6話 四文字の旅、八文字の影
四字熟語を背負って生きる者たちの世界で、
臨機応変のリンと、猪突猛進のシンが再会するところから物語は始まります。
旅、バトル、料理、そして少しずつ増えていく仲間たち。
気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。
水路を流れた水は、夕暮れの畑へ静かに染み込んでいた。
乾いていた土が色を変える。
萎れていた葉が、水滴を受けてわずかに揺れる。
村人たちは、誰もすぐにはその場を離れなかった。
子どもたちは水路の横を走り、大人たちは積み直した石組みを何度も確かめている。
老人の中には、流れる水へ手を浸し、そのまま目元を拭う者もいた。
「本当に戻ったんだな」
門番の男が呟いた。
「ああ」
隣に立つシンが答える。
「俺が一度壊したけどな」
「それを自分で言うのか」
「隠しても仕方ねえだろ」
「昨日のお前なら、壊れたなら直せばいいと言っていたな」
「言ってたか?」
「言っていた」
男は呆れながらも、少し笑った。
「今日は言わないんだな」
「直したのは俺だけじゃねえからな」
シンの視線の先。
小さな少年が、仲間と一緒に水を追いかけていた。
昨日、肉を食わせると約束した子どもだった。
「シン兄ちゃん!」
少年が駆け寄ってくる。
「何だ」
「お肉、食べられる?」
シンは村長を見た。
村長は杖をつきながら、畑の中央へ歩いてくる。
「肉を村へ運べ」
その言葉に、子どもたちが歓声を上げた。
「肉だ!」
「本当に?」
「今日は食べていいの?」
母親たちは喜ぶ子どもを抱き寄せながらも、どこか不安そうに村長を見ている。
村長は集まった者たちを見回した。
「これは施しではない」
イオが眉をひそめる。
「まだ言うんですか」
「最後まで聞け」
村長は杖の先で、流れる水路を示した。
「この水路は、村の者だけでは直せなかった」
村人たちが静かになる。
「よそ者だけでも直せなかった」
リンは黙って続きを待った。
「今日ここにいる者、全員で直した」
村長の背中に、緑の四文字が浮かぶ。
自給自足。
昨日までよりも、その光は穏やかだった。
「ゆえに、あの肉は皆で働いた日の食事とする」
子どもたちは、言葉の細かな意味までは理解していない。
だが、食べてよいことだけは分かったらしい。
再び歓声が上がる。
「肉!」
「早く帰ろう!」
「お鍋にする?」
シンも子どもたちに混じって声を上げた。
「肉だ!」
「あなたは少し落ち着いて」
イオがシンの袖を引く。
「今日は俺も働いた」
「だから食べるなとは言ってない」
「大盛りだな」
「全員へ配ってから決める」
「俺は全員の中で一番でかい」
「態度も一番大きいわね」
村へ戻る頃には、日は山の向こうへ沈みかけていた。
中央の広場へ、大角猪の肉と骨が運ばれる。
昨日まで肉を遠巻きに見ていた村人たちも、今度は自分たちから近づいた。
女たちが家から鍋を持ち寄る。
男たちは薪を割り、火を起こす。
老人たちは、保存していた豆や根菜を少しずつ持ってきた。
「出せるもの、あるじゃねえか」
シンが干し豆の袋を見て言った。
「種にする分だったんだ」
村人の男が答える。
「村長が、少しだけなら使っていいと」
「最初から食えばよかったのに」
「シン」
リンが肘で小突く。
「何だよ」
「本当でも、今は言わなくていい」
「面倒だな」
「人と暮らすのは大体そうだ」
広場の中央へ、大きな鍋が置かれた。
イオは腕まくりをし、集まった食材を一つずつ確認する。
大角猪の肉。
根菜。
干し豆。
乾燥させた山菜。
少量の岩塩。
穀物はほとんどない。
だが、村全員が腹を満たすには十分な量だった。
「今日は何を作る」
リンが尋ねる。
「肉と豆の煮込み」
「肉は多い?」
シンが聞く。
「豆も多い」
「肉を聞いてる」
「ちゃんと入れる」
