった手はまだ少し震えている。それでも、生徒の避難、食事、教員の配置、夜間見回りを一枚ずつ並べていた。


「寝ろ」と言う。


「あとで」


「昨日も聞いた」


「今日は本当にあとでです」


「その言葉も昨日聞いた」


 角砂糖を一つ、工程表の上へ置く。


「紙が汚れます」


「食えば汚れない」


 蓮は諦めたように砂糖を口へ入れた。


 管理室には、オレたち七人が集まっていた。


 ひなたは各班の点呼表。藍羽は地下で擦った両手へ包帯。先輩の棒は中央を布と添え木で固定してある。鈴華は洞窟の声を記録するため、帳簿を開いたまま目を閉じていた。


 ハヨンは写真をもう一度解析している。


「文字が変わった」


 端末をこちらへ向ける。


 欄外にあった『片方を選択』が消えていた。


 代わりに、赤い文字。


『校正対象、地下へ移行』


「地下って、さっきの洞窟?」


 藍羽が立つ。


「波形はもっと深い」とハヨン。「第一保守室の下。図面にはない」


「行くなって書いてるようにも見える」とひなた。


「逆だ。行かせたいんだろ」


 オレが言うと、先輩がうなずいた。


「なら、なおさら全員では行かない。ここを守る人間が必要だ」


「委員会らしいこと言うな」


「委員会だからな」


「オレも補助員だ」


「ハミンは行く気しかない顔だろ」


「顔を読むな」


「オレは読める」


 目黒教授を呼ぶべきだ。


 そう決めた時、観測所の方向から鐘が鳴った。


 逆向きじゃない。


 低く、重い普通の鐘。


 なのに音が届くたび、机の上の物が別の場所へ移る。角砂糖が蓮の口から包装へ戻り、開いた帳簿が閉じ、ハヨンの端末がまだ電源を入れる前の画面になった。


「全員、触った物から手を離して!」


 ハヨンが叫ぶ。


 二度目の鐘。


 挑戦印も、相互請求も、受諾もない。時間も止まっていない。これは正式選闘ではない。


 管理室の壁へ、白い手が生えた。


 紙でできた指。


 続いて肩、頭、胴。


 胸に赤い文字。


『洞窟へ行かなかった』


 選択殻が壁から抜け出した。


 一体ではない。


 廊下の壁、床、窓に映る海。あらゆる平面から白い人影が起き上がる。


「ひなた、生徒を食堂へ!」


「分かった!」


 ひなたは質問しなかった。点呼表をつかみ、廊下へ出る。


「各班長、前から二列! 窓と壁に触らないで!」


 普通の声が、混乱の中をまっすぐ通る。


 オレと藍羽は管理室の入口へ立った。


「ここは通さない」


「競争な」と言う。


「こんな時まで?」


「多く倒したほうが勝ち」


「倒しても戻るでしょ」


「戻らない倒し方を見つけたほうが勝ち」


「それなら乗る」


 白い影が来る。


 藍羽の掌打が胸を抜き、紙を散らす。オレは紅燕歩で低く入り、二体の脚をまとめて払った。


 紙片は床へ落ちる。


 文字が裏返る。


『洞窟で三人を選んだ』


 散った紙が二体へ増えた。


「増えた!」


「藍羽、一対二で負けるなよ」


「そっちこそ!」


 先輩の棒が頭上を通る。


 曲がっていても、棒術の軌道は曲がらない。白い腕を払い、選択殻を壁から離す。


「蓮、出口は!」


「生徒は東階段! 食堂の壁面が少ない!」


「鈴華、声で誘導を!」


「一人ずつ順に送って、三分までです」


 鈴が鳴る。


〈全員、走らず食堂へ。廊下中央を進んでください〉


 頭の中へ落ち着いた声。一人へ届くたび、鈴の印が次の一人へ移る。同時放送ではない。鈴華が百人以上へ一人ずつ、同じ言葉を渡し続けている。


 同時に鈴華の肩が揺れる。逃げる百人以上の恐怖を、鈴が拾ってしまう。


「二分で切れ!」


「避難完了まで」


「倒れたら会計できないぞ!」


「それは困ります」


 少し笑い、鈴華は音を保った。


 ハヨンが選択殻へ測定光を当てる。


「中心は観測所。ここで壊しても、地下の記述から再出力される」


「地下へ行けば止められる?」


「可能性は高い」


「なら行く」


「お兄ちゃん、いまは――」


