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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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41話 一撃必殺

いよいよ生殺与奪編も佳境です。


死屍累々、一撃必殺との戦いを経て、リンたちは「命を奪うこと」と「命を縛ること」の違いを突きつけられてきました。


朱雀の短剣は、誰かを従わせるための刃ではなく、命を縛る命令を断ち切る刃へ。


そしてイオは、救うこと、休ませること、見極めることの重さを背負いながらも、仲間と共に進みます。


次に待つのは、死にかけた者を無理やり立たせる力か。

それとも、生きても死んでもいない者たちか。


最後の四天王、生殺与奪の領域は、さらに深くなっていきます。


 黒山の道は、冷たかった。


 足元の土は黒く、踏むたびに湿った音がする。


 草はほとんど生えていない。


 ところどころに、折れた槍や砕けた兜が埋もれている。


 それらは古い戦場の跡のようにも見えたし、今も続いている戦の途中のようにも見えた。


 死屍累々は消えた。


 積み重なっていた死者たちは、白い光となって空へ昇った。


 けれど、黒山の霧は晴れない。


 むしろ、山へ近づくほど重くなっている。


 リンは朱雀の短剣に手を添えながら歩いていた。


 刃は鞘の中で静かだった。


 だが、その静けさが逆に怖い。


 さっきまで、黒い命令線を切るたびに、腕が冷えた。


 命を切ったわけではない。


 縛っていた命令を切った。


 そう分かっていても、倒れていく兵たちの姿は胸に残っている。


「リン」


 隣を歩くイオが声をかけた。


「手、大丈夫?」


「うん」


「本当に?」


「……少し冷たい」


 イオはすぐにリンの手を取った。


 指先に触れ、眉をひそめる。


「冷えすぎ」


「短剣を使ったからかな」


「無理してる」


「してる」


「また正直」


「昨日より分かってるから」


 イオは少し笑った。


「それ、シンの言葉なのに便利すぎる」


 前を歩いていたシンが振り返った。


「だろ!」


「褒めてない」


「でも使ってる」


「悔しい」


 シンは満足そうに頷き、鉄棒を肩に担ぎ直した。


 その背中を見て、イオが少しだけ目を逸らす。


 さっきまで、その背中に乗っていた。


 戦場で。


 黒い兵たちに囲まれて。


 シンは何の迷いもなく背中を向けた。


 乗れ。


 おんぶしてやる。


 降りたら死ぬぞ。


 乱暴で、雑で、でもまっすぐな言葉だった。


 イオはその時の感触を思い出し、顔が熱くなる。


「イオ?」


 リンが覗き込む。


「顔、赤いよ」


「何でもない」


「熱?」


「違う」


「疲労?」


「違う」


 シンが無邪気に言う。


「また乗るか?」


「乗らない!」


「元気そうだな」


「誰のせいよ!」


「俺?」


「他に誰がいるの!」


 ムソウが後ろでにやにやしている。


「よい。実によい」


「何がですか!」


「若き者の怒声には、命の熱がある」


「変な言い方しないで!」


 一座の者たちも笑いをこらえている。


 黒山の道は重い。


 生殺与奪の気配は冷たい。


 だからこそ、その笑い声は必要だった。


 生きている者の声。


 まだ歩ける者の音。


 それがなければ、黒山の霧に飲まれてしまいそうだった。


 カズキはハヤテの背で周囲を見ていた。


 彼の顔には疲れが残っている。


 不死の軍団と長く戦っていたのだろう。


 ハヤテも息は整っているが、いつもより耳の動きが鋭い。


「カズキ」


 リンが声をかける。


「不死の軍団と戦っていた時、他に幹部を見た?」


「ああ」


 カズキは短く答えた。


「死屍累々のほかに、三つ」


「三つ」


「一人は、傷ついた兵を無理やり立たせていた」


 イオの表情が険しくなる。


「起死回生……」


「たぶんそうだ」


 カズキは続ける。