イオは肉の塊を部位ごとに切り分けた。
柔らかい部分は、子どもや老人へ。
筋の多い部分は薄く切り、長く煮込む。
骨は割り、先に火で炙った。
「どうして焼くの?」
少年が鍋の横から覗き込む。
「香ばしくなるし、臭みも減るから」
「臭みって?」
「獣っぽい匂い」
「お肉は獣じゃないの?」
「元はね」
「じゃあ、獣っぽくていいんじゃない?」
イオは少し考えた。
「食べやすい方が、みんなたくさん食べられるから」
「ふうん」
少年は分かったような、分からないような顔をした。
炙った骨を鍋へ入れる。
水を注ぎ、強火で煮立たせる。
やがて表面へ灰色の泡が浮かんできた。
イオは小さな匙で丁寧にすくっていく。
「それも捨てるのか?」
シンが横から尋ねる。
「そうよ」
「食えないのか?」
「食べられなくはないけど、味が濁るの」
「肉の味がするかもしれねえ」
「しないからやめなさい」
イオは伸びてきたシンの手を木べらで叩いた。
「痛え!」
子どもたちが笑う。
鍋へ根菜と豆を加える。
火の通りにくいものから順番に入れ、少し煮てから肉を加えた。
筋の多い肉は薄く。
脂の多い肉は小さく。
最後に、乾燥させた山菜と塩を入れる。
イオの背中に、橙色の四文字が浮かんだ。
医食同源。
湯気が淡い光を帯びる。
大角猪の力。
豆の滋養。
根菜の甘み。
山菜の香り。
それぞれが鍋の中で混ざり合い、一つの料理へ変わっていく。
「光ってる」
一人の少女が呟いた。
「食べたら、元気になる?」
「なるよ」
「病気も治る?」
イオの手が、一瞬だけ止まった。
「全部は治らない」
「そうなの?」
「でも、食べる力が戻れば、体も少しずつ戻る」
少女は鍋を見つめた。
「じゃあ、おばあちゃんも食べたら元気になる?」
「柔らかく煮た肉と豆を、少しずつ食べてもらおう」
「うん」
イオは再び鍋を混ぜ始める。
リンはその横顔を見ていた。
料理をしている時のイオは、戦っている時よりも真剣だった。
誰へ何を食べさせるのか。
どの食材を、どれだけ使うのか。
食べる者の体調まで考えながら、一つの鍋を作っている。
「リン」
シンが小声で呼ぶ。
「何だ」
「少し味見してこい」
「自分で行け」
「俺はさっき叩かれた」
「僕も叩かれる」
「お前なら避けられるだろ」
「料理中のイオを敵に回したくない」
「臨機応変だろ」
「今は近づかないのが最善だ」
「便利な真名だな」
やがて、イオが鍋の蓋を開けた。
濃い湯気とともに、肉と豆の香りが広場を満たす。
「できたよ」
子どもたちが一斉に立ち上がる。
イオはすぐに手を叩いた。
「並んで!」
子どもたちは慌てて一列になった。
先頭には、いつの間にかシンも並んでいた。
「あなたは後」
「何でだ」
「子どもとお年寄りが先」
「俺、怪我人だぞ」
「昨日、もう戦えるって言ってたでしょ」
「今日は水路も直した」
「元気ね」
シンは不満そうに列の最後へ移動した。
「大盛りは残しとけよ」
「全員へ配ってから」
「なかったら?」
「豆を増やす」
「肉を増やせ」
最初の器は、痩せた老人へ渡された。
イオは肉を細かく崩し、豆と根菜を多めに入れる。
「ゆっくり食べてください」
「ありがたい」
老人は器を両手で受け取った。
続いて、子どもたち。
少年は器の中を見て目を輝かせる。
「お肉が二つ入ってる!」
「よく噛んでね」
「うん!」
少年は母親の隣へ座り、一口目を食べた。
目を見開く。
「おいしい!」
その声をきっかけにしたように、広場のあちこちから同じ言葉が聞こえ始めた。
「柔らかい」
「温かいねえ」
「豆が甘い」
「肉なんて、いつぶりだ」
大人たちは、自分の器の肉を子どもへ移そうとする。
イオはそれを見つけるたびに止めた。
「大人も食べて」
「子どもが先だ」
「あなたたちが倒れたら、畑を守れないでしょ」
「でも」
「全員分あるから」
そう言って、大人の器にも肉を入れる。
