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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
第四章「教授が月を盗む日」
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21/48

第21話「三人でしか帰れない洞窟」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 写真を消しても、赤い文字は消えなかった。


 端末を再起動する。別の端末へ送る。紙へ印刷する。目黒教授の姿は一人だけなのに、どの画像にも欄外の『片方を選択』がついてくる。


「画像データじゃない」とハヨン。


 研修館の談話室。消灯時刻を過ぎ、机の上には端末が五台並んでいた。


 ハヨンが画像の構造を一層ずつ分解する。光、色、撮影時刻、位置情報。どこにも赤い文字のデータはない。


 なのに画面では見える。


「見る側に足されてる?」


 藍羽が聞く。


「それなら人によって違うはず。全員、同じ場所に同じ文字が見える」


「教授本人は?」と先輩。


「残響写真だと言って、自分の部屋へ戻った」


 蓮が写真と安全記録を並べる。


「撮影時刻、教授は僕たちと海岸にいました。観測所の入退館記録にも、同時刻の履歴はありません。二人目は現実の人物ではありません」


「でも赤いペンは動いた」と言う。


「写真の中だけで、です」


「中でも動けば動いたことになる」


 鈴華が鈴を写真へ近づけた。


 ちり、と一音。


「声はありません。ただ、消された側に選片と同じ残響があります」


「教授が教授の選択肢を一つ消した?」


「そう見えます」


 先輩は腕を組んだ。


「教授へ直接聞こう」


「もう就寝時刻です」と蓮。


「明日の朝なら写真が普通になるかもしれない」


「普通になったら、なおさら今夜の記録が必要です」


 蓮は言いながら、自分でも少し驚いた顔をした。


 前なら規則を理由に終わらせた。


 いまは、規則で説明できないものを残そうとしている。


「じゃあ保存を増やす」とハヨン。「画像じゃなく、見る人の反応を記録する。全員、文字を読んだ時刻と脳波を――」


「寝かせて」とひなた。


 入口に立ち、両手で腰へ毛布を巻いている。オレたちが戻らないので、班長として探しに来たらしい。


「明日も山へ行くんだよ。寝不足で救助される側になったら意味ないでしょ」


「あと十三分」とハヨン。


「そう言って一時間やる顔」


「顔を読まないで」


「兄妹だな」と先輩。


「一緒にするな」


「一緒にしないで」


 声まで重なった。


 ひなたに端末を取り上げられ、その夜は解散した。


 部屋へ戻る前、写真をもう一度見る。


 赤い文字の下、消された目黒教授がいた窓に、小さな白い扉が写っていた。


 目を離すと、なくなった。


     *


 翌朝、旧観測所の外周見学は予定どおり始まった。


 白いドームを近くで見ると、表面へ細い罫線が何千本も刻まれている。建物というより、巨大な紙を丸めて作ったみたいだ。


 中等部の班は地上階だけ。高等部は二階の望遠鏡室。地下は老朽化のため立入禁止。


 その地下から、ハヨンの計測器が昨日の声と同じ波を拾った。


「キャリー博士の観測像は、下に扉があると言った」


「だからって勝手には入れない」と藍羽。


「勝手じゃなければいい」


 目黒教授へ報告した。


 写真、潮だまりの音声、地下からの波形。教授は一つずつ確認し、冗談を言わなかった。


「地下設備に異常があるなら、見学を続けるほうが危険だね」


「入っていいのか?」


「安全確認としてなら。ただし少人数だ。委員会三名、観測担当のハヨンくん、生徒補助員のハミンくんと如月くん。六人で第一保守室まで」


「教授は?」


「私は地上の生徒を避難待機させてから追う。施設職員にも鍵を借りよう」


 目黒教授は地下扉の非常鍵を蓮へ渡した。


「異常があれば、調査より帰還を優先すること」


「分かりました」と蓮。


 ひなたが不満そうに腕を組む。


「私は留守番?」


「水守さんには地上班の誘導を頼みたい」と蓮。「普通の生徒を近づけない役目も必要です」


「普通担当だから?」


「信頼できる班長だからです」


 ひなたは一度瞬いた。


「時任先輩、そういうこと普通に言えるんだ」


「事実ですから」


「じゃあ任される。戻ったら昼ご飯、七人でね」