「もう一人は、生きているのか死んでいるのか分からない兵たちを引き連れていた。動きが不自然だった」


「半死半生」


 リンが呟く。


「最後の一人は?」


 カズキは少しだけ目を細めた。


「見えなかった」


「見えなかった?」


「兵が一人倒れたと思った瞬間、首元に傷があった。次の瞬間、別の兵が倒れていた」


 ハヤテが低く鼻を鳴らす。


「ハヤテが嫌がっていた。気配が薄い」


 ムソウが刀の柄に手を置く。


「一撃必殺か」


 シンが鉄棒を握りしめる。


「名前がもう嫌だな」


「一撃で必ず殺す」


 リンは小さく息を吐いた。


「不死の軍勢の中で、逆に一撃で殺す幹部か」


 イオが言う。


「でも、生殺与奪の配下なら、ただ殺すだけじゃないかもしれない」


「どういうこと?」


「命の一部を止める、とか」


 イオは自分の腕を押さえた。


「腕だけ死ぬ。足だけ死ぬ。心臓だけ止める。そういう力かも」


 シンが嫌そうな顔をする。


「やっぱり名前通り嫌だ」


 ムソウが笑わない。


 珍しく、表情が固い。


「油断するな。大群より厄介な相手もおる」


「ムソウでも?」


「わしは天下無双」


 ムソウは静かに言う。


「だが、首を落とされれば死ぬ」


 その一言で、空気が冷えた。


 そうだ。


 不死の軍勢とは違う。


 リンたちは生きている。


 死ねば終わる。


 成仏させることも、休ませることもできない。


 失えば戻らない。


 それが、生きているということだ。


 イオは薬草袋を握った。


「みんな、離れすぎないで」


 シンが頷く。


「おう」


「シンは特に」


「俺?」


「前に出すぎるから」


「出るぞ」


「出てもいいけど、見えるところにいて」


 シンは少し驚いた顔をした。


 それから、照れたように鼻の下をこする。


「分かった」


「何その顔」


「いや、見えるところにいろって言われたから」


「戦術の話」


「おう。戦術だな」


 ムソウが小声で言う。


「よい戦術よ」


「黙ってください!」


 一座の拍子木が、軽く鳴った。


 緊張を整えるような音だった。


 その時。


 風が止まった。


 リンは足を止める。


「止まって」


 全員が動きを止めた。


 黒い霧の中に、何かがいる。


 見えない。


 音もしない。


 だが、肌が粟立つ。


 カズキがハヤテの手綱を引く。


 ハヤテの耳が、ぴんと立っていた。


「来る」


 その瞬間。


 一座の男が、胸を押さえて崩れた。


「え?」


 誰も何が起きたか分からなかった。


 イオが駆け寄る。


「動かないで!」


 男の胸元には、細い傷があった。


 深い。


 だが、血がほとんど出ていない。


 傷の周りだけ、灰色に変色している。


「何これ……」


 イオの顔が青ざめる。


「傷の周りが、死んでる」


 リンは短剣を抜いた。


「どこから来た?」


 シンが鉄棒を構える。


「見えなかったぞ!」


 ムソウは刀を抜き、低く構えた。


「息を殺せ」


「息を?」


「気配を読む」


 カズキがハヤテの首を撫でる。


「ハヤテ、分かるか」


 ハヤテが短く鼻を鳴らす。


 カズキの目が右へ動く。


「右」


 シンが反応する。


「そこか!」


 鉄棒を振る。


 だが、空を切った。


 次の瞬間、シンの頬に細い傷が走った。


「っ!」


「シン!」


 イオが叫ぶ。


 シンは頬を押さえる。


 傷は浅い。


 だが、その周りの皮膚が少し灰色になっている。


「何だこれ」


「動かないで!」


 イオが駆け寄ろうとする。


 その時、リンの背筋に寒気が走った。


「イオ、止まって!」


 イオは足を止めた。


 目の前の空気が、すっと裂けた。


 もし一歩進んでいれば、喉を切られていた。


 イオの息が止まる。


 黒い霧の中から、細い声がした。


「外した」


 男の声だった。


 冷たい。


 感情がない。


「珍しい」


 霧の中に、一人の影が現れる。


 細身の男。


 黒い装束。


 顔の半分を布で覆い、片目だけを出している。


 手には短い刃。


