第21話「三人でしか帰れない洞窟」
オープニングテーマ「HUMMING」
https://youtu.be/azhMg2sRa5g
写真を消しても、赤い文字は消えなかった。
端末を再起動する。別の端末へ送る。紙へ印刷する。目黒教授の姿は一人だけなのに、どの画像にも欄外の『片方を選択』がついてくる。
「画像データじゃない」とハヨン。
研修館の談話室。消灯時刻を過ぎ、机の上には端末が五台並んでいた。
ハヨンが画像の構造を一層ずつ分解する。光、色、撮影時刻、位置情報。どこにも赤い文字のデータはない。
なのに画面では見える。
「見る側に足されてる?」
藍羽が聞く。
「それなら人によって違うはず。全員、同じ場所に同じ文字が見える」
「教授本人は?」と先輩。
「残響写真だと言って、自分の部屋へ戻った」
蓮が写真と安全記録を並べる。
「撮影時刻、教授は僕たちと海岸にいました。観測所の入退館記録にも、同時刻の履歴はありません。二人目は現実の人物ではありません」
「でも赤いペンは動いた」と言う。
「写真の中だけで、です」
「中でも動けば動いたことになる」
鈴華が鈴を写真へ近づけた。
ちり、と一音。
「声はありません。ただ、消された側に選片と同じ残響があります」
「教授が教授の選択肢を一つ消した?」
「そう見えます」
先輩は腕を組んだ。
「教授へ直接聞こう」
「もう就寝時刻です」と蓮。
「明日の朝なら写真が普通になるかもしれない」
「普通になったら、なおさら今夜の記録が必要です」
蓮は言いながら、自分でも少し驚いた顔をした。
前なら規則を理由に終わらせた。
いまは、規則で説明できないものを残そうとしている。
「じゃあ保存を増やす」とハヨン。「画像じゃなく、見る人の反応を記録する。全員、文字を読んだ時刻と脳波を――」
「寝かせて」とひなた。
入口に立ち、両手で腰へ毛布を巻いている。オレたちが戻らないので、班長として探しに来たらしい。
「明日も山へ行くんだよ。寝不足で救助される側になったら意味ないでしょ」
「あと十三分」とハヨン。
「そう言って一時間やる顔」
「顔を読まないで」
「兄妹だな」と先輩。
「一緒にするな」
「一緒にしないで」
声まで重なった。
ひなたに端末を取り上げられ、その夜は解散した。
部屋へ戻る前、写真をもう一度見る。
赤い文字の下、消された目黒教授がいた窓に、小さな白い扉が写っていた。
目を離すと、なくなった。
*
翌朝、旧観測所の外周見学は予定どおり始まった。
白いドームを近くで見ると、表面へ細い罫線が何千本も刻まれている。建物というより、巨大な紙を丸めて作ったみたいだ。
中等部の班は地上階だけ。高等部は二階の望遠鏡室。地下は老朽化のため立入禁止。
その地下から、ハヨンの計測器が昨日の声と同じ波を拾った。
「キャリー博士の観測像は、下に扉があると言った」
「だからって勝手には入れない」と藍羽。
「勝手じゃなければいい」
目黒教授へ報告した。
写真、潮だまりの音声、地下からの波形。教授は一つずつ確認し、冗談を言わなかった。
「地下設備に異常があるなら、見学を続けるほうが危険だね」
「入っていいのか?」
「安全確認としてなら。ただし少人数だ。委員会三名、観測担当のハヨンくん、生徒補助員のハミンくんと如月くん。六人で第一保守室まで」
「教授は?」
「私は地上の生徒を避難待機させてから追う。施設職員にも鍵を借りよう」
目黒教授は地下扉の非常鍵を蓮へ渡した。
「異常があれば、調査より帰還を優先すること」
「分かりました」と蓮。
ひなたが不満そうに腕を組む。
「私は留守番?」
「水守さんには地上班の誘導を頼みたい」と蓮。「普通の生徒を近づけない役目も必要です」
「普通担当だから?」
「信頼できる班長だからです」
ひなたは一度瞬いた。
「時任先輩、そういうこと普通に言えるんだ」
「事実ですから」
「じゃあ任される。戻ったら昼ご飯、七人でね」
「六人で入るぞ」
「私も食べるから七人」
簡単な計算だった。
*
地下扉の向こうは、階段ではなく洞窟だった。