 廊下の向こうで、赤い線が走った。


 こちらへ飛びかかろうとした選択殻の胸へ、斜めに一本。


『食堂へ向かう』


 文字が消える。


 白い影は足を踏み出せず、その場で紙へ戻った。


 目黒教授が歩いてくる。


 紫のスーツ。薄いサングラス。右手の赤ペン。


「避難を続けなさい。ここは私が校正する」


「目黒教授!」


「ハミンくん、如月くん。次は右から三体」


 まだ壁の中にいた三体へ、赤いペンが動く。


 一体目の胸に『殴る』。


 二体目へ『つかむ』。


 三体目へ『回り込む』。


 その文字へ、それぞれ赤線を引いた。


 三体は壁から出た。


 攻撃しない。


 腕を上げかけ、下ろす。足を回しかけ、止まる。


 目黒教授はペンを閉じた。


 短い金属音。


 赤ペンの軸が伸び、黒い短杖になった。


 一歩。


 最初の影の喉へ先端。


 返す動きで二体目の膝。


 杖の中央を持ち替え、三体目の脇へ滑り込む。


 紙の身体が同時に崩れた。


 今度は増えない。


「すげえ」


「教授、そのペンは法宝なのか?」


「いいや。これは法宝ではないよ」


「じゃあ、何だ?」


「その答えは、次の授業で扱おう。いまは避難を優先しなさい、ハミンくん」


 教授が戦えることは知っていた。


 先輩の棒を片手で受けたのも見た。


 それでも、授業中と同じ立ち方のまま三体を倒す姿は、おっさんとは別の異様さがあった。


 おっさんは、相手が出した力を円の中へ受ける。


 目黒教授は、力が出る前に道を消す。


「赤線を引くたび、何か燃えてる」とハヨン。


 廊下の窓へ、半透明の栞が一枚浮かんだ。


 端から赤く燃え、灰も残さず消える。


 もう一体。


 教授が動きを消す。


 もう一枚、選片が燃える。


「委員会の保管選片です」と鈴華。


 鈴を止めた顔が青い。


「声が一つずつ消えています」


「緊急時の残響鎮圧には、保管選片を使える」と目黒教授。「放置すれば、生徒へ触れてもっと大きな枝を奪う」


「承認記録は?」と蓮。


「顧問緊急枠だ。あとで私が記載する」


 答えながら、三本の赤線。


 三枚が燃える。


「教授、候補を消してるのか」


「よく見ているね」


「未来を読んでるんじゃない。あいつらが次にやろうとしたことへ線を引いてる」


「読むだけなら、外れることがある。選ばないよう校正すれば、外れない」


「オレにもできる?」


「試してみるかい」


 目黒教授は、戦いの最中なのに授業の質問へ答える顔をした。


 選択殻が一体、二人の間へ来る。


 オレは右から入るふりをして左へ回る。


 そう考えた。


 足が動かない。


 右にも左にも。


 赤い線が、床へ二本引かれていた。


 行こうと考えた道の上に。


「何だ、これ」


 選択殻の腕が迫る。


 身体だけが動かない。


 目黒教授の短杖が横から入り、白い手をそらした。


「考えた候補は、選択になる一歩前でも観測できる」


 杖が影の胸を打つ。


「いまの君は、右を囮に左を選んだ。だから二本とも欄外へ出した」


「欄外?」


「本文へ書く前の候補を消す。欄外校正(らんがいこうせい)、と私は呼んでいる」


 足が動くようになる。


 窓で、二枚の選片が燃えた。


「オレ相手にも燃料がいるのか」


「一候補につき一片。安くはないよ」


「じゃあ候補を百個出せば勝てる」


「君が同時に百通りを本気で選べるならね」


 目黒教授が笑う。


 簡単に勝てる気はしなかった。


 それが、少し面白かった。


 この時までは。


 食堂側から、ひなたが戻ってきた。


 中等部の男子を一人、手を引かずに連れている。男子は廊下の途中で立ち止まり、左右の扉を見比べていた。


「どうした!」


「二つとも食堂に見えるって」


 実際、右も左も同じ明るい食堂へ続いている。中の生徒、机の位置、窓の海まで同じだった。


『右なら助かる』


『左なら皆が助かる』


 二つの扉から男子の声が流れる。


「教授、消せるか?」


「一方を校正すれば迷わず進める」