 刃は黒く、先端だけが白く光っていた。


 その背に、四文字が浮かぶ。


 一撃必殺。


 リンは息を呑んだ。


「お前が」


「一撃必殺」


 男は静かに名乗った。


「我が刃は、一度触れれば殺す」


 シンが鉄棒を構える。


「触れなきゃいいんだな!」


「単純だ」


「単純で悪いか!」


 シンが踏み込もうとする。


 イオが叫んだ。


「待って!」


 シンはぴたりと止まった。


 一撃必殺の目がわずかに動く。


「止まる猪突猛進」


「昨日より分かってるからな」


「ならば」


 一撃必殺の姿が消えた。


 速い。


 いや、速いのではない。


 気配が途切れる。


 見失った瞬間、もう別の場所にいる。


 リンは朱雀の短剣を抜いた。


 赤い刃に白い筋が走る。


 しかし、黒い線は見えない。


 一撃必殺は不死の兵ではない。


 命令に縛られて動いているわけではない。


 自分の意志で殺しに来ている。


「リン、見える?」


 イオが聞く。


「線は見えない!」


「じゃあ、普通に避けるしかないってことか!」


 シンが嫌そうに言う。


「普通に避けて!」


「俺、避けるの苦手だ!」


「知ってる!」


 ムソウが前に出た。


「ならば、わしが受ける」


「だめ」


 イオが即座に言った。


「受けたら死にます」


「む」


「天下無双でも死にます」


「それは困るな」


「困るで済ませないでください」


 ムソウは笑った。


「ならば、受けぬ剣で参る」


 一座の拍子木が鳴る。


 カン。


 ムソウが一歩踏み出す。


「天下無双!」


 大きな一撃。


 黒い霧が裂ける。


 だが、一撃必殺はすでにそこにいない。


 ムソウの袖が薄く裂けた。


 布の端が灰色になり、ぼろりと落ちる。


 ムソウの目が細くなる。


「なるほど。布も殺すか」


 一撃必殺の声が背後から響く。


「触れたものの命を止める」


「布に命があるのか」


「ある。形を保つ命が」


 イオの顔が険しくなる。


「体なら、触れた場所の働きを止めるんだ」


「心臓に触れれば死ぬ」


 一撃必殺は淡々と言う。


「喉に触れれば息が止まる。足に触れれば歩けぬ。腕に触れれば握れぬ」


 シンが頬の傷をこする。


「じゃあ俺の顔は?」


「口なら黙った」


「危なかった!」


「本当に危ないからふざけない!」


 イオが怒る。


 リンは周囲を見た。


 一撃必殺は気配を消す。


 姿も消す。


 大群相手ならシンやムソウが押せる。


 不死兵なら朱雀の短剣で命令を切れる。


 だが、この相手は違う。


 一撃をもらえば終わる。


「カズキ」


 リンが小声で言う。


「ハヤテは気配を追える?」


「完全ではない」


 カズキは槍を構えた。


「だが、殺気の直前に耳が動く」


「それを合図にできる?」


「できる」


 リンは頷く。


「ムソウ、一座の音で場所をずらせる?」


「任せよ」


 ムソウが笑う。


「見えぬ敵には、舞台の音をぶつける」


「シン」


「おう」


「君は僕とイオの前」


「前だな!」


「でも、突っ込みすぎないで」


「分かった」


「頼む」


 シンはにやりと笑った。


「任された」


 イオは倒れた一座の男に薬を塗っていた。


 傷の周りはまだ灰色だ。


 だが、完全には広がっていない。


「間に合う?」


 リンが聞く。


「分からない。でも、止める」


 イオの手は震えていなかった。


「この人はまだ生きてる。死なせない」


 一撃必殺の目がイオを向く。


「ならば、そこを殺す」


 姿が消えた。


 ハヤテが耳を伏せた。


 カズキが叫ぶ。


「左後ろ!」


 リンが振り返るより早く、シンが動いた。


 前に出る。


 鉄棒で受けるのではない。


 地面を叩いた。


「おらあ!」


 黒い土が跳ね上がる。


 一撃必殺の姿が、一瞬だけ土煙の中に浮かんだ。


 ムソウが叫ぶ。


「そこよ!」


 一座の拍子木が三度鳴る。


 カン、カン、カン。


 音に合わせて、ムソウの刀が走った。


 一撃必殺は後退する。


