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はみんぐ・ふれあ  作者: JING
第三章「文化祭は世界の継ぎ目で」
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17/50

第17話「雷をまとった先輩」

オープニングテーマ「HUMMING」

https://youtu.be/azhMg2sRa5g

 文化祭二日目の朝、オレの肩には三種類の紙が貼られた。


 一枚目は保健室の先生の診断書。


 二枚目はハヨンが作った筋肉出力の測定表。


 三枚目は藍羽が太い字で書いた紙だ。


【無茶をしたら蹴る】


「最後のやつ、診断に必要か?」


「一番必要」


 藍羽はオレの背中へ紙を貼り直した。


「傷は浅い。でも腕を上げた時に縫ったところが引っ張られる。痛みが増えたら中止。分かった?」


「分かった」


「返事が軽い」


「重く言えば治るのか」


「蹴れば少しは覚えると思う」


「文化祭が終わってからにしろ」


 舞台袖では、ひなたが二日目の進行表を壁へ貼っていた。昨日の異常停止で壊れた鏡面展示は、ハヨンと蓮が夜までかけて安全なものだけ組み直した。床には新しいケーブル。照明台には新しい番号札。客席には、昨日のことなど知らない生徒と家族がもう集まり始めている。


 笑って止まった人たちも、今日は普通に笑っていた。


 その普通さが、昨日より少し怖い。


「ハミン、ぼんやりしない。最終確認」


 ひなたが指を三本立てる。


「痛みは?」


「少し」


「気分は?」


「戦いたい」


「聞き方を間違えた。吐き気やめまいは?」


「ない」


「じゃあ公演は出る。再戦は公演後にもう一回決める。私が止めても怒らない」


「怒るかもしれない」


「止めるからね」


「怒っても決めるのは水守さんです」


 ハヨンが横から言った。


「お兄ちゃん。今朝の左右出力差は六パーセント。傷側を庇う動作が十二種類。模擬戦なら許容範囲だけど、相手の最大出力が不明」


「先輩の棒なら知ってる」


「棒だけなら」


 ハヨンが会場の反対側を見る。


 先輩は紺色の演武着で、午後五時の再戦に備えて長い棒を布から出し、点検していた。昨日の演武で使った白木の棒じゃない。黒に近い青の金属で、節ごとに銀色の細い文字が巻きついている。棒の下端だけ、鈍く光る金具が突き出していた。


 初戦と、体育祭で見た棒だ。


 体育祭では、先輩は散水で濡れた砂を避け、棒を乾いた場所へ接地させた。晴れていたのに、棒を握る右手へ古い火傷の跡が見えた。


 そして昨日、あいつは言った。


 雷綴を見せる、と。


「見れば分かる」


「お兄ちゃんは、分かるまで殴られるから心配してる」


「心配なのか?」


「観測対象が壊れるのは困る」


「そこじゃないでしょ、ハヨンちゃん」


 藍羽に言われ、ハヨンは口を閉じた。


 少しして、小さな声で付け足す。


「……お兄ちゃんが壊れるのも困る」


「なら壊れない」


「そういう計算式はない」


「今作った」


「却下」


 ハヨンが即答した。


 その顔を見ていたら、肩の痛みが少し遠くなった。


     *


 二日目の《はみんぐ・ふれあ》は、昨日よりうまくいった。


 予定どおり進んだ、という意味じゃない。


 最初の演武で先輩が昨日と同じ白木の棒を高く放りすぎた。蓮が照明の合図を一拍遅らせて受け止め、鈴華が鈴の幻で落下位置を三つに見せ、客席から悲鳴と笑いが同時に起きた。