人工の白い壁が十段目で途切れ、濡れた岩へ変わっている。天井には透明な鉱石が走り、懐中電灯を向ける前から淡く光っていた。
「百二十年前の建物の下にしては古すぎる」とハヨン。
岩へ測定針を当てる。
「年代が出ない。表面だけ現在に合わせて更新されてる」
「岩が年齢を隠してるのか?」
「お兄ちゃんよりは上手」
「オレは十四歳だ」
「行動年齢」
先頭は先輩。棒を短く持ち、床と天井を確かめる。次に藍羽、ハヨン。中央へオレ。後ろに鈴華と蓮。
道は下へ続く。
右の壁へ、六つの細い影が映っていた。
人数は合う。
動きが合わない。
オレが右足を出すと、影のオレは左へ下がった。先輩の影は棒を置き、藍羽の影は一人で走る。蓮の影だけ立ち止まり、ほかの五人を先へ行かせている。
「見るな」と先輩。
「見えてる」
「なら信じるな」
「それはできる」
影はしばらくついてきた。
第一保守室と書かれた鉄扉を見つける。蓮が非常鍵を差した。
鍵は回る。
扉の向こうへ入った瞬間、背後で音がした。
閉まる音ではない。
紙を一枚、机へ置くような音。
振り向く。
扉が消えていた。
「全員いるか!」
先輩が数える。
六人。
部屋だった場所は、さらに広い洞窟へ変わっていた。中央に三つの白い環。正面の岩壁へ赤い文字が浮かぶ。
『帰還可能数 三』
下で数字が減っている。
『残り 一七:五九』
「三人だけ?」
藍羽が壁へ触れる。
赤い文字が増えた。
『三名を選択せよ。未選択者は観測域へ残留する』
「選闘じゃない」と蓮。「挑戦、相互請求、受諾がありません」
「なら無効にしろ」
「僕に命令しないでください。選塔の管理画面ではないんです」
蓮は委員章を開く。表示は白紙。
ハヨンの端末も通信圏外だ。
「壁を壊す」
藍羽が構えた。
「待て」
止める前に、掌底が岩へ入る。
気をまとった一撃。表面がひび割れ、奥へ青い空間が見えた。
次の瞬間、ひびが逆向きに閉じる。
「もう一回」
「同じだ。気を使うな」
「じゃあ何もしないの?」
「別の場所を殴る」
「結局殴るのね」
先輩が棒で床を探る。
鈴華は鈴を出した。
鳴らす前に、壁から声が流れた。
『西能寺京一は残るべきだ』
先輩自身の声。
『戦うしかできない者より、頭を使える者を帰せ』
「分かりやすいな」
先輩は笑い、三つの環から離れた。
「オレが残る。中学生二人とハヨンを先に――」
「勝手に決めるな」
「残るのはオレの選択だ」
「帰る三人まで決めたら、そいつらの選択になる」
先輩が口を閉じる。
別の壁から、蓮の声。
『感情を除けば答えは簡単です。生存率の高い三人を選ぶべきです』
蓮の顔が固くなった。
「実際、合理的には選べます」
「選ぶな」と藍羽。
「選ぶとは言っていません。計算できると言っただけです」
蓮は全員を見る。
「外部へ異常を伝えられるハヨンさん。地上班を守れる如月さん。戦闘と救助に対応できる西能寺先輩。僕、閑崎先輩、ハミンが残れば――」
『自分が残れば、予定は乱れない』
壁が蓮の続きで言った。
懐中時計を持つ手が震える。
「壁の声だ」と言う。
「僕が考えなかったとは言えません」
「考えるのと選ぶのは違う」
鈴華が鈴を鳴らした。
六人の頭へ、声が同時に流れ込む。
『鈴華は他人の恐怖しか数えない』
『藍羽は父に勝てない』
『ハヨンは兄を一度壊した』
『ハミンが来なければ、誰もここへ入らなかった』
胸の奥へ直接刺さる。
鈴華が膝をついた。
「止めろ!」
鈴を握る手へ触れる。
「わたくしがつないだのではありません」
「分かってる。だから切れ」
「切り方が――」
ハヨンが鈴へ計測端子を当て、逆位相の音を出した。
声が途切れる。
鈴華は息を整え、自分で鈴を閉じた。
「失礼しました」
「謝るな。壁が悪い」
『残り 一二:一三』
五分以上減っている。
「円へ三人入れば出口が開く仕組み」とハヨン。「一度も使わず時間切れになるより、動作を見たほうがいい」
「三人が出たら、残りは?」藍羽。
「表示どおりなら残る。でも表示が全部だという証拠はない」
「三人ずつ二回出ればいい」
言うと、全員がオレを見た。
「可能なら、とっくに表示するでしょう」と蓮。