 だが、カズキとハヤテがすでに回り込んでいた。


「千陣裂き」


 槍の軌跡が広がる。


 一撃必殺の逃げ道が細かく断たれる。


 それでも男はすり抜ける。


 リンは目を凝らした。


 見えない。


 速すぎる。


 いや、違う。


 見ようとしているから見えない。


 殺気が出る直前。


 狙われる場所。


 一撃必殺の刃は、殺す場所へ必ず向かう。


 ならば、守るべき場所を先に読むしかない。


「イオ!」


 リンが叫ぶ。


「次、どこを狙うと思う?」


「治療してる手!」


 イオは即答した。


「私の手を止めれば、この人を助けられない!」


「シン!」


「おう!」


 シンがイオの前に立つ。


 だが、イオが叫んだ。


「手を出さないで!」


「え?」


「腕を切られたら終わる!」


「じゃあどうすんだ!」


「背中!」


 シンは一瞬だけ固まった。


 そして、すぐ背中を向けた。


 イオの前にしゃがみ、広い背中で壁になる。


「これでいいか!」


「よくないけど今はいい!」


「どっちだ!」


 一撃必殺の刃が、空気を裂いた。


 シンの背中ではなく、肩口を狙っている。


 リンがそこへ朱雀の短剣を投げるように差し込んだ。


 刃と刃がぶつかった。


 赤と黒。


 火花は出なかった。


 ただ、嫌な冷たさがリンの腕に走る。


 一撃必殺の目がリンを見る。


「止めたか」


「ぎりぎりね」


 リンは歯を食いしばる。


 右手がしびれている。


 刃が触れただけで、指先の感覚が鈍い。


 イオが叫ぶ。


「リン、手!」


「まだ動く!」


「本当に?」


「本当!」


 シンが背中越しに言う。


「イオ、終わったか!」


「あと少し!」


「急げ!」


「急いでる!」


 一撃必殺が再び消える。


 今度は誰も動かなかった。


 リンが言う。


「みんな、音を聞いて」


 一座が拍子木を構える。


 カズキがハヤテの耳を見る。


 ムソウが目を閉じる。


 シンは背中でイオを守ったまま、鉄棒を握る。


 静寂。


 黒山の風。


 遠くで、何かが軋む音。


 ハヤテの耳が右へ動いた。


 カズキが叫ぶ。


「右上!」


「シン、伏せて!」


 リンが叫ぶ。


 シンは迷わず伏せた。


 イオも一緒に低くなる。


 一撃必殺の刃が、さっきまでシンの首があった場所を通った。


 ムソウが踏み込む。


「天下無双!」


 刀が横に走る。


 一撃必殺は身をひねって避ける。


 その瞬間、カズキの槍が足元を払った。


 一撃必殺の姿勢が崩れる。


「リン!」


 カズキが叫ぶ。


 リンは走った。


 だが、朱雀の短剣で何を切る。


 この男は不死ではない。


 黒い命令線も見えない。


 斬れば、ただ斬ることになる。


 殺すことになる。


 リンの足が止まりかける。


 一撃必殺の目が笑った。


「殺せぬか」


 冷たい声。


「ならば、お前が死ぬ」


 刃がリンの喉へ向かう。


 その瞬間。


「リン!」


 シンが横から飛び込んだ。


 鉄棒では間に合わない。


 シンは体ごとリンを押し飛ばした。


 一撃必殺の刃が、シンの左腕をかすめた。


「ぐっ!」


 シンの腕がだらりと落ちる。


 灰色に変わっていく。


「シン!」


 イオの声が裂けた。


 シンは顔をしかめながらも立っている。


「腕が……動かねえ」


 一撃必殺が静かに言う。


「左腕は殺した」


 イオが走る。


「見せて!」


「待て、来るな!」


 シンが叫ぶ。


「来たら狙われる!」


「うるさい!」


「うるさくねえ!」


「うるさい!」


 イオはシンの腕を見る。


 灰色が広がっている。


 血は出ていない。


 だが、命の熱が消えている。


「まだ完全じゃない」


 イオは薬草袋を開く。


「止められる。たぶん」


「たぶんか」


「たぶんでもやる!」


 一撃必殺が動く。


 今度はイオの背後。


 リンは短剣を構える。


 だが間に合わない。


 その時、ムソウが叫んだ。


「一座!」


 拍子木が一斉に鳴った。


 カン!