 オレと藍羽の組手では、肩を庇ったオレの蹴りが半歩浅くなった。藍羽は予定されていた受けをやめ、踏み込んで背中合わせに回る。そこへハヨンが橙の光を流した。


 失敗したところへ、誰かが次を選んだ。


 最後の鼻歌は、昨日よりばらばらだった。


 小さい子は高い声を出し、大人は恥ずかしそうに口を閉じたまま鳴らし、音程を外した生徒が隣と顔を見合わせる。違う音の間へ、金色の粒が生まれた。


 今日は止まらない。


 笑顔も、拍手も、舞台袖の時計も動いている。


 終演後、ひなたがオレたち全員を舞台裏へ集めた。


「昨日より七分押したけど、事故なし。苦情なし。アンケートの『もう一度見たい』が八十六パーセント」


「愛の告白をもう一度聞きたい、は?」


 先輩が聞く。


「集計項目にない」


「追加しよう」


「しない」


 鈴華が帳簿を閉じた。


「無許可の項目追加は、集計の信頼性を下げますわ」


「鈴華まで冷たいな」


「照明事故に見せかけた即興は、追加予算を生みます。そちらのほうが問題です」


「落とさなかっただろ」


「落としかけました」


 蓮が時計を押さえる。


「僕が〇・八秒ずらさなければ、舞台へ穴が開いていました」


「助かった。さすが蓮」


「次は予定の中で褒められたいです」


 昨日までなら、委員会の三人が並ぶと少し空気が固くなった。


 今日は、ひなたが先輩から棒を取り上げ、藍羽が蓮へ飲み物を渡し、ハヨンが鈴華の帳簿へ勝手に数値を書こうとして手を叩かれている。


 敵か味方かで分けるには、もう一緒に失敗しすぎた。


「さて」


 目黒教授が舞台裏へ入ってきた。


 薄い緑の髪に、いつもの色の濃い眼鏡。紫のスーツには、昨日の紙屑が一つも残っていない。手には保健室の診断書と、委員会の安全判定表があった。


「午後五時の選闘について、確認しよう。ハミンくんの傷は浅い。だが参加を勧めるという意味ではない。選ぶのは二人だ」


「オレはやる」


 先輩はすぐには答えなかった。


 オレの肩、それから顔を見る。


「ハミン。痛みを隠してないか」


「隠すほどじゃない」


「昨日の借りを返すために急いでないか」


「昨日のやつは決闘じゃない。おまえとの勝負は、おまえとの勝負だ」


 先輩は棒の端を床へ置いた。


「なら、いい勝負にしようぜ。惚れた相手に手加減なんて失礼だろ」


「まだそれ言うのか」


「好きなものを好きだと言う選択まで、委員会は管理してないからな」


「わたくしたちはその選択を承認もしていません」


 鈴華が言った。


「承認されなくても言える!」


「ハミン」


 藍羽がオレの前へ立った。


「やるなとは言わない。でも、戻ってきたら傷を見せる。勝っても負けても」


「分かった」


「今度は少し重かった」


 ハヨンが測定器を差し出す。


「決闘後の測定をしていい?」


「いい」


「戦闘中の委員章の残留記録も解析していい?」


「先輩がいいなら」


「オレもいい。ただし、恥ずかしい負け方だけ削除してくれ」


「記録の選別はしない」


「厳しいな、妹博士」


 目黒教授が微笑んでいた。


「同意確認は充分だ。武器の安全制限は私が確認した。西能寺くん、規定どおり雷綴の大技は三回まで。塔の致死分散を当てにしてはいけない」


「了解、教授」


 先輩の返事には、迷いがなかった。


     *


 午後五時。


 片づけ途中の中庭には、色紙の輪と、しぼみかけた風船が残っていた。


 オレと先輩を囲むように、二色の円が床へ浮かぶ。


 赤と青。


 藍羽たちは円の外へ立った。観戦するためじゃない。正式な選闘が始まれば、決闘者以外は委員会の三人でも止まる。戻った時に、オレたちが倒れていたら助けるためだ。


「ハミンへ問う」


 先輩が雷綴を立てた。


「西能寺京一は、選塔に問う。オレが勝ったら、一度だけ校外で一緒に飯を食う。嫌なら今、断っていい」