 目黒教授が短杖を上げる。


「待って」とひなた。


 男子の横へしゃがむ。


「どっちが本物か分からないよね」


 男子がうなずく。


「じゃあ、ここで待ってていい。私が両方見てくるから」


「でも、早く行かないと」


「急いで間違えるより、二十秒待とう。待つのも選べるよ」


 ひなたは右の扉へ手を入れた。腕が鏡像みたいに二本へ増える。


 すぐ引く。


 次に左。こちらは普通だ。


「左は床が続いてる。右は見えるだけ」


「じゃあ左」


 男子が自分で言った。


 左へ一歩入る。


 右の食堂が、水の像みたいに崩れた。


「走らなくていいよ。奥の教授までまっすぐ」


「ありがとう、水守先輩」


 男子が避難していく。


 ひなたは目黒教授の短杖を見た。


「消すほうが早かったかもしれません。でも、あの子が次に二つ見た時、教授がいないかもしれないから」


「良い判断だ、水守くん」


 目黒教授は本心から褒めているように聞こえた。


 それでも短杖は下ろさない。


 ハヨンが選片の燃焼数を端末へ出した。


「いままで十四件」


「選択殻を十四体止めた」と目黒教授。


「十四人が選べなくなった記録を燃やした」


「放置すれば、ここにいる百二十人へ増えた」


「だから正しい?」


「少なくとも、必要だ」


 鈴華が窓へ残った空の場所を見た。


「十四の声は、もう聞こえません」


「持ち主の選択封鎖も消えたのか?」


「いいえ。保管記録だけが消費され、封鎖は原典側へ残っています」


「じゃあ返せない」


「同量の余白があれば再構成できる」と目黒教授。


「その余白も誰かから集めるんですか」と蓮。


「今は生徒を守るほうが先だ」


 また正しい言葉で、答えが後ろへ送られる。


 先輩が避難路と観測所を見比べた。


「水守。ここは任せられるか」


「任せて。全員の点呼が終わるまで動かない」


「危なければ逃げろ」


「西能寺先輩も」


「オレは危ないほうへ行く担当だ」


「戻るまでが担当です」


 ひなたの言葉に、先輩は一度だけ笑った。


     *


 選択殻を追い、観測所へ戻った。


 地上の生徒は研修館へ避難済み。ひなたが最後尾を確認し、管理職員と一緒に港側へ残った。


 観測所へ入るのは、オレ、藍羽、ハヨン、委員会三人、目黒教授。


 目紋の窓が内側から赤く光っている。


「先ほどの洞窟が再展開する可能性があります」と蓮。


「今度は私がいる。六人を三人へは分けさせないよ」


「教授が起動したんじゃないよな」


 聞くと、目黒教授は足を止めなかった。


「なぜ、そう思う?」


「助けに来るのが早すぎた。教授は、オレたちがどの扉から出るか知ってたみたいだった」


「施設の非常路図を見ていたからだ」


「図面に洞窟はないって言った」


「保守室までの道はある」


 嘘ではない。


 答えにもなっていない。


 地下へ下りる。


 第一保守室の壁は、赤い線で四角く囲まれていた。


 目黒教授が短杖の先で中央へ点を打つ。


 壁が頁みたいにめくれる。


 その先に、洞窟より広い空間があった。


 床は黒い水。


 歩くたび波紋が広がるのに、靴は沈まない。天井は見えず、白い扉が何十枚も浮いている。扉の隙間から選択殻が次々落ちていた。


「ここが最深部」とハヨン。


「観測核へ接続する地上端末だ」と目黒教授。


「何の観測核?」


「まだ説明してなかったね」


 教授の短杖が、飛びかかる影を受ける。


 今度は赤線を引かない。


 杖と紙の腕がぶつかる。教授は半歩下がり、相手の肘へ杖を絡め、足を払う。


 きれいな体術だ。


 管理権限がなくても強い。


 先輩が反対側へ入る。曲がった棒と短杖が一瞬だけ交差し、二人は言葉なしに軌道を分けた。


「教授、右を!」


「任せよう、西能寺くん」


 先輩が三体を抑える。藍羽とオレが左。蓮は扉の落下間隔を測り、鈴華が選択殻の残響を空の扉へ誘導する。ハヨンは水面へ端末を当てた。


 文化祭より、昨日の道より、連携は速い。