最後に、リンとシンへ器が渡された。
シンは中を確認する。
「少ない」
「全員へ配った後だから」
「豆の方が多い」
「豆も食べなさい」
「俺は猪突猛進だぞ」
「猪も豆を食べるわ」
「そうなのか?」
「たぶん」
「知らねえのかよ」
リンは器を受け取った。
肉と豆。
柔らかく煮えた根菜。
汁には、骨から出た旨みが溶けている。
一口食べる。
体の内側へ、温かさが広がっていく。
「うまい」
「昨日より食材が多いからね」
イオは鍋の前へ座り、自分の分をよそった。
リンの隣では、シンが凄い勢いで食べている。
「シン」
「何だ」
「あの子、見てるぞ」
昨日の少年が、シンの器を見つめていた。
自分の分は、もう食べ終えたらしい。
シンは器の中を見る。
肉は、あと一切れ。
しばらく動かない。
「欲しいのか」
少年は首を横に振った。
「いらない」
「見てただろ」
「シン兄ちゃんが食べて」
「俺はもう食った」
「でも、最後のお肉」
「豆の下にもある」
「ないよ」
「ある」
「見えないよ」
「俺には見える」
シンは最後の肉を少年の器へ入れた。
「食え」
「いいの?」
「俺は肉より豆が好きだ」
リンがシンを見る。
イオも見ている。
「何だよ」
「いや」
リンは笑いを堪えた。
「初めて聞いたと思って」
「昔から好きだ」
「さっき豆の方が多いって文句を言ってたわよね」
イオが言う。
「今、好きになった」
少年は肉を口へ入れた。
嬉しそうに噛んでいる。
シンは豆ばかりになった器を見て、小さくため息をついた。
「イオ」
「何?」
「おかわり」
「豆ならあるよ」
「……もらう」
広場では、笑い声が続いていた。
昨日まで食料を隠すように暮らしていた者たちが、同じ火を囲んでいる。
肉を食べ。
豆を分け。
温かい汁を飲む。
誰かの器が空けば、別の誰かが鍋を覗く。
足りない者がいれば、自分の分を少し渡す。
リンは、その光景を静かに眺めた。
自給自足。
自ら作り。
自ら育て。
自らの力で生きる。
けれど、この村で今食べている料理は、誰か一人が作ったものではない。
シンが狩った。
リンが手伝った。
イオが料理した。
村人が豆や根菜を持ち寄った。
全員が水路を直した。
一つの鍋に、たくさんの手が重なっている。
それでも、これを自給自足ではないと言い切れるのだろうか。
焚き火から少し離れた場所。
村長が一人で座っていた。
手には器を持っている。
だが、まだ口をつけていない。
リンは自分の器を持ち、村長の隣へ座った。
「食べないのか」
「食べる」
「冷めるぞ」
「分かっている」
村長は器の中を見つめたまま、動かない。
「施しじゃない」
リンが言った。
「分かっている」
「村のみんなが働いた」
「ああ」
「あなたも、村人を止めなかった」
「それを働いたとは呼ばぬ」
「なら、食べない?」
村長は黙っている。
焚き火の向こうでは、シンが子どもたちに囲まれていた。
鉄棒を持たせてくれと、せがまれている。
「重いから無理だ」
「少しだけ!」
「落としたら足が潰れるぞ」
「シン兄ちゃんは持てるのに」
「俺は強いからな」
「僕も強くなる」
「なら肉を食え」
「さっきシン兄ちゃんがくれた!」
「それで強くなる」
イオは老人たちの器を確認している。
食べにくそうな者には、肉をさらに細かく崩していた。
村長は、その様子を見つめた。
「私は」
老人が口を開く。
「間違っていたと思うか」
リンはすぐには答えなかった。
「自給自足を?」
「ああ」
「間違ってない」
村長がリンを見る。
「己の力で生きることは大事だ」
「ならば」
「でも、自分の力だけで生きることとは違う」
リンは鍋を囲む者たちを見た。
「人は、一人で畑を作れない」
「作れる者もいる」
「一人で種をまき、一人で水を運び、一人で収穫し、一人で料理することはできるかもしれない」
「ならば」
「でも、病気になったら?」