「それ、デートってやつか?」


「オレはそう呼びたい」


「飯ならいい。ただし、好きになるとか、そういうのは賭けないぞ」


「当たり前だ。気持ちは奪っても嬉しくない」


 青い円の文字が、請求を言葉どおりに書き出した。


【一度、校外で同じ食事の席を選ぶ。恋愛感情および以後の関係は請求対象外】


 オレは自分の円へ足を入れる。


「ハミンは、選塔に問う。オレが勝ったら、その棒を誰が作ったか、どうしておまえが持ってるか話せ」


 赤い文字が出た。


【委員棒の来歴を、本人が知る範囲で一度説明する】


 先輩が笑った。


「昼飯を奢れじゃなくていいのか」


「昨日、気になった」


「強くなったな」


「前から強い」


「そっちじゃない」


 床の下から女の声がした。


『相互請求を照合。対価を数え、選択を一つ。双方、理解したなら選びなさい』


 あの声。


 昨日、鏡の向こうから聞こえた女と、どこか似ている。


「選ぶ」


「選ぶ」


 遠くのチャイムが、一音だけ逆さに鳴った。


 風船が揺れた形のまま止まる。


 ひなたの持つ工程表が空中で曲がり、藍羽の長い髪が風に浮いたまま固まった。ハヨンは測定器へ指を置き、蓮は時計を見ている。鈴華の袖も、目黒教授の眼鏡へ映った夕日も、全部動かない。


 動くのは、オレと先輩だけだ。


 色が抜ける。藍羽たちは止まった像ごと輪郭を失い、夕暮れの中庭から姿を消した。


 中庭の階段が一度だけ空へ折れ、次に踏んだ床が白くなった。


 塔の屋上へつながる、雲上闘技場。


 直径百二十メートルの白い床。その円い外縁より下を雲が流れ、二千五百メートル級の青空では太陽が右にあるのに、オレたちの影は左へ伸びていた。空気だけは地上の中庭と同じ濃さだ。入口扉は外縁に残り、暗い膜で閉ざされている。


 十二歩先で、先輩が雷綴を横に構える。


「初戦では使わなかった」


「その棒は初戦でも使っただろ」


「棒はな。あの時は、許可前の奥義を初見のおまえへ使うのは公平じゃなかった。今日は見せると予告した。安全設定も確認した」


 先輩の指が、棒の銀文字をなぞった。


「委員棒、雷綴。これがオレの奥義だ」


 ばち、と青白い火花が散った。


 棒の周りへ細い雷が巻きつく。


 空気が焼けた匂い。


 肩の傷が、音だけで痛んだ気がした。


『開始』


 先輩が来る。


 最初の一撃に雷はなかった。


 棒の中ほどを持ち、短く見せた先端がオレの顎へ跳ね上がる。首を倒して避けたところへ、反対の端が脇腹を狙う。腕で受ければ傷へ響く。半歩入って、棒の内側へ潜る。


 肘を胸へ。


 先輩は棒を縦にして止めた。


 金属越しに拳がぶつかる。青い火花が指へ這い、握る力が一瞬抜けた。


「触っただけで来るのか!」


「小さいのはな!」


 先輩が棒を回す。


 肩、膝、こめかみ。


 三方向から同時に来るように見える。初戦より速い。雷へ気を取らせて、棒術で打つ。右へ避けると先端が伸び、左へ沈むと石突が待つ。


 一本の棒なのに、先輩の手の中では長さが変わる。


 オレは最初の二打をかわし、三打目を掌で流した。皮膚へ青い線が走る。腕がしびれる前に手を離し、軸足を刈る。


 先輩は飛んだ。


 床へ手をつかず、棒の下端を白い床へ突く。


 かちり。


 銀色の金具が、床へ噛み合った。


「一発目!」


 嫌な感じが背中を走った。


 オレは横へ跳ぶ。


 青白い雷が、棒の下端から床の細い放射線へまっすぐ走った。


 線の交点で折れ、オレの着地点へ迫る。


 完全には避けきれない。踏んだ靴から電撃が脇腹まで抜け、緋天衣の朱赤の上着へ黒い焦げ跡が走った。法宝の布はすぐ煤を弾いて元へ戻ったが、中の身体までは戻してくれない。痛いというより、身体の中から殴られた。息が消え、足が勝手に縮む。