 音が広がる。


 一撃必殺の足が一瞬だけ止まった。


 いや、止まったのではない。


 音の方向が多すぎて、狙いがぶれた。


 カズキとハヤテがその隙に駆ける。


「千陣裂き!」


 槍の軌跡が、一撃必殺の周囲を囲む。


 逃げ道が削られる。


 ムソウが刀を振る。


「天下無双!」


 さらにシンが、動く右腕だけで鉄棒を握った。


「俺もいるぞ!」


「その腕で無茶しない!」


 イオが怒鳴る。


「右腕は生きてる!」


「言い方!」


 シンは片腕で鉄棒を振り、地面を叩いた。


 黒い土が跳ねる。


 一撃必殺の姿が浮かぶ。


 リンはその姿を見た。


 黒い装束。


 白く光る刃。


 感情のない目。


 その背の四文字。


 一撃必殺。


 殺すためだけの真名。


 生殺与奪の配下。


 命を奪うことに特化した存在。


 リンは朱雀の短剣を握った。


 殺したくない。


 でも、止めなければ仲間が死ぬ。


 疑心暗鬼の時とは違う。


 不死の兵の時とも違う。


 今、選ばなければ、誰かが奪われる。


「リン!」


 イオが叫ぶ。


「殺さなくていい!」


「え?」


「刃を狙って!」


 リンは一撃必殺の短刃を見る。


 黒い刃。


 先端の白い光。


「一撃必殺の力は、あの刃に集まってる!」


 イオはシンの腕を押さえながら叫ぶ。


「体じゃない! 刃先が触れた場所を殺してる!」


 リンの目が開く。


 切るべきは命ではない。


 相手でもない。


 殺す力の先端。


「分かった!」


 一撃必殺が動いた。


 リンへ向かってくる。


 喉。


 心臓。


 腕。


 どこを狙う。


 リンは考える。


 違う。


 相手の狙いを待つな。


 こっちから選ぶ。


「シン!」


「おう!」


「右から土!」


「任された!」


 シンが片腕で地面を叩く。


 土が舞う。


「ムソウ!」


「うむ!」


「上を塞いで!」


「承知!」


 ムソウの刀が大きく弧を描く。


「カズキ!」


「見えている」


 ハヤテが駆ける。


 槍が一撃必殺の退路を切る。


 リンは走った。


 一撃必殺の姿が正面に現れる。


 黒い刃がリンの胸へ伸びる。


 リンは朱雀の短剣を構えた。


 逃げない。


 受けない。


 刃先だけを見る。


 白く光る一点。


 命を止める一点。


「そこだ!」


 赤い短剣が、黒い刃先を打った。


 甲高い音。


 黒い刃がひび割れる。


 一撃必殺の目が初めて見開かれた。


「我が刃を」


「命じゃない」


 リンは踏み込む。


「殺す力を切る!」


 もう一度、朱雀の短剣を振るった。


 黒い刃先が砕けた。


 白い光が散る。


 一撃必殺の体が大きく揺れる。


 背の四文字が乱れた。


 一。


 撃。


 必。


 殺。


 殺の一字が、ひび割れる。


「殺せぬ一撃に、意味はない」


 一撃必殺の声が初めて震えた。


 ムソウが刀を構える。


「ある」


 一撃必殺がムソウを見る。


 ムソウは言った。


「一撃とは、殺すためだけにあるのではない」


 カズキが頷く。


「道を開く一撃もある」


 シンが右腕で鉄棒を担ぐ。


「守る一撃もある」


 リンが短剣を構える。


「止める一撃もある」


 イオがシンの腕に薬草布を巻きながら言った。


「生かすための一撃もある」


 一撃必殺は黙った。


 黒い刃は折れている。


 それでも、男は腰からもう一本、短い刃を抜こうとした。


 だが、その動きは遅い。


 ムソウが一歩踏み込む。


 刀の峰で、一撃必殺の手首を打った。


 刃が落ちる。


 カズキの槍が足元を払い、男を倒す。


 シンが鉄棒を地面に突き立て、逃げ道を塞ぐ。


 リンは朱雀の短剣を男の喉元ではなく、折れた刃の上へ向けた。


「もう終わりだ」


 一撃必殺は地面に膝をついた。


 背の四文字が、黒く揺れる。


「殺せぬなら」


 男は呟く。


「我は何だ」


 イオがシンの腕を見ながら答えた。


「それをこれから考えればいい」


 一撃必殺の目がイオを見る。


「生かすのか」


「生きているなら」