村長は黙る。
「怪我をしたら。作物が枯れたら。自分にはできないことが起きたら」
「耐える」
「耐えて死んだら、次はない」
リンは静かに言った。
「助けを借りることと、依存することは違う」
「境目はどこだ」
「分からない」
リンは正直に答えた。
「僕は臨機応変だから」
「答えになっていない」
「状況で変わる。助けを借りすぎれば、自分で立てなくなる。助けを拒みすぎれば、立てる者まで倒れる」
村長の器から、湯気が細く立ち上っている。
「では、どうすればいい」
「その時ごとに考える」
「曖昧だな」
「生きることは、たぶんそういうものだ」
村長は鼻で小さく笑った。
「お前は、老人に説教するには若すぎる」
「あなたは、子どもを飢えさせるには頑固すぎる」
村長の目が細くなる。
リンは少しだけ身構えた。
だが、老人は怒らなかった。
器から肉を一切れ取り、口へ運ぶ。
ゆっくりと噛む。
「うまいな」
「イオが作ったから」
「そうか」
村長はもう一口食べた。
「温かい」
「料理だから」
「分かっている」
「なら、最初から食べればよかった」
「お前は少し、あの猪突猛進に似てきたな」
リンは焚き火の向こうを見る。
シンが子どもへ鉄棒を触らせようとして、イオに木べらで叩かれていた。
「それは嫌だな」
「何が嫌だ!」
聞こえていたらしい。
シンが遠くから叫ぶ。
「食べながら叫ばないで!」
イオの木べらが飛ぶ。
シンの額へ当たった。
村長の口元が、わずかに緩んだ。
翌朝。
三人は村の入口に立っていた。
夜のうちに残った肉は、塩漬けと干し肉にされている。
骨は砕き、今後の料理へ使うため保存された。
畑には、昨日戻った水が流れ続けている。
村人たちは朝早くから、水路や作物の様子を確かめていた。
リンは背負い袋を直す。
シンは鉄棒を担ぐ。
イオは鍋や調理道具を荷へまとめていた。
「本当に行くのか」
昨日の少年が、シンへ尋ねる。
「ああ」
「また来る?」
「分からねえ」
「来てよ」
「肉があればな」
「次は僕が狩る」
「大角猪を?」
「うん」
「百年早い」
「じゃあ、大きくなったら」
「その頃には、俺の方がもっと強くなってる」
「僕も強くなるよ」
「なら負けねえように食え」
シンは少年の頭を乱暴に撫でた。
イオの前には、昨日の少女と老女が立っている。
「これ、持っていって」
少女が小さな布袋を差し出す。
中には、乾燥させた山菜が入っていた。
「いいの?」
「おばあちゃんが、料理に使えるって」
老女が頷く。
「村ではよく食べる草だよ。水で戻して煮るといい」
「ありがとう」
イオは袋を大切そうに受け取った。
「今度は、別の料理にしてみるね」
「また食べたい」
「その時は、一緒に作ろう」
リンの前には、村長が立っていた。
手には、小さな革袋を持っている。
「これは?」
リンが受け取る。
中には、乾燥した豆の種が入っていた。
「山豆だ」
「昨日食べた豆?」
「ああ。痩せた土地でも育つ」
「もらっていいのか」
「施しではない」
リンは思わず笑った。
「じゃあ、取引?」
「返礼だ」
「何への」
「水路を直したこと。肉を持ってきたこと」
「村の人も働いた」
「だから、村の物を渡す」
村長は少し間を置いた。
「次に食料へ困っている者と出会ったら、渡せ」
「あなたが?」
「何だ」
「他人へ食料を渡すのは、村を弱くするんじゃなかったのか」
「種は食料ではない」
「屁理屈だな」
「お前にだけは言われたくない」
二人は顔を見合わせた。
リンは種の袋を背負い袋へ入れる。
「必ず渡す」
「育て方も教えろ」
「僕は知らない」
「イオに聞け」
「私も詳しくないわよ」
イオが横から答える。
「じゃあ、どうする」
シンが言う。
「土に埋めれば生えるだろ」
「適当に埋めるな」
村長は小さく息を吐いた。
「次に立ち寄った村で、知る者を探せ」
「分かった」