 敵がどれだけ増えても、七人でなら止められる。


 目黒教授の短杖から赤線が水面へ走った。


 黒い水が、鏡になる。


 長い黒髪が浮かんだ。


『総司』


 キャリーを写した観測像の声。


 目黒教授の短杖が止まった。


『また、私の言葉を切るの? ……あら、「また」は次の記録だったわ。参照を一つ飛ばした』


「通信が選択殻を流入させている。閉じてください、先生」


『違う。あなたが開いた剪定路から、捨てた候補が落ちているのよ』


「閉じれば同じだ」


『同じではない』


 水面の観測像は、目黒教授だけを見た。


『原型は、あの日ここへ私を残すと選んだ』


 黒い水の下に、巨大な青い影が映る。


 建物か、街か。遠すぎて分からない。


『あなたが選び直す権利ではない』


 目黒教授の顔から、笑みが消えた。


 声は荒くならない。


 それでも、短杖を持つ右手の指が白くなるほど握られていた。


「観測像を残すと選んだのは、他に方法がないと思ったからでしょう」


『それでも原型の選択よ。私は本人ではないけれど、その判断を託された』


「間違った選択を、弟子が直してはいけませんか」


『原型が方法を教えた。目的を選んだのはあなた。代価を払う人を、さらに勝手に選んだのも』


 鈴華の鈴が激しく鳴る。


「この声……文化祭だけではありません。わたくしの鈴の奥で、ずっと」


『閑崎。その鈴は聞くためのもの。消すためではない』


「キャリー先生」


 目黒教授が水へ短杖を向ける。


「あなたの記録は混線している。これ以上、生徒を迷わせないでください」


『迷うことを奪わないで、総司』


 赤線が水面を横切った。


 キャリーの観測像が上下に分かれる。


 青緑の目だけが最後まで残った。


『その子の月まで――』


 水が黒へ戻る。


「何をする!」


 オレは目黒教授の手首をつかんだ。


 教授は振りほどかなかった。


「危険な通信を切った」


「観測像は話してた」


「観測像の言葉が、先生の残留意識だけの意思だという保証はない」


「都合の悪いところだけ消したように見えたぞ」


「そう見えるだろうね」


 目黒教授はオレの手を見下ろす。


「ここまで来たなら、説明を続けよう」


 短杖が元の赤ペンへ縮む。


「私は、アトランティスの出身だ」


 選択殻が止まった。


 白い扉の途中で、全て固まる。


 ハヨンが教授の顔を見た。


「崩壊記録を、その場で見た?」


「見たよ」


「測っていい?」


「非接触なら」


 白雲衣の袖から、小さな観測板が出た。


 緑の線が教授の全身を一度だけなぞる。


「体温、心拍、細胞代謝は普通。見た目も生体年齢も三十歳前後。でも、経年方向の波形だけ読めない」


「質問は?」


「目黒教授は、どうやって今まで生きたの」


「私自身の選択も一件、預けている」


「誰に」


「暫定管理者としての私に。詳細は、いまは開示しない」


「保留する。忘れない」


「キャリー先生の弟子として、魔械文書(まかいもんじょ)を学んだ。彼女の基礎設計を使い、星環学園の選塔、選闘、委員会の三法宝(ファーバオ)を現在の形へ組み直した」


「崩壊記録の中で、先生の身体は光へ消えた。私はあれを、先生の死として見た。残った自律観測像には、崩壊時の意識が混ざっている。完全な形へ戻すには、失われた都市ごと再構成するしかない」


 先輩が自分の棒を見る。


 蓮は懐中時計。


 鈴華は鈴。


「教授が全部……」と先輩。


「必要だったからだ。危険な争いを隔離し、選ばれなかった力を散らさず集める場所が」


「では、レベル2台帳の赤い処理線も、レベル3承認欄の空白も偶然ではないのですね」と蓮。


 一般生徒へ公開されているのは、昼食や一度の行動みたいな軽微選択を扱うレベル1だけだ。


 部活を続ける、一定区画へ入らない、誰かとの接触を一学期間だけ制限する。そうした厳しい条件選択を扱うレベル2は、生徒へ知らせず、委員会と顧問だけで管理してきた。さらに上に、人生の幹へ触れ得るレベル3があることも、三人は承認規約の名前だけは知っていた。