 白い床へ転がった。


「ぐっ……!」


 止まるな。


 転がった勢いで立つ。先輩の追撃が頭上を通った。


「直撃を避けたか!」


「今のが直撃なら、丸焼きだろ!」


「塔が散らす。だが痛いぞ!」


「知ってる!」


 胸の奥が速く鳴る。


 一発目。


 先輩は放つ直前、棒の下を床へつけた。


 初戦では見なかった動き。体育祭では、濡れた砂を避けた動き。


 古い火傷は右手。放電のあと、先輩は右の指を一度だけ開いた。


 撃てば、あいつにも返る。


「考えてる顔だな」


「おまえほどじゃない」


「オレは顔がいいだけだ」


「自分で言うな!」


 距離を詰める。


 雷が怖いなら、近づく。


 遠くから狙わせるより、先輩自身も巻き込む距離へ入る。拳を見せ、膝を折り、途中で背中を向ける。紅燕歩。女の身体になって覚えた低い回転で、棒の下へ滑った。


 踵が先輩の手首へ当たる。


 雷綴が浮く。


 取れる。


 伸ばした左手へ、先輩の空いた拳が来た。


 鼻の前で止め、首を振る。拳が耳をかすめた。先輩は浮いた棒を膝で跳ね上げ、反対の手でつかむ。


「棒がなくても殴るのか」


「棒術家は棒だけで立ってるわけじゃない!」


 頭突きが来る。


 額を合わせて受けた。


 星が飛ぶ。


 二人同時に下がり、同時に笑った。


「楽しいな、ハミン!」


「当たり前だ!」


 痛い。肩も、脇腹も、額も痛い。


 それでも、相手が次に何をするか分からない瞬間は、どうしようもなく面白い。


 先輩が低く棒を払った。


 跳ぶ。


 違う。


 棒の下端がまた床へ触れた。


「二発目!」


 電撃はオレじゃなく、床へ入った。


 十三重の円に沿って青い線が走る。跳んだ足の真下から雷が噴き上がった。


 空中では避けられない。


 両腕を顔の前へ交差する。電気が靴から背骨へ抜けた。歯が勝手に噛み合い、視界が白くなる。


 落ちる。


 先輩の棒が、落下地点へ待っていた。


 身体はまだ動かない。


 なら、動くところだけ使う。


 息を吐く。


 喉の奥で低い音が鳴った。


 ううん。


 止まりかけた筋肉へ、音の震えが戻る。指。手首。肘。全部を動かそうとせず、棒へ触れる指だけを選ぶ。


 先端を二本の指でずらした。


 胸を狙った棒が肩の横を抜ける。オレは白い床へ落ち、片膝をついた。


 先輩も右腕を押さえていた。


「今の音」


「文化祭の曲だ」


「一人で歌っても派手には光らないな」


「勝負にはちょうどいい」


 二発。


 先輩の右手は震えている。雷綴の銀文字も、最初より暗い。


 大きいのはあと一発。


 だが、分かったから勝ちじゃない。


 先輩は棒を左手へ持ち替えた。


 右腕がしびれているのに、間合いは崩れない。むしろ握りを変えたことで、初めて見る軌道が増えた。


 棒の先が頬を打つ。


 浅い。だが速い。


 次が膝へ入る。足が落ちる。さらに首の後ろへ回され、引かれた。


 床が近づく。


 オレは逆らわず前へ回転した。背中から落とされる前に、棒を軸に一回転。先輩の肩へ脚を絡める。


「うおっ!」


 二人で転がった。


 先輩が上。オレが下。


 雷綴が喉の前へ来る。


 両手で止めた。細い火花が掌を刺す。肩の縫い目が引かれ、熱いものがにじんだ。


「降参するか」


「する顔に見えるか」


「いい顔だ」


「気持ち悪い!」


 額を先輩の顎へぶつける。