リンは頷いた。
村長は三人を見渡す。
「お前たちは、どこへ向かう」
リンは答えようとして、止まった。
目的地は決めていない。
シンは西へ行くと言っている。
理由は、夕日が沈むから。
イオは食材を探しながら、治せる者を治すと言った。
三人とも、目的は違う。
「西だ」
シンが答えた。
「それだけか」
「西に何かある」
「何が」
「行けば分かる」
「何も考えていないな」
「考えてる」
「何を」
「昼飯を」
イオがため息をつく。
「昼は昨日の残りを焼いて食べる」
「肉は?」
「少しだけ」
「少しか」
「豆もある」
「また豆か」
「昨日、好きになったんでしょ」
「昨日だけだ」
村人たちの間から笑い声が上がる。
三人は門の外へ出た。
西へ続く道が、山の間へ伸びている。
「イオ」
リンが呼んだ。
「何?」
「村へ残らなくていいのか」
「水路も直ったし、保存食もできた。しばらくは大丈夫」
「その後は?」
「また必要になったら戻る」
「じゃあ、どこへ行く」
「決めてない」
「一人で?」
イオは少し黙った。
シンが先に答える。
「三人で行けばいい」
「また勝手に決める」
「嫌なのか?」
「そういう聞き方はずるい」
「嫌じゃないなら決まりだ」
「リンは?」
二人がリンを見る。
リンは歩きながら考えた。
一人で旅を始めた。
目的もなく。
行き先もなく。
誰かに合わせず、自分の道を探すつもりだった。
そのはずが。
三年ぶりにシンと再会し。
殴り合って。
全財産を失い。
イオの鍋に釣られ。
大角猪を狩り。
村の水路を直した。
何一つ、予定どおりではない。
それでも。
一人で硬い黒パンをかじっていた時より、今の方が腹は満たされていた。
「リン?」
イオがもう一度呼ぶ。
「僕も西へ行く」
「理由は?」
シンが尋ねる。
「お前を放っておくと、次の村も壊す」
「今度は壊さねえ」
「昨日も聞いた」
「今日は昨日より分かってる」
「その言い方、まだ使うのか」
イオが笑った。
「じゃあ」
リンは二人を見る。
「しばらく三人で行こう」
「しばらく?」
シンが不満そうな顔をする。
「状況に応じて変える」
「便利だな、臨機応変」
「最初に言っただろ」
「食事はどうする?」
イオが尋ねる。
「狩る」
シンが答える。
「毎日肉は駄目」
「じゃあリンが野菜を食え」
「お前も食べるんだ」
「俺は肉を食う。リンは野菜を食う。イオは作る」
「何も分担できてないわよ」
三人の声が、朝の街道へ響く。
村人たちは、門の前でその背中を見送っている。
リン。
シン。
イオ。
臨機応変。
猪突猛進。
医食同源。
同じ目的を持っているわけではない。
同じ生き方をしているわけでもない。
何かを決めるたびに意見はぶつかる。
それでも。
昨日は、同じ水路を直した。
昨夜は、同じ鍋を囲んだ。
今朝は、同じ道を選んだ。
三人の旅は、この日から始まった。
目的地は、まだない。
金も、ほとんどない。
食料も、数日分だけ。
けれど、一人ではない。
日が暮れる頃。
三人は、街道から少し外れた林で野営することにした。
シンが薪を拾う。
リンが周囲の安全を確かめる。
イオが鍋へ水を入れ、村でもらった山菜を戻していた。
「今夜は何だ」
シンが焚き火の前へ座る。
「山菜と豆のスープ」
「肉は?」
「昼に食べた」
「夜は夜だろ」
「肉は一日に一回で十分」
「誰が決めた」
「私」
「横暴だ」
「料理する人の言うことは聞きなさい」
シンはリンを見る。
「何とかしろ」
「今の状況では、イオに従うのが最善だ」
「役に立たねえな」
イオは鍋へ山豆を入れた。
固い豆を煮るには時間がかかる。
その間、三人は焚き火を囲んで座った。
昼間までの騒がしさが嘘のように、森は静かだった。
火の粉が、夜空へ昇っていく。
「イオ」
シンが呼んだ。
「何?」
「お前、これからも村を回るのか」
「そのつもり」