 だが、何をどう奪えるのか。どこから起動できるのか。その実装を教授は見せていなかった。


「何のために集めたんです」と蓮。


「キャリー先生が残した意識と、彼女と共に止まったものを救うため」


「止まったもの?」


「今は、それ以上を正確に見せられない。中途半端な像は、あの観測像の通信と同じ誤解を生む」


 先を隠している。


 でも、隠していることは認めた。


「生徒の選択を燃やして?」


 ハヨンが聞く。


「小さな選択は、使われず残響になれば本人も周囲も傷つける。適切に集め、大きな救済へ変える。失ったものより救えるものが大きいなら、私はその計算を引き受ける」


「持ち主へ聞かずに?」


「一つずつ聞けば、間に合わない」


「それを勝手って言うんだろ」


 オレが言う。


 目黒教授は否定しなかった。


「そう呼ばれることも、引き受けるよ」


 先輩が一歩出た。


「教授。オレの雷綴も、燃料を集めるために渡したのか」


「君の生来の帯電が成長とともに手に余った時、まず気の流れを整えた。雷綴を渡したのは、その後も余る電気を人へ向けず逃がすためが第一だ。その戦闘気が保存に役立つことも事実だ」


「オレを助けたのは」


「嘘ではない」


 答えが速い。


 先輩は棒を下ろせなかった。向けることもできなかった。


 蓮が台帳を開く。


「体育祭と文化祭の記録を、処理済みとした理由は?」


 表向きは記録の欠落を問う言葉だった。だが、開いた頁はレベル2の秘匿台帳と、存在しか知らされていないレベル3の承認索引を重ねている。


「君たちが余計な危険へ入らないため」


「僕たちはレベル2を知り、一般生徒へ伏せたまま運用もしました。その責任は僕たちにあります。ですが、レベル3の実装まで隠されたまま、危険の入口へ立たされることへ同意はしていません」


「それは私の判断ミスだ。謝ろう」


「謝罪では記録が埋まりません」


「帰校後、必要な範囲を開示する」


「必要な範囲を決めるのも教授ですか」


 蓮の声は震えていない。


 目黒教授は少し目を細めた。


「成長したね、時任くん」


「答えになっていません」


 鈴華は鈴を胸元へ持ったまま、二人を見ている。


「鈴華は?」


 聞くと、ゆっくり口を開いた。


「教授は、わたくしへ鈴をくださった。聞こえすぎる声を整理し、眠れるようにしてくださいました。その恩は、いま消えません」


「うん」


「同時に、この鈴で声を消していたのだとすれば、知らなければなりません」


「わたくしも、条件選択を必要な秘密だと判断し、レベル2の支出を記帳しました。守るためだったという言葉だけで、その責任を教授へお返しするつもりはありません」


 目黒教授が三人を見る。


「私は君たちへ、ここで盲目的な忠誠を求めない」


「さっき忠誠を求めるって顔だったぞ」


「また顔を読んだのかい」


「教授のは少し読めるようになった」


「なら言葉にしよう。私の計画には、三人の法宝と信頼が必要だ。私が救おうとするものを見せた時、それでも支えるか、自分で選んでほしい」


 文化祭では、教授も崩れかけた会場へ残った。先輩たちと同じように生徒を避難させ、オレたちの無茶を叱り、それでも最後まで一緒に幕を下ろした。


 三人がすぐ棒や時計や鈴を向けられないのは、恩だけのせいじゃない。敵だと思っていたオレと行事を作るうちに育った情も、その時間を見守った教授への信頼も、どちらも本物だったからだ。


「選ぶまで、何をする」


「準備を続ける」


 白い扉が一枚、音もなく開いた。


 中に何百本もの選片が見える。


 細い影が、栞の間へ立っていた。


 制服を着た生徒たち。


 顔は見えない。


「それも準備か」


「返すために保管している」


 目黒教授はオレへ向き直った。


「そして、君の特別授業も」


「ここでやるのか?」


「ここでしか成立しない授業だ」


 黒い水に赤い円が広がる。


 十三重。


 八本の線。


 黒い水の上へ、雲上闘技場の静止相が半透明に重なる。


 白い扉越しに青空と、床より下の雲が透けて見えた。逆さの観測所も残っている。


 まだ時間も、移送も始まっていない。


 だが雲上闘技場は、もう足元まで来ていた。


「ハミンくん」


 目黒教授は赤ペンを胸ポケットへ差した。


 授業を始める時と同じ声で言う。


「選塔に問う。私とレベル3――原典級の選闘をしないか」

エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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