 イオは言った。


「殺さない」


「我は殺した」


「だから、向き合う」


 イオの声は厳しかった。


 優しいだけではない。


 けれど、冷たくもなかった。


「逃げることも、死ぬことも、許されないんじゃない。自分で選びなさい」


 一撃必殺は何も言わなかった。


 その時、黒山の奥から声が響いた。


「不要だ」


 全員が顔を上げる。


 重い声。


 生殺与奪。


「殺せぬ一撃に価値はない」


 一撃必殺の背から、黒い線が伸びた。


 リンの目が見開かれる。


「なかったはずの線が……!」


 生殺与奪の声が続く。


「使えぬ駒は、死ぬことすら許さぬ」


 一撃必殺の体が震える。


 背の四文字が黒く染まる。


 折れた刃が、黒い霧を吸って再生し始めた。


 イオが叫ぶ。


「だめ!」


 リンは朱雀の短剣を抜く。


 今度は見える。


 一撃必殺の背から黒山へ伸びる、太い黒い線。


 それはさっきまでなかった。


 生殺与奪が、今この瞬間に刻んだ命令。


 死ぬな。


 戻れ。


 殺せ。


「リン!」


 イオが叫ぶ。


「切って!」


「うん!」


 一撃必殺の目がわずかに揺れた。


 殺意ではない。


 ほんの一瞬の迷い。


 リンはその迷いを見た。


「今なら切れる!」


 黒い線へ刃を振る。


 だが、線は太く硬い。


 生殺与奪の力が直接流れている。


 リンの腕が軋む。


「ぐっ……!」


 シンが左腕を庇いながら叫ぶ。


「リン!」


 ムソウが刀を添えるように構える。


「一人で持つな!」


 カズキの槍が黒い霧を払う。


 イオが薬草煙を投げる。


 一座の拍子木が鳴る。


 カン。


 リンは歯を食いしばった。


「殺すために戻すな!」


 朱雀の短剣の白い筋が光る。


「選ばせろ!」


 黒い線が裂けた。


 一撃必殺の体から黒い力が抜ける。


 再生しかけていた刃が砕け落ちた。


 男はその場に倒れた。


 だが、白い光にはならない。


 まだ息がある。


 イオが駆け寄る。


「生きてる」


 リンは息を吐いた。


「よかった」


 一撃必殺はかすかに目を開けた。


「なぜ」


 声は弱い。


「殺さぬ」


 イオは薬を取り出した。


「さっき言ったでしょ。生きているなら、殺さない」


「我は……殺した」


「だから、生きて向き合う」


 イオの声は厳しかった。


 優しいだけではない。


 けれど、冷たくもなかった。


「逃げることも、死ぬことも、許されないんじゃない。自分で選びなさい」


 一撃必殺は何も言わなかった。


 ただ、空を見ていた。


 黒い雲の向こうから、生殺与奪の声がもう一度降る。


「選ぶ必要などない」


 黒い霧が、一撃必殺の体を包んだ。


「その者の真名は、一撃必殺。殺すために在る。殺せぬなら、殺されよ」


 一撃必殺の胸に、黒い文字が刻まれ始める。


 死ね。


 戻れ。


 殺せ。


 壊れろ。


 矛盾した命令が、いくつも重なっていく。


 イオが歯を食いしばった。


「ひどい……」


 リンは短剣を構える。


 だが、黒い線はさらに増えていた。


 生殺与奪は、一撃必殺を再び駒に戻そうとしている。


 生きることも許さず。


 死ぬことも許さず。


 ただ、殺す役割だけを残そうとしている。


 一撃必殺の体が震えた。


 折れた刃が、再び黒く伸びる。


 男の目から感情が消えかける。


 リンは踏み込もうとした。


 だが、その前に。


 一撃必殺が、かすかに動いた。


 右手が、折れた刃を握る。


 リンたちは身構える。


 しかし、一撃必殺は刃をリンへ向けなかった。


 イオにも。


 シンにも。


 誰にも向けなかった。


 自分の背から黒山へ伸びる、太い線。


 そこへ、折れた刃を向けた。


「我は」


 声がかすれる。


「一撃必殺」


 黒い霧が男の腕を止めようと絡みつく。


 それでも、一撃必殺は刃を動かした。


「一撃で」


 男の目に、ほんの少しだけ光が戻る。


「殺すだけのもの」


 リンは息を呑む。


 一撃必殺は、初めて自分の意思で刃を握っていた。


「だが」


 その声は弱い。


 けれど、確かだった。