「六人で入るぞ」


「私も食べるから七人」


 簡単な計算だった。


     *


 地下扉の向こうは、階段ではなく洞窟だった。


 人工の白い壁が十段目で途切れ、濡れた岩へ変わっている。天井には透明な鉱石が走り、懐中電灯を向ける前から淡く光っていた。


「百二十年前の建物の下にしては古すぎる」とハヨン。


 岩へ測定針を当てる。


「年代が出ない。表面だけ現在に合わせて更新されてる」


「岩が年齢を隠してるのか?」


「お兄ちゃんよりは上手」


「オレは十四歳だ」


「行動年齢」


 先頭は先輩。棒を短く持ち、床と天井を確かめる。次に藍羽、ハヨン。中央へオレ。後ろに鈴華と蓮。


 道は下へ続く。


 右の壁へ、六つの細い影が映っていた。


 人数は合う。


 動きが合わない。


 オレが右足を出すと、影のオレは左へ下がった。先輩の影は棒を置き、藍羽の影は一人で走る。蓮の影だけ立ち止まり、ほかの五人を先へ行かせている。


「見るな」と先輩。


「見えてる」


「なら信じるな」


「それはできる」


 影はしばらくついてきた。


 第一保守室と書かれた鉄扉を見つける。蓮が非常鍵を差した。


 鍵は回る。


 扉の向こうへ入った瞬間、背後で音がした。


 閉まる音ではない。


 紙を一枚、机へ置くような音。


 振り向く。


 扉が消えていた。


「全員いるか!」


 先輩が数える。


 六人。


 部屋だった場所は、さらに広い洞窟へ変わっていた。中央に三つの白い環。正面の岩壁へ赤い文字が浮かぶ。


『帰還可能数 三』


 下で数字が減っている。


『残り 一七:五九』


「三人だけ?」


 藍羽が壁へ触れる。


 赤い文字が増えた。


『三名を選択せよ。未選択者は観測域へ残留する』


「選闘じゃない」と蓮。「挑戦、相互請求、受諾がありません」


「なら無効にしろ」


「僕に命令しないでください。選塔の管理画面ではないんです」


 蓮は委員章を開く。表示は白紙。


 ハヨンの端末も通信圏外だ。


「壁を壊す」


 藍羽が構えた。


「待て」


 止める前に、掌底が岩へ入る。


 気をまとった一撃。表面がひび割れ、奥へ青い空間が見えた。


 次の瞬間、ひびが逆向きに閉じる。


「もう一回」


「同じだ。気を使うな」


「じゃあ何もしないの?」


「別の場所を殴る」


「結局殴るのね」


 先輩が棒で床を探る。


 鈴華は鈴を出した。


 鳴らす前に、壁から声が流れた。


『西能寺京一は残るべきだ』


 先輩自身の声。


『戦うしかできない者より、頭を使える者を帰せ』


「分かりやすいな」


 先輩は笑い、三つの環から離れた。


「オレが残る。中学生二人とハヨンを先に――」


「勝手に決めるな」


「残るのはオレの選択だ」


「帰る三人まで決めたら、そいつらの選択になる」


 先輩が口を閉じる。


 別の壁から、蓮の声。


『感情を除けば答えは簡単です。生存率の高い三人を選ぶべきです』


 蓮の顔が固くなった。


「実際、合理的には選べます」


「選ぶな」と藍羽。


「選ぶとは言っていません。計算できると言っただけです」


 蓮は全員を見る。


「外部へ異常を伝えられるハヨンさん。地上班を守れる如月さん。戦闘と救助に対応できる西能寺先輩。僕、閑崎先輩、ハミンが残れば――」


『自分が残れば、予定は乱れない』


 壁が蓮の続きで言った。


 懐中時計を持つ手が震える。


「壁の声だ」と言う。


「僕が考えなかったとは言えません」


「考えるのと選ぶのは違う」


 鈴華が鈴を鳴らした。


 六人の頭へ、声が同時に流れ込む。


『鈴華は他人の恐怖しか数えない』


『藍羽は父に勝てない』


『ハヨンは兄を一度壊した』


『ハミンが来なければ、誰もここへ入らなかった』


 胸の奥へ直接刺さる。


 鈴華が膝をついた。


「止めろ!」


 鈴を握る手へ触れる。


「わたくしがつないだのではありません」


「分かってる。だから切れ」


「切り方が――」


 ハヨンが鈴へ計測端子を当て、逆位相の音を出した。


 声が途切れる。


 鈴華は息を整え、自分で鈴を閉じた。


「失礼しました」


「謝るな。壁が悪い」


『残り 一二:一三』


 五分以上減っている。


「円へ三人入れば出口が開く仕組み」とハヨン。「一度も使わず時間切れになるより、動作を見たほうがいい」


「三人が出たら、残りは?」藍羽。


「表示どおりなら残る。でも表示が全部だという証拠はない」