 力が緩んだ。腰をねじって上下を返す。拳を振るうと、先輩は雷綴を寝かせて受け、その反動でオレを蹴り離した。


 床の外側へ近づいていた。


 白い床の円い外縁が近い。その手前では、外縁の安全溝から薄い冷却霧が流れ、中心円から外へ行くほど、足元が湿っていた。


 冷たい。


 二発目の熱を逃がした冷却霧が、細かな水滴になっている。


 濡れた砂を避けた先輩。


 濡れた床。


 棒の接地点。


「先輩」


「なんだ」


「三発目、撃ってみろ」


「挑発が下手だな」


「怖いのか?」


「それはもっと下手だ!」


 先輩が笑って走る。


 オレは円い外縁へ向かって下がった。逃げるように見せる。右足を引きずり、しびれが残っているように見せる。


 半分は本当だ。


 先輩は棒を振り上げた。


 オレの肩へ目をやる。


 傷を狙わない軌道へ変えた。


 甘い、とは思わない。


 それが先輩の勝ち方だ。


 オレも、そこを使う。


 棒が頭上を通る直前、身体を沈めた。先輩の懐へ入り、肘を胸へ当てる。先輩が下がる。下がった先へ、オレが蹴りで水滴を跳ね上げた。


 白い霧が、二人の間に広がる。


「見えなくしても――」


 先輩は棒の下端を床へ突いた。


 かちり。


「雷は追う! 三発目!」


 青白い光が爆ぜた。


 オレは先輩へ飛び込むのをやめ、横へ踏んだ。


 電撃は棒から離れて、好き勝手に曲がったんじゃない。


 霧から床へ落ちた水滴が、接地点からオレの着地先まで細い道を作っている。


 雷が枝分かれした。


 一本が濡れた床から、オレの靴へ。


 残りは棒の接地点から濡れた床を走る。青い根みたいな光が先輩の足元へ広がった。


「なっ――」


 接地していた雷綴へ、放った電気が逆に戻る。


 先輩の右腕が跳ねた。


 棒の銀文字が一斉に消える。


 オレの袖も焦げた。腕は痛い。だが、立っている。


「三発」


「数えたか」


「分かりやすかった」


「やるじゃないか」


 雷綴から雷が消えた。


 先輩の両腕にはしびれが残っている。


 これで有利。


 そう思った瞬間、棒の石突が腹へ入った。


「がっ」


「だから、分かりやすい顔をするな!」


 雷がなくなっても、先輩は先輩だった。


 踏み込みが深い。棒が速い。三発を見切った安心を、次の一打で壊してくる。


 オレは腹を押さえず、そのまま前へ出た。


 拳を棒へ当てる。受けられる。蹴りを脇へ入れる。肘で落とされる。先輩の突きを頬でかわし、肩をぶつける。


 傷が開く。


 痛みで息が切れた。


 先輩の足ももつれる。


 空の白さが増していた。


『残り一分』


 低いハミングが高くなる。


 判定まで待てば、有効打はどちらが多い。


 分からない。


 だから、待たない。


「最後だ!」


「来い!」


 オレが踏み込む。


 先輩が棒を突く。


 身体を横へずらし、脇へ棒を挟んだ。止めきれず、先端が背中を打つ。オレはそのまま進み、先輩の襟をつかむ。


 先輩もオレの帯をつかんだ。


 足を掛ける。


 掛け返される。


 二人とも倒れず、二人とも止まれない。


 湿った床を滑り、白い外縁を越えた。


 足元が消える。


「あ」


「お」


 白い床の外へ、二人そろって落ちた。


 上下が分からなくなったのは一瞬だけだった。視界が青く裏返り、次には二人まとめて屋上扉の階段側踊り場へ投げ出される。オレは先輩の襟をつかんだまま、先輩はオレの帯をつかんだままだ。暗い膜に閉ざされた扉は三歩先にある。