「最後の一撃くらい」


 黒い線が暴れる。


 生殺与奪の声が響く。


「やめよ」


 一撃必殺は止まらない。


「我が選ぶ」


 折れた刃が、黒い線に触れた。


 しかし、刃はすぐにひび割れる。


 一撃必殺の刃では、線を切りきれない。


 リンが叫んだ。


「一撃必殺!」


 男が、リンを見る。


 ほんの一瞬。


 その目は、殺し屋のものではなかった。


 ただ、自由を求める者の目だった。


「手伝って」


 リンは言った。


「君の一撃に、僕の刃を重ねる」


 一撃必殺は小さく目を見開く。


「殺すのではないのか」


「違う」


 リンは朱雀の短剣を構える。


「断つんだ」


 イオが頷く。


「終わらせるためじゃない。選ぶために」


 シンが右腕で鉄棒を握る。


「お前の一撃だろ。最後くらい、自分で決めろ!」


 ムソウが刀を掲げた。


「よいぞ、一撃必殺!」


 拍子木が鳴る。


 カン。


「殺す一撃ではなく、断ち切る一撃!」


 カズキが槍を構え、ハヤテが前足で地を打った。


「退路は守る」


 一撃必殺は、かすかに頷いた。


 リンは走る。


 一撃必殺も、残った力で刃を押し込む。


 黒い線が暴れ、二人の腕を押し返す。


 生殺与奪の声が怒りを帯びる。


「我が与えた命を、我が定めた役を、拒むか」


 一撃必殺が答えた。


「拒む」


 短い一言。


 それが、最初で最後の反抗だった。


 リンの朱雀の短剣が、折れた黒刃に重なる。


 赤い刃。


 白い灯。


 黒い刃。


 三つの光が一瞬だけ交わる。


 リンと一撃必殺は、同時に刃を振り抜いた。


「一撃――」


 一撃必殺が呟く。


「断命」


 黒い線が裂けた。


 乾いた音が、黒山に響いた。


 生殺与奪の気配が一瞬だけ遠ざかる。


 一撃必殺の背の四文字が、静かに揺れた。


 一。


 撃。


 必。


 殺。


 最後の一字、殺が崩れる。


 だが、黒く砕けるのではない。


 白い光を帯びてほどけていく。


 一撃必殺は膝をついた。


 イオが駆け寄る。


「待って、まだ――」


 一撃必殺は首を横に振った。


「よい」


「よくない」


「我は、多くを殺した」


「だから、生きて向き合えばいい」


「その道も、あったのだろう」


 男は静かに言った。


「だが、我の体はもう、生殺与奪の刃でできている」


 イオは言葉を失った。


 一撃必殺の腕が、指先から灰のように崩れ始めていた。


 もともと生きた体ではなかったのか。


 生殺与奪に作られた刃だったのか。


 それとも、長く殺し続けたことで、人としての形を失っていたのか。


 分からない。


 けれど、今の彼は初めて、自分で終わり方を選んでいた。


「殺す以外の一撃」


 一撃必殺は、かすかに笑ったように見えた。


「悪くない」


 ムソウが静かに刀を下ろした。


「見事な一幕であった」


 カズキも槍を下げる。


 ハヤテが鼻を鳴らした。


 シンは複雑そうな顔で言った。


「お前、もっと早くそれやれよ」


 一撃必殺はシンを見た。


「すまぬ」


「謝るのかよ」


「謝ることも、選べるらしい」


 シンは言葉に詰まった。


 イオがそっと膝をつく。


「痛い?」


「分からぬ」


「怖い?」


 一撃必殺は少し黙った。


「少し」


 イオは薬草袋から小さな葉を取り出した。


 もう治せない。


 それでも、彼女はその葉を男の手元に置いた。


「苦くない薬草。少しだけ、眠りやすくなる」


「我にも」


「生きていたなら、使う」


 イオの声は震えていた。


「生きていたなら、手当てする」


 一撃必殺は目を閉じた。


「医食同源」


「何」


「お前の一撃は」


 男は小さく息を吐く。


「温かいな」


 イオは答えられなかった。


 一撃必殺の体が、白い光になってほどけていく。


 黒い装束も。


 折れた刃も。


 背の四文字も。


 すべてが風にほどけていく。


 最後に、地面に小さな刃の欠片だけが残った。


 白く光ることはない。


 もう殺す力もない。


 ただの黒い欠片だった。


 一座の誰かが、静かに拍子木を鳴らした。