「三人ずつ二回出ればいい」


 言うと、全員がオレを見た。


「可能なら、とっくに表示するでしょう」と蓮。


「表示したら、三人を選ばせる試験にならない」


「試験?」


「こいつは、誰を捨てるか見たいんだろ。なら答えどおりにやる必要はない」


 壁の赤い文字が、一瞬にじんだ。


 聞いている。


「三人ずつ二回。方法は?」と先輩。


「いま考える」


「考えてから言え!」


「先に決めたほうが見つかる」


 ハヨンが三つの環を測る。


「帰還判定は、身体じゃなく通過時の位相信号を三件数える。通過後〇・八秒で確定」


 蓮が時計を取り出し、閉じた蓋の上から判定面を示す。


「判定する〇・八秒を引き延ばせば、二組目まで同じ帰還として扱えるかもしれない」


「時門時計で?」


「洞窟全体は無理です。出口の判定面を含む薄い空間帯だけなら、最低の五分の一速で四秒まで」


「四秒で三人通れる」


「扉が開いたままなら」


 藍羽と先輩が同時に壁を見る。


「それは私たち」


「内と外から押さえる」


 鈴華が鈴を持ち直した。


「扉を挟んでも、心話で合図を合わせられます」


「判定は三つだけ」とハヨン。「最初の三人の完了信号を複製して、後ろの三人へ重ねる。身体を別人と偽るんじゃない。同じ帰還がまだ続いていると誤認させる」


「できるのか?」


「機材が一台足りない」


「七箱も持ってきただろ!」


「ここへ持ってきたのは一台」


「ならそれでやれ」


「精度が六十二パーセント」


「残りをオレたちで上げる」


 数字が変わる。


『残り 〇八:〇八』


 壁から声が強くなる。


『三人を選べ』


『全員を失う前に』


『自分だけでも』


「組を決めます」と蓮。「外へ先に出るのは、ハヨンさん、閑崎先輩、如月さん。認証、心話、外側の扉保持が必要です。残るのは西能寺先輩、ハミン、僕」


 先輩がうなずく。


「今度は合理的だからじゃない」と蓮は続けた。「二回目に帰るための役割です」


「分かってる」


 藍羽は納得していない顔でオレを見る。


「絶対、二組目も来て」


「先に昼飯食うなよ」


「そんな心配?」


「大事だ」


「七人でって、ひなたが言ったものね」


 ハヨンが先に出る三人の体温、歩幅、通過位相を測り、受け側になるオレ、先輩、蓮の足元へ複製輪を置いた。まだ光らない輪へ、三人ぶんの補正値だけを入れておく。


 蓮が時計の蓋を開く。


 ち、ち、――ち。


 二秒かけて、判定面を含む薄い空間帯を五分の一速へ合わせる。秒針が定位置へ落ちても、蓮は竜頭を発動直前で留めた。押すまでは領域も帰還判定も遅くならない。


 三人が白い環へ入る。


 赤い文字が確認する。


『帰還者 三。確定する』


「選ぶ、とは言うな」と蓮。「これは正規契約ではありません」


「分かってる」と藍羽。


 無言のまま三人が立つ。


 正面の岩が左右へ割れた。


 向こうに白い保守室が見える。


「行け!」


 ハヨン、鈴華、藍羽が走る。


 三人目の藍羽の爪先が、境界へ届く。


「いま!」


 鈴華の声が頭へ届く。


 蓮が竜頭を押した。


 針合わせ済みの空間帯が、その瞬間に五分の一へ落ちる。白い光も、境界へ入る物も人も、時計は選り分けない。


 藍羽の足が遅い境界を越え、三件目の完了信号が立つ。同時に岩扉が閉まり始めた。


 藍羽が外から両手をかける。


 先輩が内側から棒を差し込む。岩と岩の間で木がきしんだ。


「長くはもたない!」


 蓮の唇から色が抜けた。


「四秒!」


 同じ一秒へ、全員の動作が重なった。


 ハヨンの端末が最初の三つの完了信号を受ける。準備済みの複製輪が一斉に光り、オレ、先輩、蓮の足元へ同じ帰還の続きとして重なった。


「通って!」


 先輩が先。曲がった棒を抜き、扉を押さえたまま身体を滑らせる。境界へ入った手から五分の一へ落ちたが、外の藍羽と呼吸を合わせ、止まりかける身体を押し切った。


 次に蓮。


 時計を開いたままでは走れない。


 肩をつかみ、投げるように外へ送る。境界で勢いが五分の一へ落ちる。先輩が外から腕をつかみ、鈴華が反対の肩を引いた。


 最後はオレ。


 足元の光が消えかける。


 壁へ赤い一文が走った。


『お前が残れば、五人は帰る』


 足が止まりかける。


 その迷いへ、先輩の手が伸びた。


 さっきオレが返した言葉がよみがえる。


 勝手に決めるな。


 その手を取る。


 紅燕歩。