『双方、場外。一』


「放せ!」


「おまえが放せ!」


『二』


 二人で扉へ走ろうとして、互いを引き倒した。


 先輩が雷綴を支えに立とうとする。棒の先だけが暗い膜へ触れ、白い火花を散らした。


『三。四。五』


「投げろ!」


「戻れたほうが勝つぞ!」


「だから投げろ!」


「おまえもつかんでるだろ!」


『六。七。八』


 二人で雷綴を持ち、反動をつける。一本の棒を支えに同時に跳べば、どちらかが先に扉へ届くかもしれない。


 同時に床を蹴った。


 棒だけが手を離れ、階段を二段下へ転がった。


 オレたちは互いを引いて、その場へ倒れた。


「失敗したな」


「おまえのせいだ」


『九。十。十一』


 先輩が笑った。


「楽しかった」


「まだ終わってない」


「じゃあ、あと二つ楽しめ」


『十二』


 オレも笑った。


『十三。双方、場外確定。勝敗なし。請求は発生しません。対価を戻します』


 青が裏返った。


     *


 暗い膜が消え、扉の向こうに百二十メートルの白い円が戻る。その景色もすぐ白くほどけ、中庭へ返された時、オレと先輩は同時に地面へ転がった。


 止まっていた風船が動き、ひなたの工程表がぱたんと閉じる。


「ハミン!」


 藍羽が駆け寄った。


「西能寺先輩!」


 蓮が先輩へ走る。


 決闘の中を見ていた者はいない。鈴華の委員章に、雷の三本の線と、二人が外縁の外へ落ちる場面だけが壊れた絵のように浮かんだ。


「引き分け?」


 ハヨンが測定器を当てながら聞く。


「棒を投げた」


「なんで?」


「戻るためだ」


「戻れてない」


「そういう時もある」


「お兄ちゃん、傷が開いてる」


「そういう時じゃない!」


 藍羽に怒鳴られた。


 先輩は両腕をしびれさせたまま、地面へ仰向けになっている。それでも、笑っていた。


「負けなかったぞ」


「勝ってもない」


「次がある」


「次は傷がない時にしろ」


「それはオレの台詞だ」


 目黒教授が雷綴を拾った。


 消えていた銀文字が、教授の指へ触れると一つずつ戻っていく。棒の下端から、髪の毛より細い赤い線が伸びた気がした。


 線は夕暮れの中庭を横切り、高い塔のほうへ消えた。


 瞬きすると、もうない。


「安全制限は正常に働いた」


 目黒教授は棒を先輩へ返した。


「よく制御したね、西能寺くん」


「教授がオレの気の流れを整えて、雷綴へ逃がす道を作ってくれたからです」


「道具は選択肢を増やすだけだ。扱ったのは君だよ」


 先輩は雷綴を両手で受け取った。


 しびれている指でも、落とさなかった。


「勝者なしですから、請求はどちらも失効しますわ」


 鈴華が委員章を確認した。


「武器の来歴を話す義務も、食事へ行く義務もありません」


「分かってる」


 先輩は起き上がった。


「でも、話す」


「いいのか?」


「オレが選んで話すなら、問題ないだろ」


 雷綴を膝へ置く。


「生まれつき、身体に電気が溜まった。小さい頃は指から火花が出る程度だった。でも、年齢が上がって身体と気が強くなるほど、溜まる電気も増えた。怒った時だけじゃない。棒を振って気が上がると、勝手に指から火花が出た」


 先輩が右手の古い火傷を見せた。


「中学の時、稽古相手へ大きいのを放ちかけた。あいつの胸へ入る直前、壁の金具へそれた。それでも袖と胸元を軽く焼いて、転ばせた。次は助からないと言われた。道場も大会も、出るなってな」


 明るい声のままだった。


 ただ、棒を持つ指だけが強くなる。


「教授が来た。最初に、肩から右腕、足まで偏っていた気の流れを整えてくれた。漏れる力を悪いものとして捨てるんじゃなく、身体の中に閉じ込めず地面へ流す道を覚えろって。それでも成長すれば余る電気を逃がすために、この雷綴をくれた。三発まで、接地して、周囲を見て使えと教えた。委員会には、力を使って守る仕事があった」


「だから信じてるのか」


「ああ」


 先輩は迷わなかった。


「昨日、鏡の女が何を言ったかも聞いた。教授が何か隠してるかもしれないとも思う。でも、オレが人を傷つけずに戦えるようになったのは嘘じゃない。委員会がオレの居場所になったのも嘘じゃない」


 目黒教授は少し離れたところで、何も言わず聞いていた。


 助けたことと、隠していること。


 どちらかが嘘なら簡単だった。


 たぶん、どちらも本当だから難しい。


「分かった」


 オレは言った。


「すぐ敵だとは決めない」


「教授をか?」


「おまえを」


「そこはもう友達だろ!」


「勝手に決めるな」


「じゃあ今、選べ。友達になるか、もっと友達になるか」


「選択肢が一つしかない!」


 ひなたが吹き出した。


 藍羽も、呆れた顔のまま笑う。


 先輩は少し真面目な顔へ戻った。


「それと、飯も行こう。請求じゃない。オレが頼んで、ハミンが断れるやつだ」


「飯ならいい」


「本当か!」


「藍羽とハヨンも連れていく」


「お兄ちゃん、私は実験が」


「来ないのか?」


 ハヨンは一秒だけ考えた。


「行く」


「私も?」


 藍羽が自分を指す。


「嫌なら来なくていい」


「行く。西能寺先輩を監視する」


「集団デートか。難度が上がったな」


「ただの飯だ!」


 目黒教授が、声を立てずに笑っていた。


 その手にある薄い記録板へ、赤い数字が一つ増えた。


 三。


 何の数字か聞く前に、表示は消えた。

エンディングテーマ「たいようは約束」

https://youtu.be/vCsi3UhBpp8

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