「何で」
「食べる物や薬がなくて困ってる人がいるから」
「どこに」
「いろいろ」
「分からねえなら探せねえだろ」
イオは鍋を混ぜる手を止めた。
「前より増えてるの」
「何が?」
「食べられない人。薬を買えない人。住んでいた場所を追われた人」
リンが顔を上げた。
イオの声は、いつもより低かった。
「カヤ村みたいな場所が、他にもあるのか」
「ある」
「天候や虫のせいで?」
「それだけじゃない」
イオは火を見つめた。
「少し前から、世界がおかしくなり始めた」
シンが首を傾げる。
「世界なんて前からおかしいだろ」
「そういう話じゃない」
イオは少し迷ったあと、静かに続けた。
「国境を閉ざす領主が増えた。食料を運ぶ道が封鎖されて、村へ届くはずの荷が奪われてる。薬を作れる人や、強い真名を持つ人が突然いなくなることもある」
「盗賊か?」
「盗賊なら、まだ分かりやすい」
「国がやってる?」
リンが尋ねる。
「国というより、その上にいる人たち」
「王か」
「王だけじゃない」
イオは周囲を確かめるように、声を小さくした。
「四人の支配者がいるって噂を聞いた」
「四人?」
「四天王と呼ばれてる」
シンの目が輝く。
「強いのか?」
「その話を聞いて最初に出る言葉がそれ?」
「弱いやつは四天王になれねえだろ」
「村を一つ消せるくらいには強いって聞いた」
シンの口元が上がる。
「会いに行こう」
「どうしてそうなる」
リンがため息をつく。
「強いんだろ」
「戦う理由がない」
「会ってから作る」
「理由は後から作るものじゃない」
「お前は考えすぎだ」
「お前が考えなさすぎる」
イオは二人を見ながら、呆れたように息を吐いた。
「四天王は、ただ強いだけじゃない」
「他にもあるのか」
リンが尋ねる。
「領主や兵を従わせてる。自分たちに逆らう村から食料を取り上げたり、真名を名乗ることを禁じたりすることもあるらしい」
「真名を?」
「その人の生き方を、上から決めようとしてる」
リンの表情が変わった。
この世界で真名は、ただの名前ではない。
力であり。
生き方であり。
その人自身だった。
「真名を名乗ることを禁じたら、どうなる」
「力が弱くなる人もいる。自分の言葉を見失って、何もできなくなる人も」
「それを四天王がやってるのか」
「直接やってるのかは分からない。でも、四人が権力を持ち始めてから、そういう話が増えた」
焚き火の薪が、ぱちりと爆ぜた。
「四人だけで、そこまでできるのか」
リンが尋ねる。
「その上に、もう一人いるって噂がある」
シンが身を乗り出す。
「四天王より強いのか」
「たぶん」
「名前は?」
「知らない」
「真名は?」
イオは首を振った。
「知ってる人はいない」
「誰も?」
「正確には、知っていても話そうとしない」
イオは火へ小枝を一本入れた。
「ただ、一つだけ噂がある」
リンは黙って続きを待った。
「その人は、四文字じゃないらしい」
森の音が遠のいたように感じた。
シンの笑みも消える。
「四文字じゃない?」
リンが聞き返す。
「真名がないのか」
「違う」
「じゃあ、二文字とか三文字?」
「それなら、まだ聞いたことはある」
イオはゆっくりと首を振った。
「その人は、八文字を背負っている」
リンの手が止まった。
誰もが四文字を背負って生まれる。
それが、この世界の当たり前だった。
四文字は力であり、生き方であり、人が人であるための形だった。
八文字。
二つ分の真名。
それが何を意味するのか。
リンには想像できなかった。
「本当なのか」
「分からない」
イオは答えた。
「噂だけ。でも、その噂が流れ始めた頃から、世界が変わり始めた」
シンはしばらく黙っていた。
やがて鉄棒を握り、笑う。
「面白え」
「何が」
リンが聞く。
「八文字だぞ。四文字の倍だ」
「文字数で強さが決まるとは限らない」
「弱いなら四天王の上には立てねえ」