「表示したら、三人を選ばせる試験にならない」
「試験?」
「こいつは、誰を捨てるか見たいんだろ。なら答えどおりにやる必要はない」
壁の赤い文字が、一瞬にじんだ。
聞いている。
「三人ずつ二回。方法は?」と先輩。
「いま考える」
「考えてから言え!」
「先に決めたほうが見つかる」
ハヨンが三つの環を測る。
「帰還判定は、身体じゃなく通過時の位相信号を三件数える。通過後〇・八秒で確定」
蓮が時計を取り出し、閉じた蓋の上から判定面を示す。
「判定する〇・八秒を引き延ばせば、二組目まで同じ帰還として扱えるかもしれない」
「時門時計で?」
「洞窟全体は無理です。出口の判定面を含む薄い空間帯だけなら、最低の五分の一速で四秒まで」
「四秒で三人通れる」
「扉が開いたままなら」
藍羽と先輩が同時に壁を見る。
「それは私たち」
「内と外から押さえる」
鈴華が鈴を持ち直した。
「扉を挟んでも、心話で合図を合わせられます」
「判定は三つだけ」とハヨン。「最初の三人の完了信号を複製して、後ろの三人へ重ねる。身体を別人と偽るんじゃない。同じ帰還がまだ続いていると誤認させる」
「できるのか?」
「機材が一台足りない」
「七箱も持ってきただろ!」
「ここへ持ってきたのは一台」
「ならそれでやれ」
「精度が六十二パーセント」
「残りをオレたちで上げる」
数字が変わる。
『残り 〇八:〇八』
壁から声が強くなる。
『三人を選べ』
『全員を失う前に』
『自分だけでも』
「組を決めます」と蓮。「外へ先に出るのは、ハヨンさん、閑崎先輩、如月さん。認証、心話、外側の扉保持が必要です。残るのは西能寺先輩、ハミン、僕」
先輩がうなずく。
「今度は合理的だからじゃない」と蓮は続けた。「二回目に帰るための役割です」
「分かってる」
藍羽は納得していない顔でオレを見る。
「絶対、二組目も来て」
「先に昼飯食うなよ」
「そんな心配?」
「大事だ」
「七人でって、ひなたが言ったものね」
ハヨンが先に出る三人の体温、歩幅、通過位相を測り、受け側になるオレ、先輩、蓮の足元へ複製輪を置いた。まだ光らない輪へ、三人ぶんの補正値だけを入れておく。
蓮が時計の蓋を開く。
ち、ち、――ち。
二秒かけて、判定面を含む薄い空間帯を五分の一速へ合わせる。秒針が定位置へ落ちても、蓮は竜頭を発動直前で留めた。押すまでは領域も帰還判定も遅くならない。
三人が白い環へ入る。
赤い文字が確認する。
『帰還者 三。確定する』
「選ぶ、とは言うな」と蓮。「これは正規契約ではありません」
「分かってる」と藍羽。
無言のまま三人が立つ。
正面の岩が左右へ割れた。
向こうに白い保守室が見える。
「行け!」
ハヨン、鈴華、藍羽が走る。
三人目の藍羽の爪先が、境界へ届く。
「いま!」
鈴華の声が頭へ届く。
蓮が竜頭を押した。
針合わせ済みの空間帯が、その瞬間に五分の一へ落ちる。白い光も、境界へ入る物も人も、時計は選り分けない。
藍羽の足が遅い境界を越え、三件目の完了信号が立つ。同時に岩扉が閉まり始めた。
藍羽が外から両手をかける。
先輩が内側から棒を差し込む。岩と岩の間で木がきしんだ。
「長くはもたない!」
蓮の唇から色が抜けた。
「四秒!」
同じ一秒へ、全員の動作が重なった。
ハヨンの端末が最初の三つの完了信号を受ける。準備済みの複製輪が一斉に光り、オレ、先輩、蓮の足元へ同じ帰還の続きとして重なった。
「通って!」
先輩が先。曲がった棒を抜き、扉を押さえたまま身体を滑らせる。境界へ入った手から五分の一へ落ちたが、外の藍羽と呼吸を合わせ、止まりかける身体を押し切った。
次に蓮。
時計を開いたままでは走れない。
肩をつかみ、投げるように外へ送る。境界で勢いが五分の一へ落ちる。先輩が外から腕をつかみ、鈴華が反対の肩を引いた。
最後はオレ。
足元の光が消えかける。
壁へ赤い一文が走った。
『お前が残れば、五人は帰る』
足が止まりかける。
その迷いへ、先輩の手が伸びた。
さっきオレが返した言葉がよみがえる。
勝手に決めるな。
その手を取る。
紅燕歩。