 カン。


 見送る音だった。


 一撃必殺は、もういなかった。


 シンがその場に座り込む。


「いてて……腕が変だ」


「今見る!」


 イオが慌てて戻る。


「感覚は?」


「ない」


「指は動く?」


「動かねえ」


 イオの顔が強張る。


 リンも駆け寄る。


「シン」


「そんな顔すんな」


 シンは笑った。


「右腕は動く」


「そういう問題じゃない」


 イオは薬草布を巻き直す。


「完全に死んだわけじゃない。まだ戻せる。たぶん」


「たぶんが多いな」


「うるさい」


「怒ってる?」


「怒ってる」


「俺に?」


「半分」


「半分か」


「残り半分は、生殺与奪」


 イオの手が震えていた。


 シンはそれを見て、少し困ったように笑う。


「イオ」


「何」


「俺、死んでないぞ」


「分かってる」


「だから泣くな」


「泣いてない」


「そうか」


「泣いてない」


 イオはそう言いながら、シンの腕に額がつきそうなほど顔を近づけて薬を塗った。


 シンは黙っていた。


 いつもなら茶化すところだ。


 だが、今は何も言わなかった。


 ムソウがそっと顔を逸らす。


「よい花道……と言う場面ではなさそうよな」


 カズキが静かに頷く。


「黙っているのがよい」


 ハヤテが鼻を鳴らす。


「ハヤテもそう言っている」


 一座も静かに見守っていた。


 イオは布を巻き終えると、ようやく息を吐いた。


「しばらく左腕は使わないで」


「分かった」


「本当に?」


「本当に」


「無理したら怒る」


「今も怒ってるだろ」


「もっと怒る」


「それは困るな」


 シンは少し笑った。


「じゃあ、言うこと聞く」


 イオは顔を上げた。


「珍しい」


「昨日より分かってるからな」


 その言葉に、イオは少しだけ笑った。


 でも、目はまだ赤かった。


 リンは一撃必殺が消えた場所を見た。


 殺すためだけに在ると言われた者。


 殺せぬなら価値はないと捨てられた者。


 その最後の一撃は、誰も殺さなかった。


 自分を縛る命令を断った。


 それは、勝利だったのか。


 救いだったのか。


 リンにはまだ分からない。


 けれど、一撃必殺の最後の目は、少なくとも操られた駒の目ではなかった。


「命を握るって」


 リンは呟く。


「こういうことか」


 イオが静かに頷く。


「生きることも、死ぬことも、役割に変えてる」


 カズキが槍を握る。


「次は起死回生か、半死半生か」


 ムソウが刀を肩に担ぐ。


「どちらにせよ、重い幕だ」


 シンが立ち上がろうとする。


 イオが即座に睨んだ。


「休む」


「まだ何も言ってねえ」


「立とうとした」


「立つくらいは」


「だめ」


「命令か?」


「治療方針」


「強いな」


 シンは素直に座り直した。


 リンは少し笑った。


 北の黒山から、黒い風が吹いた。


 その奥で、誰かが笑った気がした。


「生かすも殺すも、こちらの匙加減」


 リンは朱雀の短剣を握った。


「違う」


 小さく言う。


「それを決めるのは、お前じゃない」


 黒山の道は、まだ続いていた。


 だが、一撃必殺の一幕は、ここで終わった。


 殺すためだけだった一撃は、最後に誰かを縛る命令を断ち切った。


 その事実だけは、黒い霧にも飲まれなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


生殺与奪編も、いよいよ終盤に入ってきました。


不死の軍勢、死屍累々、そして一撃必殺。


ただ倒せば終わる相手ではなく、「命をどう扱うのか」をリンたちに問いかける敵が続いています。


朱雀の短剣も、命令を刻む刃から、命を縛るものを断ち切る刃へと意味を変えてきました。


そして今回は、イオにとってもかなり重い戦いになっています。


救うのか、休ませるのか、見極めるのか。


一人では抱えきれない問いを、仲間たちと背負いながら進んでいく形になりました。


次回も、黒山の奥へ進むリンたちの旅にお付き合いいただけると嬉しいです。

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