「また戦うことしか考えてない」
「リンは気にならねえのか」
「気にはなる」
「なら探そうぜ」
「簡単に言うな」
イオが鍋を混ぜながら言った。
「私も、その人を探したい」
二人がイオを見る。
「どうして」
リンが尋ねる。
「もし世界が変わった原因が、その人や四天王にあるなら、止めないといけない」
「世界を救うのか?」
シンが聞く。
「そんな大げさなことは言わない」
イオは鍋の中を見る。
「私は、食べられない人へ食事を届けたい。病気の人へ薬を届けたい。それを邪魔する人がいるなら、理由を知りたい」
「止められなかったら?」
「その時に考える」
リンは少し笑った。
「臨機応変みたいなことを言うな」
「あなたが決めないからでしょ」
「僕のせいか?」
「リンはどうする」
シンが尋ねる。
リンは焚き火を見つめた。
世界が変わり始めた。
四天王。
八文字の王。
真名を奪われる者たち。
まだ、どこまでが真実かも分からない。
それでも、気になった。
誰かに決められた道ではなく。
自分で、この目で確かめたいと思った。
「まずは、噂を集める」
リンは言った。
「四天王がどこにいるのか。その上の八文字が本当にいるのか」
「会いに行くんだな」
シンが笑う。
「調べるだけだ」
「同じだろ」
「全然違う」
「会ったら戦う」
「戦う必要があればな」
「ある」
「まだ会ってもいないだろ」
「強いならある」
「お前の基準はおかしい」
イオは鍋の味を確かめた。
「目的は違うけど、向かう方向は同じみたいね」
「方向は西か?」
シンが聞く。
「四天王の噂が多いのは西」
「ほらな」
「何が」
「夕日が沈む方角には、何かあるって言っただろ」
「偶然だ」
「俺の勘だ」
「何も考えてなかっただけだろ」
イオは三つの器へスープをよそった。
「できたよ」
豆と山菜の匂いが、夜の空気へ広がる。
シンは器を受け取ると、中を覗いた。
「肉がない」
「さっきまで大事な話をしてたのに、最初にそれ?」
「大事なことだ」
「明日は肉を探すから」
「本当か?」
「見つかればね」
「よし」
シンは満足そうにスープを飲み始めた。
リンも器を受け取る。
温かい汁。
柔らかく煮えた豆。
少し苦みのある山菜。
派手な料理ではない。
それでも、疲れた体へ静かに染み込んでいった。
三人は、同じ火を囲み。
同じ鍋から食べ。
それぞれ違う理由で、西を目指すことにした。
シンは、強い者と戦うため。
イオは、食事や薬を必要とする人を助けるため。
リンは、変わり始めた世界を自分の目で確かめるため。
三人の目的は、まだ一つではない。
けれど。
四人の支配者。
その上に立つ、名も知らぬ王。
四文字ではない。
八文字を背負う者。
追うべき影だけは、同じだった。
「なあ、リン」
シンが呼ぶ。
「何だ」
「四文字が三人なら、十二文字だな」
「だから?」
「八文字より多い」
「文字数で勝敗は決まらない」
「勝ったな」
「人の話を聞け」
イオが笑った。
「その理屈なら、あと一人増えたら十六文字ね」
「誰か拾うか」
「仲間を野菜みたいに拾うな」
「強くて、飯をあまり食わないやつがいい」
「そんな都合のいい人いる?」
「いるかもしれねえ」
シンは空になった器を差し出した。
「おかわり」
「それ、仲間より先に食費を減らす人が言う?」
森に、三人の笑い声が響いた。
この時の三人は、まだ知らない。
これから先。
道の途中で、何度も出会う旅人がいることを。
どこか頼りなく。
昼間から眠そうで。
争いを嫌い。
腹が減れば、何食わぬ顔で鍋の前へ座る男。
誰も警戒しない。
誰にも恐れられない。
四文字すら持たないように見える、奇妙な旅人。
そして。
その男が背負う本当の言葉を。
三人は、まだ知らない。
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