閉じる岩を軸に、小さい身体を回す。境界から脚も呼吸も五分の一へ落ちる。鼻歌で内側の拍を守っても、遅延は消えない。
藍羽の手も反対の腕をつかんだ。
二人に引かれ、境界を越える。
『帰還数――六』
蓮が外へ転がったまま、銀の蓋を閉じた。判定帯の遅延が消える。
赤い表示へ亀裂が走った。
『定義外』
『三』
『六』
『三』
数字が何度も入れ替わる。
最後に全部、白い光へほどけた。
岩扉が閉じる。
六人とも、保守室の床へ倒れていた。
*
蓮は酸欠で起き上がれなかった。
角砂糖を口へ入れ、上着をかける。前に選闘で勝った時と同じだ。
「今度は命令じゃないぞ」
「分かって……います」
「食え」
「それは命令です」
「お願いだ」
蓮は目を閉じたまま、砂糖を噛んだ。
鈴華も壁へ背を預けている。他人の恐怖を六人ぶん通し、声がかすれていた。先輩の棒は中央から少し曲がり、藍羽の両手には赤い擦り傷。ハヨンの端末は熱を持ち、画面の半分が黒い。
誰か一人の力で帰ったやつはいない。
「六十二パーセント、外れたな」と言う。
「最終成功率は八十四」とハヨン。
「残り十六は?」
「お兄ちゃんが最後に止まった分」
「そこも計算するのかよ」
「でも、先輩が引く確率を入れ忘れた」
先輩が曲がった棒を肩へ載せる。
「仲間を引くのに確率がいるか?」
ハヨンは答えず、壊れかけた端末へその言葉を保存した。
外側の鉄扉が開く。
目黒教授が施設職員二人と立っていた。
「無事か!」
教授がオレたちへ走る。手には赤いペンと救急箱。
「扉が突然施錠され、地上の制御盤も反応しなくなった。いま非常校正で開けたところだ」
「中に三人しか帰れない洞窟があった」と言う。
「三人?」
目黒教授は驚いた顔で、消えたはずの岩扉を見る。
そこにはただの保守室の壁しかない。
「古い設備の誤作動かもしれない。まず治療を。話は全員が休んでから聞こう」
目黒教授は蓮の脈を測り、藍羽の手へ消毒をした。いつもの教授と同じ、迷いのない手だった。
「よく全員で戻ったね」
「三人を選ばなかった」と言う。
「それが君の答えか」
「三人ずつ二回を選んだ」
目黒教授は一瞬だけ、赤いペンを持つ手を止めた。
「設問の外へ答えを書く。ハミンくんらしい」
褒められたはずなのに、洞窟の壁と同じ声に聞こえた。
蓮が自分で座れるまで待ち、上着を返してもらって朱赤の緋天衣を着直した。
*
地上へ戻ると、ひなたが昼食を七つ並べて待っていた。
「遅い」
「悪い」
「一時間二十六分遅れ」
「蓮みたいになってるぞ」
「心配した時間だから数えたの」
怒りながら、いちばん大きいおにぎりをオレへ渡す。次に蓮へ糖分の多い飲み物、鈴華へ温かい茶、藍羽へ絆創膏、先輩へ棒を縛る布、ハヨンへ端末を包むタオル。
「普通担当、全部できるな」
「洞窟には入れないけど、帰ってきた人のことはできる」
七人で地面へ座った。
蓮が、食べる前にオレを見る。
「最初に会った時、あなたは規則外の危険だと思っていました」
「いまは?」
「規則が見落とした出口を探す人です」
「褒めてる?」
「最大限」
鈴華がうなずく。
「わたくしも同意します」
先輩は何も言わず、拳を出した。
合わせる。
三人をまとめて委員会と呼ぶには、もう顔を知りすぎている。
一人ずつ呼ぶようになったあとも、距離は一度で決まらない。
背中を預けるたび、もう一歩ずつ変わる。
ひなたが七人の昼食を写真に撮った。
今度は誰も増えず、誰も消えなかった。
*
幕間・目黒教授
六人が去った保守室。
白い壁の奥で、赤い文字が再点灯した。
『帰還可能数 三』
その下へ、赤いペン先が校正を加える。
『被験数 六』
『全員帰還』
『相互適性 充足』
目黒教授は、洞窟を起動した頁を閉じた。
「三人を選ばせても、六人で帰るか」
声は嬉しそうだった。
「なら、もっと大きな選択にも耐えられる」
赤いペンの先から、一滴だけインクが落ちた。
床へ触れる前に、それは小さな選片へ変わった。
エンディングテーマ「たいようは約束」
https://youtu.be/vCsi3UhBpp8