 閉じる岩を軸に、小さい身体を回す。境界から脚も呼吸も五分の一へ落ちる。鼻歌で内側の拍を守っても、遅延は消えない。


 藍羽の手も反対の腕をつかんだ。


 二人に引かれ、境界を越える。


『帰還数――六』


 蓮が外へ転がったまま、銀の蓋を閉じた。判定帯の遅延が消える。


 赤い表示へ亀裂が走った。


『定義外』


『三』


『六』


『三』


 数字が何度も入れ替わる。


 最後に全部、白い光へほどけた。


 岩扉が閉じる。


 六人とも、保守室の床へ倒れていた。


     *


 蓮は酸欠で起き上がれなかった。


 角砂糖を口へ入れ、上着をかける。前に選闘で勝った時と同じだ。


「今度は命令じゃないぞ」


「分かって……います」


「食え」


「それは命令です」


「お願いだ」


 蓮は目を閉じたまま、砂糖を噛んだ。


 鈴華も壁へ背を預けている。他人の恐怖を六人ぶん通し、声がかすれていた。先輩の棒は中央から少し曲がり、藍羽の両手には赤い擦り傷。ハヨンの端末は熱を持ち、画面の半分が黒い。


 誰か一人の力で帰ったやつはいない。


「六十二パーセント、外れたな」と言う。


「最終成功率は八十四」とハヨン。


「残り十六は?」


「お兄ちゃんが最後に止まった分」


「そこも計算するのかよ」


「でも、先輩が引く確率を入れ忘れた」


 先輩が曲がった棒を肩へ載せる。


「仲間を引くのに確率がいるか?」


 ハヨンは答えず、壊れかけた端末へその言葉を保存した。


 外側の鉄扉が開く。


 目黒教授が施設職員二人と立っていた。


「無事か!」


 教授がオレたちへ走る。手には赤いペンと救急箱。


「扉が突然施錠され、地上の制御盤も反応しなくなった。いま非常校正で開けたところだ」


「中に三人しか帰れない洞窟があった」と言う。


「三人?」


 目黒教授は驚いた顔で、消えたはずの岩扉を見る。


 そこにはただの保守室の壁しかない。


「古い設備の誤作動かもしれない。まず治療を。話は全員が休んでから聞こう」


 目黒教授は蓮の脈を測り、藍羽の手へ消毒をした。いつもの教授と同じ、迷いのない手だった。


「よく全員で戻ったね」


「三人を選ばなかった」と言う。


「それが君の答えか」


「三人ずつ二回を選んだ」


 目黒教授は一瞬だけ、赤いペンを持つ手を止めた。


「設問の外へ答えを書く。ハミンくんらしい」


 褒められたはずなのに、洞窟の壁と同じ声に聞こえた。


 蓮が自分で座れるまで待ち、上着を返してもらって朱赤の緋天衣を着直した。


     *


 地上へ戻ると、ひなたが昼食を七つ並べて待っていた。


「遅い」


「悪い」


「一時間二十六分遅れ」


「蓮みたいになってるぞ」


「心配した時間だから数えたの」


 怒りながら、いちばん大きいおにぎりをオレへ渡す。次に蓮へ糖分の多い飲み物、鈴華へ温かい茶、藍羽へ絆創膏、先輩へ棒を縛る布、ハヨンへ端末を包むタオル。


「普通担当、全部できるな」


「洞窟には入れないけど、帰ってきた人のことはできる」


 七人で地面へ座った。


 蓮が、食べる前にオレを見る。


「最初に会った時、あなたは規則外の危険だと思っていました」


「いまは?」


「規則が見落とした出口を探す人です」


「褒めてる?」


「最大限」


 鈴華がうなずく。


「わたくしも同意します」


 先輩は何も言わず、拳を出した。


 合わせる。


 三人をまとめて委員会と呼ぶには、もう顔を知りすぎている。


 一人ずつ呼ぶようになったあとも、距離は一度で決まらない。


 背中を預けるたび、もう一歩ずつ変わる。


 ひなたが七人の昼食を写真に撮った。


 今度は誰も増えず、誰も消えなかった。


     *


幕間・目黒教授


 六人が去った保守室。


 白い壁の奥で、赤い文字が再点灯した。


『帰還可能数 三』


 その下へ、赤いペン先が校正を加える。


『被験数 六』


『全員帰還』


『相互適性 充足』


 目黒教授は、洞窟を起動した頁を閉じた。


「三人を選ばせても、六人で帰るか」


 声は嬉しそうだった。


「なら、もっと大きな選択にも耐えられる」


 赤いペンの先から、一滴だけインクが落ちた。


 床へ触れる前に、それは小さな選片へ変わった。

エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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